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2章 メフィストフェレス

スプーン曲げのゾーイ

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「なーにしてんの?」
 アーティほどではないものの、私も太陽の光は、さして好きではなかった。雨の日よりも、晴れの日に傘を差した。レースのついた黒い傘をくるくる回す。ロンドンの街は、煙突からもくもく溢れる灰色の煙で満ちていた。汚れの目立ちづらい、クラシカルなグレーのドレスですら、この汚染された空気に触れてしまえば次回着ることはなさそうだ。
 声をかけてきた人物を見上げる。この世界では一般的な地味な茶髪で、軽薄そうな笑みを浮かべている。なにこれ、ナンパ? ナンパなら間に合ってますけど……。
「お兄様が言ってたお客さんって、もしかしてあなた?」
 それなら辻褄が合う。おおかた、道がわからなくて私に声をかけてきたんだろう。この世界では珍しい黒髪で、歳を取らないブラッドリー家の子供は有名だし。
「俺一人ってわけじゃない」
 勝手に隣に腰を下ろしてきて、一枚のチラシを押し付けてくる。ぐにゃぐにゃで読みづらい文字だったが、どうやら巡業サーカスのものらしい。興味を引かれる、様々な煽り文句と共に演者の名前が連なっていた。それもただのサーカスじゃない――フリークショー見世物小屋だ。そういえばゲームでもそんなイベントがあったっけ。第二章――私はそんなに好きではなかった。思わずため息が漏れる。
「はぁ……なるほどね、貴族が好きそうな趣味よね」
 他にすることもないのでチラシを眺めた。今夜開かれるパーティの目玉なんだろう。私はパスかな。第二章、そんなに好きじゃないし。アーティさえ見張っていればお兄様は無事だろうし。
「ねぇ、私はメフィスト・ブラッドリー」
「知ってる」
 そっけない答えが返ってきた。チラシから顔を上げて隣に視線を向ける。モードお兄様ほどイケメンではない。近くで見ると、頬のソバカスが目立って感じた。ってあれ、この人セーブの人じゃん?
「……あなたの名前は?」
「ゾーイ・フォーチュネイト」
 もう一度チラシに目を落とした。ゾーイ、ゾーイね。女の子みたいな名前。
「もしかしてこの、“スプーン曲げのゾーイ”?」
 チラシを指さしてみせた。たしかにそう書いてある。どういうわけか、ゾーイは顔をしかめた。さっきまで浮かべていた、ヘラヘラした笑顔はもうどこにもない。怒ってるのかな、傘の柄を握る指に力がこもる。
「そう書いてあるのか」
「なにそれ、自分で渡してきたんじゃない」
 小さくため息をついた。丁寧にチラシを畳んで膝に乗せる。濁った空気を吸い込んで、何度か咳をした。
「俺は……字が読めない」
 ゾーイは長い沈黙の末、小さく呟いた。セーブの人、たしかそんな設定だったっけ。頭の中で、何度も開いたキャラブックのページを思い出す。
 昔の、もうすっかり薄れた記憶を辿った――ゾーイ・フォーチュネイト、メフィストの結婚相手。厳密に言うと、そういうルートもある。孤児で、メフィストに婿入りした、みたいな。
 モードお兄様が殺されて、アーティは殺人罪で刑務所送り。ブラッドリー家はメフィストが継ぐことになる。いや、原作のゲームではそうなっていたはず。つまり攻略対象ではないのだ。だからこいつのことはよく知らない。ぶっちゃけ、話しかけるとセーブができたことしか覚えていない。さっきからチラチラ視線を感じる。もしかしてロリコンなのかな?
「そ、でもスプーンが曲げられるなんてすごいのね」
「え?」
 考えを表情に出さないよう、神経を配る必要があった。スプーン曲げなんて演目、どうせインチキなんでしょうけど、一般人にしては頑張って生きてるんじゃないかしら。
「だってあなた、魔法とか使えないんでしょう?」
 太陽が翳り、たちまちどんよりした雲に覆われる。ポツポツ、小雨も降ってきた。街ゆく人々の足取りが早足になる。私もそろそろおうちに戻らなくっちゃ。立ち上がり、ポケットにサーカスのチラシを入れた。
「俺のこと知らないの?」
「えっと、“スプーン曲げのゾーイ”でしょ?」
 首を傾げて座ったままのゾーイを見下ろす。この人、そんなに有名人なのかな。まぁ、貴族のパーティに呼ばれるようなサーカス一座なら、それなりに知名度はあるんでしょうけど。ゾーイはため息混じりに口を開いた。
「俺のは超能力サイコキネシスだよ」
「は?」
 それで有名人ってこと? 詳しくなくて、それは申し訳ないけれど。雨が強くなり始めて、早く家に帰りたくて歩き出した。ゾーイも立ち上がって、私のあとをついてくる。
「突然変異ってやつ? 近親婚の末路とも、薬害とも言われてるね」
「へぇ、そう」
 聞いてもいないのにペラペラ身の上話を始めた。適当に相槌を打っておく。やっぱり私のこと好きなのかな? 正直な話、私としては全くタイプではないんだけれども。ゾーイが急に眉に皺を寄せて、私に視線を寄越した。
「君たちのようなお貴族様には、見世物小屋から成り上がってきた底辺のゴミムシの気持ちなんてわからないんだろうなぁ」
 いや別にそこまでは言ってないんだけど。でも、たしかにゾーイのその濁った瞳から察するものはあった。かつての私がそうだったように、彼もきっと、生まれながらに不幸な生活をしてきた。
 見世物小屋の生活なんて私には想像がつかない。けれど、周囲と比べて明らかに自分が“可哀想”であることを突きつけられる惨めさならわかる。
 外見が良くて、頭も良くて、金持ちで仲の良い両親を持つ、全てに恵まれた同級生が放つ、無自覚な言葉の残酷さも。
「なに、てかお前、前世? の記憶があるんだ?」
「なんのことかしら?」
 ロンドンの街からそう離れていない、ブラッドリー家の屋敷が見える。ゾーイはもう難しい顔をしていなかった。さっきと同じ、いけ好かないヘラヘラ軽薄そうな笑みを浮かべている。
「別に誤魔化さなくてもいいって!」
「勝手に心を読まないで」
 つい声を荒らげてしまった。それくらい驚いた。超能力ってなに、そういうのもできるわけ? なにその能力、聞いてないんだけど。
 サイテー! 前言撤回、こいつに同情の余地なし! 死刑死刑。
お前らブラッドリー家にもできない芸当だろ」
 ウィンクを投げられたって、全然嬉しくない。そういうのは、イケメンお兄様にしか許されない芸当なんだよ。雨足が本格的に強まる前に、大きく立派な屋敷の門まで辿りつくことができた。
「入らないの?」
 敷居を跨ごうとせず立ち止まる。不思議に思って振り返った。困ったような、そうでもないような、微妙な表情だ。
「招待してくれなきゃ」
「なにそれ、吸血鬼?」
 急におかしなことを言い出したから思わず吹き出してしまった。しかし当のゾーイは大真面目で、気まずそうに視線を逸らした。不機嫌そうにゆっくり息を吐く。
「そういう決まりなんだよ」
「へんなの……? じゃあ、どうぞ?」
 私がそう言うと、ゾーイはまっすぐ前を向いたまま敷地に入った。さっさと建物の中に入りたい。薄い、オシャレが目的の日傘では、充分雨を凌げるとは言いがたかった。ゾーイが後ろから私を追い越して、ニヤッと笑って私を見下ろす。
「ちなみに俺、ロリコンじゃないから」
 は? やっぱこいつ嫌い。
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