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へそ曲り横領長
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納得が行かない事がある。
今にも頭をぶつけそうな程低い扉を、致し方なく潜り抜けて扉を閉める。
なぜこんな低い扉を付けているのか。納得のいかない事は増えるばかりで、僅かな慣れない体の動きにせっかくピッチリと決めたシャツに無駄な皺が出来る。
それを整えている内にセットした髪がほんの一筋零れ落ちる、勿論即座に胸元に仕舞ってあった櫛で整えて、改めて姿勢を正して机に着く。
そうして午前中の執務に当たる。
日当たりはあまりよくないが、我々の仕事場としては恐らくこれ位が丁度よい。薄いカーテンの引かれた窓際には、よく手入れされた花の鉢植えがいくつも並んでいて、時期を問わずいつもどこかで花が咲いている。
この手の花は管理が難しいとも聞くが、幸い植物管理が好きな者が部署に居て管理は彼に任せっきりだ。
曰く、温度管理が一番大切で、直射日光の当たらない薄暗いこの執務室は花の生育に適しているのだそうだ。水のやりすぎは良くないらしく、そういう細々とした所が管理の難しさではないのかとも思う。
それは、さておき。
積み上げられた書類の束を、まずは一通り目を通すのが私の第一の執務。雑多に集まった書類の分別整理は、すでに部下たちが済ませて私の机には、決められた書類の束が揃えておいてある。
とはいえ完全にとはいかず、分類不能の束が残っているのでここをより分けるのがまず最初にやるべき事で、次に分別した書類を科目別に目を通し、物事に優先順位を決めて報告書か指示書を起す。これは大体午後一番の仕事で、あとは雑務を片付ける。
この一連の流れが乱される事を私は、一番の悪と感じている。
もっとも憎むべき事だ。
たとえ今いるここが巷『悪の庭』とか諸々云われていて、やっている事がどんなに悪徳であろうとも!
善悪の彼岸など所詮個人で線を引くもの。他人がどう思おうが構うものか。
ところが、押しなべて物事は予定通りとはいかない。
いつも同じ通りに事が運ぶ様にとこちらは考え抜いた指示書を作っているのに、どうした事か上手く行かない。想定外が起きた所為だと先方は主張するが、こちらはその想定外も想定の上で諸々の指示を出している。
結局指示通り動けなかった奴らが悪い。
こちらが与えた指示が守られなければどうなるかというと、当然本当に『想定していなかった物事』が起きる事になる。
対処に困った連中から、定時連絡で追加の指示を求められるがもう、そうなってしまっては我々は現場に居ないので本当のところの『状況』など見通せるわけもない。ともすればどんなに最善策とやらを講じたって後手に回る。そういう問題が、次々と押し寄せてくる。
そうして、いつもいつも報告書は問題点ばかり。
上がって来た報告書の問題点を情報統括部に上げ、今後の命令書を起こす際の参考にする為にも仔細を徹底調査させる。それから報告書を清書し、調査し、纏めたものを作り上役へ報告……。それらを元に新しい命令があり、実行に向けた指示を各部隊に向けて作る。
それが、我々押領事務部の一連の仕事だ。
我々が作った報告書は、直接全部隊を率いるフリード様がご覧になられる。大凡の指揮は全てフリード様が采配を揮われるのだが、彼の御方が『目指す所』に向かう為の些末な指示は我々出しているという事だ。フリード様のお手を、そのような雑務で煩わせるわけにはいかない。
配慮すべきことは多岐に渡るが、フリード様は我々が気に留めるべき些細な事まで実に丁寧な指示方針を打ち立ててくれるのだ。
ひとえに、それは不出来な我々部下の些末な報告書を、恐縮に恐縮を重ねてもなお恥じ入るべき残念な報告書を、実にしっかりと、お目を通されておられるからに他なるまい。
熟考を重ね、あらゆる事を想定して出した指示書がものの見事に裏切られた形でブチ破られ、それで成果があれば良いものの全部台無しにして戻って来る……いや、最悪戻って来る事すら出来ない部隊もあった。
私にしてみれば、そのようなこちらの命令を正しく遂行できない、愚かな部隊など戻らず全滅してもらって結構なのだが……。これで、存外悪人家業というのは人材確保が難しいのだそうだ。人事調達部から『人材はある程度は有限である事を理解して采配は振るって欲しい』と頭を下げられたことがあるので一応、そういう思いは胸の中に仕舞っている。が、態度には出てしまっているかもしれないな。
結局底辺労働力だから問題なのだろうか?教養の無さが致命的なのか。
いや、ヘタに学など在ると務まらないのがこの仕事ではないか。
あらゆる国をまたいで法に捕らわれず、常識を捨て、最大の利益を取らねばならない。一般的な思考や方法論に捕らわれず、それらを全て破ると云う事ではない。時に、相手が察しない程度の穴をあけたり、穴を見つけ出したり、あるいは網に絡まる寸前で事を止めるという事が求められる。
そういう危ない橋を渡る事に関しては、前後を良く見ない暴勇者が一番上手い。何が安全で何が危険なのか、それをまるで匂いが立っているかの様に嗅ぎ分ける……生きる事への執着か?
瀬戸際を歩いている者達のそういった技能とは『知識』などでは無く、経験であろう。
我々は彼らのその危ない技能を最大限に引き出して事を運ばせる。
その為の、時に無駄になる……命令書を、指示書を起こす。
*** *** ***
「D国部隊の報告書はまだ届かないか」
「はぁ、なんでも報告できるほどの結果が収められない、とかで」
D国には実戦部隊の一個小隊が向けられている。潜入から、目的として据えられている特定人物への心理的優位な情報の掌握までの綿密な方法論を書いて渡してあったはずだが、さてはて元となった情報統括部のネタがハズレであったか、それとも何かまた余計な事をしでかしたのか。
「成果などは問題では無い」
読んでいた書類の束で思わず机を、叩く。
こうなった時、つまり……予定通りの結果が得られなかった場合。その場合に取るべき行動までをもこちらは記しているのだ。情報がハズレであったという情報もまた成果の一つだというのに。
「予定通りの行動こそを求めている事が、何度言ってもわからんのかあいつらは!指示と異なる行動が、更なる非効率を招いている事を、なぁぜ理解出来ない」
「まぁ、ぶっちゃけ実行部隊はそんな頭良い連中じゃないですので」
「だからこそ我々の部署がある!それを、一体どうやったら正しく理解するのだ連中は!」
「理解できるアタマがあるなら私達の部署も必要ない」
もう、毎度決まりきった調子で部下とのやり取りを繰り返している。
ああ、一日の仕事の流れが今日も台無しだ。
午後一番に飛び込んできた予定外の経過報告書に、追加指示の為の情報を掻き集めながら最善手を探す。
いや、何よりも問題なのは……もはやこの仕事はダメになったという事で、ならばさっさと仕事を切り上げて引き上げてくる事だ。どう考えても最初のもくろみ通りに事を運ぶのは無理だろう。肝心の、D国に向かわせた先遣隊の報告書も上がっていないと云う事はそもそも全て上手く行かなかったという事なのだ。それは、末端である実行部隊が完全に理解出来る事ではないし、理解する必要も無い。
何が失敗だったか、原因を探ろうとして私は、思わず掻き毟っていた頭から手を退ける。
その思考は後だ、人は必ず理由を探すし、理由が何であるのかをすぐに知りたがる。
だがそれは後でもいい。
今は先にやるべきことがある。
そう思って顔を上げた先に……鏡があった。思わず自分の、乱れた顔を凝視する。
そう、今これが必要だと思っていた。そう思った時、いつも抜群の調子で助け舟を出してくれるのは……鉢植えに水をやっていたオーキドだった。
小柄な、東方人だというのは名前からも伺える。いつもどこを見ているのか良く分からない細い目が特徴で、かなりの古参だと聞いている。
私は、胸ポケットから木櫛を取り出し髪をセットし直した。ついでに、悪くなっていた姿勢を正し、その所為で曲がった首巻を整える。
「落ち着いた?」
整ったと知って鏡をのけて、片手に如雨露を持ったままオーキドがにこやかに微笑んでいる。
「御蔭様で……よし、まずD部隊との連絡が無い事を書け。これ以上仕事をしても無駄だと分からせてやる必要が有るが、奴らの勘働きを立ててやる事が重要だ。あまり事細かに指示を出すと絶対『遊ぼう』とするのが悪い癖だったな」
予定外の仕事に、思わず冷静さを欠いた。確かに予定通りにいかない事は腹立たしいが、こうやって想定外が出てしまう事ももはや『想定内』に仕事をしなければならない。
だから午後の大半は雑務と決めている。
いつも、こうなるからそうしたのだった事を冷静に、思い出している。
「D国に行った連中を心配して、戻らずに真っ直ぐそちらに向かう可能性もありますがね」
「あるな、ではこうしよう。D部隊の報告書が成果ゼロで上がって来たと書け」
まず、失敗した旨を経過報告に上げて次の指示を仰いできた部隊を、一旦退却させる事だ。作戦は練り直す、しかし連中は手ぶらで戻る事を良しとしないのだ。それで散々裏切られて来た。
「急ぎD国部隊の報告書をでっちあげろ。結局それは我々にとってはゼロ解答であるという旨を頭は悪いが勘ばかり鋭い連中にも分かる様にな」
「へいへい、そういうのは得意ですんでお任せください」
口は軽いが、偽造書類、特に文面における巧妙な書き起こしが抜群に上手い部下が待ってましたとばかりに腕を捲る。ちなみに、彼は天空国の小説家なのだが、思想犯罪者として追い回されていた所、引き抜かれて来たという経歴を持つ。
天空国、すなわちファマメントというのは国土が広く、住む場所によって色々と文化が異なった所がある。衆国という属性が強く、細かい国の統合と分裂で成り立つ国だからだろう。
その為、場所によっては規制が恐ろしく強かったりするのだ。面白おかしい空想譚を天空国に籍を置いて出版していた所、その物語が物語である事を区別の付けられない一部の人間から睨まれ、犯罪者として追われるハメになった、との事だ。
私は、冷静になって経過報告とやらをもう一度読み直す。
「この経過報告によると、接触予定のロダナムバイヤーが全員架空のもので、実在しないかすでに処分された可能性がある事を示唆している。これは大いなる結果だ、」
「ですね、俺ら別にバイヤー確保しろとは命令に書いてませんし」
「あくまでM地区における古参バイヤーの実態調査が本命。橋渡しの為の接触なんて、連中にとってはそれこそ『実』の様に思っているのかもしれないが所詮、こけおどし」
報告書を纏める窓口担当は、特に指令所の本音と建て前をわきまえていて淡々と答えた。
文字の読み書きすらおぼつかない実戦部隊の報告書は、彼によって書き起こされている。その報告を受ける際、押領事務部が実は何を一番の成果として作戦を作ったのか、なんて事は実戦部隊に知らせる必要は無い。そこを、感情表現の乏しい彼は良く分かっているのだろう。
淡々と報告書を仕分ける仕事を続けながら彼が言った。
「けど、今回はその結果が出たので私達、驚いている、ありがとう、満足だって書いた方が良い」
「成る程ね、了解了解、そんな感じででっち上げるよぉ~」
よし、問題は難なく片付いた。私はそう判断し、後は任せればよいと判断して自分の仕事に戻る事にした。すると、窓際で緩慢に手を叩く音がする。
「いいねいいね、さすがスピランサ。君をチーフにした僕の目に狂いは無かったね」
でも、ちょっとツメが甘いなと、如雨露を窓際に置いてオーキドは……静かに自分のデスクへと収まった。
「M地区の大馬鹿者ちゃん達に向け、急いで指示書を出す必要は無いよ」
にっこりほほ笑んで机の上で手を組む。
そう、彼こそ押領事務部のボス、オーキド・バニラ。
普段は熱心に、薄暗い部屋の鉢植えを愛でている。
「……何故です?」
「同じような失敗がすでに僕の知る限りで、3回を超えてる。これはすなわち我々押領部の命令など最初と最後の行しか読んでいない証拠なんじゃぁないかな?」
本当は、失敗の数は正確に把握しているのだ、彼は。
納得が行かないのは……彼のその、甘やかしとも取れる部署の方針でもある。我々にはそれなりの権限があるのだからもっと、厳しく他の部署を取り締まるべく、時に非情な命令でもすればいいのに。
しかし、あえて実行部隊の采配に任せるような指示書を我々に書かせる。
ルールを取り決めて、死か、それ以上の損失を個人に与える罰則を取り決めて、ただ命令だけを忠実に行う兵を作った方が絶対に効率は良いはずなのに。
頭の悪い実行部隊に、最低限の作戦実行情報を与える。連動している部隊も伝える。行動指針が取り決められているが手段までは示さず、成果が全く上げられなくとも罰則は無い。いや、成果ゼロという報告書はフリード様には上がってしまう訳だが……そういえば、フリード様もあれこれ細かい人事の事など采配はするが、雇用の打ち止め……首切りの話は聞いた事が無いな。
あるいはそういう事は、情報統括部や人事調達部でこっそりとやっているのかもしれないが。
オーキドは、にっこりほほ笑んだまま、核心的な事を突いてくる。
「目的と、手段だけ確認して経過を無視するのは、命令書の意味を理解していないというよりも……理解する気が無いのだろう」
救いを求めて藁をもすがり、経過報告を上げてきた部隊への指示書をあえて遅延させる理由とは何か?
理解の努力をする気が無い者に、こちらが理解してやる必要性はあるのか?とでも言いたいのだろうか?
しかし、私の疑問に即座答えた物ではなかったが、彼が何を言いたいのかは解る。理解出来る。
それ故に、どうすれば分かってもらえるだろうか、どうすれば連中を指示書通りに動かせるかと考えていた私は……そもそも連中を理解しきっていないのだ、とオーキドに指摘されているのが良く分かった。
その通りかもしれない。その通りに……違いないと私は、思わず息をのむ。
「文字が読める、という履歴には詐称があるのかもしれない。ここは報告書が上がってから情報部に徹底的に洗ってもらうとして、さて、なぜもしかすれば危機的状況にある同胞を救うための手立てを急ぐなと言うかって?」
オーキドは、愉快そうに微笑んで推察をこっそり教えるという風に小声で囁く。
「信用も信頼も置いてない部署に経過報告を上げてくるのは何故か」
「あー、もしかして見透かされてますかね、目的」
空想屋がペンを置き、頭の上で手を組んで口を曲げた。
「目的としていたバイヤーが架空かもしれないと把握出来た時、多分連中は我々が求める『実』を嗅ぎ取っている可能性が高い。がしかし、信用も信頼もしていないが命令だけは出してきて上役面の部署の思い通りになるのは癪だ……そこで」
「あえて目的が『バイヤーとの橋渡しをする』である事へ拘り、それを遂行させろと言っている」
書類整備の手を休め、窓口担当もそれっきり黙り込んだ。
「故に、ちょっとした意地悪も兼ねて」
オーキドは、判子を手に持ってそれを押す仕草をした。それは大きな丸い実印で、受理された報告書に押されるものだ。文字など読めなくても、これが押された報告書が出来上がった時点で先に出ていた指示書は紙屑に変わり、命令は全解除される。すなわち、作戦終了を布告するものである。
報告書が報告書の体を成していなくとも、発行責任者欄のある書類にそれが押されてしまえば書式が『連絡書』も『経過報告』も無い。
「今作戦は終了とみなす結果として、その新しい指示書は送る様に。以後、彼らからの報告は受け付けない。フリードにもそのように報告するよ。っても、それは云わなくたって連中もわかっているだろうけど」
私は、ちょっと呆けて久しぶりにちゃんと自分のデスクに収まった上司を見ていた。
いつもはフラフラと窓際にいて、その重要な判子だって我々のデスクまで来てその場で確認してそこで押す。または、窓際の僅かに明るい所で、鉢植えに挟まれて窮屈そうに、あるいは窓ガラスに押し付けて書類を書いたりするくらい適当な所作が多いのに。
「存外、腹を立てていますか?もしかして」
「流石にねぇ、ホトケの顔もなんとやらって言うじゃない。実際僕はかなりの回数見なかった事にしてる訳だし、まぁそれは彼らの本質がどこにあるのか探ってたって事もあるけれど」
一息入れよう、私はそのまま自分のデスクには戻らず、流しに立ってお茶の準備をするように言いつける。押領事務部のある館管理をしている者がほどなくしてポットや茶器、菓子などを持って現れた。
思いのほか今日は報告書の提出が多く、暫くはそれらのまとめに没頭する事になりそうだ。D国とM地区の、問題の二つの部隊以外に目立った混乱は無い様で成果もまずまずといったところだろう。
料理長が作った乾パンに砂糖をまぶした菓子を摘まみながら、紅茶を飲みつつ報告書に目を通し明日からの仕事の段取りを考える。暫らく各部隊は長めの休暇を与えられる予定になっているから、あまり仕事を拗らせずに帰還して来たのかもしれない。
詳しい事はまだ良く分からないのだが……今、この庭は一つの『節目』を迎えているのだとフリード様はおっしゃっていた。段々とこの悪の庭に、秩序というものが育ちつつある。しかしそれは人口が多くなって来れば生まれ出る必然の様な物で、あるいは上位の部署によっては歓迎すべき事かもしれない……とも。
私は、自分のやるべき仕事の為なら後はどうなったっていいという、自覚のある悪い性格をしているのだが、そんな私にとって秩序というのは悪い響きではない。それは、在った方が多分私の大好きな『仕事』が平穏無事に進められるだろう。そう思って、フリード様の思わせぶりな言葉を聞いていた。聞き流していたのかもしれない。
報告書を提出しフリード様の前から下がって自分達の仕事場に戻ってきた時、同行した上司であるオーキドが言った言葉をふいと思い出している。
*** *** ***
「大変な事になったねぇスピランサ君、でも頼むから仕事を辞めるなんて言わないでおくれよ?」
「え?」
部署に戻るなりの言葉で、何を言われているのか私も分からなかったが、出迎えた部下……といっても実は『空想屋』と『窓口担当』の二人だけなのだが。
オーキド・バニラの言っている意味が分からず、しかし物騒な事を言っている気がして怪訝な顔になったものだ。しかし、オーキドは笑って窓際の鉢植えの方へ歩いて行って少し厚みのある葉を緩やかに撫でながら埃を払う。
「洞察力を磨いてよみんな、僕らはあらゆる連中を欺いてこその部署でしょ?フリードの事を何だと思っているの?あれは僕らの上司だけど、崇拝対象じゃないんだから。むしろ手玉に取るくらいの勢いで報告書を上げないとダメだよ?良い様にこき使われるだけなんだから」
いや、そうはいうがフリークス・フリード様は実質我々全部隊を率いる頂点に立っている方で、実際彼の振るう采配は素晴らしいものがある。広大な、この悪の庭を丁寧に一つの『機関』として動かし、ここから各国のあらゆる法にそぐわない仕事、すなわち簡単な言葉で言えば『悪事』に手を染めて最終的には法外な利益を上げるという事をなさっている。単純な仕事ではないのだ、ドミノが最初から最後まで倒れるように巧妙に仕事が仕事に繋がり、人攫いの仕事が、小国一つの地代を全支配する結果になっていたりする。私たちの部署はその為に必要な指示書を書き起こし、実際にどうなったかという結果を報告書としてまとめる部署だ。
フリード様の所業が全部見えている。それだけに、この仕事を手伝いたい、彼の手足として人を上手く使う手助けが出来るというのなら、それはどんなにすばらしい事かと思っている。
私が、自分の仕事が大好きで仕事が出来ない事を『悪』として憎むのはそういう事情なのだ。
しかし、確かにオーキドはフリード様を崇拝はしていないだろう、珍しく呼び捨てにしているしそういう呼称が許されている様でフリード様も特に気にしていない様だ。
いや、というよりはあるいは……一種同格と互いに認めている様な節もある。オーキドにむけた、そうでなくては、という様なフリード様の口調を聞くたびに自分の上司もなかなかにとんでもないと思ったものだ。
「残念だねぇスピランサ君、多分これから平穏無事な仕事なんて滅多に出来なくなるよ」
心中、どうにも見透かされていると苦笑いを漏らしながら尋ねる。
「それが、フリード様の御意向であると?」
「違うね、多分6割位僕の所為だ。比率で云うと、多分フリードよりも僕の所為になるな、きっと」
「……意味が分かりませんが」
「まぁそのうち解るかもしれない。ただ確実なのは、この庭に生まれつつある秩序っていうのは、フリードの理想上は不必要なものなんだよね」
だから、多分近い内に彼は秩序って奴をぶっ壊しにくるよ。
*** *** ***
そして、多分……オーキド・バニラは秩序の解体を目論むフリード様の欺く為に全力を尽くすのだろう。押領事務部はそうでなくてはと、フリード様がオーキドを押領部の長として採用し続ける限り、我々に求められている事は恐らく……オーキドの言う通り『全てを欺く』事。
フリード様と同格であると云う事は、多分そういう事なのだろう。
私はその板挟みにあって……フリード様の求める働きを完遂する為に努力している働きが、時に無駄にされる仕事をし続けるハメになるのだ。
辞めないでくれと、あの時オーキドは結構本気で私に言ったのかもしれない。
その時に……思ったものだ。
私は、予定通りに仕事が出来ない、仕事を邪魔するものは『悪』と思って毛嫌いしつつも本当はそうやって『予定』という『秩序』を守って、それらが破られる事を待っては居るからではないか?
定められた事が無ければ、定めに無い事など起きはしないのだ。
時に、予定にない出来事が起こる事をいつしか待ち望んでは居ないだろうか?
云われた通りの仕事など絶対にしない。
だから我々が起こす指示書には、致命的な穴があって……みんなその仕組まれて穿たれた穴を覗き込んではへそ曲がりな横領長の罠にはまるのだ。
*** *** ***
さてそうして五日ほどは、私の愛する平穏無事な仕事が続いた。窓口担当は報告書起こしにひっきりなしで、私と空想屋であれこれ頭を捻ってフリード様への報告書の清書を行っている。
そんな六日目の朝だった。
無感情な窓口担当が、珍しく……何と言えば良いか、してやったりという顔で待ち構えていて私に、あえて手渡しで一つの報告書を示す。
例のM地区担当の部署は……まだ戻ってはいないが、これは泣きとも思える帰還報告だ。どうやら法の網を踏んずけて、散々死にもの狂いで逃げうハメに成った様だ。
なぜもっと早く命令書を届けてくれなかったのか。
命令待ちで、動けない間になかなかの修羅場があった事が恨み辛みと書いてある。
私はそれを、どこか満足げに読んでいた。
「D国の部隊が先に戻っていたな。情報統括に向けてM地区部隊が撤退に苦戦してる事を告示するように」
担当窓口は少し、驚いた様に言う。
「スピさんは、やさしい」
「恩は売っておくべきだろう」
大丈夫だオーキド、私も結局こういう性格であるから……押領事務部を辞めるという事はあるまい。そのように、大いに溜飲の下がった報告書を読んで小さくうなずく。
「空想屋にも見せてやれ。あとはオーキドの机に置いておけばいい」
「多分、オーキドは読んだら捨てる」
窓口担当の顔が珍しく、ちょっと邪悪に笑っている。
「そうだな、間違いなくゴミに捨てるな」
終
今にも頭をぶつけそうな程低い扉を、致し方なく潜り抜けて扉を閉める。
なぜこんな低い扉を付けているのか。納得のいかない事は増えるばかりで、僅かな慣れない体の動きにせっかくピッチリと決めたシャツに無駄な皺が出来る。
それを整えている内にセットした髪がほんの一筋零れ落ちる、勿論即座に胸元に仕舞ってあった櫛で整えて、改めて姿勢を正して机に着く。
そうして午前中の執務に当たる。
日当たりはあまりよくないが、我々の仕事場としては恐らくこれ位が丁度よい。薄いカーテンの引かれた窓際には、よく手入れされた花の鉢植えがいくつも並んでいて、時期を問わずいつもどこかで花が咲いている。
この手の花は管理が難しいとも聞くが、幸い植物管理が好きな者が部署に居て管理は彼に任せっきりだ。
曰く、温度管理が一番大切で、直射日光の当たらない薄暗いこの執務室は花の生育に適しているのだそうだ。水のやりすぎは良くないらしく、そういう細々とした所が管理の難しさではないのかとも思う。
それは、さておき。
積み上げられた書類の束を、まずは一通り目を通すのが私の第一の執務。雑多に集まった書類の分別整理は、すでに部下たちが済ませて私の机には、決められた書類の束が揃えておいてある。
とはいえ完全にとはいかず、分類不能の束が残っているのでここをより分けるのがまず最初にやるべき事で、次に分別した書類を科目別に目を通し、物事に優先順位を決めて報告書か指示書を起す。これは大体午後一番の仕事で、あとは雑務を片付ける。
この一連の流れが乱される事を私は、一番の悪と感じている。
もっとも憎むべき事だ。
たとえ今いるここが巷『悪の庭』とか諸々云われていて、やっている事がどんなに悪徳であろうとも!
善悪の彼岸など所詮個人で線を引くもの。他人がどう思おうが構うものか。
ところが、押しなべて物事は予定通りとはいかない。
いつも同じ通りに事が運ぶ様にとこちらは考え抜いた指示書を作っているのに、どうした事か上手く行かない。想定外が起きた所為だと先方は主張するが、こちらはその想定外も想定の上で諸々の指示を出している。
結局指示通り動けなかった奴らが悪い。
こちらが与えた指示が守られなければどうなるかというと、当然本当に『想定していなかった物事』が起きる事になる。
対処に困った連中から、定時連絡で追加の指示を求められるがもう、そうなってしまっては我々は現場に居ないので本当のところの『状況』など見通せるわけもない。ともすればどんなに最善策とやらを講じたって後手に回る。そういう問題が、次々と押し寄せてくる。
そうして、いつもいつも報告書は問題点ばかり。
上がって来た報告書の問題点を情報統括部に上げ、今後の命令書を起こす際の参考にする為にも仔細を徹底調査させる。それから報告書を清書し、調査し、纏めたものを作り上役へ報告……。それらを元に新しい命令があり、実行に向けた指示を各部隊に向けて作る。
それが、我々押領事務部の一連の仕事だ。
我々が作った報告書は、直接全部隊を率いるフリード様がご覧になられる。大凡の指揮は全てフリード様が采配を揮われるのだが、彼の御方が『目指す所』に向かう為の些末な指示は我々出しているという事だ。フリード様のお手を、そのような雑務で煩わせるわけにはいかない。
配慮すべきことは多岐に渡るが、フリード様は我々が気に留めるべき些細な事まで実に丁寧な指示方針を打ち立ててくれるのだ。
ひとえに、それは不出来な我々部下の些末な報告書を、恐縮に恐縮を重ねてもなお恥じ入るべき残念な報告書を、実にしっかりと、お目を通されておられるからに他なるまい。
熟考を重ね、あらゆる事を想定して出した指示書がものの見事に裏切られた形でブチ破られ、それで成果があれば良いものの全部台無しにして戻って来る……いや、最悪戻って来る事すら出来ない部隊もあった。
私にしてみれば、そのようなこちらの命令を正しく遂行できない、愚かな部隊など戻らず全滅してもらって結構なのだが……。これで、存外悪人家業というのは人材確保が難しいのだそうだ。人事調達部から『人材はある程度は有限である事を理解して采配は振るって欲しい』と頭を下げられたことがあるので一応、そういう思いは胸の中に仕舞っている。が、態度には出てしまっているかもしれないな。
結局底辺労働力だから問題なのだろうか?教養の無さが致命的なのか。
いや、ヘタに学など在ると務まらないのがこの仕事ではないか。
あらゆる国をまたいで法に捕らわれず、常識を捨て、最大の利益を取らねばならない。一般的な思考や方法論に捕らわれず、それらを全て破ると云う事ではない。時に、相手が察しない程度の穴をあけたり、穴を見つけ出したり、あるいは網に絡まる寸前で事を止めるという事が求められる。
そういう危ない橋を渡る事に関しては、前後を良く見ない暴勇者が一番上手い。何が安全で何が危険なのか、それをまるで匂いが立っているかの様に嗅ぎ分ける……生きる事への執着か?
瀬戸際を歩いている者達のそういった技能とは『知識』などでは無く、経験であろう。
我々は彼らのその危ない技能を最大限に引き出して事を運ばせる。
その為の、時に無駄になる……命令書を、指示書を起こす。
*** *** ***
「D国部隊の報告書はまだ届かないか」
「はぁ、なんでも報告できるほどの結果が収められない、とかで」
D国には実戦部隊の一個小隊が向けられている。潜入から、目的として据えられている特定人物への心理的優位な情報の掌握までの綿密な方法論を書いて渡してあったはずだが、さてはて元となった情報統括部のネタがハズレであったか、それとも何かまた余計な事をしでかしたのか。
「成果などは問題では無い」
読んでいた書類の束で思わず机を、叩く。
こうなった時、つまり……予定通りの結果が得られなかった場合。その場合に取るべき行動までをもこちらは記しているのだ。情報がハズレであったという情報もまた成果の一つだというのに。
「予定通りの行動こそを求めている事が、何度言ってもわからんのかあいつらは!指示と異なる行動が、更なる非効率を招いている事を、なぁぜ理解出来ない」
「まぁ、ぶっちゃけ実行部隊はそんな頭良い連中じゃないですので」
「だからこそ我々の部署がある!それを、一体どうやったら正しく理解するのだ連中は!」
「理解できるアタマがあるなら私達の部署も必要ない」
もう、毎度決まりきった調子で部下とのやり取りを繰り返している。
ああ、一日の仕事の流れが今日も台無しだ。
午後一番に飛び込んできた予定外の経過報告書に、追加指示の為の情報を掻き集めながら最善手を探す。
いや、何よりも問題なのは……もはやこの仕事はダメになったという事で、ならばさっさと仕事を切り上げて引き上げてくる事だ。どう考えても最初のもくろみ通りに事を運ぶのは無理だろう。肝心の、D国に向かわせた先遣隊の報告書も上がっていないと云う事はそもそも全て上手く行かなかったという事なのだ。それは、末端である実行部隊が完全に理解出来る事ではないし、理解する必要も無い。
何が失敗だったか、原因を探ろうとして私は、思わず掻き毟っていた頭から手を退ける。
その思考は後だ、人は必ず理由を探すし、理由が何であるのかをすぐに知りたがる。
だがそれは後でもいい。
今は先にやるべきことがある。
そう思って顔を上げた先に……鏡があった。思わず自分の、乱れた顔を凝視する。
そう、今これが必要だと思っていた。そう思った時、いつも抜群の調子で助け舟を出してくれるのは……鉢植えに水をやっていたオーキドだった。
小柄な、東方人だというのは名前からも伺える。いつもどこを見ているのか良く分からない細い目が特徴で、かなりの古参だと聞いている。
私は、胸ポケットから木櫛を取り出し髪をセットし直した。ついでに、悪くなっていた姿勢を正し、その所為で曲がった首巻を整える。
「落ち着いた?」
整ったと知って鏡をのけて、片手に如雨露を持ったままオーキドがにこやかに微笑んでいる。
「御蔭様で……よし、まずD部隊との連絡が無い事を書け。これ以上仕事をしても無駄だと分からせてやる必要が有るが、奴らの勘働きを立ててやる事が重要だ。あまり事細かに指示を出すと絶対『遊ぼう』とするのが悪い癖だったな」
予定外の仕事に、思わず冷静さを欠いた。確かに予定通りにいかない事は腹立たしいが、こうやって想定外が出てしまう事ももはや『想定内』に仕事をしなければならない。
だから午後の大半は雑務と決めている。
いつも、こうなるからそうしたのだった事を冷静に、思い出している。
「D国に行った連中を心配して、戻らずに真っ直ぐそちらに向かう可能性もありますがね」
「あるな、ではこうしよう。D部隊の報告書が成果ゼロで上がって来たと書け」
まず、失敗した旨を経過報告に上げて次の指示を仰いできた部隊を、一旦退却させる事だ。作戦は練り直す、しかし連中は手ぶらで戻る事を良しとしないのだ。それで散々裏切られて来た。
「急ぎD国部隊の報告書をでっちあげろ。結局それは我々にとってはゼロ解答であるという旨を頭は悪いが勘ばかり鋭い連中にも分かる様にな」
「へいへい、そういうのは得意ですんでお任せください」
口は軽いが、偽造書類、特に文面における巧妙な書き起こしが抜群に上手い部下が待ってましたとばかりに腕を捲る。ちなみに、彼は天空国の小説家なのだが、思想犯罪者として追い回されていた所、引き抜かれて来たという経歴を持つ。
天空国、すなわちファマメントというのは国土が広く、住む場所によって色々と文化が異なった所がある。衆国という属性が強く、細かい国の統合と分裂で成り立つ国だからだろう。
その為、場所によっては規制が恐ろしく強かったりするのだ。面白おかしい空想譚を天空国に籍を置いて出版していた所、その物語が物語である事を区別の付けられない一部の人間から睨まれ、犯罪者として追われるハメになった、との事だ。
私は、冷静になって経過報告とやらをもう一度読み直す。
「この経過報告によると、接触予定のロダナムバイヤーが全員架空のもので、実在しないかすでに処分された可能性がある事を示唆している。これは大いなる結果だ、」
「ですね、俺ら別にバイヤー確保しろとは命令に書いてませんし」
「あくまでM地区における古参バイヤーの実態調査が本命。橋渡しの為の接触なんて、連中にとってはそれこそ『実』の様に思っているのかもしれないが所詮、こけおどし」
報告書を纏める窓口担当は、特に指令所の本音と建て前をわきまえていて淡々と答えた。
文字の読み書きすらおぼつかない実戦部隊の報告書は、彼によって書き起こされている。その報告を受ける際、押領事務部が実は何を一番の成果として作戦を作ったのか、なんて事は実戦部隊に知らせる必要は無い。そこを、感情表現の乏しい彼は良く分かっているのだろう。
淡々と報告書を仕分ける仕事を続けながら彼が言った。
「けど、今回はその結果が出たので私達、驚いている、ありがとう、満足だって書いた方が良い」
「成る程ね、了解了解、そんな感じででっち上げるよぉ~」
よし、問題は難なく片付いた。私はそう判断し、後は任せればよいと判断して自分の仕事に戻る事にした。すると、窓際で緩慢に手を叩く音がする。
「いいねいいね、さすがスピランサ。君をチーフにした僕の目に狂いは無かったね」
でも、ちょっとツメが甘いなと、如雨露を窓際に置いてオーキドは……静かに自分のデスクへと収まった。
「M地区の大馬鹿者ちゃん達に向け、急いで指示書を出す必要は無いよ」
にっこりほほ笑んで机の上で手を組む。
そう、彼こそ押領事務部のボス、オーキド・バニラ。
普段は熱心に、薄暗い部屋の鉢植えを愛でている。
「……何故です?」
「同じような失敗がすでに僕の知る限りで、3回を超えてる。これはすなわち我々押領部の命令など最初と最後の行しか読んでいない証拠なんじゃぁないかな?」
本当は、失敗の数は正確に把握しているのだ、彼は。
納得が行かないのは……彼のその、甘やかしとも取れる部署の方針でもある。我々にはそれなりの権限があるのだからもっと、厳しく他の部署を取り締まるべく、時に非情な命令でもすればいいのに。
しかし、あえて実行部隊の采配に任せるような指示書を我々に書かせる。
ルールを取り決めて、死か、それ以上の損失を個人に与える罰則を取り決めて、ただ命令だけを忠実に行う兵を作った方が絶対に効率は良いはずなのに。
頭の悪い実行部隊に、最低限の作戦実行情報を与える。連動している部隊も伝える。行動指針が取り決められているが手段までは示さず、成果が全く上げられなくとも罰則は無い。いや、成果ゼロという報告書はフリード様には上がってしまう訳だが……そういえば、フリード様もあれこれ細かい人事の事など采配はするが、雇用の打ち止め……首切りの話は聞いた事が無いな。
あるいはそういう事は、情報統括部や人事調達部でこっそりとやっているのかもしれないが。
オーキドは、にっこりほほ笑んだまま、核心的な事を突いてくる。
「目的と、手段だけ確認して経過を無視するのは、命令書の意味を理解していないというよりも……理解する気が無いのだろう」
救いを求めて藁をもすがり、経過報告を上げてきた部隊への指示書をあえて遅延させる理由とは何か?
理解の努力をする気が無い者に、こちらが理解してやる必要性はあるのか?とでも言いたいのだろうか?
しかし、私の疑問に即座答えた物ではなかったが、彼が何を言いたいのかは解る。理解出来る。
それ故に、どうすれば分かってもらえるだろうか、どうすれば連中を指示書通りに動かせるかと考えていた私は……そもそも連中を理解しきっていないのだ、とオーキドに指摘されているのが良く分かった。
その通りかもしれない。その通りに……違いないと私は、思わず息をのむ。
「文字が読める、という履歴には詐称があるのかもしれない。ここは報告書が上がってから情報部に徹底的に洗ってもらうとして、さて、なぜもしかすれば危機的状況にある同胞を救うための手立てを急ぐなと言うかって?」
オーキドは、愉快そうに微笑んで推察をこっそり教えるという風に小声で囁く。
「信用も信頼も置いてない部署に経過報告を上げてくるのは何故か」
「あー、もしかして見透かされてますかね、目的」
空想屋がペンを置き、頭の上で手を組んで口を曲げた。
「目的としていたバイヤーが架空かもしれないと把握出来た時、多分連中は我々が求める『実』を嗅ぎ取っている可能性が高い。がしかし、信用も信頼もしていないが命令だけは出してきて上役面の部署の思い通りになるのは癪だ……そこで」
「あえて目的が『バイヤーとの橋渡しをする』である事へ拘り、それを遂行させろと言っている」
書類整備の手を休め、窓口担当もそれっきり黙り込んだ。
「故に、ちょっとした意地悪も兼ねて」
オーキドは、判子を手に持ってそれを押す仕草をした。それは大きな丸い実印で、受理された報告書に押されるものだ。文字など読めなくても、これが押された報告書が出来上がった時点で先に出ていた指示書は紙屑に変わり、命令は全解除される。すなわち、作戦終了を布告するものである。
報告書が報告書の体を成していなくとも、発行責任者欄のある書類にそれが押されてしまえば書式が『連絡書』も『経過報告』も無い。
「今作戦は終了とみなす結果として、その新しい指示書は送る様に。以後、彼らからの報告は受け付けない。フリードにもそのように報告するよ。っても、それは云わなくたって連中もわかっているだろうけど」
私は、ちょっと呆けて久しぶりにちゃんと自分のデスクに収まった上司を見ていた。
いつもはフラフラと窓際にいて、その重要な判子だって我々のデスクまで来てその場で確認してそこで押す。または、窓際の僅かに明るい所で、鉢植えに挟まれて窮屈そうに、あるいは窓ガラスに押し付けて書類を書いたりするくらい適当な所作が多いのに。
「存外、腹を立てていますか?もしかして」
「流石にねぇ、ホトケの顔もなんとやらって言うじゃない。実際僕はかなりの回数見なかった事にしてる訳だし、まぁそれは彼らの本質がどこにあるのか探ってたって事もあるけれど」
一息入れよう、私はそのまま自分のデスクには戻らず、流しに立ってお茶の準備をするように言いつける。押領事務部のある館管理をしている者がほどなくしてポットや茶器、菓子などを持って現れた。
思いのほか今日は報告書の提出が多く、暫くはそれらのまとめに没頭する事になりそうだ。D国とM地区の、問題の二つの部隊以外に目立った混乱は無い様で成果もまずまずといったところだろう。
料理長が作った乾パンに砂糖をまぶした菓子を摘まみながら、紅茶を飲みつつ報告書に目を通し明日からの仕事の段取りを考える。暫らく各部隊は長めの休暇を与えられる予定になっているから、あまり仕事を拗らせずに帰還して来たのかもしれない。
詳しい事はまだ良く分からないのだが……今、この庭は一つの『節目』を迎えているのだとフリード様はおっしゃっていた。段々とこの悪の庭に、秩序というものが育ちつつある。しかしそれは人口が多くなって来れば生まれ出る必然の様な物で、あるいは上位の部署によっては歓迎すべき事かもしれない……とも。
私は、自分のやるべき仕事の為なら後はどうなったっていいという、自覚のある悪い性格をしているのだが、そんな私にとって秩序というのは悪い響きではない。それは、在った方が多分私の大好きな『仕事』が平穏無事に進められるだろう。そう思って、フリード様の思わせぶりな言葉を聞いていた。聞き流していたのかもしれない。
報告書を提出しフリード様の前から下がって自分達の仕事場に戻ってきた時、同行した上司であるオーキドが言った言葉をふいと思い出している。
*** *** ***
「大変な事になったねぇスピランサ君、でも頼むから仕事を辞めるなんて言わないでおくれよ?」
「え?」
部署に戻るなりの言葉で、何を言われているのか私も分からなかったが、出迎えた部下……といっても実は『空想屋』と『窓口担当』の二人だけなのだが。
オーキド・バニラの言っている意味が分からず、しかし物騒な事を言っている気がして怪訝な顔になったものだ。しかし、オーキドは笑って窓際の鉢植えの方へ歩いて行って少し厚みのある葉を緩やかに撫でながら埃を払う。
「洞察力を磨いてよみんな、僕らはあらゆる連中を欺いてこその部署でしょ?フリードの事を何だと思っているの?あれは僕らの上司だけど、崇拝対象じゃないんだから。むしろ手玉に取るくらいの勢いで報告書を上げないとダメだよ?良い様にこき使われるだけなんだから」
いや、そうはいうがフリークス・フリード様は実質我々全部隊を率いる頂点に立っている方で、実際彼の振るう采配は素晴らしいものがある。広大な、この悪の庭を丁寧に一つの『機関』として動かし、ここから各国のあらゆる法にそぐわない仕事、すなわち簡単な言葉で言えば『悪事』に手を染めて最終的には法外な利益を上げるという事をなさっている。単純な仕事ではないのだ、ドミノが最初から最後まで倒れるように巧妙に仕事が仕事に繋がり、人攫いの仕事が、小国一つの地代を全支配する結果になっていたりする。私たちの部署はその為に必要な指示書を書き起こし、実際にどうなったかという結果を報告書としてまとめる部署だ。
フリード様の所業が全部見えている。それだけに、この仕事を手伝いたい、彼の手足として人を上手く使う手助けが出来るというのなら、それはどんなにすばらしい事かと思っている。
私が、自分の仕事が大好きで仕事が出来ない事を『悪』として憎むのはそういう事情なのだ。
しかし、確かにオーキドはフリード様を崇拝はしていないだろう、珍しく呼び捨てにしているしそういう呼称が許されている様でフリード様も特に気にしていない様だ。
いや、というよりはあるいは……一種同格と互いに認めている様な節もある。オーキドにむけた、そうでなくては、という様なフリード様の口調を聞くたびに自分の上司もなかなかにとんでもないと思ったものだ。
「残念だねぇスピランサ君、多分これから平穏無事な仕事なんて滅多に出来なくなるよ」
心中、どうにも見透かされていると苦笑いを漏らしながら尋ねる。
「それが、フリード様の御意向であると?」
「違うね、多分6割位僕の所為だ。比率で云うと、多分フリードよりも僕の所為になるな、きっと」
「……意味が分かりませんが」
「まぁそのうち解るかもしれない。ただ確実なのは、この庭に生まれつつある秩序っていうのは、フリードの理想上は不必要なものなんだよね」
だから、多分近い内に彼は秩序って奴をぶっ壊しにくるよ。
*** *** ***
そして、多分……オーキド・バニラは秩序の解体を目論むフリード様の欺く為に全力を尽くすのだろう。押領事務部はそうでなくてはと、フリード様がオーキドを押領部の長として採用し続ける限り、我々に求められている事は恐らく……オーキドの言う通り『全てを欺く』事。
フリード様と同格であると云う事は、多分そういう事なのだろう。
私はその板挟みにあって……フリード様の求める働きを完遂する為に努力している働きが、時に無駄にされる仕事をし続けるハメになるのだ。
辞めないでくれと、あの時オーキドは結構本気で私に言ったのかもしれない。
その時に……思ったものだ。
私は、予定通りに仕事が出来ない、仕事を邪魔するものは『悪』と思って毛嫌いしつつも本当はそうやって『予定』という『秩序』を守って、それらが破られる事を待っては居るからではないか?
定められた事が無ければ、定めに無い事など起きはしないのだ。
時に、予定にない出来事が起こる事をいつしか待ち望んでは居ないだろうか?
云われた通りの仕事など絶対にしない。
だから我々が起こす指示書には、致命的な穴があって……みんなその仕組まれて穿たれた穴を覗き込んではへそ曲がりな横領長の罠にはまるのだ。
*** *** ***
さてそうして五日ほどは、私の愛する平穏無事な仕事が続いた。窓口担当は報告書起こしにひっきりなしで、私と空想屋であれこれ頭を捻ってフリード様への報告書の清書を行っている。
そんな六日目の朝だった。
無感情な窓口担当が、珍しく……何と言えば良いか、してやったりという顔で待ち構えていて私に、あえて手渡しで一つの報告書を示す。
例のM地区担当の部署は……まだ戻ってはいないが、これは泣きとも思える帰還報告だ。どうやら法の網を踏んずけて、散々死にもの狂いで逃げうハメに成った様だ。
なぜもっと早く命令書を届けてくれなかったのか。
命令待ちで、動けない間になかなかの修羅場があった事が恨み辛みと書いてある。
私はそれを、どこか満足げに読んでいた。
「D国の部隊が先に戻っていたな。情報統括に向けてM地区部隊が撤退に苦戦してる事を告示するように」
担当窓口は少し、驚いた様に言う。
「スピさんは、やさしい」
「恩は売っておくべきだろう」
大丈夫だオーキド、私も結局こういう性格であるから……押領事務部を辞めるという事はあるまい。そのように、大いに溜飲の下がった報告書を読んで小さくうなずく。
「空想屋にも見せてやれ。あとはオーキドの机に置いておけばいい」
「多分、オーキドは読んだら捨てる」
窓口担当の顔が珍しく、ちょっと邪悪に笑っている。
「そうだな、間違いなくゴミに捨てるな」
終
0
作業の隙間があったので手直し更新少し再開。連休中に二話、あとは一週間一編月曜更新で。話は多少前後する事もありますが、比較的起った順番になっています。
こちらも『異世界創造NOSYUYOトビラ』後の話(8期後半)なので後日譚の一種ですが、トビラに向けてのネタバレはあまり無い方です。同世界シリーズの一つなので、説話は色々と重複します。
更新が一番早いのはエブリスタになるので気になる方はこちらへどうぞ
https://estar.jp/creator_tool/novels/25065679
こちらも『異世界創造NOSYUYOトビラ』後の話(8期後半)なので後日譚の一種ですが、トビラに向けてのネタバレはあまり無い方です。同世界シリーズの一つなので、説話は色々と重複します。
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