魂魄シリーズ

常葉寿

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第二章「待希望砂星(まちのぞむきぼうすなぼし)」

【魂魄・参】『時空を刻む針を見よ』17話「玉手箱」

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 ――後日

 太郎は美和湖びわこに浮かぶ崖浦の孤島で、次郎に別れを告げ竜宮に戻ろうとしていた。傍らには見知らぬウミガメが流され浜に打ち上げられている。どうやら寿命を迎えた老亀らしい。

「では、次郎よ……お別れだ」

「兄者……本当に行くのか」

「あぁ、妻と子供が待っているんだ」

 太郎にそう言われたが、次郎は内心でホッと胸をなでおろす。

 実は昨晩、次郎は黄金の箱を玉手箱とすり替えていた。その箱は父上が遺した二つの宝の一つで、竜宮に帰る太郎が弟に譲ったものだ。

 兄が強力な召喚術を得た理由は玉手箱にこそあると次郎は思っていた。出世よりも家庭を選んだ兄には不必要だと、玉手箱を奪ってしまったのだった。

「じゃあな」

 何も知らない太郎は赤く染まる孤島の浜で釣り竿をふりあげ竜宮の使いを召喚する。しかし、持った箱は次郎によってすり替えられた、ただの黄金の箱。

 彼はそれに気付かぬまま妻子が待つ竜宮を目指した。そして彼が辿り着いたのは乙環が寿命を全うし、この世を去る瞬間の竜宮だった――。

「いま帰った……ぞ?」

 太郎が目にしたのは年老いた乙環がカッと瞳を広げ何か言おうとした姿だった。泣き崩れる大勢の侍女に囲まれた乙姫は、太郎に言葉一つかけることなく、海の星砂となり波に流され消えた。

「そんなっ、そんなァァ、乙環、乙環ァァッッッッッ」

 太郎がかけよるが、手の隙間から星砂がただ流れ落ちていく。彼女が横たわっていた台座にしがみ付き、むせび泣いていると、侍女のうちの一人が太郎に話しかけた。

「太郎さま……どうして玉手箱を用いて乙環さまの元にお戻りにならなかったのですか」

「君は……」

乙環おとわさまに可愛がれていた者で乙婀おとあと申します。乙環さまから指名を受けて十八代目を継承することになりました」

「子供は……彼女の血を引く俺たちの子はどうしたッ」

 太郎は乙婀の胸倉をつかみ食ってかかった。彼女は怒らず怯えず、取り乱した太郎の瞳をジッと見つめ、彼女たちの後ろにいた少女を太郎の前にさしだした。

 太郎はすぐに自分の娘だと分かって彼女を抱きしめた。

「太郎さまが来たらご一緒させるように言われていました。乙環さまはずっと地上に憧れており、御息女を竜宮ではなく地上で育てたいと……」

「この子が……俺たちの」

「乙環さまは最期まで太郎さまをお待ちでした。迎えに来たら掟に背き地上に行くとまで……」

「そんな……そんな……」

「残念ですが……遺言です。どうか彼女を連れてお引き取りを」

 太郎はグッと手に力を込めたが乙環がいない竜宮に用はない。抱きしめた子を連れ竜宮を出て再び浦島に戻ると、そこには玉手箱を今にも開けようとする弟の姿があった。

 太郎は一瞬のうちに理解する。次郎が開けようとする箱こそが真の玉手箱なのだ。自分が持つ箱には効力が無いので、元居た竜宮に戻ることが出来なかったのだと知る。

「えっ、兄貴?」

 次郎は驚きの声を上げる。つい先ほど手を振り別れた兄が幼子を連れ怒りの形相で向かって来たのだ。

 次郎が持つ箱と蓋との間に微かに隙間が出来た瞬間、飛び込んだ太郎は次郎を突き飛ばした。

「次郎ッ、お前はなんてことをッ……うッ」

 箱から現れた白い煙がモクモクと太郎を包み込む。次郎はヒャアッと情けなく煙から逃げた。しばらくして仰向けになった老亀と倒れた太郎が煙の中から現れた。

「お父……さん」

 少女は倒れた太郎に恐る恐る声をかけたが、父親はなんの反応も示さない。すると隣にいたウミガメがゆっくりと口を開けた。

「娘よ……無事か」

「えっ」

 少女と次郎は驚いてウミガメを見た。その老亀は太郎の声で「どうした」と言い不思議そうに彼らを見る。

「何が起こったんだ?」

「お、お前……兄者か」

「なにを言っている……ハッ、なんだこれはッ」

 太郎は自分の両手を見て絶句した。それは自分の知っているものでなく、ゴツゴツとした亀の手だったからだ。一同は倒れた狐の半獣を見て生唾を飲んだ。

「では、コレは……」

「……かつて竜宮に仕えていたウミガメじゃ……己の最期を知り、この孤島で余生を過ごしていたのだが、お主らはどうやら大変な事をしてしまったぞ」

 太郎の身体から抜け出た老亀の魂が昇天しつつ言葉を放つと、次郎は驚愕の声を上げる。

「どういうことですかっ」

「玉手箱は時空を自在に操る装置。中身の煙を浴びれば、魂魄が時空を越えようと身体から離れてしまう。彼とワシが包まれたので、二つの魂が入れ替わってしまったようじゃの」

「なんてこった。じゃあ、俺は一生……ウミガメのままか」

「いや、煙を浴びたこの島でのみ元の姿を取り戻すことができるだろう。魂が入れ替わったとしても、魄が元の肉体に戻ろうとするのじゃ」

「そんなことが……」

こんが中身で容器がはく。魂は心と繋がり、魄もまた肉体と深い関係にあるのじゃ」

「……」

 確かに彼の言う通り、太郎は浜に立てば狐の姿だが海に入るとウミガメに戻ってしまう。

「あなたは……兄者の身体はどうなる」

「ワシは寿命だったからじきに死ぬ。魂をうしなった魄は肉体にも影響を与え、その亡骸は維持できなくなり、いずれ朽ち果てるじゃろう」

「そんな……」

「さて、そろそろ迎えが来たようじゃ……さらばじゃ」

「お、おいッ……待てッ」

 次郎が叫んだが、亀の魂は煙が風に巻かれたようにフッと消えていった。彼は兄のむくろを抱き上げたが、すでに冷たくなっている。次郎は声を震わせて兄に謝罪した。

「兄者……俺はなんてことをっ」

「……」

 太郎は黙り込んで自分の亡骸を見つめた。

 数分……数十分……沈黙が流れたあと、意を決したように太郎は重い口を開く。

 その言葉を聞いた次郎は大きく目を見開き少女の手を引くと、兄の亡骸を肩に抱えて孤島をあとにした。

 一人残った太郎は、釣り竿と玉手箱を交互に見て、夕日に染まる海原に思いを馳せた――。
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