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番外編 なくなってしまった未来①

ハリボテのキス

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「ここよ」
 あのジジイ、本当に稼いでるんだな。
 門扉を潜ると、庭には噴水があり、何人かのメイドが箒で掃除をしていた。立派な玄関から屋敷の中へ入ると、最新の赤い香料で染め上げられた絨毯が真っ先に目に入った。壁には最近流行りの印象派の絵画が飾られていた。いかにも俗っぽい、ゴールドバーグらしい趣味だ。
「ここは別宅なの。あなたの言う通り、非嫡出子はこういう扱いを受ける」
 リサは階段を登りながら嘆息した。たしかに、この手の邸宅にはありがちな、お嬢様を出迎える執事の姿もない。何人かのメイドがいるのみで、お抱えの馭者や、庭師だって雇っているのか怪しい。広大な屋敷はどこか寂れた、陰鬱な雰囲気に包まれていた。うちによく似ている。
「一般人も大変なんだね」
「私は、あなたのほうが大変そうに見えるけれど」
「ま、諸説あるね。それは」
 リサのあとを追って階段を上る。彼女は通りがかったメイドの一人を呼び止めて、お茶を用意するように言付けていた。
「こっち」
 長い廊下を通って、その突き当たりの扉を開く。広い屋敷には不釣り合いな、ごく一般的な女の子の部屋だった。ベッドがあって、机とランプがあって。玄関に敷かれたカーペットのような、派手な香料は使われておらず、全体的に地味な色味だった。こういった成金のお屋敷は、たいてい緑の壁紙が使われているのに意外だった。
「ずいぶん地味なお部屋に住んでるのね」
「ハリボテだから、この屋敷も、私も」
 椅子に座って、窓の外を眺めていた。窓から夕陽が差して、その様子は寂寥を感じさせた。
 部屋の扉が軽くノックされて、歳をとったメイドが入ってきた。黙って紅茶と、歪な形のクッキーをローテーブルに置いて出ていった。椅子はリサが座っている一脚しかなかったので、仕方なく床に座った。
「嫌われてるのよ、私」
 リサは、それをあまり気にしている様子はなかった。ただ、現在の状況を受け入れてるような。私が今まで会ったことがないような美しい外見なんだし、内面もきっと恬淡なんだろう。そう思わせた。立ち上がって、なぜか私の隣に座る。
「私たち、似た者同士かもね」
 紅茶を一口飲んだ。古臭くて、型落ちの茶葉を何度も漉したような味がした。歪なクッキーはパサパサで、口内の水分を勢いよく吸い取った。
「私もそう思う」
 テーブルに紅茶を置くと、その手首を強い力で掴まれた。びっくりして手が滑り、カップが倒れそうになる。咄嗟に魔法で元に戻した。
「なにっ……んっ、ふ」
 紅茶をこぼさないことばかりに気を取られて、リサの動きにまで対応できなかった。遠くから見たらあんなに美しいと感じた顔も、こんなに近づいたらただの白い肌にしか思えないことを知った。それと、人間の唇は存外柔らかいということも。
 力が強くて、というより私の力が弱くてろくに抵抗できない。魔法を連続で繰り出すには、いささか気力が足りなかった。床に後頭部を打ちつける。これ以上バカになったらどうしてくれるんだ。リサが不敵に、ニヤッと笑った。彼女の美しく、長い金髪が重力に従って私の顔にかかる。
「私たち、いい“お友達”になれると思わない?」
 顔が熱くなるのがわかった。命を狙われたときと同じように、心臓が早鐘を打つ。
「こ、子供に欲情するなんて、異常性癖の犯罪者だって、うちの兄が言ってた」
「十八歳なんでしょ? まさかキスの経験もないわけ?」
 恬淡そうだと思ったのは撤回したほうがよさそうだ。ようやく私の上から退く気になったのか、
物騒な選択肢攻撃魔法を取らずに済みそうだ。
「うちは、どっかの誰かと違って嫡出子しかいないから、誰彼構わずキスしたりしないだけ」
「そりゃ、他とは徹底の仕方が違うものね」
 ものすごく性格が悪い。さすがあの成金ジジイの娘。しょせん美しいのは外見だけで、腹の底を隠して、おべっかばかり並べる下劣な一般人と同じなんて、がっかりだ。
「ねぇ、それで、お姉さんの事故って――? 私それ、詳しく知らないの」
 私にピッタリくっついて、手を握る。古びた紅茶風味の吐息がかかった。
「姉のベアトリスは、去年列車の工事を担当してたけど、事故を起こして今は精神病院にぶち込まれてるの」
「ふうん、魔法使いの一族も色々苦労があるのね」
 姉の様子はずっと前からおかしかった。おかしくならないほうが稀だ。頭がおかしくないと魔法が使えないんじゃないか、と言われるほど一族の者は狂っていた。姉は五年も前からヒステリーを患って、主治医を三十人以上クビにしていたし、兄も屠殺の仕事が大好物という変わり者だ。私がきっと一番まとも、なんて全員が思ってるのかな。
私たち下の兄弟は、死ぬまで回ってきた仕事をこなすだけ。だけどすぐ上の兄ももっと悲惨。いずれは叔父のやってる、墓地の管理人をやらされるんだから。鉄道工事は花形だよ、目立つし、感謝されるし、新しいし」
「あなたはなにをしてたの?」
「言いたくない」
 下水道の工事、とは言えなかった。テムズ川の異臭騒ぎで政府が配管の整備をすると発表してからずっと、てんやわんやしていた記憶がある。
「あっそ」
 リサは私から初めて距離を取った。もう窓からの夕日は暗く陰って、ランプに火を灯すような時間帯だった。
 私は手のひらを天井に広げた。そうすると、パッと部屋が明るくなった。いくつもの光を放つ球体が部屋中を飛び回る。
「明日からも学校があるなんて、本当に憂鬱。勉強なんてさっぱりだし」
「教えてあげようか?」
「私の代わりにラテン語の翻訳をやってよ、“友達”でしょ?」
 宿題をあんなに出すやつがいるか? 教師という生き物は、全員狂ってる。私の言葉に、リサは小さく笑った。魔法の光で照らされた彼女の顔は、昼間とは違った妖艶さを演出した。
「魔法でチャッチャと解決できないの?」
「魔法の力が及ばない分野だってあるんだよ」
 そうだな、たとえば、人を生き返らせたり、知らない言語を操ったり、恋愛感情を制御したりとか。
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