魂魄シリーズ

常葉寿

文字の大きさ
上 下
74 / 185
第三章「誰心空蝉聲(たがこころうつせみのなきごえ)」

【魂魄・弐】『胡蝶は南柯の夢を見る』22話「交渉術」

しおりを挟む
 ――夜の宴席

 〽派手な遊興あそびは 美蝉びぜん過ぎたる脂屋あぶらやへ 東方南方北方西方 来るはお客の酒に浮き立ち

 〽弾くや弾く三味 浮かれ色めく 遊び芸者に 如何いっかすいめも うつつかして

有頂天うちょうてんつくつづみ太鼓たいこ よいよいよいやさの よいよいよやさの

〽わいわいの わいのさ

「ゲヘヘヘ、あの鳩州に伝わる名刀……青江下坂がここにあるとはナ」

「……はい。こちらは青江家の使い。刀とご令嬢を交換したい……と。なぁ滄溟」

「そうです。族に襲われ、脂屋に捕らわれたお嬢様をお連れしなければ、鳩州に戻れません」

 宴席には、肉婆、長庵、権八、それに青江家の使いとして滄溟が列席した。滄溟が君主である事は悟られてはいけない。

 足元を見られてさらに高額を要求される可能性があるからだ。襖を隔てた隣の間には、婀國、ヨイチ、サロクが、貢と共にコッソリと聞き耳を立てていた。

「しかしねぇ、あの娘は育ちの良さが滲みでている。これからたんまり稼ぐ金の卵だと思って期待してるんだヨ。すんなり渡すのもねぇ……あの魔法の粉を三袋付けてくれたら……」

 肉婆は滄溟と長庵を交互に見てニタァと笑った。名刀と遊女一人、この交換は肉婆にとって著しく有利だが、肉婆は強欲だ。滄溟は顔色を変えることなく老婆に言い放った。

「ご冗談を。鳩州の娘がもう一人捕らわれています。彼女……クミもお引き渡し下さい」

「なんだってッ」

「悪い条件ではないでしょう。鳩州きっての名刀青江下坂は、この期を逃せば二度と手に入りますまい」

「ふ、ふん……確かにねぇ。あんな小便臭いガキは高く売れやしない……が、遊女二人と交換か。それにはせめて粉をもう一袋」

「……」

「ん?」

「フッ」

「……なに笑ってんだい」

「アハハハ。いや、面白い。鳩州も甘く見られたものです」

「なんだってッ?」

「いいですか。田舎の遣手婆やりてばばに理解できるかわかりませんが、いまや鳩州は生まれ変わった。日ノ本唯一、諸外国と通商を許され、多くの物品が流れ込み、その豊かさは日ノ本一といっても過言ではない。鳩州の黒船とは別に三豪族がそれぞれ、軍艦を持ち控えているのですよ。この美蝉びぜんなど一瞬の内に灰にできます」

 半分本音で半分は……ハッタリだった。黒船を持つのは君主だけで三豪族の船はただの小型商船。しかし、肉婆は額に汗を浮かべて滄溟を睨む。

「そんな……アタシを脅す気かい」

「いえいえ、交渉ですよ。その豪族の内一つ、青江家が宝刀を失ったとしても姫を取り返したいと申しているのです。ここは恩を売っておくのが得策だと思いませんか」

「グヌヌッ、確かにね……よし、わかった。使いの者を脂屋へ寄こそう」

「いや」

「……うん?」

「どうも、田舎者には言葉が通じないようだ」

「あん?」

「……だ。野分とクミ、それに……そうだな。権八には色々世話になった。小紫とその禿かむろをしている紺を寄こして頂きましょうか」

「よ、四人だってッッ、アンタいったい、なにさまのつもりだいッ」

 肉婆は書いて字の如く怒髪天どはつてんを突き怒り狂った。

 当たり前だ。いくら鳩州豪族所縁ゆかりの者とは言え、肉婆も美蝉にこの女傑じょけつありと言われる人買いだ。

 一代で狂輪くるわを築き、実質的にこの地を支配している。海賊や山賊まで彼女には頭が上がらないのだ。

 それをまだようやく元服過ぎの少年にいいように言いくるめられている。彼女が激昂げっこうするのも当然だった。

「やるなぁ、滄溟」

「あぁ……悔しいがアイツは俺たちとは違う。一枚も二枚も上手だ」

「静かにッ、あの子やるつもりだよ。交渉の最終段階さ」

 隣の部屋で聞き耳を立てていたサロクとヨイチが、興奮して思わず声を荒げるが、少しだけ開いたふすまの隙間から覗いていた婀國が、愈々いよいよ大詰めとなった気配を感じ、口に人差し指を当て二人を制止した。

「こちらには折紙おりがみがある。死國の刀匠光阿弥こうあみが研ぎ直した、正真正銘の名刀だという証明書だ。四人が無事に手に入れば、その隠し場所を教えよう」

「ぐぬぬっ……光阿弥だとっ、だとしたら遊女十人でも価値があるじゃないかッ」

「これが鳩州の誠意です。条件を飲めば青江公は貴殿に感謝し貿易品を流して便宜べんぎを図ってくれるでしょう。今後とも良い付き合いをしたいものですね」

「……」

「どうしますか」

「わかった。女将おかみに伝えよ……脂屋に急ぎ四人を連れてくるんだ」

快諾かいだくして頂いて光栄です」

 汗が吹き出し興奮のあまりゼイゼイと肩で息をする肉婆に対し、そよ風が吹いたような涼しい顔の滄溟。

 ホッと胸を撫で下ろした権八は「よし、祝い酒だ」と肉婆と滄溟の盃になみなみと酒を注いだ。

「頼みがある……」

「ええ。なんなりと」

「ようやく念願の名刀が手に入ったのだ。この宴席に私の仲間も呼び共に祝いたい」

「結構ですよ」

「……そうかい」

「?」

 肉婆は滄溟の返答を見るとグフフッと不気味に微笑みながら手を打った。

「あの者をここへ」

「……肉婆、刀は手に入ったか?」

「アイツはっ」

 茶屋の宴席、そこに入ってきた男に驚いて思わず婀國達は叫んだ。その男は海賊の親分のような衣服に金の宝飾を身につけ、浅黒い皮膚の腕や脚には無数の入れ墨が彫ってあり、筋肉は隆々と盛り上がっていた。

「岩次ッ……」

「まずい……アイツは私の顔を知っている。傾姫かぶき踊りは踊れない」

「それじゃあ、青江下坂が交換できないっ……」

「くそッ」

 三人は偽物の刀を握りしめながら悔しそうに襖の隙間から岩次を見つめたが、驚きはそれだけではなかった。

 中にいた医者はおもむろに立ち上がると、それまで座っていた滄溟側の位置から歩き出し、反対側の肉婆の隣にどっかりと座ったのだ。

 今までは角度の加減で見えなかったが、顔がハッキリわかった途端、婀國は思わず声を上げ飛び出した。

「骨爺ッ」

「……気付かなかったのか。骨は肉をまとい、女の稼いだ脂をたっぷり蓄え肥え太る」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

紀伊国屋文左衛門の白い玉

家紋武範
歴史・時代
 紀州に文吉という少年がいた。彼は拾われっ子で、農家の下男だった。死ぬまで農家のどれいとなる運命の子だ。  そんな文吉は近所にすむ、同じく下女の“みつ”に恋をした。二人は将来を誓い合い、金を得て農地を買って共に暮らすことを約束した。それを糧に生きたのだ。  しかし“みつ”は人買いに買われていった。将来は遊女になるのであろう。文吉はそれを悔しがって見つめることしか出来ない。  金さえあれば──。それが文吉を突き動かす。  下男を辞め、醤油問屋に奉公に出て使いに出される。その帰り、稲荷神社のお社で休憩していると不思議な白い玉に“出会った”。  超貧乏奴隷が日本一の大金持ちになる成り上がりストーリー!!

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

堤の高さ

戸沢一平
歴史・時代
 葉山藩目付役高橋惣兵衛は妻を亡くしてやもめ暮らしをしている。晩酌が生き甲斐の「のんべえ」だが、そこにヨネという若い新しい下女が来た。  ヨネは言葉が不自由で人見知りも激しい、いわゆる変わった女であるが、物の寸法を即座に正確に言い当てる才能を持っていた。  折しも、藩では大規模な堤の建設を行なっていたが、その検査を担当していた藩士が死亡する事故が起こった。  医者による検死の結果、その藩士は殺された可能性が出て来た。  惣兵衛は目付役として真相を解明して行くが、次第に、この堤建設工事に関わる大規模な不正の疑惑が浮上して来る。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

処理中です...