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第三部

第五章 好きという気持ち 3

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 突然イシュタルに押し倒されて、首筋を舐められたシーナは、囁かれた言葉に背筋が凍りついた。
 
(えっ、今……。まって、まって……。そんな、わかるの?私がイシュミールの生まれ変わりだって……?)

 混乱し、身動きが取れなくなったシーナの首筋を舐め回していたイシュタルは、それだけでは足りないと言わんばかりに、今度はその華奢な首筋に噛み付いたのだ。
 痛みから我に返ったシーナは、イシュタルから逃れようと藻掻いた。
 しかし、何処からそんな力が出てくるのか、シーナの抵抗を物ともしないイシュタルは、血が出るほど強く噛みつき、皮膚を引き裂き抗うシーナの血を啜った。
 あまりの痛みにシーナは悲痛な声を上げた。
 
「いや!痛い!!いや、やめて!!」

 何が起こっているのか、まったく状況が理解できていなかったカインとミュルエナは、シーナの上げた叫び声から、シーナが危害を加えられているという事実に遅まきながら気が付き二人を引き剥がすべく行動を起こした。
 
 カインは、痛がりながらも涙ながらに助けを求めて手をのばすシーナの姿が目に入り頭に血が昇った。
 感情のまま、初めてイシュタルに暴力を揮った。
 今まで、憎い相手だと思っていても、どうしても手を上げることは出来ないでいた。
 しかし、この瞬間シーナを傷つけるイシュタルを見たカインは、真っ赤に染まった頭でたった一つの考えだけが体を突き動かしていた。
 
 シーナを傷つける者は、誰であっても許すことは出来ないという感情に従い初めてその固く握った拳でイシュタルを殴りつけたのだった。
 
 まさかだった。
 カインのとった行動は、ミュルエナにとってまさかの行動だったのだ。
 
 イシュタルを足で蹴り上げて、シーナから離れた瞬間に胸ぐらをつかみ上げたのだ。
 さらに、その顔面を固く握った拳で殴るとは、思ってもいなかったのだ。
 
 拳で殴りつけられたイシュタルは、そのまま硬い床に転がった。
 カインは、感情が爆発したかのように転がったままのイシュタルを仰向けにさせてから馬乗りになった。
 そして、今まで抑えていた感情を吐き出すかのように何度も何度もその顔面を殴りつけた。
 その場には、カインの拳がイシュタルの顔を殴る音だけが鳴り響いていた。
 最初は、硬いものどうしがぶつかるような音がしていたが、次第に「グチャッ!」「グチュッ!」っという音に変わっていった。


 馬乗りになられて、上から容赦なく殴りつけられていたイシュタルは、嗚咽混じりの悲鳴を上げていた。

「ぐっ!!がっ!!がはっ!!あ゙あ゙!!ぼう……や゙め゙で……。がはっ!!」
 
 ミュルエナは、イシュタルが殴られて顔から血を流しながら許しを請う姿を見て、少しだけ溜飲が下がる思いだったが、溜まりに溜まった黒い感情はこれだけでは満足できないことも分かっていたが、もっと殴ってやれと心のなかでカインにエールを送っていた。
 
 だが、カインが激しく暴力を奮っている姿に呆然としていたシーナは違った。
 イシュタルが、血と涙と鼻水でグチャグチャになっている姿が目に入ると同時に、カインの拳もまた皮膚がめくれて血が出ていることが分かったシーナは小さく悲鳴を上げた。
 そして、カインを止めるべく身を起こしたのだった。
 怒りのまま、憎しみのままイシュタルを殴りつけるカインの背に周り羽交い締めにした。
 しかし、大人の男と小柄な少女では力の差は明確だった。それだけでは、暴走するカインを止めることは出来なかった。
 
 シーナは、カインを止めるため声を掛け続けた。
 
「カイン様!もうやめて、その人もカイン様も血が出てる!!もうやめて、やめて!!その人が死んじゃう!!カイン様が人殺しになっちゃうよ!!そんなの駄目!!」

 シーナの声はカインには届いていないようで、一向にイシュタルを殴りつける事をやめなかった。
 シーナは、そんなカインの行動に悲しくなった。
 カインの抱える心の傷を垣間見たような気がしたのだ。
 イシュミールではない、今のシーナではその傷を癒やすことは出来ないのだと言われたようだった。
 しかし、ここで諦めるわけにはいかなかった。
 カインに対するこの想いを、好きという感情を手放さないと決めたのだ。
 カインを辛いものから守り、優しく包み込んで癒やしたいと強く思ったシーナはカインを止めるべく、思いっきりビンタ・・・したのだ。
 
 その場には、「パーン!!」という、乾いた音が鳴り響いた。
 
 突然の頬を襲う衝撃に殴ることをやめたカインは、痛みは無かったが何故叩かれたのか分からないといった表情で、叩かれた頬を片手で押さえて何度も瞬きした。
 
 そして、平手打ちをした本人でもあり、カインが暴走した原因でもあるシーナを「なんで?」といった表情で見つめた。
 
 平手打ちしたシーナは、仁王立ちの状態で腰に手を当てて「ふんすっ!!」といったように思いっきり息を吐いたのだった。
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