魂魄シリーズ

常葉寿

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第三章「誰心空蝉聲(たがこころうつせみのなきごえ)」

【魂魄・弐】『胡蝶は南柯の夢を見る』18話「脂屋」

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――美蝉びぜん

 死國しこくから本州に入るとすぐに見える宿場町しゅくばまち

 東西には大街道が伸び、東は狂都きょうと、西は鳩州きゅうしゅうへと多くの人々や物品が行き交い栄えている。

 そして街中央に位置する狂輪くるわは、売られた女子供、それを目当てにやって来る男たち、彼らの金を狙う多くのゴロツキどもで溢れていた。

 穢土えど吉原よしわら狂都きょうと嶋原しまばらさかい芳町よしちょうが朝廷により公許された三大狂輪。

 男にとって天国でも女にとっては生き地獄とも言われている。

 死ぬまで男の相手をさせられ逃げ出すのは不可能。死んで運び出される際か、身請みうけけされた際にだけ出られるという。

 身請けとは金持ちが大金を店に払い、任意の遊女を自分の所有物とすることだ。

 死ぬ以外に逃げる唯一の手段なので、彼女達は身請けされるためにたましいを殺して人形のように働く。

 そして身請けしてくれそうな太客ふときゃくを奪い合い、見習いの禿かむろから固定客を造ることを許された新造しんぞう、多くの客を持ちその美貌ゆえに一国が亡ぶとまで形容される傾城けいせいと精進を重ねて格を上げる。

 狂輪で働く遊女は一般的に、この三つの段階を経て身請けされ狂輪から出ることを目指すが、まれに見る特異な女にだけ第三の道が与えられる。

 それは太夫職たゆうしょくを得るという道だ。

 太夫はただの遊女ではなく、経営権を持ち自らの狂輪を好きな場所に建設できる。実質的に狂輪の内外を行き来し、商人と同じように公然と自らの店を経営することができる。つまり自由の身である。

 しかし、この美蝉びぜんにある脂屋あぶらやは公許された狂輪でない。経営するのも太夫職ではなくただのゴロツキ、非合法に遊び場を経営している「肉婆にくばあ」という貪欲どんよくな老女だった――。

「婆さん、この嬢ちゃんは高く売れるぜ。鳩州きゅうしゅう産だ」

「いくらだい」

「これくらいでどうだい?」

「岩次の旦那にしては吹っかけたね。いいよ、今クソ儲かってんだ」

 岩次いわじと呼ばれた海賊から、肉婆は怯える少女をひったくって銅銭を数枚渡すと、互いにニンマリと笑った。肉婆は岩次に「遊んでかないかい?」と言い彼の肩に手を回す。

 飢えた海賊は唇を舐め「おススメの嬢でもいるのかい」と尋ねた。

「あぁ……とびきりの上玉。傾城けいせいになったばかりの小紫こむらさき……脂屋自慢の稼ぎ頭さ」

「うへへ。たまんねぇなぁ、おい」

 岩次は肉婆の後ろでうやうやしくかしずく小紫という女を見て、次々に溢れ出るよだれを拭った――。

 ――美蝉入口

「へぇ、ここが美蝉か。すごく賑わってるわ。ねぇ見て、滄溟」

「……そうだね」

 馬車停で狂都行きの長距離馬車を待つ二人。野分は滄溟を元気付けるために明るく声をかけるが、彼は肩を落としてうつむいたままだ。

「せみ……」

「うん?」

「……」

 滄溟はぼんやりと地面に目を落としている。そこには一匹の蝉の死骸に無数の蟻がたかっていた。

 夏の終りか、あたりには弱々しい蝉の鳴き声とともに、まだ見ぬ秋が残暑の影に身を潜めている。

 入鹿から朝廷転覆は妨げたが、皆神みなかみ三輪みわを殺めてしまった。慚愧ざんきに堪えない彼は目に見えるほど意気消沈していた。

「滄溟は……悪くない」

「……うん」

「ほらっ、たくさん屋台があるよ」

「……」

「いいかげんに元気だせっ。何か美味しいもの買ってくるから待ってて」

 野分は滄溟の肩を優しく小突いて夜の繁華街に消えていった。確かに辺りには美味しそうな匂いが漂っている。

 豚肉は甘辛いタレで香ばしく焼かれ、海鮮が煮込まれた汁の香りがなんとも刺激的で鼻腔びくうくすぐる。

「キャーッ」

「……ッ」

 得体の知れない嫌な予感がした。滄溟は立ち上がり声の主を必死で探した。

 群がる人々をかき分けると、赤い傀儡人形が転がっている。滄溟は顔を青ざめて叫んだ。

「野分ッ!」

「あのさらわれた娘の連れかい? ここではよく人攫ひとさらいがあるんだ」

「人攫いッ? 人を攫ってどうするって言うんですっ」

「若い娘が攫われてく場所は一つしかない……脂屋だよ」

「脂屋ッ……どこにあるんですかっ」

「ホラ、あそこに見える塀に囲まれた場所、あの狂輪にある一番大きな建物が脂屋だよ」

「ありがとうございますッ」

「あ、待って……あそこは」

 滄溟は彼の声を最後まで待たずに駆け出した。自分のせいだ。皆神と三輪のことで頭が混乱して、野分に及ぶ危険まで想定していなかった。見知らぬ物騒な繁華街で、彼女を一人きりにした自分を責める。

「ハァハァ……中に、中に入れてください」

「あん? お前みたいなガキにはまだ早いぞ」

「野分が……僕の大切な女性ひとが中にいるかも知れないんです」

「ダメだダメだ。俺達だってたまにしか行けないのに。ガキのクセに生意気だぞ」

「違うんだっ、聞いてくれ」

「……おっと相棒、一人で先に行くとは水臭いヤツだぜ」

「?」

 滄溟が二人の門番に門前払いを食らっていたところ、突然見知らぬ男が肩に腕を回してきた。その男は顔や体中に無数の傷があり、堅気かたぎでないことが一目でわかった。

「アンタの連れかい?」

「そうだよ、女の弟なんだ。俺がついてるから入っていいだろ」

「ンまぁそれなら。でも刀は置いていって下さいよ」

「わーてる、あいよ」

「お前もだ」

「う、うん」

 傷だらけの男はニンマリと笑って門番に刀を預けると、戸惑う滄溟を連れて狂輪の中に入って行く。

 滄溟は青江下坂を預けることに抵抗感があったが、今は野分が心配なので素直に預けることにした。

「ありがとうございます。お陰で中に入れました」

「俺も助かったぜ。お前のお陰で連中はコイツに気付いてねぇ」

「なんですか、それ?」

「魔法の粉よ、コイツを届けるのが俺の仕事なんだ」

「魔法の……粉?」

「おっと仕事に遅れちまうぜ。あばよ」

「あ、ちょっと待ッ……」

 滄溟が制止するのを待たずに男は行ってしまった。

 皆神から聞いた白い粉と関係あるのだろうか。彼から情報を得たいが野分が先だ。滄溟は男を追うのを諦め、狂輪で最も派手な装飾と、品性のかけらもない外観の建物を目指した。

「脂屋……あそこか」

 建物に着くと柵の奥に色鮮やかな着物の女性がいて、多くの男達が格子越しに舐めるように物色していた。

 滄溟はその光景に嫌な予感がしたが、探してみても彼女の姿はない。入り口に向かうも、先ほどと同じように門番に追い返される。門番の肩越しに「脂」と書かれた大きなかめ太太ふてぶてしく鎮座しているのが見えた。

「くそッ、どうしたら」

「滄溟ッ、滄溟じゃないか……なんでここにいるんだ」

「えっ……」
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