魂魄シリーズ

常葉寿

文字の大きさ
上 下
111 / 185
第二章「待希望砂星(まちのぞむきぼうすなぼし)」

【魂魄・参】『時空を刻む針を見よ』13話「乙環」

しおりを挟む
 ――ツンツン
 
 自分を突っつく感触がして薄ら目を開ける。

 どうやら釣り竿に引かれ、湖の中に落ちてしまったらしい。二度と水には近付きたくないと思えるほど沢山の水を飲んだが……生きている。

 ここはどこだろう。

 周囲を見回すと不思議な形の家があり、海水が満ちているというのに呼吸ができた。

「君は……」

 自分を珊瑚さんごで突いていたのは少女だった。太郎が声をかけると彼女は岩陰にサッと隠れた。

「ここはどこ?」

「……竜宮よ。あなたはだれ?」

「僕は太郎……キミは?」

「乙環……」

 そう呟いた乙環はそろそろと岩間から顔を出す。

 オコゼのような体はクサフグのように丸く肥えて、フジツボの張り付いたボツボツの肌、それにオニカサゴのような顔を濡れた海藻のような髪で、恥ずかしそうに隠していた。

「竜宮……そうか、昔話にある海底国は湖に存在したのか。だから、今まで誰も発見できなかったんだな」

「君は私が怖くないの?」

 前髪から覗くウツボのような瞳は恐怖を宿していた。太郎は容姿など全く気にならないと、不思議そうに辺りを見回す。

「空気が吸える……どういう仕組みになっているんだろう。ねぇキミッ」

 ビクッと驚いて乙環が石化する。彼女は男に慣れていないようだ。

「ちょっと散歩してきていいかな。探索したいんだ」

「一人じゃ危ないよ」

「じゃあ、君も付いてきてよ」

「えっ」

 乙環はビックリして言葉を失った。少年は自分の醜い姿を見て恐れないだけでなく……岩肌のようなザラザラとした手も握ってきた。戸惑う彼女を無視して、太郎は手を引き竜宮を見てまわる。

 そこには地上と変わらない店があり、その内の一つに興味を示した太郎が指さして尋ねた。

「乙環、あれは何?」

「図書館よ。入ってみる?」

「うんっ」

 彼女は嬉しそうに瞳を輝かす太郎の手を引き、図書館の中を案内した。

 そこには地上と海中、世界中のありとあらゆる歴史が記録された書物が、壁一面に並べられていた。太郎は興味深い背表紙を見つけると手に取り……思わず叫んだ。

「凄いッ……召喚に関する本じゃないか。灼熱魔人や氷上女神、それに雷老人まで詳細に書いてあるッ」

「勉強好きなのね」

「うんっ。特に召喚……陰陽術に関する研究はね」

「ふふ」

「それにしてもここはスゴいな。あぁ……こんな沢山の本に囲まれて生活したいよ」

「地上には本がないの?」

「あるけど……ここはケタ違いだ。いいなぁ」

「私は……地上が羨ましい」

「どうして?」

「ここにはない……四季があるもの。秋は涼しくて紅葉もみじが綺麗なのでしょう」

「うんうん。秋の温泉はホントに気持ちが良いよ」

「春も良いわよね。いつか桜の花びらが舞い散る姿をじかに見てみたいな」

「そうそう!春は花見だね。お弁当もってさ」

「それに……」

「?」

「……自由がある」

「ここにはないの?」

「うん。来る日も来る日も修行修行……私、才能ないから」

「何の才能?」

 乙環はしばらくうつむいて沈黙したが、太郎であれば信用できると思い、意を決して口を開いた。

「私……実は……」

 彼女は竜宮を統治する乙姫を十七代目として継承しているが、修行の一環で上陸した際に未熟な術で醜い姿になってしまい、竜宮に戻ったいまも元通りに戻れないことを嘆いた。

「この姿、嫌なの?」

「だって醜いじゃない。太郎は気味悪くないの?」

「どうしてッ? 誰に言われたんだ。醜いのは……そう言うヤツの心の方だよ」

「えっ……」

「乙環は優しくて綺麗な心をしている。溺れた僕を助けてくれたじゃない」

「……うん」

 乙環は顔を赤く染めて俯いた。彼女はこの醜い姿をずっと恥じていた。他人の視線も嫌だが、美しい顔を失った自分自身に腹が立っていた。なにより……イライラする自分が大嫌いだった。

 けれど、太郎の屈託ない笑顔を見て、塞ぎ込んだ自分が馬鹿らしく思えた。明るく生きてもいいのだと、彼女は再び自信を取り戻す。

「太郎……ここが気に入ったなら一緒に住む?」

「えっ、いいの?」

「太郎がよければ……地上に帰りを待つ人はいないの?」

「母と弟がいるけど……弟に陰陽所は任せようかな。総長になりたいって言ってたし」

「そうなんだ……あの、えっと……こ、恋人は?」

「いないよ、乙環は?」

「わ、私も……」

 その瞬間、図書館の中に夕日が差し込んだ。

 深い湖の底だが、晴れた日に気候の条件が重なると水が澄み渡り、ごくまれに地上の光が届く。

 通常は青い水の街がたちまち夕日で赤く染まる。すると術が解けたのか、乙環は一瞬だけ以前の美しい顔に戻った。

「音環……すごく可愛い」

「えっ……」

 驚いて持っていた本を落としてしまう。夕日はしばらく本棚を赤く染めあげて、二人の時間を閉じ込めると、静かに西へと沈み、竜宮は元通りの穏やかな青い世界に戻っていった――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

紀伊国屋文左衛門の白い玉

家紋武範
歴史・時代
 紀州に文吉という少年がいた。彼は拾われっ子で、農家の下男だった。死ぬまで農家のどれいとなる運命の子だ。  そんな文吉は近所にすむ、同じく下女の“みつ”に恋をした。二人は将来を誓い合い、金を得て農地を買って共に暮らすことを約束した。それを糧に生きたのだ。  しかし“みつ”は人買いに買われていった。将来は遊女になるのであろう。文吉はそれを悔しがって見つめることしか出来ない。  金さえあれば──。それが文吉を突き動かす。  下男を辞め、醤油問屋に奉公に出て使いに出される。その帰り、稲荷神社のお社で休憩していると不思議な白い玉に“出会った”。  超貧乏奴隷が日本一の大金持ちになる成り上がりストーリー!!

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜下着編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショートつめ合わせ♡

処理中です...