GM8 Garden Manage 8 Narrative

RHone

文字の大きさ
上 下
12 / 17

オウカの冬 中

しおりを挟む

 訳あって、魔王の種を育てる事になってしまった。
 正確には王果、魔王の種が宿っている、果実の方。
 最終的には同じ物なのだろう、しかし王果は私が知っている『魔王の種』と同じかと問えば、同じとは限らないという答えが帰って来た。

 難しい事は分からない、理解する必要も無さそうだ。
 最終的には魔王の種、そうなってしまったのなら絶対正義たる私は、この幼い子供の姿をした謎の存在を遠慮なく斬る事が出来るだろう。
 魔王の種は即ち災いの種、存在を許しておいては成らないモノだ。
 悪の庭の価値観の上でどうなるのかは分からないが、私の知る世界では等しく殲滅するべきものとして忌み嫌われる存在だった。実際、恐れられ忌避されてしまう事に納得せざるを得ない邪悪な存在だった。いずれ育てば例外なく『魔王』と呼ばれる存在になるだろう、そう信じるに値する、人に、世界に仇名す存在だった。
 私も、何度か討伐に向かったことがあった。

 恐るべき姿をしていればまだ、マシだ。魔王の種の恐るべきところは、一見普通の人間である所に在ると云える。身体的特徴として怪物じみた所は無く、その気になれば人の中に混じり入る。
 外見が完全に人であるから、容易く人の心を欺く。
 致命的な特徴が一つだけあるが、その一つを知らない人にとっては、それが『魔王の種』である事など知り得ない、それが……恐るべきところなのだ。
 そういう自分たちの特徴を存分に踏まえて、奴らは人に混じり、人を欺き、人を破滅へと導こうとする。

 悪の巣喰うとされる庭、魔王の庭とやらに居るのもそうやって、魔王の種から『成った』ものだろうと思っていたくらいだ。
 しかし実際庭に居たのは邪悪とは無縁の、何に対しても無関心を決め込んだ、王と呼ばれる男だった。この男、すなわち王には……今思えば『魔王の種』の致命的な特徴が当てはまる。
 それでも私は彼の雰囲気に騙されて、未だ魔王という肩書を俄には信じられないでいた。

 私は正義に生き、悪たるものを成敗するためにかの魔王の住まう庭に入ったのではなかったか。それなのに、一体悪の庭で私は何をしているのか。
 そんな自問を繰り返している中で、唐突に投げ渡された王果を手に私は、やや遅れて事の事態を理解しつつあるのかもしれない。

 王果がいずれ魔王の種になるのなら、そして庭の王に実るものが王果だというのなら。
 この不思議な悪の庭に居る、魔王というのは魔王の種が成った、なんて生易しい存在ではないと云う事ではないか。
 魔王の種を世にばら撒いてしまう方。
 種を生み出す方。

 彼は、事も在ろうか魔王そのもの。
 世に仇名す『魔王の種』が、いずれたどり着くかもしれない最後の姿が庭の王……。

 私は、ようやく一つ理解が出来た所で少し眩暈がしていた。そんなに致命的な『悪』が目の前にありながらそれを、どうして私はそれを『悪』と見做すことが出来ない?
 少しばかり彼らの懐に入り込み過ぎたのだろうか。私の正義は、いつの間にやらかの庭に向けて通用しなくなってしまっている。……すっかり居付いて数カ月が立っているというありさまなのだ。その間、庭は平和そのもので、私はその平和にすっかり騙されている。

 そうやって私の正義は無効化されつつあるのかもしれない、しかしそれは私が正義である事を諦めたという事ではない。私はただ、見失っているだけだ。

 それは、庭の外から見れば『奇妙』であるのかもしれなかった。
 その奇妙さを感じられなくなってしまった私は……悪の庭に取り込まれつつあると言えるだろう。
 庭の中に居ると、かつてあったはずの価値観が崩れていく。些細な違和感やあったはずの基準がずれて、失われ……庭独自のルールに従った全く別の価値観を得てしまいそれで見たり、感じたりしている。

 そうなっている、という自覚がふいに戻って来たのを感じた。

 手の中に、小さなぬくもりがあってそれが、何故だか私に麻痺しかけていた自分の正義感を取り戻させている様に感じている。

 魔王の種という、外と同じ価値観のものがこの庭の中にも在る事。しかしそれは果肉を纏い、致命的な悪の萌芽を覆い隠し無垢ですらある。

 ここはまだ、魔王の庭。
 取り囲む八国によって立ち入りが制限された謎の森の中。

 その森こそが曰く魔王とも聞く。実際、庭で全てを統べているのは一人の『人間に見える』男で名前は……多数ありすぎて今はただ『王』と呼ばれる。
 彼こそが庭の主であり、庭そのもの。
 魔王だ、それが悪であるかどうかを今、私は見失っているが間違いなく、そう呼ばれるに値する何かではあるのだろう。
 温和で、それでいて全てにおいて放任主義。珈琲をこよなく愛するかの王には、人間では無いという事を決定づける、想像を超える不思議な性がある。

 その一つとして、かの王は花を咲かせる。

 そしてその果てに果実を実らせ……自らの種を生む。
 その種は外の世界において『魔王の種』と呼ばれているが、それがどうして世界に拡散してしまうのか、分からないので原因を探っている。

 この庭の外、八国のどこにいても『魔王の種』はあって各国で様々な問題になっている。私がかつて属していた国でも……そうだな、魔王の種が絡む騒動はいくつかあって、数えきれないほどの種が討伐されて来た事を私は、知っている。

 魔王の種は災いの種……。
 でも静かに、それはすべて過去に置き去ろう。

 その種を、正確には種になる前の果実を事もあろうか一つ、託されてしまった。

 成り行きで育てると宣言してしまったが、その言葉をひるがえすつもりは無い。
 これが何であるのか理解したうえで私は、それを選んだのだ。

 庭の外、魔王の種に平穏はない。魔王の種というものが知られ過ぎている事もあるだろう。多くあった種達が例外無く、世界に仇名す振る舞いをした事も原因と言える。
 自分の力を過信し、行く末が魔王である事を知った彼らは自分や周囲の破滅ばかりを願う。あるいは保身を望み、人間に下り、もっと邪悪な者の手足となっている者もいた。
 彼らは何時でも世を乱す、私が生まれるずっと前から種というものは『そういうもの』であるという、だから存在が許されていない。
 魔王の種は殲滅されなければならないモノとして教えられ、私はそれを信じていた。
 信じては居たが、疑った事が無いわけでは無かった。
 正義たる私には、必ず正義に背く魔王の種という存在が大いに不思議に思えたものだ。
 なぜ彼らは悪たる行いに身を委ねるのか?
 どうして、何故?と……真剣に、あまりよくは無い頭を使って理由を考えた事があった。
 魔王の種は生きられない、存在できない。そういう価値観が『正義』とされているなら、彼らは生きるために大いに足掻く必要に迫られている。
 彼らを取り巻く環境は良くないのだ。存在が、そうだと知られたら最後だ。
 命は無い。
 世界が彼らを否定し、拒絶しなければもっと平穏に生きる事が出来ただろうか?
 実は、育ちがよくないだけではないのか?育て方に問題があるのではないのだろうか。正しく育てれば例え、それが魔王の種だとて……正しく真っすぐに育つはずなのでは?
 私にはそういう確信があった。
 しかしそんな事を試す機会などはない。私が在った魔王の種は例外なくすでに『悪』で、そうなってしまったものは手の施しようもない。
 あとは魔王になるだけだというのなら世に習い、倒すしかないのだから。
 生まれた瞬間から生きる全てを悪の代名詞のように扱われる魔王の種、わたしはその運命を変えてみたいと思った事があった。
 それを、いつしか思い出していた。
 
 私のそんな思いを知ってか、知らずにか……王は私に言っていたな。
 きっと私にそれは、育てられないだろう。育てられるならそもそもこの庭に居る事も無い……と。
 その真意は良く分からなかった。別に庭に招かれている事が甘美な訳ではない、私は本来この庭を悪と見出し、破壊する正義として在るべき存在なのだから、王の言う通り。
 王果を、上手く育てて自分の正義を取り戻し、庭の客人に甘んじる事を脱却すべきなのだ。ともすれば、王が私を庭に招く意味が良く分からなくなる。

 庭の王の真意がどこにあるのか分からない。
 
 とにかく、正義の名の元に彼を、立派な正義の使徒として育てて見せよう。

 それが、私が実行したかった『正義』である事を思い出している。

 そうすれば私の世界は少しだけ変わるかもしれない。庭に取り込まれず、正しい自分の目で庭の本質を見ることが出来るはずだ。
 正義は、そうあるべくここにある。

*** *** ***

「…あ」

 手を引いていた少年の、視線が定まってこちらを見やったのを私は、見た。
 魔王の種、あるいは……王果。
 その種を包む果実に小さな傷が付き、皮が向けて肉が剥き出たように……自意識らしいものを持たなかった彼が唐突に、何らかの意識を持った瞬間だ。

 慌てて顔を背けた様に見える。
 意図のある行動を見て取った私はそのように思った。

 『魔王の種』である彼らは何処から来て、何から生じたかを知らない。それなのに自立し、意識を得て最初からある程度の言葉や知性を持つという。
 親を持たず、一人で、魔王の種と周囲に知られて利用されるように育つ。
 自らが『魔王の種』である事すら知らない彼らは、そうである事を周囲から教えられて……。
 その様に悪しき水を注がれて育てばどうなるか?
 魔王の種は、育つにつれてどんどん邪悪になっていくというが、それは環境が彼を邪悪にしてしまう、の間違いなのではないか?
 稀に幼い、意識のはっきりしない個体もあって、そういうのを捕縛した例もあると文献で読んだことがあった。
 正しく今の王果の様な状況だろうか?
 さて、何が彼にとっての甘き水となりうるのだろうか。
「目が覚めたのか?それとも……今からがお前の始まりか?」
 私の問い掛けに、意味が分からないというように小さく首をかしげて王果は足をとめた。視線をこちらには寄越さない。最初から人を拒否してしまう、そういう自意識を持つのだろうか?
「君の事はこれより、オウカと呼ぼう」
 他に、これといって良い名前が思いつかず安易に決める。
「私は君を正しく育てるつもりだ。名は、ジャンという」
「……ジャン……名前……オウカ?」
 やはり普通の赤子とは違う。
 すでに少年の姿で、不思議と多少の言語を理解している。
 あの庭の王の子だ。人間などの子とは訳が違う。肉の他、心も、知識もある程度分け与えられているのだろう。
 中途半端な知識はかえって意識に混乱を伴うのかもしれない。
 オウカはすっかり立ちつくし、あたりを大きく見まわして動こうとしない。
 つないでいた手を少し引いてみると、繋がっている事に今気が付いたように嫌がって、振りほどこうとした。
 私はその手を逆に強く握りしめてやった。
「怖がる事は無い」
 上手く微笑んで彼に話しかけているかどうかの自信は無いが……出来るだけ相手を怖がらせないようにと務めて膝をつき、彼の目の高さに視線を合わせる。
「何があっても君の事は私が守ろう。私は、君の親となるのだから」

 多分、彼らは『親』という概念が抜けおちている。
 あらゆる生物には親がいるものだろう。人は、親に守られた記憶があるのではないか?少なくとも『人』はそうだと思う。この私にも母がいて、父が居る。
 両親も兄妹も家庭の都合、というので私にとってはやや遠い存在で、繋がりは希薄で厳しい人達だったという記憶はあるがそれでも、なぜか不思議と親というのは心が休まるものなのだ。
 けれどオウカにはそれがない。
 生まれて、初めて意識を持った時すでに父と呼べるものはそばに居ず、母と呼べるものが何であるのかもわからない。

 王よ、何故貴方は彼らの父となってやらないのですか?

 この庭を統べる、一見人の形をしたあの温和そうな初老の男を思い返す。
 ……多分、王はどうでもいい事だと笑うような気がする。終始そのように全てを許すが、その平等すぎる振る舞いは親子という大事であろう絆を無意味だと切り捨てるのか。
 彼は全てにおいて贔屓というものをしないから……このように、子供の事も容易く放任するのだろうな。

 庭の王が誰でも平等であるのは何故だろう。そんな事、考えた事もなかった。
 ほんの少し緊張を解き、オウカは私をまっすぐに見つめてきた。
 彼らには特徴と言えるものが無い。彼らは何時でも、同じ姿をしている。一見するとただの東方人、東の方に多い人種の特徴は背はあまり高く無く、黄色の肌を持ち顔立ちが幼い、という印象を受ける。多分顔が丸いからだろう。頭髪は黒から明るい茶色までで、目の色も西方人のように派手さは無くて深い色合いに落ち着いたものが多い。
 魔王の種はやや明るい茶色の髪の東方人で、致命的な特徴として目の色が緑色を帯びている。
その瞳の奥にはさらに明るい緑を隠し持ち、この瞳の奥の緑が手前に現れれば現れるだけ彼らは魔王と呼ばれるものに近づいていくと云われている。
 オウカの瞳の奥にも緑色の光が宿っている。
 しかし、偶々緑掛かった瞳を持った東方人だっている。それで、魔王の種と差別を受けるという酷い話もあるというが、何故かそれは笑い話として伝わってきた。私には何がおかしいのかさっぱり分からなかったが。

「僕を……育てるの?」
 だんだんと意識がはっきりしてくるように、オウカの口調もはっきりとしてきた。
「親という意味は理解出来ているみたいだな」
「僕らには無いものだ」
「自分の出生が分かっているのか?」
「僕はオウカだからね……知ってるよ」
 少し目を眇め、悲しそうに眼を伏せる。少年には似合わない、複雑な顔だ。
「生きてもいい事なんか何も無いんだ。だって、僕は」
 私は、幼い彼が『知っている』事に素直に驚いていた。
 この子は、そうだった、魔王の種ではない。王果だ、王果と種は違うという答えは得ていた。違うのだ、纏っている果肉とは王から与えられた知識か?
 魔王の種は自分たちがどこから来たのか、知らないはずだ、そうだと聞いている。
 しかしオウカはすでに、自分に親と呼べるものが居ない事、自分がいずれ魔王の種となる事を知っている!
 私は彼の、全てを諦めた様な力ない肩に両手を添えて、言っていた。
「諦めるものじゃない、諦めは……悪だ」
 逸らした視線をこちらに向け直させて、私はまっすぐに彼の瞳を覗き込む。
「生きる事は楽な事ではないだろう、辛い事の方が多いものだ。それが生きると言う事だ。生きる事を初めから諦める事は許すわけにはいかない」
「そんな……」
「君は子供だ」
 きゅっと口を結び、否定出来ない事をオウカは示した。
「子供は、庇護者である親の言う事には従わなければいけない。そうして初めて親に甘え、庇護する事が許されるのだ。恐らく君は助けなどいらないと私の元を去りたいのだろう?」
  きっと、多く魔王の種はそのように、いつしか孤独を貫くのだ。
「……」
「だがそうはいかない、君は知らない事かもしれないが、私は君を確かに預かったのだ。君を所有し、自由にする権利を与えられている。私は君の親となりたいのだ、だから君は私の子でなければいけない」

 やや強引な話ではある、な。実際子供は親を選べない、とか言うだろう?そういう反抗的な態度を取る兄弟の事をちょっと思い出してしまった。
 まぁ、彼が何と言おうとどんな反抗的な態度になろうと私の、彼を正しく育てると言う情熱は揺るがない。何としても彼を、子供として育てるつもりだがさて。どんなふうに反抗されるか。
 経験が無いからどう転ぶかわからないが、恐れは無い。
 分からない事に、恐れなど抱いている場合でもあるまい。恐れていては正しい事など実行出来ない。時に未知に向け恐れず踏み出さなければ何も進展はないものだ。

「……本当に?」

 何に向けてそのように問い掛けられたのか、良くは分からなかったが否定する要素もない。私は大きくうなずいて、彼の両肩に乗せた手に力を籠める。
 そうして、少し遠慮気味に彼を抱きとめた。

 私の父が、聞き分けの悪かった幼い私をなだめすかす為によくやってくれた事だった。
 不思議と、こうやって近く触れ合うと反抗心がなだめられ、なんだか全て許されているような気持ちになる。
 私は……こうやって胸に抱かれるのが好きだった。少ない経験だったが多分、好きだったと思う。悪い気はしない。思い出すと少し気恥ずかしいのも事実なのだが。

「何してんだよジャン、」

 途端オウカが肩を震わせたのが解る。

 立ちあがり、オウカを自然と背後に庇って……私は声の主と対峙する。
 レギオンだ、相変わらず鋭く嗅ぎ付けてくる。何してる、などと聞いておいて何が起きているのかはすでに見知っているのだろう、口元を笑わせて一歩、ゆっくりこちらに近づいて来る

「さっそく分配に与ってんのな、いいなぁ、……いい匂いだ」

 ウットリと恍惚に目を細めてあからさまな舌舐めずりをして見せる。
 変態と呼ばれて喜ぶのがこの、レギオンという男だ。この男は恐らく……オウカを手に入れてたのなら『食う』だろう。自由にして良いと許可が下りれば遠慮なくそうするに違いない。
 だが、これは私に与えられたものだ。

「言っておくが譲る気は無いぞ。害を与えるつもりなら、悪と断じて切る」

 この庭にたどり着いた時に渡された、一振りの剣の柄に手をやり軽く身構えた。
「おうおぅ、怖いねぇ。もちろんお前のモノなら手出しはしねぇさ、ぶった切られたくはねぇからな。……あ、いや?一回くらいはぶった切られるのもいいかもしれんな?」
 相変わらず、こいつの考えている事は良く分からない。
「お前、そいつをどうするつもりだ?」
「どうしようが私の勝手だろう」
 教えてくれたっていいじゃねぇかと肩を竦め、そんな警戒するな、これ以上近づかないという事を示しながらもレギオンは笑う。
「それにしたってなんかジャン君らしくなく軟弱な事してるから、俺様ってばどうしたもんかと声を掛けずには居られなかったってわけよ。何、もしかして、可愛がってる?そいつの事好きなの?可愛がるの?可愛い可愛いしてそんでどーすんの?」
 私はため息を漏らし、興味津津にこちらに絡んで来たいレギオンを手で追っ払い、オウカを連れて身を引いた。
「正義とは『愛』である」
「は?それをお前が言うのか?」
 ちょっと言うに憚ったのは認めよう、私は咳払いし言い訳がましい事を述べていた。
「……私の敬愛する父の言葉だ。愛あってこそ悪しきを正すべく断罪の剣を振るえるものだと、私はそのように教えられた。その私が何かを愛する事に何の問題がある」
「クックック……愛か、愛ねぇ、お前にゃてっきりそんなもん無いのかと思ってたけど」
「なんでだ」
「軟弱だ、とか言いそうじゃねぇか」
「確かに恋愛に関してはそういう意識を持っている事は認めよう。だが愛の本質はそれとは違うだろう」
「そーかねぇ?俺様にとって愛なんてものは基本的に、他人(ヒト)の足を引っ張るためにあるものって認識だったりするけど」
 ちょっと意外な言葉だった、私はやや離れてレギオンを見守る彼の群体、レギオンと同化してしまった取り巻きに視線を向ける。
「彼らの事、好きなんじゃないのか?」
「好きと愛は違うだろ?俺はナルシストじゃねぇんだ、美しい俺様の部下の事は愛しているがそりゃ好きの方の愛だからお前の言っているソレとは多分違うだろう」
「そうだろうか?」
 だから、それをお前が語るなよとレギオンはやや呆れ気味な言葉になってきた。
「だってそうだろう、愛と言う名の元に人は『他人』を救うだなんだとやるんだろう。基本的に人は自分ひとりで精いっぱいな生き物だぜ?それなのに他人様にも気を掛けるってか?そりゃ他人が好きなんじゃねぇ、他人が好きな自分の事が好きなだけだ。だから俺はそーいうのは好きじゃねぇの」
 
 お前はそういう思考はしない人間だろうが、と……言われて私はレギオンに向けて誤解がある事を知った。多分、初めて庭に来た時の事を言われている。

「正気を失った仲間を正してやる事は私の中では間違いなく正義だ」
「正気を失った仲間をブッ殺す事がお前にとっては正義で愛だってか。はぁ、成る程そういう理論か……たまんねぇな」
「ただまぁ、お前の言いたい事は分かる気がする。多くはお前の言う通り、隣人を愛するが為に正義の剣を貫き通せなくなる。その時、その愛というのは……純粋に他人を思う自分の為だからなのかもしれない」
 正義の名の元に愛を語れば、大抵は他人の為に自分が動く事にはなっているだろう。だがその為に剣を捨てる事になるなら本末転倒だ、そうならない為に正義たる私は強くなければならなかった。
 正義を実行する為に愛を持ち、愛を貫くために強くあるべし。
 それが正義と教えられて、信じている。けれど……私は、その本質的な意味を余り考えた事が無いような気もする。
 考える事は愚かだと思っていたのだ。
 考えるとは、疑うと云う事ではないのか?それは正義にとって極めて愚かしい事のように思っていた。
 色々考えていたって何も解決はしない、結局言い訳を考えているだけでしかないのだ、と。

「ぶっちゃけて、愛を語らせて俺の右に出るものは居ねぇぜ?」
 自分の胸を親指で指し、やや誇らしげにレギオンが断言した。
「……え?」
「そこでボケんなよテメェ、だから、俺の認識で愛ってのは人の足を引っ張るモノだって言ったろ?いいか?俺様は強ぇんだよ。けど性分としてどうしても『群れ』になる、俺の本性は群体だ。俺はな……ヘヘ……一人じゃさみしいのよ。それで、どうしたって弱いのを、そうと承知で自分の中に他人を引き込んじまう」
 と、取り巻きが彼の周りに寄り集まって来た。レギオンを構成する群体、彼に付き従う曰く、選りすぐりの『軍隊』がわらわらと駆けて来て瞬く間にレギオンの周囲にひれ伏していく。
 今の言葉に感動して涙を流し、弱い自分たちを愛してくれるレギオンに陶酔する群だ。
「いい景色だろ?こいつらも俺を愛して止まなねぇ、なぁ?そうだろ?」
 パッと顔を上げ、顔を赤らめ頬を染めて群体は、口ぐちにレギオンへの愛の言葉を語りだす。
 レギオンの軍隊は基本的に、みな美男子だ。美女も混じっていてもおかしくは無いと思うし彼も別に同性趣味だというわけではないというが……何故か、軍隊には女性が居ない。

 というか私は庭で、ほとんど女性を見た事が無かった。フリードの部隊にはほぼ女性という編隊の所もあるとは聞いているがまだ目にしていない。
 それを別にすれば、この庭の女性は……ピーター女史と女王くらいか?

「よぉしよし、いい子だ、解ってる。俺様もお前たちが大好きだ!」
 いつの間にかレギオンのグンタイは異様な熱気を帯びている。取り巻き立ちがレギオンの言葉に感涙し、卒倒しそうな勢いで熱い思いを銘々に語り異様な雰囲気になっている。今にもレギオンがその波に呑まれてしまいそうだ。
「と、こんなふうに俺様は『愛』で成り立っているんだぜ?そうして強い俺様は、時によわっちいが大好きすぎるこいつらを俺自身として抱えてるんだ。解るか?」

 ……解らないでもない。けど……なんか違う気もする。

「だからこいつらは俺を支えるんだ、愛の名の元に互いに支え合う。それに対して一人強く正義を貫くテメェにゃ愛なんて軟弱すぎる話だろうし、一方的なら愛とは言わねぇんだぞ?」
 私はついオウカをうかがい、オウカもまた私を見上げていた。
「支え合うだけが愛ではないだろう。私は、親として当然の愛情を持って彼に接したい、それだけだ」
「親!って事は何か、お前、それ育てるのか!」
「そんなに笑う事か?」
「笑えるだろ、お前、それ……フリードと同じ事するって事じゃねーの!」

 確かにレッド殿も言っていたな。
 フリードは王果を育てている……と。

「俺から見たってフリードはお前の大好きな悪党だぜ?なんせ肩書が『小悪党』だかんな、チンケなよくある悪党代表だ、解るか?あいつが、愛情なんてものを持ってそいつらを育ててると思うか?」

 つまりフリードは……王果を魔王の種として、『道具』として育てている……と言う事か?
 確かにそれは許せない。育て方によっては彼らの人生も変わるかもしれない、そう思っているからこそ、悪に育てて欲しくはない。
 庭の外における、彼らの境遇をなぞる。時に人に利用され、振りまわされて全うに生きる事が許されない……。
 私はそんな彼らを変えることが出来るはずだと願い、オウカを育てる事を決心したのだ。
 フリードは、王果をどういう目的を持って育てているのだろう?

 ますます彼に会って話をしなければ、という気持ちになった。

 レギオンが、上手くかみ合わない口の隙間から耳障りな含み笑いをこぼしている。目を細め、何かを企むように小さく薄い唇をなめた。

「ククク……いいねぇ、そのお前の今の顔。たまらんね。その時たま見せる凶悪な気配がよりあんたを美しくする。クックック……じゃぁちょっといい事、教えちゃおうかなぁ」
「いい事……?」
「俺、実は知ってたりするんだなぁ、フリードがソイツを何処で育ててるか」
「何!?」
「いや、たまたま一か所って奴だが、一応口止めされたかもしれねぇけどケケケ、知った事か。別に律儀に守る必要なんか俺達には必要ねぇし?っていうか口止めってより、横取りは許さないぞっていう脅しだったわけだし」
「どこだ?それは……庭の外か?」
「そりゃな、そいつはこの庭では育たないんだから当然そうなる」
「庭で育たない……だと?」

 しゃん、と美しい音色を聞いて私は、はっとなって顔を上げる。レギオンはすぐさま不機嫌な顔になって割り込んできた彼女に舌打ちした。
「ちっ……なんだよ、何か用かビッチ」
「用が無ければこのような所には来ていない」
 竪琴と、鈴が連なる大きな杖を私とレギオンの間に差し出して、割り込んできたのはピーター女史。白い綿毛の様な髪と、白に白抜きという不思議な魔導マントを羽織った魔導師だ。魔導マント特有の文様がなお白く浮かび上がる様な外套に身を包む彼女は私の名を呼び、その赤い色の瞳をこちらに向ける。
「……ジャン、お前には拒否する権利もある」
 獣鬼種の魔導師という珍しい肩書でありながら更に希少な事には、獣鬼種としても珍しく彼女は兎鬼だ。髪の毛や部分的に生えている毛は純白で、深紅の瞳を持つ。
 野生種ではない、人工種だと聞いている。
 その彼女の言葉に私は、何を言われているのか一瞬分からず怪訝な顔をして返していた。
「王果を育てるそうだな」
「ええ……今しがたの事ですが良くご存じで」
 彼女の立場はこの庭ではレッド殿の次程に強い、レギオンを抑える役を帯びているそうだ。
 傍若無人なレギオンだが、何故だろうか、ピーター女史に強く逆らう事は無い。
「正しく、私も今しがた高位より話を聞いたのだ。困難な道に立ち向かうのが、お前は好きか?」
 王果を育てる、というのはそれほどに……難しい、困難な事なのか。それに臆する事は無いが、自分の研究以外には無関心なピーターが駆けつけて来た所、彼女の研究にも関係のある話だろうか。
 いや、関係無いと言う事は無いな、と私はすぐに気が付く。彼女はこの庭そのものを観察する事を日課とし、そこから自分の研究に必要な事を抜き出していると聞いている。庭そのものを研究媒体とはしていないそうだ。少々小難しい話ではあるのだが。
「楽な道だけを歩めるわけでは無い事は、承知しているつもりだ」
「そうであろうな。お前に多少の手助けをするように願われている。高位の頼みとあらば無碍にも出来まい」
 彼女の言う『高位』というのは紫魔導師、レッド殿の事を意味するらしい。魔導師特有の言い回しで、魔導師にしか使えないらしい。ピーター女史は魔導師だが、色々訳ありで階級としての色を持っていない。彼女がこの庭に招致されたのは、レッド殿の紹介があっての事でかつては師弟に近しい関係だった、とも聞いている。真面目な彼女はレッド殿の言う事には、たとえ自分の興味に外れる事であっても最大限の敬意を払うのだろう。
「ありがたい、協力を喜んで受け入れたい。早速だが私は、オウカを人として育てたいと望んでいるのだが貴方は、王果を与えられた事は?」
「無論ある、その結果王果は、どうやらこの庭で育てる事がほぼ不可能であろう事が分かった、と言える」
「そうなのか」
 その結果を、レギオンは知っていたと言う事なのだろう。さて、理屈までを聴くべきか?聞いたところで魔導師の話など私には殆ど理解出来ないだろう事は想像に難しくない。ピーター女史が出来ないと結論付けた事実だけを知れれば、とりあえず私には十分だろうか。
 そのように次の言葉を迷っていたら、ピーター女史はこちらの腹を察している様な小さなため息を漏らした。
「……ふむ。まぁ、出来るだけ簡単に説明はしてやるつもりだが、こやつの中途半端な助言では、上手くいかんぞ?」
「けっ、でも嘘は言ってねぇぞ?」
「お前には嘘をつく技量と言うものが無いからな」
 確かに、レギオンは嘘を付かない……な。
「では、この庭で王果が育たないというのは真実ですか?」
 ピーター女史は小さくうなずいて答える。
「王木に備わる古くからの性質もあってな……何より、ここでは養分が足りぬ」
「養分……?」
「いかように育てるかは知らぬ事ながら、人として育てたいというのなら尚更に、人を見ずして人を育てるつもりか?言っておくが、この庭に手本となる様な『まとも』な人間など居はしない」
 ピーター女史が真面目な顔をして言った言葉にレギオンは、吹き出した。
「そりゃーそうだ!そうだな!その通りだ、ひはははは!!!」

 この庭は……魔王の庭。
 人は住んではいるが……人の国とは極めて成り立つ法が違う。

「ゆがんだ環境においてすべては、同じく歪んで育つもの。こいつのような者がしょっちゅう首を突っ込んでくるような環境は、生育上よくないと、そう思わないか?」
「……思うな」
 私は素直に肯定していた。
「へいへい、どーせ歪みまくってますよ俺ぁ」
「お前は、その幼木をまっすぐに育てたいのではないのか」
 ピーターの言葉に私は大きくうなずいていた。
「その通りです、私はオウカを人が見て歪んでいるからと忌避される事の無い、健全な正義として育てたい」

 人間とは違う生じ方をする、人の形をしてはいるが……そうではないもの。
 王の果、果てに魔王の種とよばれるものは何故人の形をしているものなのか。その方が育つに都合がよいからだ、と王は言っていたのだろう。立ちふさがる困難を、一番潜り抜ける事が出来る形が人間の姿なのだろう、と。
 私は、彼らの本質を悪だとは思っていない。
 というより、全てにおいて本質は善だと信じている。王果においてもそうだ。庭の外で、魔王の種と呼ばれて一方的に排除される彼らとて同じく。

 正しく育ち、邪悪をその心に宿さなければきっと、彼らは生まれや育ちはどうであれその外見の通り……人間として生きる事は出来ると信じている。

 彼らの本性が悪だとは、今のオウカを見て居れば到底思える事ではない。
 その考えは、根本とされるこの庭の王、彼の振る舞いにも表れているのではないか?庭の平穏を望み、全てを等しく受け入れるかの王の心が、邪悪な意思によるものだとは思えない。全てをどうでもいいと放置する事は、むしろ慈愛に満ちた行為ではないのだろうか。

 絶対正義としてあるこの私から見て、だ。

「……健全な、正義か」
 ほんの少しピーター女史は目を細め、言葉を止めた。怪訝な顔にも見えなくもない。
 それ程に、私の望む道は険しいと云う事か。
「……」
 何かを呟こうとして辞めた様に一瞬息をのみ、それから目を閉じてピーター女史は静かに続けた。
「ならば、やはりまず第一にこの庭を出るがいい」
「庭の外で育てるべき……という事ですか?」
「お前がいくら否定した所でそれは、この庭の縮図となるのだ。お前の目論見通り、それを正しく真っすぐに、人として育てる事が出来るのなら。きっと世の習いは変る事だろう」
 彼女はこの私の理想を良く汲み取ってくれている。しかし……その上で何かを危惧しているようにも思える。いや、そんな事は出来はしない、あるいは極めて難しい……困難だ、きっと出来やしないから……本当は私を止めたいのかもしれなかった。
「庭の外に出てもそれを連れている限り、庭と同じ世界を見る事になる。……繰り返すが、この庭にまともなモノなど居ないのだ。それはお前も例外ではないぞ」
 それは少し心外だな。
 言い返そうとしたが……確かに、半分取り込まれつつある自覚をした事など思い出して、一先ずその言葉を受け入れる事にした。
 ピーター女史はこの私も『まともではない』と言いたいらしいが、絶対正義のどこが、まともではないと言うのだ?本当は譲れない所ではあるが、ここでそれを言い争っても仕方が無いだろう。
 少なからず悪を自覚する、この庭の多くは結局の所、正義である私を煙たがっている、そういう事なのかもしれない。
 手っ取り早く追い払いたかった、だからこんな事になった可能性もあるような気がする。
 幼いオウカを振り返ると、私の後ろに隠れて唇を噛みしめ、不安そうに成り行きを見守っていた。私が振り向いたのに気が付いて視線が向いたのに、彼を不安にさせまいと必死に笑い顔で返した。
 この庭から私を外に出す為に王は、オウカを託したのだろうか?
 意地でもこの庭でオウカを育てるべきか……とも、考えてみたが、育てる環境が良くないというのは事実だ。そういう結論に達しているのだからやはり、庭の外に出るしかないのだろうな。
 ここは曲がりなりにも魔王の庭、魔と自覚する者が多く集う場所で、悪と自覚する者らの常識がまかり通る一種の、異世界だ。人間は人間の世界で育てるべき、というピーター女史の助言が何よりも私の中に響いた。
「わかりました、一旦私はこの庭を出る事にします」
「えぇーっ!マジでか!?おいピーター、なんでジャンを追い出すような事言うんだよ」
「そもそもお前が教えた事ではないか、王果はここでは育たないのだ、と」
「そりゃ言ったけどよ、そりゃ正しくはこの庭でマトモに育った試しが無ぇってだけで、もしかすると反骨精神丸出しのジャン君は、怪しいお兄さんとビッチなお姉さんらに囲まれてここで子育てをする宣言してくれたかもしれないじゃんか」
「追えば逃げる男ではあるまいよ、ジャンという奴は。お前は本当に能力以外でのアプローチがヘタだな」
「う、うっせぇ……本人の前でそーいう事言うな」
「大丈夫だ、そういう事にトコトン疎いので彼には何の事か絶対わかって無い」
 二人の会話は、たまにこうやって私の理解の超えたものになってしまうのだが……一体何の話をしているのだ?
「何にしろ変えがたい事実だ、この庭で王果は育たん」
 腰に手を当て、ピーター女史は小さなため息を漏らす。
「私は最大限の助言をしなければならない。レギオン、彼は本気で王果を育てるつもりなのだ。彼を愛していると明言するならなら、精いっぱいに応援してやる事だ」
「げぇ、そういう時ばっかり俺の恋路をヨイショすんじゃねぇ」
 どういう意味だ?
 確かに、事あるごとにレギオンからは好きだと言われるが……? 
 戸惑っている私をよそに、ピーターは再び私に向き直り言うのだった。
「フリードがどうとか、他人のやりかたを試した所でそれは前例に倣うだけになる。ジャンの理想に添うべきなら、フリードの助言など受けるべきではないと私などは思うがな……高位はフリードのやり方を見せた方が手っ取り早いというお考えの様であるが」
「とりあえず、そのレギオンが言っていたフリードが王果を育てている所、という地域に行ってみるつもりなのだがどうだろうか。もしかすればそこで、フリードに会えるかもしれない」
「あの場所は、確かに悪くは無い」
 と、言う所どうやらピーター女史もフリードがどこで王果を育てているのかは把握している様だ。
「必要な栄養は取り込みやすいはずだ、そうだな、一先ずそこでジャンの方法で育ててみる事だ」 
 その言葉に私は、ひとまず細かい事を追及するのはやめて小さくうなずいていた。
 別段彼女は私の事を誤解しているわけでも、邪険に扱っているわけでもない事は理解できる。彼女もまた全てに平等を敷く者だ、偏見などには一切目もくれないで、目の前に在る事実だけを淡々と受け入れている。
「これを持って行け、ここでは不要のものだ」
 そういって、ピーター女史は革袋を私に投げて渡した。指を突っ込んで少し開いて中を覗くと……西方銀貨が詰まっている、これは結構な額ではないか?
「路銀には困っていないが……」
 私も、一応自分の手持ちとしてそれなりの額の西方通貨を所持している。この庭ではあまり使う必要が無いので持ち歩く事もしていない。
「そんなもの、私にはただの質の悪い合金にすぎん。いいから使うが良い」
「外じゃカネが一番モノ言うもんじゃねぇか?遠慮すんじゃねぇ。ビッチがくれるってんなら素直に貰っとけよ」
その言葉に私は素直に頷き、袋を懐に仕舞う。
「と言う事は、フリードは西国で王果を育てているのか」
 私は国元から、逃げてきたつもりはないが放逐扱いは受けているだろうな……と思う。何の連絡は取っていないが悪を倒すと旅立った手前、成果もなく西に戻るのは正直気が引ける。
「こっから南方なんだが、確か、西国領って奴だったか?」
「正しくはコウリーリスなのだが、D国の植民地化がやや迫ってきている地方だ。コウリーリスは衆国制だから国境などは曖昧だからな」
 D国、ディアス神聖王国か。西の国には変わりないが私の故郷とは別だ。しかし流通している貨幣は同じだ。

「この庭を出よう、オウカ」
「……人間の住む所にいくの?」
 不安そうなその声に、大丈夫だと無理にでも私は、笑って答える。
「生き方が正しければ君だって、人に馴染める。」
「そうかな」
 自分の存在に、すでに疑問を抱くのか。私はそれを正さなければならない、最初から植え付けられている悪意がある事に少しの怒りを感じてもいた
「そうやって君が恐れて距離を置く限り、相手も同じ事をするものだよ」

 大丈夫、私が付いている。

 もし、もしか……最悪な事が起きたとしても。
 それは例えば、彼が魔王の種だと暴かれて、人々から迫害されるような事になったり彼が、何かの拍子で種としての目覚めを起こし、邪悪と呼ばれる心を持つようになっても。

 私は君を見捨てたりはしない。最後まで責任を持って君を……守ろう。

 そして君は私を頼ってもいいんだ。助けて欲しいと私の名を呼んで欲しい。私は、必ずその声に答えよう。
 今、君の心は小さな悲鳴を上げている、私にはそれがわかる。
 君は……愛を知らない。
 愛を信じていないんだ。それは人を信じていない事と同じ。
 本当は信じたいのだろう、愛したいのだ。

 そうでなければ王果が人の形など取るはずもない。

*** *** ***

 レッド殿に頼めば、庭のある巨大な森を南の方に抜けた先、ある小さな集落近辺まで転移門を用意してくれたかもしれない。
 そう思うが頼む気はなかった。
 オウカを育てる段取りは、森を抜ける旅からすでに始まっているものだと思っている。
 今は少しでもそばにいて、彼の信頼を得なければならない。親と子の義務なんてものではなく、自然に、当然のものとして関係性を築くためだ。

 しかし実際庭を出て、魔王の庭を南に向かう道は難儀なものだった。
 山などの起伏こそ少ないが、替わりにと深い谷がそこかしこで口を開いている。極めて深い谷だと聞いている、落ちたらひとたまりもないとの事だ。南に徒歩で向かうつもりなら十分に注意するように、とピーター女史から簡単な地図を授けてもらった。
 この地図も完全ではなく、細かい谷はそこかしこに穴を開けているはずだから注意する様に、との事だった。

 それらを避けながらの道のりは、自然と遠回りになる。

 直線距離なら道中が深い森だととしても2週間程度だろう道のりは、気が付けば倍の日数が過ぎていた。
 もしかすれば迷ったかと思ったが……庭を出て一カ月が過ぎようとする頃。
 私たちはほんの少し森が開けた景色を目の当たりにする事が出来るのだった。

 小高い崖から、明らかに人の手の入った森が眼下に広がる。
 所どころから営みを知らせる煙が上がっているのも見えた。

 なだらかに下る山林は途中で途切れ…開墾された畑が広がっているのがかろうじて見える。僅かな靄が掛っていて地平線の途中で景色が白く途絶えていた。
 記憶が正しければ、この先に在るのは西方ディアス国より半植民地支配を受けた事のある地域のはず。今は、一応独立を果たしコウリーリス連環国に属していたはずだ。ただ、植民地化されようとした時代の名残が強い事もあって西方の通貨などが通用する。文化もその時大分感化されたはずだ。

 その歴史は『悪しき』と伝えられている。

 それは、私の属していた国と植民地計画を唱え侵略した国とがほぼ敵対関係にある都合もあるだろう。

 知識の上で知るだけで、実際足を踏み入れたのは初めてだ。素直な感想を漏らせば、戦争でもないのにかつてのディアス国領土に足を踏み入れる事になるとは思わなかった。

 魔王の庭に通じる土地に向けて、コウリーリス国は国境管理はしていないらしい。もっとも今難儀して越えて来た道中を思えば、必要が無いのかもしれない。
 私の属していた国、ファマメント政府側とは対応が違うと言わざるを得ない。現在西国の雄を名乗るファマメント国はコウリーリス、ひいては魔王の庭を削り取って領土を広げる事に力を注いでいる節がある。それに伴うリスクとして国境管理が必要不可欠で、国境付近への監視は強くたとえその先が険しい山で入山規制などを敷いて厳しく取り締まっている。
 私はファマメント国の人間だ、だから魔王の庭を恐れる国なら、その境界はきっちり定めて監視しているものだろうと思っていたが、他の国ではそうとは限らないのだろうか?いや、ディアス国の方が国境監視は強いというイメージがある。
 ディアス国が弱体化しているという話もあるが、だからといって国境監視を怠る事はないだろう。
 と云う事はここはすでにディアスの植民地から逃れた所、コウリーリス国領土か。

 だから魔王の庭に隣接していながらもここまで平和な集落がすぐそこに広がっているのを、私はそれらの事を思い出しながら少し、呆気にとられて眺めていた。

 オウカは、先ほどから私の服の袖を強く握りしめたまま背後に陣取っている。
 約一か月の山越えで、幾分心の距離は縮められたと思っているが今、彼は別の恐怖を感じて足を止めてしまっている。
 何故だろうか、本能的に人を恐れる傾向があるらしい。人間に悪意があるのではなく、彼に在るのは人間への恐怖心である様だ。
 道中沢山の事を彼に話して聞かせたが、人間に対する警戒心はかなり強い。

「あまり大勢が居る所にはいかないよ」
「……本当?」
「このあたりは田舎な方だ、ひとまず、そこの村を訪ねてみよう」
「本当に行くんだ」
「勿論だ、長旅で疲れただろう。宿が取れるなら数日、ゆっくりするのもいい」
 オウカは小さく首を横に振った。
「別に疲れてなんかないよ」
 嘘ではないだろう、嘘はついてはならないと散々教えた。だから、私も嘘はつくまい。
「君は元気だな、ゆっくり休む、というのをまだ知らないだけじゃないのか?さすがの私もこの道中はさすがに堪えたよ。一旦、ここらで休憩させてもらいたいんだが」
「そんな風には見えないけどな」
「見せない、というのも大人の務めであったりするものさ」

 崖をなんとか下に降り、岩を削るように流れる川を渡る。この先は人間達の国だ。
 八精霊大陸、時にこれから除外されるように扱われる魔王の庭とは別の世界でもある。
 不安そうなオウカの肩を抱き、手入れされ、見通しの良い林を歩く。ほどなくして獣道を見つけ、そこから更に歩きやすい道へと合流する。

 一日歩かないうちに小さな集落にまでたどり着いた。陽が完全に傾く前だ。
 とはいえ、この村での営みはすでに終わっているようで人の気配外には無い。

 集落から少し離れた所で野営して、朝一番にここがどういう所か聞く事にしよう。
 不思議と、その夜はぐっすりと眠れた。魔王の庭を抜けたという緊張感から脱した所為か、人の近くに戻ったという安堵感か。
 今まで寝付きの良かったオウカは逆のようだ、気配として中々寝付けないのが感じられた。私が、まだ薄暗い中目を覚ました時にもまだ深い眠りの中にあり、悪夢でも見ているのか寝返りを打ち、うめき声のようなものを漏らしながらも眠ったままだ。

 薄暗い霧の濃い朝に、まぶしい太陽が差しこむ気配を感じる。程なくして近くの集落で飼われた鶏の、けたたましく鳴く声にオウカは飛び起きた。
 私は、小さく笑う。  
「なんだ、今の」
 飛び起きながらもすぐ毛布にくるまってオウカは、目を見開いて怯えていう。
「鶏だ、村人が飼っているのだろう。王の庭にも居たはずだけど」
 彼が『起きた』のは私の手に渡ってからだから、ほぼ知らない様なものか。そうしてすぐに出発したからオウカは、庭の生活など知りようもない。
「さて、森人達の朝は早い。挨拶に出かけるぞ」


 樵と猟師、炭焼き業。
 ここでのおおよその産業だ。突然現れた私たちを、村人たちは別段いぶかしむ事なく迎え入れてくれた。話を聞くに、外部からふらりとやってきて森での生活を望む人間は少なくないのだという。彼らが下界と呼ぶ林の先、平原の方では未だ植民地時代の名残があり、階級制度がまかり通り搾取する者とされる者があるのだと彼らは笑いながら語る。
 豊かな土地を開墾し、畑を広げた労働者の多くは奴隷扱いを受けている。
 土地は豊かだが産業に幅が無く、モノ作っても品を買い取る手が無ければ立ちゆかない。
 そこには人だけが多い、植民地として無駄に集められた所為でもある。
 輸出し、取引を行う力のある者が田畑を支配し、力の無い者はそれらに従う事でしか暮らせない。

 植民地の呪縛が解けても、現状はそう簡単には変らないのだ、と古参の老人は私達を家に案内し、お茶を出しながらしみじみと言った。

 奴隷のように働く事から逃げ、困難かつ不便でも森を切り開き自活する事を求めた者がこのように、村を作って質素に暮らしているという。

「庭の王は寛大な方ともお聞きします。が、平野においての話は決してそうではない、御心はすやすと測れるものではありませんが、我々はかの王の庭を侵害しているか、これからしてしまう可能性もあるでしょう。そうした時……何のおとがめもないものか。我々は森に向かい祈りをささげながら日々を送っています。開墾も手探りです」

 このような不便な場所ですが、それでもよろしかったら仕事を案内しましょうと老人は言う。私は、オウカの顔色をうかがいつつそのありがたい提案を受ける事にした。

 この小さな村に住むと言う事だ。

 私を親とするために、もはやそれは逆らえない運命と受け入れたのだろうか。
 小さく、オウカが頷いたのを少し微笑んで見ていた。

*** *** ***

 続
しおりを挟む
作業の隙間があったので手直し更新少し再開。連休中に二話、あとは一週間一編月曜更新で。話は多少前後する事もありますが、比較的起った順番になっています。
 こちらも『異世界創造NOSYUYOトビラ』後の話(8期後半)なので後日譚の一種ですが、トビラに向けてのネタバレはあまり無い方です。同世界シリーズの一つなので、説話は色々と重複します。
更新が一番早いのはエブリスタになるので気になる方はこちらへどうぞ
https://estar.jp/creator_tool/novels/25065679
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

とあるおっさんのVRMMO活動記

椎名ほわほわ
ファンタジー
VRMMORPGが普及した世界。 念のため申し上げますが戦闘も生産もあります。 戦闘は生々しい表現も含みます。 のんびりする時もあるし、えぐい戦闘もあります。 また一話一話が3000文字ぐらいの日記帳ぐらいの分量であり 一人の冒険者の一日の活動記録を覗く、ぐらいの感覚が お好みではない場合は読まれないほうがよろしいと思われます。 また、このお話の舞台となっているVRMMOはクリアする事や 無双する事が目的ではなく、冒険し生きていくもう1つの人生が テーマとなっているVRMMOですので、極端に戦闘続きという 事もございません。 また、転生物やデスゲームなどに変化することもございませんので、そのようなお話がお好みの方は読まれないほうが良いと思われます。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...