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オウカの冬 下
しおりを挟む八国によりその存在を閉ざされた禁忌の森。それは、八精霊大陸のほぼ中央にあるもっとも未開の国、コウリーリスの真ん中に位置している。
すなわち……禁忌、魔王の森はコウリーリスの中央に在ると言って良い。
元々森が深い所だ。
人が住む場所では無い事もあって、そこに禁忌の森が在る事がいつ知れたのかも今や分からない。
多くは魔王の森あるいは庭と呼ばれる所がそこに在る事、ひいては存在するかどうかも知らない。
あっておとぎ話、国を治めるごく一部だけが事実を知っていて尚、自衛のためにその存在について口を閉ざしている。
世界に魔王と呼ばれる者が『在る』だけで人々の心は揺らぐものだ。
故に、コウリーリスにある禁忌の森を各国は放置し、庭に封じて見て見ぬふりをしている。
その代価として世界には平穏があるのだと、言う者も居るが、どうだろう?
存在するだけで世界を脅かすとされる魔王、あるいは……庭の王は実は、自らの庭で穏やかな生活を謳歌している。
そう知った、私の心は酷く複雑だった。
悪を挫く為に正義としてある『私』は、庭の存在を知ったが為に庭に在る魔王を目指したはずだった。世を乱す、魔王の種と呼ばれる者達を彼は束ねているものだと信じていた。
魔王の種は、魔王の住まう庭から生じるのだと思っていたがどうやら、それは厳密には違うらしい。確かに王果は庭に実るが、その種がどうして世界に散らばってしまうのかを、庭に住む者達は逆に知りたがっている。
世に在りて悪と語られ、実際に悪行を重ねる魔王の種とは、庭の王の管理から外れたもの。
王は、実る果実をその手の内に管理し、庭へと集う自称悪の者達へと配る。
人の形をした、人ではないもの。
食し方は様々であるようで、庭に集う者達にしてみれば一様に極めて魅力的なものであるらしい。
しかし、私にとってはどうだろう。
庭の住人としてはまだ短い私の手元に投げ与えられた、幼き果実を手に。
私は私の正義としてこれを、育てる事となってしまった。
果て、魔王の種である王果を、そうである運命を忌避するために人として育てるために庭を出た。
南へ、森を抜けて境界を超え、ディアス国植民地時代を経てなんとか独立しコウリーリスに名を連ねる小さな、名もなき村落にて。
*** *** ***
私たちを集落へ迎え入れてくれた老人は、秋が深まるころ静かに、息を引き取った。
これからくるだろう、冬に向けて長い眠りにつくような穏やかな死。
私の生れた土地では、使者の弔いとしてまず僧侶を呼び、共同墓地に弔うための手続きと儀式を取り行う。だが郷に入らば郷に従う必要があるだろう、ここはファマメント国ではない、元ディアス国植民地のコウリーリス衆郡国。
ディアスの植民地時代の名残として恐らく、天使教とは相対する西教の影響が強いだろうと思う。葬儀も、私の知るものとはかなり違うはずだ。
異教徒の作法を知らない訳ではないが、詳しい訳ではない。
死を目の当たりにし、言葉を失ったように穏やかな、老人の顔を見つめているオウカ。
彼に留守番を頼み私は、老人の死を集落に知らせる為家を出た。
私の故郷での風習として、死者を一人にしてはならないとされている。例外となる事例はいくつかあるがそれは置いておき、なぜ一人にしてはならないのかという理由はちゃんとある。
死者は、生前の記憶や感情、専門的な言葉で言えば『業』の深さによって『起き上がって』しまう事があるからだ。死者を一人にしない事で『起き上がり』すなわち、死霊化を防ぐという風習がある。とりあえず知る限りの作法を執り行おうと私は思ったのだ。
そんな事で死霊化が防げるのかという疑問を投げる者もいる。特に、死霊調伏に特化した天使教を信仰しない者達、西教徒や他異教徒、信仰心の薄い者がそうだ。
それらの者は『魂』という概念を知らないで居るのだろう。
人は、人に限らずあらゆる『命』は……『魂』という一つの存在の形態を持っている。魂は肉体を伴う事はない。故に、死とは肉体から魂が完全に乖離した状況の事だ。
肉体という器に、幽体と呼ばれる理を満たし、精神と呼ぶ個性を宿すもの。
魂は、生命であったものに生じ育まれる。死に際し解放され、僧侶の祝詞と鎮魂の唱により世界に帰る。
また魂とは、死霊に転化する可能性の事でもある。
精神、幽体、業、因果。それらの複合体として魂は、生者の存在を近くに感じて自らが死者である事を知るのだ。儀式もせず、看取りもしなければ魂は安易に死んだ肉体や愛着のあった物などに依存して起き上がってくるだろう。
この世の摂理の一つだ。
私は天使教を篤く信じる西方人だが、自分の信仰に偏った概念を語っているという自覚はある。ただ、私が深く知るのは天使教しかない、知る限りの言葉で死者と、それに対する弔いの儀礼に対する摂理を説明するには天使教の教義を語るしかないのだ。
概念は違えど、死者を弔う儀式はどの文化にも存在すると聞いている、私が知らないだけで、生と死についての世の摂理はもっと他に説明のしようがあるのかもしれない。
村の人々は、皆今朝がた息を引き取った老人には良くしてもらったと言って、簡単な葬儀を執り行うのを手伝ってくれた。
コウリーリスでは……死者は、生きる者の下に埋めるのだという。
墓石として石碑などと立てる文化は多い、ファマメントなどがそうだが……ここではそのようなものは必要としない。
末永く生きるだろう元気な若木などの根元に穴を掘り、死者はそこに埋める。
今後はこの木が死者を見張るのだという。生命の連環を表すドリュアートを習い、生命の流転を信じるコウリーリスの民は、死した老人が土に還り、その上に生きる若木を潤しなお生かすのだと説いてくれた。
なるほど、簡素ながらそういう方法でもまた私の知る死を、穏やかに宥めて世に還す摂理が整っていると感じる。
比べて天使教などは、少し物事を大げさに執り行い過ぎているのかもしれない。
そのように正直な感想を抱きながら、私は自国流に老人の墓となった若木の前で手を合わせ、目を閉じて安らかな眠りを祈っていた。オウカも私の真似をしている。
彼は死というものをどこまで理解しているのだろうか?
それをどのように聞き出すべきか、迷っていると手を合わせて今しがた土の盛られた場所をじっと見つめたまま、オウカが言った。
「おじいさんの話、もう少し聞きたかったな」
どういう意味か、一瞬で理解が及ばない。じっと見られているのに気が付いたようにオウカはこちらを振り向く。
「ようやく慣れた所だったんだよ、その……やっと怖くなくなってきて、話とかしても平気になった所だったんだ」
*** *** ***
私たちはその後村人達から理解を得て老人の暮らしていた家、そして仕事を引き継ぐ事になった。その手引きは短い期間ではあったが老人から受けている。
私たちは火守だ、老人がの仕事は火種を絶やさないでおく事だった。
本来は火を燃やす炭や薪などの管理や製造もおこなっていたようだ。その為の炭焼き窯は長らく使われていなかったようで、火を入れながら復元作業が必要だった。そこまでは、老人から指南してもらっている。
さてそれで、これから本格的に炭を作る時になって老人は、無言の人となってしまった。
結局他の炭焼き業の者から色々指南を受けながら、私たちは主に村人たちの薪を提供する仕事を主にして深まりきった秋を迎えるのだった。
あとは日々寒くなっていくだけだという。
火守は一番深くまで森に入り、薪となる木々を運ぶ仕事でもある。
軍を指揮し、自ら先頭に立って戦うようにと育てられ、躾けられた私には極めて慣れない作業である事は素直に、オウカにも伝えてある。色々と失敗続きで、時に叱られながらも今手にした仕事を一所懸命に熟す日々だ。
オウカには第一に『嘘』を悪しきものと教えてあった
彼は素直で、私の言う事をよく守る。少なからず反抗を予期していて、どのように説得するかと考えていた私にしてみれば肩すかしを食らった様でもあった。
たとえば、何故嘘をついてはいけないのか。
嘘をつくのは何故、悪であるのか。
そういった事を疑問に思い、私に問いかけると言う事オウカはしない。
それだけに、彼は私の言っている本当の意味を理解しているのか時々、不安になる。
だがその前に、真っ先に改善すべき問題有る。
生まれついての性として、オウカは人を恐れるという事だ。
当然最初に出会った老人にも尻込みし、私の陰に隠れ、近づこうとせず、会話など成立していなかった。数日そのように老人を避けている事に私が気が付けない程巧みに、オウカは人間である老人と距離を取っていた。また、老人もオウカが激しい人見知りだと察してあえて近づく様な事をしなかったのも理由の一つだろう。
しかし、同じ屋根の下で暮らしている内に、オウカは老人への恐怖を払拭した様だ。亡くなる直前には言葉も交わすに支障の無い程度になっていた。
正直、その時はまだオウカの扱いや村で暮らす事に私自身が手一杯で、老人がオウカに対する理解力が高いのに任せてしまったのだ。その末、ようやく話が出来るようになったのにと、オウカが残念そうに呟いた言葉の意味を理解出来た時、私は大いに反省をしたと思ってくれてよい。
自分の、その不甲斐なさをオウカに素直に説いた。
果たして私の懺悔をどこまで理解してくれたものか、とにかくオウカもまた素直に人が苦手みたいだと返してくれたのだった。
しかしオウカのそれは『人が苦手』程度で収まる事ではなかったのだ。
作った薪や炭を、食料や雑貨などに交換して暮らしていかなければならない。近辺に住む別の村人や、平原の街へ行商に行く者を相手に、村では手に入らないものを取引する事もある。
人口密度は極めて低いが、思っていたよりも人と接する機会は多い。
だというのに、彼は人前に出ると口がきけなくなり、他の動作が出来なくなり固まってしまうのだ。その日初めて会う人は勿論、何度も顔を合わせている人に対しても常に身を固め、身構えているのが分かる。
この村は訳ありで他社会から遠ざかって来た者達が多い都合だろうか、オウカの奇妙な反応は何か理由があるのだろうと、見て見ぬふりをしてくれる人が多い。
そう言う状況を何度か叱った事が有ったと思うがこれだけは、なかなか改善しなかった。
老人に比較的早く慣れたのは本当に、何か条件が良かったのだろう。オウカにもその手ごたえがあったから老人が早くに亡くなってしまった事を素直に嘆いたのかもしれない。
もしかすれば、彼は人の死に対しもっと無関心であったかもしれない。
王果の性として人を恐れる。だがそれはどうにもならない事ではない、一度は克服出来た事だ。その様に私は励まし続けているのだが、オウカにとってはなかなか重荷となっているらしい。
彼が努力しているのは分かる、私からの励ましや叱責を受けて夜、こっそり泣いているのも知っていた。
オウカの記憶や知識は一部、あの庭の王のものだ。
まず間違いなく彼より譲り受けたものだろう。
庭の王が人間を嫌ったり、恐れたりしている気配はない。だというのになぜ、王果がそのような性を与えられて生まれる必要があるのか。
オウカ自身に人を恐れる経験があるわけでもない、だからこそオウカは何故人を前に自分が委縮するのかを上手く理解できず、解消出来ないのだろう。
生まれながらにしての王果。芯に魔王の種を宿し、いずれそれが芽吹く時、そは必ず人に仇なす。
その外から定められた宿命を断ち切るのは容易ではない、そう言う事だろうか?
だがそれは覚悟していた事だ。私は、彼に人を愛する事を教えなければいけない。人を恐れず、恐れを振り切る為に彼らへの恐怖を引き出さず……互いの思いを理解し、許しあえる心を鍛えてやらなければいけない。
だが、その為に何をすればいいのだろう。
私は……一体どのように、正義として育てられたか。
最近ずっとそんなことばかり考えている。どんなふうに自分がされてきたかと云う事を思い出したとて、自分を例にしてオウカを育てる事が出来るのか?
あれは私だからよかったのだ、私とオウカは同じではないのだから、私が受けた教育を同じく施す事は適切ではないだろう。
ではどうするのか?
どうすればいいのか。愛を教える為に、私は彼という存在を肯定する以外に何をすれば良いのだろうか?
「ごめんなさい」
在る夜、啜り泣きを抑えきれなくなったオウカが囁いた。藁を敷きつめたものにシートをかぶせた彼のベッドは窓際にあり、冬に近づく気候は風を強め、立てつけの悪い窓がきしきしと音を立てている。
「どうした、何に謝っているんだ? 」
「僕……どうしても、人が怖いんだ」
どうしてなのかもわからない、と再び嗚咽をかみ殺すオウカに、私は自分が悩むのと同じかそれ以上に彼もまたどうすれば良いのか悩み続けてる事を深く感じてその後に続ける言葉が見つからなかった。
しかし同時に、今までずっと克服すべく努力している事を知っている私は、どうしても改善出来ない自分の性をようやく認め、どうにもならないと素直に告白した事が少し嬉しく思えた。
しかし、私の憶測は彼の告白により確かなものになったな。
恐らく、彼はようやくその事を理解したのだ。
自分の力で自分の状況を考え、理解しそして……告白に至ったのだろう。長く苦しい混乱を、答えの見えない闇を必死にもがき光にたどり着いたに違いない。
「すごいなオウカ、私は未だ君をどうやって導いて行けば良いのか悩んでいるのに」
私は無言で彼の努力を褒めていた。
布団を被ってしまっているオウカの頭を軽く叩き、布団の上から抱きとめてやる。
「君が、人に近づこうとする努力を知っている。それでもなお恐れを抱く君を、私はどうやって慰めたら良いのかも分からないのに」
オウカは、布団の中で首を振った。
「ジャンの言っている事は正しいんだよ。きっと悪いのは僕の方なんだ……僕は、困らせてばかりだ」
「全然構わない事だよ、子というのは親を困らせるものだ。ええと……まぁ、私の親の言葉なのだが、そういうものなのだそうだ。君はもっと私を困らせてくれてもいいんだよ」
「けど、なんか悔しいよ。大丈夫、怖くない、恐れる事はない、そう頭では分かっていても体が嫌がってる」
どうしてだろう、人間に対して何の感情も、記憶も無いはずなのに。
オウカはそう呟いて、ままならない自分の性に泣いた。
「ならば、尚更私に謝る必要はないだろう?確かにその事を責めはしたがそれは、君にとってそれが困難である事を理解してもらう為だ。そのままでいい、なんて妥協を述べたらそれで君は満足だろうか?君は、その自分の感情を超えようと思い、努力をしているのに。君が悔しがる理由はわかる。そして、悔しいのは私も同じだ」
「……ジャンも悔しい?」
私は布団から顔を出し、真っ赤に腫らした目を興味津津とこちらに向けてきたオウカに向け少し笑った。
「君の事は私の事だ。私は、君の親なのだからね」
「……」
「全ては分からないまでも出来うる限り、君の心を理解して寄り添い、同じ悩みや喜びを分かち合いたい。親として子を育てるのはそう云う事だと思っている。君が悲しいのなら私も悲しい。君が悔しいのなら私も悔しい。だが」
まっすぐに向き合って、まだ少年であるオウカの瞳を見つめる。
「今、同時に私は少し嬉しい」
「嬉しい?ジャンが嬉しいの?」
「君が自分の事を理解して、原因となる事に気付いた事が嬉しいんだ。出来ないと嘆くより、少しでも発見をしては喜びを得る事だよ、そうすれば……少しは心も晴れるだろう」
「うん……でも」
「大丈夫だ、ほら、君は私に向けて何か恐れを抱いているのかい?」
互いの心の音が聞こえるほどに、近づいて抱き合ってもオウカの体は硬直する事はない。むしろ、安堵して気を許してくれるのが分かる。
「私だって人なのだから、人を恐れる事が克服できないと諦める必要はないさ」
*** *** ***
日々はあっという間に過ぎ去り、気が付けばちらほらとう雪が舞い始めた。
コウリーリス国南部と聞くと温暖な気候なのだろうと思っていたが思いの外、季節による寒暖の差は激しいようだと知る。樵をしている者が打ち倒してくれた木々から薪を取る仕事をしていればそれが自然と解るものだ。木々の内側に刻まれた年輪がそれを物語っている。
霜が降り、青空の下に刺すような寒さには守るべき火は小さく弱る。
なんとか完成した炭をくべては炎に力を与えてこの先、雪が降って森が凍りつく前に村が冬を越す分の薪と炭を準備しなくてはいけない。
私達は変わらずオウカとともに森に入り木々を集め、炭を作る竈の管理に徹する日々を過ごしていた。分担の森があってそこで黙々と作業をするだけなので、暫く人と会う機会が無く、どうにもそれはオウカにとっては心休まる事でもあった様だ。
そんな冬の始まりに、小さな村に不吉な噂がじんわりと広がり入って来た。炭作りに草臥れ果てた夜に珍しく人が訪ねて来て、わざわざここ最近の事を教えにやって来てくれたのだ。
話は森を抜け、平野部にある町から流れてきたもののようだ。
この村は霧が良く出るが、地形的には少し高めの山岳地帯にある盆地であるようだ。その為それを下って海側の、人が多い町の事を『平原』と呼んでいる。
なんでも、その平原で神隠しか人攫いのような事件が立て続けに起こっているのだそうだ。被害は子供が多く、夕刻から夜にかけての事らしい。私の所にも子供、と云えるだろう、オウカが居る事を知ってわざわざ注意を促しに来てくれたと言う事だった。
話を詳しく聞くと、あくまで噂と言う事だったが……子供が居なくなってその後、ずいぶんたった後に無残な姿で発見される事が多いという。遺体が見つからない事も少なくない、とか。
なんとも酷い話だ。私が一人なら喜んで、その事件の解決に手を貸しに行くのだが。
そんな心は今や、オウカには読まれているな。薄暗い闇に互いの顔が判別出来ない時間帯に差し掛かると、いつしか辺りに気を配り緊張している私の様子に気が付いているようだ。
気になるんならちょっと様子でも見てくれば、なんて事を言う事もある。
しかし、それでオウカをここに一人残すのは心配だ、それもまた素直な私の心である。
そう、嬉しい事もあった。
少しずつだがオウカは人と接する事を恐れなくなり、簡単な会話を交わす程度は出来るようになっていた。
人攫いの噂を注意しに来てくれた、隣森の炭職人が突然戸口に現れた事に、オウカはさほど狼狽えなかった。
挨拶されて、ちゃんと挨拶も返せていたのだ。オウカは、ついに自分が望んでいた事を出来た事に頬を紅潮させ、無言で喜びを訴えている。
私は同じく、無言で何度もうなずいて彼の思いを汲んで答えた。
その事で自信がついたのかもしれない。
いつもは嫌がる炭を村に卸す作業にも素直に従ったし、村人と会うたびに隠れようとする事はせず、話しかけられれば返事の一つくらいは返せる様になっていた。
オウカは少し、自分を過信しはじめているのだろう。火守くらいは自分一人でもできると彼は主張しているわけだ。
炭焼きの目途が立ち、村の近くまで炭を運ぶ仕事が多くなってきた。
その日も、人攫いの話題で持ちきりだ。なんでも村に大分近い所で子供が行方知れずになったという話を行商をしている親子が持ってきたらしい。怖くて夜は出歩けない、という話をしながら休憩にお茶を飲んでいた。オウカは一人、買って出た仕事として外で薪を割っている、その規則正しい音が響き聞こえる。
平原ではまことしやかに語られているのだそうだ。
西方に多い世を乱す魔王の種が、ついにこの近辺まで彷徨いこんできたのではないか……と。
そういえば、と私は……王の庭で聞いた話を思い出していた。職を手にすると、日々に謀殺されてあの庭の事、ひいては自分がかつてやっていた仕事や国の事など忘れている事が多くなるものだな。
一日を暮らすに精いっぱいで、それに加えオウカをどう育てるかに私は頭が一杯だったのだ。
ようやく思い出していた、レギオンから聞いた話だったな……フリードが、私と同じく王果を育てている、と言う話だ。それがどこで行われているかも知っている様で、そうして、私に南へ行くように勧めてきた。
そもそもフリードがどのように王果を育てているのかを知らない。レッド殿は興味があるなら本人に聞くようにと言ったし、ピーター女史も知ってか知らずか教えてはくれなかった。
しかし、庭の住民は基本的には私が断罪すべき『悪』だ。悪であるフリードが私のように魔王の種であるものを、正義に更生させようと努力しているとは考えがたい。しかしそういう想定の話だけで彼を悪とは言い切れないのが私の今の弱みだ。
色々な意味で、フリードに会いたいと願っていた事を思い出していた。
彼はどのように王果を育てているのか、知りたかったことを思い出していた。
行商人の親子はその後森から帰って来た樵達を相手に同じ話をし始めた。
噂話を熱心に語る村人たちの様子を遠目に見ながら、いつの間にか戻って来たオウカが少し怪訝な顔をしているのを見た。借りていた斧を返しながら、その対価としてタマネギなどを受け取って、私の所に戻って来ながら呟いた。
「悪い噂はなんでもかんでも僕らの所為なんだね」
それを聞きつけ、私はふと抱いた疑問を口にする。
「魔王の種に向け、仲間意識はあるものなのか?」
すると、オウカは首を横に大きく振った。
「そんなのあるはずないだろ」
どこか不本意そうに顔を背けられてしまった。
「僕は、どうして僕らが魔王の種って呼ばれてしまうかちょっと解るな」
オウカは自分が何者であるのか知っている。最初こそ無自覚だったかもしれない、だが私がそれとなく語った事などを元にして自分が、王果、そしていずれ魔王の種と呼ばれる者である事を知っている。
「どうしてかな、時たまに……どうしようもなく人の事が煩わしくなる」
日に日にオウカは大人びて行くのが解った。外見こそ子供のままだが、語る言葉から幼さが消え、思い出したように難しい言葉や表現を用いてくる。
「煩わしい……?」
嫌いや、怖いではなく……オウカが用いた言葉に私は、彼の心中が一瞬分からなくなった。
「怖いのは克服したのか」
「うん……多分。だからかな?怖く無くなったから多分、やっと人の事を考える事が出来るようになったんだと思う。人間というのが何なのか、それで……」
そこで、オウカは口を閉ざした。不意にため息をついて頭の後ろで手を組んで笑う。
「なんかわかんないや、なんとなく、そんな感じがしたんだけど」
*** *** ***
在る朝に、ついにうっすらと景色は雪化粧を纏っていた。
しかし本格的な冬はまだこれからだと村人たちは言う、もうずいぶん寒いがこの所風は穏やかで、秋の陽に、思いだした様によく晴れて暖かい日もある。
綿毛のようなものを纏う虫が一斉に森に湧き、晴天の中雪が舞うような日が来たら本格的な冬だと樵達は言っていた。
一時期話題となった不吉な噂が一瞬途切れ、これから来る冬についての談笑が交わされる頃、事件は起きるのだった。
火守をする私たちの小屋の、比較的近くにある樵夫婦の子供が神隠しにあったのだ。
その日、村人たちは仕事を放って子供の捜索を行ったが結局残念ながら……見つける事が出来ないのだった。私も勿論必死に探したが全く手掛かりが得られない、ここは町の中ではなく、辺りは物言わぬ木々しかない森の中だ。
犯人が人か、魔王の種か、獣か魔物なのかもわかったものではない。
再びあの噂が勢いを増し、不安な夜が数日続いた後今度は、猟師の子供が行方知れずとなったと聞こえてくる。
この辺りに住む子供たちは、警戒して陽が落ちた後は出歩かないようにしていたにもかかわらず、だ。
家の中に居て姿が消えたのかと云うとそうではなく、どうやら猟師の子供は夜、密かに窓から外に出ていた事が判明したのだった。その後樵夫婦の子供も同じ状況だったのが分かったという。
「危険だと知っていて何故外に出たのだろう」
そもそも、村の暮らしにおいて『火』は家に在り、陽が落ちた後外に出るという習慣はほとんどない。厠に行く時くらいだろう。
今晩より大人たちの、子供たちを見張る目は一層厳しくなっただろう。ひとまず、家を出ず火に守られていれば神隠しにあう事もないという結論を出し、夜の捜索はしない事になっている。
私も例外ではなく、オウカを傍に置き火を守りながら冬への支度として雑多な仕事をしている。
すると、オウカはふいと項垂れた。
「……僕の所為かも」
私は静かに顔を上げていた。
「どういう意味だ?」
「僕……夜、こっそり外に出てたんだ」
それは、知らなかった。
全く気付けなかった事に少し私は驚き、つい語調を強めて訊ねていた。
「何のために」
「その……ただの散歩とかに……色々考えたりして、眠れない夜に」
何故それを黙っていたのだろう。私が気付けなかったという事は、本当にこっそりとやっていた事に違いない。
「だって、夜に出歩くのはダメって言うだろう?」
今の状況に限らず私は、恐らく駄目だと止めただろう。
「だからって私の許可なくそんな事をしていたとは」
「……ごめんなさい」
「それで、それがどうして今回の件で、お前の所為になる」
「散歩してるのみんなにバレちゃったんだ」
話を聞くに、どうやらいつの間にかオウカは、村の子供たちとそれなりに交流を持ち、仲良くしていたらしい。
それは全然構わない、良い事だ。
しかしここの所冬支度に忙しく、昼間は一緒に遊ぶ時間が無い。そこで子供たちは……夜、こっそり家を抜けだしていたというわけだ。
子供達だけでそういう遊びを見つけていた事がようやくバレて、それで猟師の子供も、樵の子供も同じく夜に家を抜け出した時に行方知れずになったという事が判明したと言う事か。
「それは、お前が発端というわけではないだろう?」
「そうかもしれないけど……でも。ローレルがね、」
ローレル、というのは先の第一に行方知れずになった樵の内の次男坊の名だ。
「居なくなったって聞いて僕らも、心配で仕方がなかったんだ。魔王の種の噂もあっただろ、みんな怖がってたけど僕は、そんなの怖くない。それに、ものすごく許せなかったんだ」
私は……深いため息を漏らして額を抑えていた。
「怖くない理由を皆には言ったか?」
「……うん」
素直に、嘘はつかないようにと教えたのだ。
……そうなるだろうな。
まずい事になったようだ。
あるいは、これは私とオウカにとって、いずれ立ち塞がる越えなければいけない壁なのかもしれない。
恐らくどの家庭でも今のような話はなされているだろう。在る子供が黙っていても、広いようでこの狭い村では瞬く間に、事実が知れる。
果たして次の日、火守の家に大人たちが殺到した。
子供たちを家に残し、決して出ないようにと母親が残ったのか集まったのは男衆だ。
何を言いたいのかは察している、私は『正義』だ。ヘタな嘘など付くつもりは無い。
素直に、オウカが魔王の種である事を告げた。そして私はそれを人として育てている事を伝える。
反発は強い、すぐさまその子を殺せ、とまで迫られたが頑として拒否した。その為に一方的な暴力も受けたがこの場合、反発は出来まい。私は、彼らが恐れ不安になる気持ちを理解出来ているのだ。
一方的な暴力を受けるだけの私に、村人たちは気が咎めたのか、何故そこまでしてオウカをかばうのかと問いかけてくる。
私は、私の志す思いを貫き通すまでだ。
ようやく理由を語れるまで求められたと理解し、根気よく私は私の理想を説いた。
居なくなった子供を思い、夜外に出たオウカの行動は浅はかだったろう、けれどその思いや、そうしようとする彼がただ『魔王の種』であるというだけで迫害される現実から逃げ切りって、覆したいという私の思いは……外の世界より逃げ、この奥まった村に落ち着いた人々の心に少なからず、届いたようである。
私は今後オウカを家の外には出さない事を彼らに誓った。少なくとも村人たちの許しが得られるまでそうすることを約束した。仕事もひと段落している事から、私もオウカを見張る為に有事が無い限り家を出ない事を約束する。
それらの事は奥の部屋で、待機を命じていたオウカの所まで届いていただろう。すべてを知って、じっと耐えているのが私には分かる。
村人達が家を出て帰って行った、途端、彼は大声で泣き出した。
私が村人たちと交わした約束を知って、部屋の外に出れない彼はそうすることで……私への思いを伝えたかったのだろう。
溜まらずに何時、彼が部屋を飛び出すかと心配していたが結局、私がその扉を明けるまで彼は部屋を一歩も出なかった。
夕飯を用意したから出ておいでと扉を開けた時、殴られた傷をいくつか負った私に抱きつき、ただひたすら泣く彼に大丈夫だと言い聞かせ、強く抱きしめ返して答える。
その夜、私は彼を安心させるために寄り添って、火種のすぐそばで毛布に包って夜を過ごした。
誓って、彼は私のすぐ隣に居た。手を握り合っていた。不安に思い出したように泣きだす彼をなだめてほとんど眠らぬ夜が明け……。
そうして、第三の犠牲者が出た夜は明けたのだった。
*** *** ***
村人たちはもう、私達を責めはしなかった。私が約束を守る事、オウカが犯人ではない事は信じてくれたのだろう。
だから、その日私たちは陽が高く登るまで家を出ておらず、事を知ったのは夕刻にもなる頃だった。
昨日私をしたたか殴った男が家を訪ねて来て、真っ先に頭を下げたのに目を瞬く。
「あんた、殴っちまって悪かった……」
「謝る必要はない、不安の種を撒いたのは……」
そう言って同じく頭を下げた私に、
「べ、別に謝るだけで来たわけじゃねぇ」
慌てて男は首を振る。
「そうじゃねぇんだ、そういえば連絡が行ってねぇと思って……あんた、あんたは約束はトコトン守る男だってのは良く分かってる。今日は家を出てないんだろ?」
「ああ」
「……三人目の犠牲者が出た」
私は、オウカを家に残し夕刻の森へと出た。
この所帯びる事の無かった剣を手に、松明を掲げて暗くなる一方の森へと足を踏み出す。
許しがたい悪をこれ以上、放ってはおけない。
神経を研ぎ澄まし、この森にたどり着いた何らかの悪意の気配を探る。
そう簡単に見つけられるとは思っていないが、警戒をし続ければ少なくとも災厄は、去るだろう。村人たちが固く戸を閉ざす中、私は月明かりを頼りに集落を一巡し、あたりの森を探り続ける。
不思議と疲れなど感じる事は無かった、私は結局悪を狩る、正義の使途としての仕事が一番性に合っていると云う事なのかもしれない。
私は、かつてファマメント国に属し軍人として、魔王の種なども含めて狩る側であったことはすんなり信じてもらえた。どうにも堅っ苦しくて、軍人っぽい人だとは思われていたらしい。
夕刻に登った月が真上にあり、夜も更けた頃一旦家へと戻る。
正直、残したオウカが心配だ、私一人なら……朝日が昇るまで村中を歩き回って警戒していてもいいのだが。
木々の合間を縫って青白い光が差し込んで来る。月がまだ空にあり、当たりの闇に相対して眩しいほどだ。
と、火守の家の前、戸口の所に人影を見つけて私は、剣を持つ手に力を込めていた。
安易に気を乱したりはしない。気配を殺し、足音を消して近付いていく……。こういう事が久しぶりだからだろう、心音が緊張の為に高鳴るのがよくわかった。
誰かが家の前に立っている、だがそれは……良く見慣れた姿をしていた為に私の心臓は強く脈打ち、何が起きているのかと務めて冷静を装っている。
見るからに不審者なら速攻で距離を詰め、相手の動きを封じていただろう。
「……何者だ」
数メートルの距離まで詰めてから、戸口をじっと見つめている背中へと呼びかけた。すると、それは驚いて肩を震わせ、恐る恐るとこちらを振り返る。
見慣れた顔だ。
一見すると東方人のようにも見える……それは、オウカと同じ顔をした『魔王の種』である事は即座解った。一瞬オウカなのかと疑ったが違う事は近づくにつれて分かる。
体格が、こちらの方が大きい。
オウカのように、振り返った顔にはまだ幼さが見てとれるが少年と呼ぶには育ちすぎている。
無感情か、と思った顔が……笑った。
無邪気、と思わせてどこか悪意に満ちたと感じさせる笑みだ。
「貴方ですか、私を育てているのは」
「……何の話だ」
「おとぼけにならなくても、同族だからでしょうか?私にははっきりと分かりますよ」
ここに、私たち『魔王の種』を匿っておいででしょう?……と、それは小さく微笑んだ。この笑みはどこかで見た事が有る……と記憶をたどる。
そうして、彼が何者であるか大凡の予測が付くのだった。
「フリードの手の者だな。やはりこの辺りで育てていたと云う事か」
「育てる、などとは。貴方は私たちが何を経て育つのかご存じでは無い癖に」
この、明らかに人を見下したような言葉使い、間違いなくフリードの元で育ったな、というのがうかがい知れる。言葉や態度だけ見ていればフリードそのものだ。
彼が、どのようにして与えられた王果を用い、育てているかなどもはや興味はない。
断言する、そんな事はどうでもいい。
私は私の方法で育てる。
すでに、どうすればいいかなどとフリードに訊ねる頭は無かった。
どうしているのかを知りたいだけだ。
もし彼に会う事があったなら、訊ねるべきは王果の行方だけだ。その是非によっては問答無用で切り捨ててやろうとも思っていた所である。
「単刀直入に聞こう。……お前はこの村の子供たちを攫ったか?」
「イイエ」
はっきりとした口調で、しかしどこか言葉端を笑わせながらそれは、こちらに完全に向き直る。
それがオウカと同じく、素直に事を話してくれるとは思えない。
「では、何をした?」
質問を変えると、可笑しそうに笑ってからそれは、答えた。
「頂きましたよ」
即座抜刀し、威嚇して私は問う。
「食べた……か?村の子供をか!?」
「それはそうでしょう、だって私たちは人を喰う者ですから」
「そのように、フリードからそそのかされているだけじゃないのか」
「フリード様は関係ありません、」
「やはりお前はフリードの手の者と言う事だな!?」
「出来る事ならそのように育ちたいものです。私たちを庭より持ちだし、外へと放してくださった方です。しかし、フリード様が私達にしてくださるのはそこまで」
「まるで庭に在る事が嫌なように言うのだな……王果にとって、庭に管理される事は忌むべき事か」
「人だって同じでしょう」
それは大きく手を広げ、フリードが良くするようなしぐさをまねる。
「何時までも親の言い成りになるのは子にとって不都合なもの。私たちは自由に広がり、各々に芽を吹き外へと広がりたいのに。あそこではそれが出来そうにない」
そのような事実は……私は知らない。しかし、この育った『魔王の種』は自分たちの事を良く知っている。
何も知らない私に、まるで諭すかのように言う。
「貴方という者により自由になれない哀れな種を、自由にしてやろうかと思いましたが中々、上手くいかないものですね」
それは、どういう意味だ?
「種を手懐けたのではなく、貴方は王より実を与えられた……庭へと至った者ですね?話をしてみて今、そうだと解りました。なるほど、これは一筋縄ではいかない訳です。方法を、間違えましたね」
「ここに何の用事だ、オウカを……連れ出すつもりか?」
「貴方は本当に何もご存じない」
大いに笑い、戸口へと手を掛けてそれは、私をけん制する。
「残念ながら私たちは扉を開ける事が出来ないのですよ、安心してください。戸外に出ている者しか捕食出来ません。それがフリード様が唯一私たちに科した事です」
彼は……あえて戸に近づいてそう言ったのだと気付く。
オウカを誘い出そうとしている。
私は剣を構えて迫っていた、構うものか、こいつは子を襲ったと自白したのだ。
「私達魔王の種はですね、人を食べないと生きていけないんですよ。人にとっては罪な事かもしれませんが我々は人ではありませんから別に、気に病む事でもなんでもないんですよ」
その言葉に思わず踏みとどまる。
人では無い、そう自覚し放言する者を人の規則で切る事は……出来るのか?
私の中に在る正義が揺らぐ。悪の集う庭、その影が差し込んで来る。
一つ、齎された答えのようなものの正体を探る。人を食べなければ生きていけない……?魔王の種にそのような癖があるとは聞いた事が無い。人攫いを必ずするというワケでも無かったと思う。
その話は本当だろうか?
その様に訝しむ私を察する様に、言い方が悪かったかもしれませんと悪びれも無く、フリードの王果は嗤う。
「正しい事を言えば、成長に必要な特殊な栄養素、みたいなものがあるんですが、その摂取に一番効率がいいのが人間になるんです。食物連鎖ってご存知ですか?その頂点に居る人間に必要なモノが圧縮されていて、摂取するに一番効率がいいのです」
それが、あの庭では得られないのか。
その栄養素とは何であるのか?この魔王の種にそれを聞くべきか?答えてくれるのか、答えてくれるとしてその情報は本当か?信じられるのか?
「で、人間なんて人間が飼育している家畜に比べたら全然美味しいものではありませんので出来るだけ美味しく頂きたい、子供を狙うのは私の嗜好ですね」
そう言ってフリードの王果は、何故だろうか、自分の目を指さした。
「この目の色をした鉱物ですが、比較的体に蓄積されるもので親から子供への受け渡し量も多い事から血に混じっているのではないか、とフリード様はおっしゃっていましたね」
やはり、フリードを探して話を聞くべきなのか?
そもそも、フリードの話は……信じられるのか。信じられないというのなら、私は彼を虚言を理屈に悪として斬れるか?
「ですから、このままあなたの方法で育てていますといずれ、彼は衰弱して死にますよ。年を超える事は出来ないんじゃないでしょうか」
「何……!?」
ついと、寸で止めた私の剣を指先でつまみ『それ』は私に囁いた。
「人を目指すなら、人として罪な事を背負うしかありません。このまま私を生かしなさい、」
「生かす、つもりはない!」
刃を返し、それを戸口に追いやる。逃げ場を失った魔王の種はしかし、卑しく笑う。
「貴方は私を追い払えばいいんです、時たまに……そうですね、年に一度か二度くらいこの村に戻ってきてさしあげましょう。そのどさくさに、貴方のオウカを潤してやればいい」
「……!」
「同じ種として放ってはおけませんからね。私は、貴方がたにそういう大切な事を伝えようと思って……」
戸口ごと蹴破って、私はそれを家の中に蹴り飛ばしていた。そうして即座下段に剣を構えたまま扉をくぐり、梁の高い土間で剣を振り被る。
悲鳴や、嘆願を上げる暇を与えずそれを、私は切り伏せていた。
縦に心臓を割り、横に首を攫う。
魔王の種を殺すには最終的に首をはねるべし、と教えられている。理由については良く知らない。
知らなくてもいい。
露を払い、すでに事切れているものに向かって私は、言わずには居られなかった。
「お前達に、仲間意識はあるはずはない、だろう?」
*** *** ***
朝が来て、魔王の種が打ち取られた話は瞬く間に広がった。
火守の土間に転がる無残な死体を我先にと見物に来る、村人達でごった返している。それらが一通り収まったら、忌まわしき犯人を外へと運び出し、世話好きの者達が部屋を綺麗にしてくれてその流れで酒宴になってしまったようだ。
その中、私はかつて魔王の種を狩る仕事をしていた事についてあれこれ質問攻めに合い、願われて色々と話すハメになっている。
私が首を切ったあの、魔王の種は庭先で燃やされている。
コウリーリスの仕来たりとして、不縁の悪しきモノは燃やすものなのだという。
そうして、許しを経て部屋から出るようにとオウカに呼びかける。
暫く反応が無かったが、私に引き続き村人達からも声を掛けられ、謝罪の言葉を投げかけられるにつれて静かに引き戸が開き、恐る恐るとオウカが顔をのぞかせた。
目を見開いて転がっていた、魔王の種と似た顔である事は否めない。
けれど、村人たちは事の犯人がオウカではなかったという確かな証拠を得たというように喜んだ。戸惑う彼を部屋から連れ出し、外へ出る事を許し、魔王の種の犠牲となった親子達も彼を許して……敵を取ってくれた事を私に向けて深く感謝するのだった。
私は……私の心はしかし、晴れない。
聞いた事がずっと、頭から離れないんだ。
ようやく静かな夜になり、いつもの通り二人きりとなり私は、溜まらずオウカに訊ねていた。
昨晩の出来ごと、どんな会話が交わされていたのかはオウカにも聞こえていたはず。
あれは……あれらは、本当なのか……と。
すると、オウカは先ほどまで村人たちに許してもらった事で緩んでいた気を払い、どこか大人びた顔をして……そっと目をそらした。
「嘘は、言わないよ」
顔を上げ、私をまっすぐに見る。
「何が足りなくて、どこにそれがあるのかは分かってる。でも、僕はそれを欲しいとは思いたくない。人は……煩わしいんだ」
「オウカ……」
「僕は我慢するよ」
にっこり微笑んで、でもその顔が……どうにも嘘のようにで彼の肩を掴む。
「大丈夫、我慢出来るよ」
「そういう事ではなくて」
「だから、ごめんなさい。僕はあんまり生きる事は出来ないかもしれないけれど……それまではどうか、」
人として見て。
人であったと言って欲しい。
*** *** ***
大雪を知らせる虫が飛ぶ。
まるでこれから降る雪を思わせる、大粒の綿が森を漂い、厳しい冬を忍ばせる。
雪はあっという間に森を白く染め、閉ざした。ずいぶんと積もるとは聞いたが……ここまでとは。
年明けが近づくにつれて風も強くなり、外に出るのが難しい日々が続いた。その頃には小屋はすっかり雪に埋もれている。村人達と会う機会も自然と減り、雪が解けて春が来るのを待つだけとなっていた。
オウカは、部屋の中でよく転ぶようになっていた。
時々呆けてものを落とすし、気が付けば薪の束を持ちあげて歩く事も出来なくなっている。
それからは日に日に弱って行くのが分かる。それを見ているのが辛い。
だが、何より堪えたのは……次第に彼の言葉が幼くなっていく事だ。
言葉を思い出せなくなり、露語が怪しくなり、だんだんと行動が幼稚化していく。その頃には立って歩く事が出来なくなっていた。
私の言いつけも守らなくなった……いや、守れないのだろう。
彼はヒトを欲している。
恐れていたのは、それが欲しいと知っていたからか?
それならば、私がここに居るのに。
私の事はヒトとして数えていないのか?
いや、私にはオウカが求めるモノが無いのだろう、きっと、そうだ。
そう、なのだろう。
それとも。
私は、王の庭へと招かれた私は……人ではなく、その庭にふさわしいヒト以外の何かなのだろうか。
王果がどのように人を食すのかは知らない。
何度か、耐えきれずにどうにかする方法をオウカに訊ねてみたがそれだけは……最後まで教えてくれなかった。
知恵を失い、本能によって最後に足掻くようにオウカは、家の外へ出ようともがく。
人の食べものでは本質的に彼を育てる事はないのだと……良くわかった。
食べさせても食べさせても、彼はやせ細っていく。
足りないのだ、フリードの王果が囁いた通り、王果を潤すには特殊な栄養素が必要でそれは、一般的に人が食べる食物からは到底補えるものではないのだろう。
冬に閉ざされていた。
今更誰かに、フリードに助けを請いに行ってももう間に合わない。
オウカはあっという間に歩けなくなり、寝返りも打てなくなり、最後には食べ物も受け付けなくなった。
そんなもの食べたって無駄なんだと乱暴に言われたのが正直に辛かった。
今そこに、私の家に、火種を切らしたからと村人達が訪ねてきたら……私はそれをオウカに差し出せるか?
いいや、そんな事は出来ない。オウカもそれを望んでいない事は解っている。
オウカが求めた事はそんな事じゃない。
人であった事を胸に、春を待つまでもなく。
吹雪の夜に彼は息を引き取った。
*** *** ***
脈が止まり、もう二度と起き上がる事が無い体に私は手を置いて、思いをこらえる。
久しく涙が出そうになっていたが、涙など流すものではないと教えられて育った都合意地で抑え込み……そうしてしまう自分を少しだけ酷いとも思った。
この遺体は……庭へと返そう。
その次の日は比較的天候に恵まれていたので私は、手早く村人たちに挨拶して回った。
オウカが死んだ事、そして私はここに住む理由が無くなった事。
勝手な事を言って申し訳ないが火守は辞退し、私はこの村を即座出て行く事を一軒一軒に周って伝えた。
私の事情を真っ先に理解してくれた者が即座、火守を引き受けてくれたのでオウカが死んで五日目には村を出る事が出来ていた。
冷たいオウカの体を背負って……森の奥へと。
何しろ春はまだ先で、雪深く積もった山はかなり厳しい路だったろうが、私はその間何かを感じたり、考えたりする事が出来ずただもくもくと歩を進めていた。
そうして王の庭を目指す事に夢中になり、何も考えないで居るのは楽だったのだろう。
何日掛けて森を歩いていたのかは知れない。
だが、気付くと雪は薄くなり、春を告げるように草木の芽が膨らんでいるのを視界に収めるようになった。
同じように、背負うオウカにも変化があった。包んでいた布を破って……緑色の芽が吹いた小さな枝が突き出ているのに在る日気付いて、私の視界は途端晴れたのだった。
夢中になってオウカの肉体を覆う布を切り払った、すると……枯れて、ボロボロに腐った腐葉土のようなものがそこにはあった。
私は彼が求める正しい栄養を与えず、このようになるまでにしてしまったと言う事だろう。改めてその事実に打ちのめされ、私は何をしていたのだろうと自問する。
その中から一本伸びる小さな枝をたどり、生きている苗木を拾いだす。
それも、外気に触れて私の手の中で静かにくたびれて、息絶えた。
「まぁ、そういうものなのだよ」
言葉に驚いて振り返る。
すると、あの庭で見かけた通りの王がすぐそこに立っていた。
「君にはそれを育てる事は出来ない。育てられるなら……私の元に来る必要はないだろうと言ったと思うがどうだろう?」
「ええ……おっしゃいました」
「正直に言えば私は、君がそれを育てられなくてよかったと思っているよ」
「……どうしてですか」
王は、微笑んで手を差し伸べた。私はそれを取り、立ちあがる。
「君は、私の庭に戻ってくる。そうして私と食事をしたり、珈琲を飲んだりしてくれるだろう?」
私は、聞きだしたかった言葉を必死に抑えた。
何が貴方を育て、何でオウカは命をつなぐのか。
フリードは……それを育てる事に成功しているようだったがその過程で人の命を奪う。
それが彼らにとって正しいと言うのなら、王果を庭の外へ放り自由を与え、生きる権利を与えるフリードの行いを私は、一体どのように罰すればいいのか。
何を罪として、悪と罵ればいいのだろう。
まだ冬の森に、王が歩くたび……雪が解け、草木がめぐり花が咲く。
幻想かもしれなかった、なぜそこに王が居るのか、私は良く分からず不思議な夢を見ているだけなのかもしれない。
「ジャン、ここはもう私の庭だよ」
その声を聴いて、私は目を覚ましたようだった。
相変わらず視界の先には雪深い冬山があるばかりだ。
すでに足元にある雪は薄く、ザラメの様な雪を掻き分けて土にたどり着き、それらを掘り起こしてオウカであったものを埋めた。
ここが庭であるのなら、きっとここで良いだろう。
その後、どこをどう歩いてどこに向かっていたのか、私には良く分からない。埋葬を終えて、途端に腹が減っている事に気が付いてしまって自分を呆れたのは憶えている。
私はキャンプを張り、獣を狩って食事をして、眠った。
それをどれくらい繰り返したのかも分からず、何処に向かうべきなのかを見失い冬山をボロボロになって歩き回って居たはずだ。
しかし気が付けば、私はまた……かの王の庭にいる。
雪はまだあった、しかしどこか見覚えがある場所に来て、獣道を見つけ辿って行くとあの庭にたどり着いていた。
不思議と懐かしいと感じられ、ほんの数か月居ただけの場所に愛着を得ている自分に苦笑が漏れる。
一度迷いこめば何時でも、気が付けばそこにいるように私の正義は庭の中で力を失い、無力なものとして王の前に在る。
けれど、そうしては私は……あの穏やかな笑みを浮かべる王に列席し、穏やかな日々を送れるのだ。
流されてはいけない……私は、この庭に正義として無ければ成らない。
たとえそれが私の知る物と違おうとも、この庭に必要として招かれているのであればそれを、探し出さなければならないのだろう。
最後に何を考えていたのか、そうだな……次にフリードに会った時、彼を悪と断罪すべきかどうかについて考えていた。
感情的には許せないと思っている。
しかし善悪は感情とは別の所にある事を私はわきまえていて、感情論で剣を振るえない自分こそ『正義』だと信じているのだ。
腹いせに、誰かを斬ったなんてオウカが知ったら、何と言われるだろう?
それが正義なの?と、尋ねられたら私は口ごもるしか無い。
結局、きっとオウカはフリードという、見ず知らずの男で私が鬱憤を晴らす事などに興味は無いだろう、という事でまとめたと思う。
しかしそういう事を最後に考えていたにもかかわらず、即座思い出せる訳ではない様だ。
目を覚ました時目の前に、そのフリークス・フリードが居て驚いて飛び起きて、思わず胸倉を掴んでしまった事はここに素直に白状しよう。
「ようやくお目覚めのようですが、夢見はよろしくないようですねぇ」
「……」
自分が何をしているのか、認識するのに数秒要した。
謝って手を放し、私は自分の有様を見てゆっくりと記憶をたどる。頭が痛いし、疲労が激しい事を悟った。
私は……本当に、また庭に戻って来てしまったと言う事か。
「ここは王の庭か」
「そうですよ、ボロボロの貴方が倒れていたという報告を聞いて飛んで帰って来た所です。聞けば王果を渡されて育てようと庭の外に居た、とか」
「知らなかったのか?」
フリードは困ったように肩をすくめてみせる。
「私もこれで忙しい身なんですよ?困った事は報告書を飛ばすように部下に言い含めてありますが、困っていない事には報告義務を課していませんのでねぇ」
私は、頭痛を堪え額に手を当ててため息を漏らす。
「……上手く行かなくて、多分これは、こういう感情は何というのかな」
「その話は後でお聞きしますよ」
「本当だな?」
なかなか捕まえられないフリードが、話をする暇は設けてくれると言う事だと察して私は鋭く視線を投げた。
「恐らくご存じかと思いますが、私も育ててみる派なのでね。もしかしなくても何かやらかしてくれましたね?」
と、にっこり笑って尋ねられた。
私は、恐らく彼のオウカに何をしたのか思い出し、あの時振るった剣の意味を今更考えてみて一つ躓き、もう一度頭痛の所為にして額に手を当てていた。
「なので、その話は後でお聞きします。動けるようでしたら一旦着替えなどもしてはどうです?軽い食事なども出来そうであればすぐにでも、手配させましょうか」
「……ありがとう、すまない」
「いいえ、どういたしまして。ああ、貴方が戻ってきた事はまだ誰にも、知らせていませんので」
そう言ってフリードは、口元だけで笑って見せる。
いつも皮の仮面をつけているので顔の表情全体は分からないが、今度こそ何時もの余裕ぶった笑みを浮かべているのが分かる。
「安心してお休みください」
終
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作業の隙間があったので手直し更新少し再開。連休中に二話、あとは一週間一編月曜更新で。話は多少前後する事もありますが、比較的起った順番になっています。
こちらも『異世界創造NOSYUYOトビラ』後の話(8期後半)なので後日譚の一種ですが、トビラに向けてのネタバレはあまり無い方です。同世界シリーズの一つなので、説話は色々と重複します。
更新が一番早いのはエブリスタになるので気になる方はこちらへどうぞ
https://estar.jp/creator_tool/novels/25065679
こちらも『異世界創造NOSYUYOトビラ』後の話(8期後半)なので後日譚の一種ですが、トビラに向けてのネタバレはあまり無い方です。同世界シリーズの一つなので、説話は色々と重複します。
更新が一番早いのはエブリスタになるので気になる方はこちらへどうぞ
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