GM8 Garden Manage 8 Narrative

RHone

文字の大きさ
上 下
4 / 17

小悪党 フリード

しおりを挟む

 何をしても満たされない。
 その理由を知っていた、私は、知っている。
 知っている、ただそれだけの事で私の心は何時までも満たされる事が無い。

 あらゆる快楽に手を染めて、これではないと投げ捨ててきた。
 得たいと願ったモノの為なら何だってやった。
 飽きたおもちゃのお下がりを欲して、何時しか私の後ろには愚か者が群れをなす。私は彼らを笑う権利がない。一時前、あのオモチャを得て喜んでいたのはまぎれもなく私なのだ。

 満たされていたい。
 気が付けば、渇きを与える元凶から目が離せない。意識も、何もかもがそこに注がれている。
 そこに『それ』があるから私の望みは永久に適わない。
 どうすればいいのか、知っている。

 ソイツをその場所から引きずり降ろして自身がそこに在ればいい。

 それで万事が解決する。

 しかしそれが、出来ない。

 故に私は、ずっと、ずっと乾いたままだ。
 この渇きに妥協を見出せばいいのかもしれないが、諦めは悪い方だった。このしぶとさを武器にしている以上、心に秘める渇望は手放せない。

 誰にも負けるつもりは無い。誰よりも何よりも、私こそが『それ』を欲している。
 時に歪んだ愛情に変わる事も、紙一重で憎悪にもなる事までをも知っている。

 それらの際で、自らを張り詰め『知っている』事を支えに私は、至上の悪となりたい。

 ……世の中には常に格上がいる。
 渇きを抑え、知れば知るほど乾くと知りつつも今さら引き返すべく道もない。 

 欲しい、その思いに諦めは無かった。欲しいから私はその為に、何だってやってやる。

 憎悪と嫉妬、愛情と独占欲が複雑に混じり合う思いを包み隠す必要などない。
 あらゆる感情をちらつかせ私は、あの愛おしく憎らしい王に傅く。

 どこまで私の心情を御理解頂けているのか、ただそれだけが分からず、理解出来ない事で私はまだあの方を超える事が適わないでいる。
 恐ろしくも偉大な、この世界の『悪』を統べる玉座、決して座り心地が良いものじゃないぞとあのお方は呆れた風に私に教えてくれるのだが……それは感性に寄るものだろう。いかに偉大で超えがたい王の意見でも、鵜呑みに出来る事ではない。その座に座ってみなければ分からない事だし、そうしてどう思うかなんて事は私にはどうでもいい事だというのに。

 私が得たいのは大悪党という肩書きなのだが、残念ながら未だその称号は得られないでいる。

 その方は、久方ぶりに庭においでになられていた。
 久しぶりに『おいでになられた』という報告を聞き私は全ての用事を投げ出して真っ先に駆けつけたつもりだったが、すでに先客がいて白塗りの椅子の上で軽く戯れている姿がバラ園の草葉の陰から見えてくる。
 顔をしかめて不快感を表さずにはいられない。
 必死に押し隠そうとしたが……誰よりもあのふざけた『人形』が真っ先に私の存在に気が付き、勝ち誇ったような笑みを投げかけてくるのだった。
 流石は同じく、この庭に集いし者。
 悪意をぶつけ合うすべに長けた者同士か。その様に苦々しく笑いを零してさて、どう出ていくかと思案していた所、

「おうさまだー!」

 刺ある生け垣を全く意に介さず、異形の幼子が薔薇の繁みから数人飛び出してきてあたりを走り回り始めた。
 一見すると無邪気な子供にも見えるだろう、だが……あの子らの体全体に纏う柔らかな衣が、全て毒針だったとしたら、どうだ?
 風に舞う柔らかな一針で腕の一つくらい即座、腐って落ちる程の毒を持つ、毒虫の幼生が無邪気に走り回る。
 異形の幼子達がバラの枝を折ってはいないか、やんわりと注意をする彼の視線が……やや肩を怒らせてしまっているだろう私を今さらというように捉えた。

「やぁフリード、相変わらず凄い形相だな」

 その言葉に私は急ぎ顔を手で抑え、獣の皮で出来た簡単な仮面をかぶって彼の傍らに膝をつく。感情が顔に出るのを、未だ上手くコントロール出来ない事に苦笑いを浮かべる。この心が、相手にバレているのに仮面を被ってどうするのだと、私は自分を嘲笑するしかない。

「おはようございます、我らが王よ」
「おはよう、なんだか見ない間に立派な庭になったなぁ。仰々しいとは思っていたけれど……でもこういうのも悪くないな」
 中年の、見た感じ東方人らしい男が柔和な笑みを浮かべて椅子に腰かけている。この異様な森の異様な庭に、何の違和感も無く自然とそこにあるからこそ彼はこの庭の王。
 用意しておいた西方風の服を窮屈そうに着込んでいるのを見て、もう少し大きいサイズを用意しておかねばならないと思うと同時に、ちゃんと着衣してくれた事に私は、密かに喜んでいた。
 しかしあまり西方の衣服はお似合いにならないか……かといって、下着一枚に簡易ズボンで歩き回られるのも威厳が無い。
 王には、王たる威厳を持って在って欲しい。

 私は合図を送り、庭の生け垣の影で待ち構えている部下を呼び寄せた。
 白塗りの椅子に、清潔なテーブルクロスをかぶせて……今朝庭師が間引いた花を生けさせる。
 簡単な軽食を用意させ、湯気立つポットから抽出したてのコーヒーをなみなみとカップに注ぎ入れ差し出させた。

 瞬く間にそれらが行われた事に、やや驚いたように彼は言う。

「これくらい、私にやらせてくれればいいのに」
「何を言うのです、貴方はこの館、そしてこの庭の、国の王であられる」
 雑務は我々に任せて、そう続けようとした所、王と視線が合ったのに私は驚いて言葉を止めていた。真っ直ぐに見つめられ、正直にたじろぐ。
 そして、私はただここにいればいいのかね……と、小さく呟いて王である男の視線は遠くへ逸れた。
 そうしながらカップから立ち上るコーヒーの匂いを楽しんでいるようにも見える。

「いい匂いだ、頂こう」
「おいフリード、僕には何も出さないつもりか?」

 私は仮面の下から王の膝上に乗っかっている、小生意気な人形を睨んでやった。
 そうしてから鼻で笑う。

「人形である貴方には飲食の必要などないのでは?」
「お前は、オウサマに一人さびしいお茶会をさせるつもりか?」
「おいおい、さっそくケンカなんてよしてくれ。フリード、インティの言う事ももっともだ。そんな所に腰を据えてないで椅子に座って一緒にどうだ」
 誘いをやんわりと断る。そうしたいとは思わない。
 愛おしい王、傍には居たいが、同時に激しい憎悪の感情を持っている事をこれ以上彼に知られたくは無い。

 これは自制心だ。同時に、いずれ貴方に並ぶという野心を秘めて距離を置く。

 彼には、誰よりも至上の存在であってほしい。
 なぜなら、いずれそこには私が在るから。

 気付けば異形の子らがテーブルクロスを引っ張り、よじ登っては卓上を荒らしている。生けた花を食い荒らし、王の為に用意した軽食にも手を出していた。
 舌打ちし、追い払おうとしたが王が苦笑いで構うなと言う。
 相変わらず子供には甘い。……もっとも、これらには躾などしても極めて無意味なのだから道理ではある。一年の間に成年し、大半が死んで次世代に代わる。記憶の継承などは殆ど無い、ただの虫の生態サイクルそのままに、魔王の森に住まう番人達だ。

 ふいと王の膝を占拠していた人形が身を起こす。柔らかい芝生の上に飛び降りた。

「オウサマ、またあとでね!」
 気まぐれな人形はそう言い残してふっと、姿が消える。
 その理由は……聞こえてくる騒がしい声で理解した。

「待て!止まれ、」
「誰に指図しやがる」

 どけ、そんな乱暴な声とともに何かが押しのけられた音がする。
 私は立ちあがっていた、張り詰めた空気が迫ってくる。敏感な番人の子らは笑い声もなく、わらわらと散って逃げて行った。
 これは恐らく殺気というものだろう。私はそういう感覚にはあまり鋭い方ではないのだが、しかしそれでも相手の技量が非凡であれば、凡人にも只ならぬ気配は伝わるものだ。
 異様な鉄仮面が生垣越しにちらちらと見え隠れしていた。軽く迷路となっている庭園の奥にあるこの広場へと近づいて来ている。

 私は立ち上がり背後に王をかばって前に出る。張り詰めた空気に遅れて……どこか、甘ったるい異様な匂いに気付く。慌てて背後を振り返ると彼もまた、それに気が付いて曲げていた背筋を伸ばし、首を伸ばしていた。

「レギオンか」

 王の呼びかける声を聞いて、草と飛び石を踏む音がピタリと止まった。

「おいおい、そいつ……起きていやがるのか?だったらそうだと言え!」
「私の部下の制止を振り切ったのは貴様だろう」
 非難した私の声に、お前やっぱりそこに居たなと嬉しそうな声が返ってくる。
 分かりやすい奴め、私を探していたという事か。しかし……最終的な目的まで良く見通せないな。何が目的で一体、今度は何をしでかしてくれたのだ?
 レギオン・ストレンジア、この悪の庭に集う悪人の一人だが、私との相性は最悪といった所だろう。特に、私が率いている部隊と彼が率いる部隊の相性が最悪だ。
「なんだ?私に用だとでも?」
「そういうこった小悪党。お前に客だ、上等のな」

 張り詰めた空気が一気に、私に注がれたのを感じる。まるで針を当てられたような……これは、紛れもない殺気だろう。研ぎ澄まされた気配が私の出方を探っている。
 私は、この鋭い気配の持ち主が私の背後、王の存在に気付く事を恐れ迷わず一歩近づいていた。

「何の用事だ、貴様とて状況は分かっていような?」
「分かっているさぁ」
 まぎれもなく、生垣の向こうに覗く鉄仮面はレギオンだろう。姿や声よりも確実にそうだと分かる特徴がここまで届いている。
 匂いだ。
 群れたる名を持つ奴の本性はその姿というよりもその『匂い』にある。

「まずは報告しろって奴か?」
 悪意のある声が戻ってきて、私は仮面の下で少し、笑う。
 命じていたはずの仕事は彼を満足させたようだ、それだけは分かる。彼が満足したと言う事は……私の思惑道理に事が運んだと言う事。
「例の街からやってきた軍隊だが、あらかた自爆したぞ。他愛もない仕事だったな」
「また嗾けたのか」
 呆れた声を上げた王にレギオンは笑って答える。
「そう言いなさるな、そもそもアンタの存在が世を舐めてるって事が発端だぜ、それを忘れている訳じゃぁないよなぁ?」
「降りかかる火の粉は払う必要があります」
 私も体よくレギオンの言に乗る。すると、もうこれ以上言う事はない、というように王は沈黙し、視線を足元に投げるのだった。

「しかし、一匹やりそこねた」

 悪意のある笑い声とともに、実に楽しそうにレギオンは言う。
 私はその答えを理解して、挑むように生垣の向こうへ答えてやる。

「それで、その最後の一人を連れてきたというわけですか」
「そう言うこった。なんでも、町を荒らされて酷くご立腹らしいぞ。悪を倒しにここまで来たそうだ」
「それで貴様は私を名指すのか?」
「名指して欲しいんだろ?」

 奴は、私の望みを知っていてそのように嗾けてくる。

 悪い気はしないが、同時に小賢しいとも思う。

 我らが王をあえて差し置き、小悪党と名を呼んでおいて私を『悪』と紹介するか。

 一人、剣士が近づいてくる。背は低く、時たまに生垣の隙間から彼の影が見え隠れしている。
 バラの木のアーチをくぐり、黒髪に整った衣服、奇妙な半分の仮面をかぶった男が威風堂々と歩を進めてきた。綺麗な立ち姿だ、と思った。しかしよく見るとシャツ等の元来赤ではなく、返り血の色に染められての色だと気づく。全身、他人の血にまみれている。
 剣は在ったが構えているわけではない。
 だが、すでに抜刀しこちらに刃を向けているような錯覚を引き起こす。

 その証拠に、控えていた私の部下たちが木々の合間に武器を構え、今にも飛び出しそうになっていた。それを僅かな動作で押しとどめる。
 レギオンは伴っていなかった。奴がここに自主的に近づく筈が無い。すでに歩みを止めた所から一歩たりともこちらには近づかないだろう。
 ここには、奴が恐れる王がいる。
 私を小悪党とバカにする一方で、真の庭の主として唯一恐れる……庭の王。その差が、私と王の差だ。
 いずれ埋めたいとは思うがままならない、深い溝。

「お前が、この庭の王?」
 まっすぐに私の方に注いでいた視線がふいと、四散し緩慢に散らばる。
 問いには失笑で答えてやった。
「私がこの庭の王であるはずがない」
 自虐的な笑いが自然と漏れてしまう、抑えられないのだ。
 針のような気配が緩む。
 侵入者の敵意が急速に緩和されたのが分かった。茫然と彼が呟いた言葉が届く。
「……これは、美しい庭だ」
「そう言ってくれると嬉しいな。客人かね、どちらから来た?」
 侵入者の意識が緩んだ理由はすぐにわかる。

 我らが王の所為だ。
 彼には、状況に向けるべき警戒心が微塵もない。悠々とした様子で変わらず椅子に腰かけてコーヒーを啜っているのだからそれを見れば途端、誰だって緊張感など無くすだろう。
 それは同時に、この場の主が誰であるのかをも示している。
 侵入者はすぐにもその状況を理解して見せた。
「どうやら、貴方がここの主のようだ。……おかしいな、悪を束ねる魔王の庭と聞いてきたが……ただの隠匿皇族の根城だったのか、失礼をしただろうか?」
「皇族ってのは言い過ぎだな、私はもっと質素な暮らしで満足していたのだが」
 カップを皿に戻しながら彼は笑う。
「不思議な事に困った連中が私の元に集う。君も、その一人かね」
「困った?私が……?…意味が分からない」
「世にあぶれてここまで来たのだろう、私の所に来る者は大抵そうだ」

 フリード、と。静かに彼は私の名を呼ぶ。
 短く返答し、私は厳かに、彼こそがこの庭の王である事を侵入者に教える為にかしこまる。

「何用か、話を聞いてやるといい」
「庭への滞在を、お許しになるのですか」
「許すも許すまいも、私は誰をも拒むつもりはない」

 コーヒーを飲み終えて、幼子らの蹂躙を生き残った菓子を摘まみあげて王は椅子を立つ。
 途端、逃げたと思っていた異形の子らが駆け寄ってきて彼の後に続いて楽しそうに、蛇行しながら追いかけて行った。
 それを見送ってふと振り返ると……侵入者の男は意味を訊ねるようにこちらをうかがっているではないか。

「で、何の用ですか?」
 逆に問い掛けてやる。
 すると、間抜けに口を開けて侵入者は消えた王の行く先を指でさす。
「……なんだあれは」
「なんだとは、何です。貴方はイースターから来たのでしょう。うわさに踊らされ、庭の王を討ちに」
 真実を穿たれたように、侵入者に緊張感が戻ってくる。
「やはり、お前たちがイースターの壁守を……」
「どうでしょうかね、あちらが勝手に惑っただけでは?…取引をしていたのは間違いないですが」
「我々は、この森との境界を守る為にイースターという町を築き壁を築いた。なのに、何故その忌避すべき森と取引をしなくてはいけない」
 どうやら頭はさほど良くなさそうだ、そう腹の底で判断し、仮面の下でほくそ笑む。
「もちろん、そうしなければいけない理由があったからに他ならない、という考えは……貴方には無いのでしょうかねぇ」
 私は呆れた風に肩をすくめ、主不在となった白いテーブルへと侵入者をいざなう。

「どうぞ、王のご命令です。貴方の話を聞きましょう」
 深く鼻でため息を漏らし、侵入者は少し戸惑いながら私に従った。
 椅子に腰かける前に手を差し出し、私の行動を止める。
「私はジャン……と言う、元イースターの壁守だ」
「素直ですね、そんな事は知っている」
 知っていると言う私の言葉に少なからず侵入者、ジャンは驚いてくれる。そういう反応は嬉しい。私は笑う事を抑えられずに、わざとらしく腰を折り深く一礼する。
「申し遅れました、フリークス・フリードと申します、ジャン殿、以後フリードとお呼びください」
「フリード……」
 何か引っかかる事でもあるかというように煮え切らない態度のまま、椅子に腰かけ、ジャンは話を切り出した。

「君には、前にどこかで会った事があっただろうか?」


 もちろん、会った事があるでしょうよ。部下たちに視線だけで命じ、紅茶を淹れる一式を運ばせた。茶菓子を勧め、私自らで紅茶を淹れながら、漏れ出る感情が口元を綻ばせるのを止めることが出来ないでいる。
 その言葉は私が『悪』であるがために厳かに閉じられ、意味深な微笑みの中に沈める。

 よくぞきたジャン、私が見込んだ純粋なる正義よ。

 だがその純粋さは、基本的には不純である世の中において毒以外の何物でもない。
 純然たる悪が世間の水を濁すように、純然たる正義は世を清めて窮屈にする。
 それに気付く事のない、貴方のような強い毒こそこの庭には必要だ。

 世に放たれて良い存在ではない、という意味で。

 私は、世界の調和の為に悪を選んだ。
 それは至上の悪がこの世界に必要だと感じたからだが、残念ながらこの世には私よりも上手の『悪』が居た。
 だからこそ私と同じ志を持ち、誰よりも深く世界を愛するかの王が、『その為』に望む事を私は手に取るよう理解出来る。
 私には、分かっているはずだ。誰よりも、何よりも。そうでなくてはいけない。

「貴方は知るべきですな、自らの目で見て、聞いて、体験すべきだ」
 私は熱っぽくジャンに語り、彼を魅了する悪を垣間見せる。
「この庭が如何に世から憎まれ、忌避され、恐れられているか。なぜそうなったかと言う事を。全て知った時貴方の掲げる正義は変わる事でしょう、私達はそれを歓迎する」
「私の正義は揺るがない」
 憮然として答え、仮面に隠れていない青み掛った瞳が私を貫く。なんと強く、美しい瞳であろう。
 あのレギオンが魅了されてしまうのも致し方ない。
 この庭に集う者、すなわち多くほとんどが『悪』だ。
 それゆえにこの美しく輝く純然たる正義を愛さずにはいられない。
 それは、私も同じくだろう。

「そのように言うから揺るがせてみたくもなる」
 瞬間にらみ合い、心を試し合う。
「この庭においでなさい、王もお許しになっている。貴方の好きなように振舞うと良い」
 正義に、どのように首輪を掛け鎖をつなげばいいのか私には、手に取るように分かる。
「貴方が悪と思うならそれは悪であろうし、許されると思えばそれまでです。切り捨てるべきだと思えば斬ればいい、ここでは何も貴方を縛らない」

 束縛しない事こそ、約束事によって律された正義をより縛る。

「では、今私が貴方を悪と認め、断罪すべきと判断すればそうしてもかまわないと?」
「勿論、」
 そうしない事は分かっている。
 なぜなら、私が如何に悪事を働いたか、法の無いここでは基準となるべきものもない。
 ともすれば、正義なんてものはあってないようなものだ。
 この庭に正義などというものは存在しない。いや、出来ないと言うべきか。存在しないのに在ると言い切り、正義たる振舞いを行うこの男こそが異常なのだ。
 自らの中にゆるぎない正義を飼っている。
 それが、どれだけ世の中を乱すかと言う事を理解していない。
 永劫に理解しないと云ううわけではないだろう。何かきっかけがあればそうだと気付く。

 だが、気付かせてなどやるものか。

 この庭は悪の園。
 世に見合わぬ弾き者がたどり着く。
 世界を乱す者どもを魅了し、惹きつける庭の王もまたその一人。

「私もかつてはここの王に挑んだものです」
 紅茶を一口すすり、懐かしい昔話を語って聞かせる。
「貴方は一体誰が一番悪いのかまだよく理解していないようだ。私は違う、一体誰が最悪であるのか知っていて貴方のように挑んだ事があるのです」
「あの、初老の庭の王に……?」
 まるで、彼のどこが悪であるのか信じられないというような顔をする。
「信じられないでしょう、まぁ無理もない事です。ともかくこの庭においては彼こそが全て。もし、我らが王にそむくような動きあらば私はあなたとの約束を違え、貴方を討たなければいけなくなる」
 少し考えてジャンは言った。
「もし、それを王、とやらが望まなくてもか?」
「その通り」
 即座肯定し、私はどこか目を輝かせながら語っていただろう。
「我々は我が王を守る者。この庭の、平穏を望む者。なぜならそれこそが王の御心であられるからです。王は争いなど求めてはいない。だから我々も人と争う事など求めてはいないのです」
「それにしてはあのレギオンという男、殺戮を楽しんでいるような気配があるが」
「それは、相対した貴方と、貴方達の殺気に呼応したからでしょう。彼は大義名分を手に入れたのです、王の庭を守る将軍として、害なすとみなしたものを排除する必要がある」
 その理論に何か間違った事でもありますかな、と訊ねてみたが案の定、ジャンはこの庭に敷かれた理論に疑問を感じてはいない。

 自分たちが侵略者である事は分かっているのだ。
 無条件に悪の存在を信じ、歩を進めてきた事を知っている。
 正義を翳しここまで来たはずだ。レギオンの餌食になった軍隊を構成する個々がどうだったかは知らない。だが少なくとも、レギオンの眼鏡にかなってここに通されたこの男にそのあたりの迷いは一切無い。

 一つの異常を自分が抱えている事をジャンは理解していない。

「貴方は仲間の仇を討ちにここに来た……そう言うわけではないようですな」
「我々は世を乱す悪を斬りに来たのだ。原因を摘み取りに来た、決して恨みや仇討の為に挙兵したのではない。そんなもの、正義ではない」

 ジャンは断言し、仲間達が一人残らずこの森で悲惨であろう死を遂げた事など何も気にしていない。それを態度で示した。

「正義とは、弱気を助け横暴を挫くものなのでは?」
「弱いものを助ける事が必ずしも正義になるとは限らないだろう。私は、弱さを盾にすがりつくことしかしない卑怯者を知っている。そうとは限らない者もいるだろうが……」
 私は苦笑いをこぼしティーカップをテーブルに戻した。
「恐らく、私たちは圧倒的に強い」
「どういう意味で、だ?」
「思想的に、そして物理的な意味でも。仮に王が人を憎み、我々に世を滅ぼせと命じるのであればこの庭を囲む周囲の国は瞬く間に滅びましょう」
 そんな事はさせない。
 自分は、それを止める為に居るのだとでも言うようにジャンの肩に力がこもり、再び鋭い殺気が私を貫く。
「仮の話です、貴方はじかに我々の王を見た事でしょう。彼が、今それを望んでいない事は直接彼にお会いになった貴方で良くご存じのはず」
「私には、どうして彼がこの庭の王であるのかがよくわからないが」
「理解する必要がありますかね?むしろ、理解しなければならないのは別の事ではないのですか?今我々を縛る王の思想が、そして王自身が失われたとすればこの庭はどうなるのか。ご想像いただけますか?」
 ジャンは小さく眉をひそめ、少し視線を泳がせて……まっすぐ伸ばしていた背を背もたれに任せる。
「この庭は、悪の庭……か」
「そうです」
 私は、私たちは。それぞれが『悪』である事を否定はしない。
「王、という彼の存在によって集った悪が、一つの庭の平穏を願って封じられている。……この庭の真実とはそういうことか?」
 私は小さく笑って再びティーカップに手を伸ばす。ジャンはゆっくりと鋭い視線を私に戻した。
「なぜ、私をここに迎えた」
「それは貴方が望んだ事でしょう、レギオンが許し、貴方がそれに従った」
「私は悪を斬りに来たのだ。望む悪がここにあると聞き及んだから来た。だが、この庭に在る限り悪を、悪として切る事が出来ない」
「そうですか?」
 初めてジャンはティーカップに指をからめ、緩やかな動作でそれを啜る。
 むろん毒など仕込んではいない。彼がそれを恐れていたかどうかは理解しかねるが、恐らく多少の疑惑は抱いていたのだろう。
 今、飲み込んだ液体に少しの悪意でもあれば彼は、即座剣を取って私の首を斬れる。

「……美味しいな」

 逆にすれば、悪意が見いだせなければ彼の正義は実行出来ない。

 ジャンはティーカップから未だ立ち上る香気を存分に味わい、ほんの少し気を緩めるように笑う。
「そうして、あの王とやらは私の正義も無効化させてしまうのだろうか?」
「そう思われますかな?」
「……わからないな」

 暫く、この庭に厄介になろう。

 彼のその短い言葉に私は、そうするとよいでしょうと答えた。
 魅入られているのは私たちだけではない。
 正義として、悪を求める貴方もまたこの麗しい庭に捕らわれた。
 私は、正義である貴方を歓迎しよう。

 少なくともこの庭には、悪と呼べるものが集い過ぎている。
 ジャン、貴方の存在はいずれこの庭の摂理を乱し、悪として集う我々が心のどこかで望む騒乱をもたらしうる……。少なくとも私はそれを、その役割を貴方に望んでいる事を貴方は知らない。

 貴方は選んでここに来た?いいや?
 貴方は悪の存在に誘われてここにおびき寄せられた。その事実に彼自身もうっすらと気が付いているのかもしれない。だが、そうだとしても恐らく気にはしないだろう。
 その気質を私も、レギオンも気に行っている。レギオンがジャンを無視出来ないだろう事は計算の上だが、しかしなんだか気に食わないという気持ちもある。
 ジャンはこの私を、王に次ぐ至上の悪と認めてくれるだろうか?まさか彼は……レギオンを選んだりはしないだろうか?
 ましてや、気まぐれな悪魔の人形や庭を統べる毒の女王、劣化愛好者、魂を弄ぶ者……。
 この庭には多く世に在れば『悪』であろう者達が集っている。

 貴方はこの庭で誰を、どのような罪で、正義の名の元に斬り伏せる事となるのか。
 それとも我々と同じく、世に在りて毒となる事を知り庭に甘んじる事となってしまうのか。
 好んで、悪の種を撒くのが私の仕事だ。この森でどんな芽を出し育ち、花を咲かせるか。そうして実を結ぶか?朽ちるだけか。
 
  私は、可能性を『飼って』置きたいのだ。
 密かに願う様に、小悪党などには目もくれずに……我らが王に刃を向ける、この庭に終焉を齎す種と成れば幸い、と。
しおりを挟む

処理中です...