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第二章「待希望砂星(まちのぞむきぼうすなぼし)」
【魂魄・参】『時空を刻む針を見よ』13話「乙環」
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――ツンツン
自分を突っつく感触がして薄ら目を開ける。
どうやら釣り竿に引かれ、湖の中に落ちてしまったらしい。二度と水には近付きたくないと思えるほど沢山の水を飲んだが……生きている。
ここはどこだろう。
周囲を見回すと不思議な形の家があり、海水が満ちているというのに呼吸ができた。
「君は……」
自分を珊瑚で突いていたのは少女だった。太郎が声をかけると彼女は岩陰にサッと隠れた。
「ここはどこ?」
「……竜宮よ。あなたはだれ?」
「僕は太郎……キミは?」
「乙環……」
そう呟いた乙環はそろそろと岩間から顔を出す。
オコゼのような体はクサフグのように丸く肥えて、フジツボの張り付いたボツボツの肌、それにオニカサゴのような顔を濡れた海藻のような髪で、恥ずかしそうに隠していた。
「竜宮……そうか、昔話にある海底国は湖に存在したのか。だから、今まで誰も発見できなかったんだな」
「君は私が怖くないの?」
前髪から覗くウツボのような瞳は恐怖を宿していた。太郎は容姿など全く気にならないと、不思議そうに辺りを見回す。
「空気が吸える……どういう仕組みになっているんだろう。ねぇキミッ」
ビクッと驚いて乙環が石化する。彼女は男に慣れていないようだ。
「ちょっと散歩してきていいかな。探索したいんだ」
「一人じゃ危ないよ」
「じゃあ、君も付いてきてよ」
「えっ」
乙環はビックリして言葉を失った。少年は自分の醜い姿を見て恐れないだけでなく……岩肌のようなザラザラとした手も握ってきた。戸惑う彼女を無視して、太郎は手を引き竜宮を見てまわる。
そこには地上と変わらない店があり、その内の一つに興味を示した太郎が指さして尋ねた。
「乙環、あれは何?」
「図書館よ。入ってみる?」
「うんっ」
彼女は嬉しそうに瞳を輝かす太郎の手を引き、図書館の中を案内した。
そこには地上と海中、世界中のありとあらゆる歴史が記録された書物が、壁一面に並べられていた。太郎は興味深い背表紙を見つけると手に取り……思わず叫んだ。
「凄いッ……召喚に関する本じゃないか。灼熱魔人や氷上女神、それに雷老人まで詳細に書いてあるッ」
「勉強好きなのね」
「うんっ。特に召喚……陰陽術に関する研究はね」
「ふふ」
「それにしてもここはスゴいな。あぁ……こんな沢山の本に囲まれて生活したいよ」
「地上には本がないの?」
「あるけど……ここはケタ違いだ。いいなぁ」
「私は……地上が羨ましい」
「どうして?」
「ここにはない……四季があるもの。秋は涼しくて紅葉が綺麗なのでしょう」
「うんうん。秋の温泉はホントに気持ちが良いよ」
「春も良いわよね。いつか桜の花びらが舞い散る姿をじかに見てみたいな」
「そうそう!春は花見だね。お弁当もってさ」
「それに……」
「?」
「……自由がある」
「ここにはないの?」
「うん。来る日も来る日も修行修行……私、才能ないから」
「何の才能?」
乙環はしばらく俯いて沈黙したが、太郎であれば信用できると思い、意を決して口を開いた。
「私……実は……」
彼女は竜宮を統治する乙姫を十七代目として継承しているが、修行の一環で上陸した際に未熟な術で醜い姿になってしまい、竜宮に戻ったいまも元通りに戻れないことを嘆いた。
「この姿、嫌なの?」
「だって醜いじゃない。太郎は気味悪くないの?」
「どうしてッ? 誰に言われたんだ。醜いのは……そう言うヤツの心の方だよ」
「えっ……」
「乙環は優しくて綺麗な心をしている。溺れた僕を助けてくれたじゃない」
「……うん」
乙環は顔を赤く染めて俯いた。彼女はこの醜い姿をずっと恥じていた。他人の視線も嫌だが、美しい顔を失った自分自身に腹が立っていた。なにより……イライラする自分が大嫌いだった。
けれど、太郎の屈託ない笑顔を見て、塞ぎ込んだ自分が馬鹿らしく思えた。明るく生きてもいいのだと、彼女は再び自信を取り戻す。
「太郎……ここが気に入ったなら一緒に住む?」
「えっ、いいの?」
「太郎がよければ……地上に帰りを待つ人はいないの?」
「母と弟がいるけど……弟に陰陽所は任せようかな。総長になりたいって言ってたし」
「そうなんだ……あの、えっと……こ、恋人は?」
「いないよ、乙環は?」
「わ、私も……」
その瞬間、図書館の中に夕日が差し込んだ。
深い湖の底だが、晴れた日に気候の条件が重なると水が澄み渡り、ごく稀に地上の光が届く。
通常は青い水の街がたちまち夕日で赤く染まる。すると術が解けたのか、乙環は一瞬だけ以前の美しい顔に戻った。
「音環……すごく可愛い」
「えっ……」
驚いて持っていた本を落としてしまう。夕日はしばらく本棚を赤く染めあげて、二人の時間を閉じ込めると、静かに西へと沈み、竜宮は元通りの穏やかな青い世界に戻っていった――。
自分を突っつく感触がして薄ら目を開ける。
どうやら釣り竿に引かれ、湖の中に落ちてしまったらしい。二度と水には近付きたくないと思えるほど沢山の水を飲んだが……生きている。
ここはどこだろう。
周囲を見回すと不思議な形の家があり、海水が満ちているというのに呼吸ができた。
「君は……」
自分を珊瑚で突いていたのは少女だった。太郎が声をかけると彼女は岩陰にサッと隠れた。
「ここはどこ?」
「……竜宮よ。あなたはだれ?」
「僕は太郎……キミは?」
「乙環……」
そう呟いた乙環はそろそろと岩間から顔を出す。
オコゼのような体はクサフグのように丸く肥えて、フジツボの張り付いたボツボツの肌、それにオニカサゴのような顔を濡れた海藻のような髪で、恥ずかしそうに隠していた。
「竜宮……そうか、昔話にある海底国は湖に存在したのか。だから、今まで誰も発見できなかったんだな」
「君は私が怖くないの?」
前髪から覗くウツボのような瞳は恐怖を宿していた。太郎は容姿など全く気にならないと、不思議そうに辺りを見回す。
「空気が吸える……どういう仕組みになっているんだろう。ねぇキミッ」
ビクッと驚いて乙環が石化する。彼女は男に慣れていないようだ。
「ちょっと散歩してきていいかな。探索したいんだ」
「一人じゃ危ないよ」
「じゃあ、君も付いてきてよ」
「えっ」
乙環はビックリして言葉を失った。少年は自分の醜い姿を見て恐れないだけでなく……岩肌のようなザラザラとした手も握ってきた。戸惑う彼女を無視して、太郎は手を引き竜宮を見てまわる。
そこには地上と変わらない店があり、その内の一つに興味を示した太郎が指さして尋ねた。
「乙環、あれは何?」
「図書館よ。入ってみる?」
「うんっ」
彼女は嬉しそうに瞳を輝かす太郎の手を引き、図書館の中を案内した。
そこには地上と海中、世界中のありとあらゆる歴史が記録された書物が、壁一面に並べられていた。太郎は興味深い背表紙を見つけると手に取り……思わず叫んだ。
「凄いッ……召喚に関する本じゃないか。灼熱魔人や氷上女神、それに雷老人まで詳細に書いてあるッ」
「勉強好きなのね」
「うんっ。特に召喚……陰陽術に関する研究はね」
「ふふ」
「それにしてもここはスゴいな。あぁ……こんな沢山の本に囲まれて生活したいよ」
「地上には本がないの?」
「あるけど……ここはケタ違いだ。いいなぁ」
「私は……地上が羨ましい」
「どうして?」
「ここにはない……四季があるもの。秋は涼しくて紅葉が綺麗なのでしょう」
「うんうん。秋の温泉はホントに気持ちが良いよ」
「春も良いわよね。いつか桜の花びらが舞い散る姿をじかに見てみたいな」
「そうそう!春は花見だね。お弁当もってさ」
「それに……」
「?」
「……自由がある」
「ここにはないの?」
「うん。来る日も来る日も修行修行……私、才能ないから」
「何の才能?」
乙環はしばらく俯いて沈黙したが、太郎であれば信用できると思い、意を決して口を開いた。
「私……実は……」
彼女は竜宮を統治する乙姫を十七代目として継承しているが、修行の一環で上陸した際に未熟な術で醜い姿になってしまい、竜宮に戻ったいまも元通りに戻れないことを嘆いた。
「この姿、嫌なの?」
「だって醜いじゃない。太郎は気味悪くないの?」
「どうしてッ? 誰に言われたんだ。醜いのは……そう言うヤツの心の方だよ」
「えっ……」
「乙環は優しくて綺麗な心をしている。溺れた僕を助けてくれたじゃない」
「……うん」
乙環は顔を赤く染めて俯いた。彼女はこの醜い姿をずっと恥じていた。他人の視線も嫌だが、美しい顔を失った自分自身に腹が立っていた。なにより……イライラする自分が大嫌いだった。
けれど、太郎の屈託ない笑顔を見て、塞ぎ込んだ自分が馬鹿らしく思えた。明るく生きてもいいのだと、彼女は再び自信を取り戻す。
「太郎……ここが気に入ったなら一緒に住む?」
「えっ、いいの?」
「太郎がよければ……地上に帰りを待つ人はいないの?」
「母と弟がいるけど……弟に陰陽所は任せようかな。総長になりたいって言ってたし」
「そうなんだ……あの、えっと……こ、恋人は?」
「いないよ、乙環は?」
「わ、私も……」
その瞬間、図書館の中に夕日が差し込んだ。
深い湖の底だが、晴れた日に気候の条件が重なると水が澄み渡り、ごく稀に地上の光が届く。
通常は青い水の街がたちまち夕日で赤く染まる。すると術が解けたのか、乙環は一瞬だけ以前の美しい顔に戻った。
「音環……すごく可愛い」
「えっ……」
驚いて持っていた本を落としてしまう。夕日はしばらく本棚を赤く染めあげて、二人の時間を閉じ込めると、静かに西へと沈み、竜宮は元通りの穏やかな青い世界に戻っていった――。
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