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第11話
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人々は主役であるジークが通りすぎてからも大いに飲み、食べて、歌った。ちょうど秋の収穫が終わったばかりだった。商人たちの蔵には食べ物が山のように積まれていた。露店では秋の味覚がどんどん焼かれ、香ばしい匂いが立ち上る。人々はその匂いにつられて足を止める。
キルクトーヤたちは人々の渦に飲まれながら通りを歩いた。
広場では式典が執り行われているそうだが、そちらは人が多すぎて垣間見ることさえできなかった。
彼らはお昼ご飯としてタレのかかった串焼きを食べた。串焼きの露店は立ち食いを基本としており、キルクトーヤたちは客たちと肩を並べて食べた。キルクトーヤにとってそれははじめての経験であった。うまく串から肉を外せずに苦戦しているキルクトーヤを見て、ネルケも他の客たちも腹を抱えて笑った。
それから文房具屋に立ち寄り、インクと紙を買い足した。ネルケは叙爵式を記念するカードを買っていた。
あとはネルケに腕を引かれるまま、いろいろな雑貨が並ぶ露店をひやかして回った。
しばらく歩き回り、休憩を兼ねてカフェに入った。二人は大通りに面したテラス席に座った。カフェの中ではいたるところから英雄ジークについての会話が聞こえた。
キルクトーヤはフードをまた被り直した。キルクトーヤの名前は飽き飽きするほど新聞に載ってしまっている。カフェの客たちの会話からも「恋人のキルクトーヤ」という言葉が聞こえた気がした。ちらちらとこちらを見ている人もいるような気さえした。無論、カフェの客たちはキルクトーヤの外見を知るよしもない。新聞記者は権威ある魔術師学校の敷地内に引きこもっているキルクトーヤに会うことは叶わなかった。しかし彼らは推測でキルクトーヤの外見の似顔絵を描き、それを新聞に載せた。それは似ているとも似ていないとも言えない、なんとも平凡で特徴のない似顔絵だった。
キルクトーヤは顔を顰め、ネルケは向かいの席でちょっとだけ苦笑していた。
店員が注文を取りに来る。
「ご注文は?」
ネルケが答える。
「紅茶をポットで」
「承りました」
すぐにティーポットと二つのカップが運ばれてくる。テーブルの隅に置いてある砂時計をひっくり返して時間を計る。
さらさらと流れ落ちていく砂を見つめながら、ネルケが尋ねた。
「ジーク様はシュヴェルト子爵になったんだね。おめでとうって手紙を出すの?」
「うーん、まあ、出すとは思うけど……」
実のところ、ジークからの手紙の中で叙爵式のことは触れられていなかった。しかし、これだけ大きなお祝い事であるならキルクトーヤから触れてもいいだろう。
キルクトーヤは言った。
「でも、変なんだよね」
「変って?」
「ジーク様は僕に命を救われたとか、八歳の頃に会ったとか言うけど、僕はまったく身に覚えがないんだよ」
「うーん。子どもの記憶力なんてたいしたことないし、案外ほんとうに忘れてるのかもよ?」
ネルケは楽観的にそう答えたが、キルクトーヤは渋い顔をする。
「……まあ、そうなのかもしれないけど……。でも、命を救うって、結構な出来事じゃないかな? そんな大きな出来事の記憶がないなんてこと、ありえると思う?」
「ありえるんじゃない?」
すべての砂が落ちた。ネルケは話を切って、ティーポットを取った。
ふたつのカップに、紅茶が注がれる。キルクトーヤは礼を言うと、黙ってそのカップに口をつけた。キルクトーヤの胸中の靄は晴れないままだ。
それから二人はくだらない話をして盛り上がった。授業の話、老師の話、魔術の話。若い二人の話題は尽きない。
二杯目の紅茶を飲んでいるとき、ネルケがお手洗いに立った。
「ちょっと行ってくるね」
「うん」
ひとりになって、キルクトーヤはぼんやりと大通りを眺めた。人々は足取り軽く店から店へと渡り歩いていく。
王都エクメーネは明るい雰囲気に包まれている。その雰囲気にすっかりのまれて、キルクトーヤは自身の立場を失念していた。
突然、肩を叩かれた。振り返ると同時に、キルクトーヤの全身は硬直した。
そこには男が立っていた。その顔の半分は仮面で隠されている。しかし、首に広がる火傷の跡が、仮面の下がどうなっているのかを物語っていた。
男は芝居がかった調子で言う。
「星を西のかなたに見送って幾夜過ぎたか……」
キルクトーヤは息を呑む。あの夢の通りだ。逃げろ逃げろと足を叱咤するが、縫い留められたように一歩も動かない。
男は口角を上げた。
「見つけたぞ、キルクトーヤ」
毎夜悪夢で見た獣のような目が、そこにあった。
キルクトーヤたちは人々の渦に飲まれながら通りを歩いた。
広場では式典が執り行われているそうだが、そちらは人が多すぎて垣間見ることさえできなかった。
彼らはお昼ご飯としてタレのかかった串焼きを食べた。串焼きの露店は立ち食いを基本としており、キルクトーヤたちは客たちと肩を並べて食べた。キルクトーヤにとってそれははじめての経験であった。うまく串から肉を外せずに苦戦しているキルクトーヤを見て、ネルケも他の客たちも腹を抱えて笑った。
それから文房具屋に立ち寄り、インクと紙を買い足した。ネルケは叙爵式を記念するカードを買っていた。
あとはネルケに腕を引かれるまま、いろいろな雑貨が並ぶ露店をひやかして回った。
しばらく歩き回り、休憩を兼ねてカフェに入った。二人は大通りに面したテラス席に座った。カフェの中ではいたるところから英雄ジークについての会話が聞こえた。
キルクトーヤはフードをまた被り直した。キルクトーヤの名前は飽き飽きするほど新聞に載ってしまっている。カフェの客たちの会話からも「恋人のキルクトーヤ」という言葉が聞こえた気がした。ちらちらとこちらを見ている人もいるような気さえした。無論、カフェの客たちはキルクトーヤの外見を知るよしもない。新聞記者は権威ある魔術師学校の敷地内に引きこもっているキルクトーヤに会うことは叶わなかった。しかし彼らは推測でキルクトーヤの外見の似顔絵を描き、それを新聞に載せた。それは似ているとも似ていないとも言えない、なんとも平凡で特徴のない似顔絵だった。
キルクトーヤは顔を顰め、ネルケは向かいの席でちょっとだけ苦笑していた。
店員が注文を取りに来る。
「ご注文は?」
ネルケが答える。
「紅茶をポットで」
「承りました」
すぐにティーポットと二つのカップが運ばれてくる。テーブルの隅に置いてある砂時計をひっくり返して時間を計る。
さらさらと流れ落ちていく砂を見つめながら、ネルケが尋ねた。
「ジーク様はシュヴェルト子爵になったんだね。おめでとうって手紙を出すの?」
「うーん、まあ、出すとは思うけど……」
実のところ、ジークからの手紙の中で叙爵式のことは触れられていなかった。しかし、これだけ大きなお祝い事であるならキルクトーヤから触れてもいいだろう。
キルクトーヤは言った。
「でも、変なんだよね」
「変って?」
「ジーク様は僕に命を救われたとか、八歳の頃に会ったとか言うけど、僕はまったく身に覚えがないんだよ」
「うーん。子どもの記憶力なんてたいしたことないし、案外ほんとうに忘れてるのかもよ?」
ネルケは楽観的にそう答えたが、キルクトーヤは渋い顔をする。
「……まあ、そうなのかもしれないけど……。でも、命を救うって、結構な出来事じゃないかな? そんな大きな出来事の記憶がないなんてこと、ありえると思う?」
「ありえるんじゃない?」
すべての砂が落ちた。ネルケは話を切って、ティーポットを取った。
ふたつのカップに、紅茶が注がれる。キルクトーヤは礼を言うと、黙ってそのカップに口をつけた。キルクトーヤの胸中の靄は晴れないままだ。
それから二人はくだらない話をして盛り上がった。授業の話、老師の話、魔術の話。若い二人の話題は尽きない。
二杯目の紅茶を飲んでいるとき、ネルケがお手洗いに立った。
「ちょっと行ってくるね」
「うん」
ひとりになって、キルクトーヤはぼんやりと大通りを眺めた。人々は足取り軽く店から店へと渡り歩いていく。
王都エクメーネは明るい雰囲気に包まれている。その雰囲気にすっかりのまれて、キルクトーヤは自身の立場を失念していた。
突然、肩を叩かれた。振り返ると同時に、キルクトーヤの全身は硬直した。
そこには男が立っていた。その顔の半分は仮面で隠されている。しかし、首に広がる火傷の跡が、仮面の下がどうなっているのかを物語っていた。
男は芝居がかった調子で言う。
「星を西のかなたに見送って幾夜過ぎたか……」
キルクトーヤは息を呑む。あの夢の通りだ。逃げろ逃げろと足を叱咤するが、縫い留められたように一歩も動かない。
男は口角を上げた。
「見つけたぞ、キルクトーヤ」
毎夜悪夢で見た獣のような目が、そこにあった。
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