3 / 15
第3話
しおりを挟む翌々日、俺の勤務が始まる日である。
俺はさっそく仕事のことをシッティに尋ねた。すると、予想外のことを伝えられて仰天した。
「え? 俺の職場ってここなのか?」
「うん」
シッティに職場として示されたのは、そのまま、まさにここ3日ほど居候しているシッティの家だった。
「あれ? 俺って王宮料理人の下働きをするんじゃあ……?」
「僕、そんなこと言っていないけど」
俺の疑問に、シッティが目をこすりながら答える。彼は今日は5日に1回の公休日だ。いつもなら早朝に出勤する彼だが、今日は昼過ぎまで寝ていた。
手持ち無沙汰な俺が適当にベッドを干したり、シーツを洗ったりしたところ、シッティは大喜びして、結果としてベッドから出られなくなったようだった。
そうして彼はいまようやく俺が用意していたベーコンエッグを食べ終わったところだった。
シッティは続ける。
「王宮料理人になるには例え見習いであっても試験に合格しないとね。……ジロウは僕が個人的に雇ったんだよ?」
「ええ?」
確かに、言われてみれば「僕が雇う」と言っていた気がする。目の前にぶら下げられた餌(仕事)につられてよく確認しなかった俺も悪い。とはいえ。
「いったい、何の仕事するんだ?」
「そんなの、決まっているじゃない」
シッティは彼自身を指さした。
「僕にワショクを教える家庭教師」
「王宮の料理長に教える技術なんてないぞ……」
「そんなはずないよ。ワショクに関しては、僕のほうが見習いだよ。あ、給料は月5000メーテルでお願い」
シッティはにこっと笑う。俺は憂鬱だ。大学時代から一人暮らしをしていたとはいえ、いわゆる男の料理しかしてこなかった。しかも、ほとんどインターネットでレシピを見てから、そのレシピを簡略化して適当に作っていたのだ。インターネットのないこの世界で和食を作れる気がしない。
俺が頭を抱えているあいだに、シッティは肩まである髪をひとつに束ね、エプロンをつけていた。
「じゃあ、まずは肉じゃがからお願い」
彼は屈託なく笑う。俺はため息をついて、それから覚悟を決めた。
「働かざる者、食うべからず!」
「ははは、ジロウ、大袈裟~」
こうして、俺たちの和食づくりがスタートしたのだった。
*****
シッティは間違いなく料理人だ。人参の皮は無駄なく剥くし、じゃがいもの芽もかならず除く。水に晒したり、煮込んだりするようなめんどくさい作業を省いたりしない。日本のスーパーではみかけないような不格好の形の野菜たちを的確に同じ大きさに切り分けられる。
そして、妥協もないらしい。
俺が止めるのも聞かず、彼はたった半日の間に鍋3つ分の肉じゃがを作ってしまった。
「作りすぎだろ」
俺は冷静に突っ込む。俺は最初のひと鍋分をいっしょに作った。それ以降は、肉じゃがを極めようという彼の意欲が止まらなかった結果だ。
「どうするんだよ」
「何事も練習だから」
俺の言葉に、シッティはあっさりと返す。確かに、王宮の料理長になるくらいなのだから、これまでもこうしていろいろな料理を研究してきたのかもしれない。しかし。
「なあ、これ全部食べるのか……?」
俺の戦々恐々とした問いに、シッティはまたもあっさりと返す。
「食べるまでが料理だよ?」
「ごもっとも……」
雇い主の言葉には逆らえない。
俺たちは調理道具を片付けると、テーブルの上に肉じゃがとパンとサラダを並べた。
「いただきます」
「はーい」
シッティが盛り付けた肉じゃがは料亭で出される料理のように、一部の隙もない。和食を見たことのないはずの彼がここまで和食らしく盛り付けができるのはやはり彼のジョブがなせる技なのだろうか。
俺は唾を飲んでから、スプーンを手に取った。
こんにゃくこそ手に入らなかったものの、黄金のじゃがいもに、鮮やかな橙の人参、そしてつやつやとした緑の絹さや。どれもよく煮込まれて、くったりと、それでいていっさい煮崩れせずにお行儀よく皿の中に座っている。
俺はスプーンでその計算し尽くされた盛り付けの端を崩す。
まずはじゃがいもだ。じゃがいもは大ぶりに切られているが、スプーンで簡単に切ることができた。外は黄金で、中はやさしい黄色をしている。
俺が作ったときはスープにじゃがいものぼろぼろになったものが浮かんでいたが、この肉じゃがのスープは澄んでいる。
シッティがじゃがいもに俺が知らないひと手間を加えたのは明らかだ。
じゃがいもを口に含むと、ほくほくのそれが舌に溶けていった。最後には芋の甘味が残る。
「うまい……!」
俺が感動すると、シッティは鼻の穴をふくらませた。
「でしょう? でしょう? ほら、もっと食べてよ」
俺は勧められるまま、肉じゃがを食べた。
どれもよく味が染みている。それでいて、食材の食感も楽しめた。
前回俺が作ったときも、決して手抜きをして作ったわけではなく、むしろ普段よりも手間暇をかけたつもりだった。しかし、くらべるまでもなく、シッティの肉じゃがの方が断然うまい。食材の切り方とか下ごしらえとか、細々としたところもあるのだろうが、何よりも。
「出汁が……! これだよ、この味だ……和食の味だ」
「ふふ。魚の出汁って難しいよね。僕もこれには苦戦したよ」
「‥‥すごいな」
もちろん、かつお出汁、とまではいかないが、よく知った、出汁の味である。俺にとっては実に2年ぶりの故郷の味だ。
「軍用携行品の川魚の干し魚しかなかったんだ。でも、次はジロウの言うように海の魚でやってみるよ。これはこの国にはない味付けだから、きっとみんな物珍しがって食べたがるよ」
シッティはご機嫌だ。
俺はもう一口肉じゃがを頬張る。また一口、もう一口と口に運ぶ。懐かしい味は俺に郷愁の気持ちを取り戻させてしまった。
目の奥に、実家の父母といっしょに食卓を囲んでいる俺の姿が映った。俺は笑っていて、両親も笑っている。他愛もない、天気とかテレビの話をする。懐かしい実家の匂い。緑のカーテンが揺れて、庭の犬がこちらを覗き込む。俺はたまらなくなった。
「あれ」
涙が溢れた。おかしいな、と思って手の甲で拭き取ると、また手の甲に一粒落ちた。
「‥‥す、すまない。その、まずいわけではなくて‥懐かしくて」
止めようとすればするほど、涙があふれる。
別に、この世界の料理がまずいわけではない。野菜は新鮮だし、香辛料も贅沢に使われている。海の幸も山も幸もある。平和なこの国は嗜好品も普及している。
しかし、やはり故郷の味は恋しい。
苦しい生活に必死で、ここまで気が付かなかった。いま、やっとシッティのもとで安定した生活を送り始めて、故郷を思う気持ちが無視できないほどにふくらんだ。
「わかるよ。故郷の料理は魂に刻まれているから」
シッティにあやされるように言われて、もう限界だった。
「ふっ‥‥う‥‥く、ぅ‥」
俺は大粒の涙を流しながら、懐かしいその味を頬張った。
「取り乱して、申し訳なかった」
落ち着いたあと、俺は皿を洗ってくれているシッティに声をかけた。俺はまだ食卓に座っていて、彼に背を向けている形だ。
俺は年上だというのにみっともなく声を上げて泣いたことを恥じて、とても顔を見て謝罪はできそうになかったのだ。
後ろで、シッティがくすりと笑う気配がした。
「気にしないで。それに、何度でも作ってあげるよ」
「いや、そんなに甘えるわけには…」
「いいよ。だって、これからいっしょに暮らすわけでしょう?」
「そのことだけど、本当にこんな簡単な仕事でいいのか?」
いまの俺の仕事といえば、シッティの夕飯を作って掃除して風呂の準備をして、あとは休みの日に和食のレシピを伝えるくらいだ。
これで自炊とはいえ三食宿付き、おまけに給料まで出るというから驚きの好待遇だ。
「いいよ。本当は家庭教師だけで十分だったのに、家事までしてくれてるし。ふふ、ふかふかのベッドで寝たのは久しぶりだったよ」
シッティはそう言ってくれるが、俺はその言葉をそのまま受け取ることができない。俺は俺の懸念を口にした。
「シッティはきっとすぐに和食を覚えるよ」
「僕が和食を覚えても、醤油はジロウにしか作れないじゃない」
「でも」
シッティは、俺の心を見透かすように、ほしいことばをくれた。
「ここにいていいよ」
「……」
「だって、僕たち、カードの相性はぴったりなんだよ? 神が僕たちに共に生きろと言っているんだよ」
そうか、と俺は言った。そうだよ、と彼が言った。そうだといいな、と思った。
異世界にやってきて、どこにもなかった俺の居場所が、この明るい青年の側であれば、どれほどいいだろうと思った。
「シッティ」
「なあに?」
「お前の料理はすごいよ」
「ええ?」
俺は心から、目の前の料理人に賛辞を送りたかった。やさしい味だ。一口で、記憶が溢れる味だ。俺は彼の料理を褒めるのに、どんな言葉がいいかしばし悩んで、それから凡庸な言葉を使った。
「ごちそうさま」
その言葉に万感の思いを込めて。
75
お気に入りに追加
111
あなたにおすすめの小説
異世界に転移したショタは森でスローライフ中
ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。
ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。
仲良しの二人のほのぼのストーリーです。
【完結済】転移者を助けたら(物理的にも)身動きが取れなくなった件について。
キノア9g
BL
完結済
主人公受。異世界転移者サラリーマン×ウサギ獣人。
エロなし。プロローグ、エンディングを含め全10話。
ある日、ウサギ獣人の冒険者ラビエルは、森の中で倒れていた異世界からの転移者・直樹を助けたことをきっかけに、予想外の運命に巻き込まれてしまう。亡き愛兎「チャッピー」と自分を重ねてくる直樹に戸惑いつつも、ラビエルは彼の一途で不器用な優しさに次第に心惹かれていく。異世界の知識を駆使して王国を発展させる直樹と、彼を支えるラビエルの甘くも切ない日常が繰り広げられる――。優しさと愛が交差する異世界ラブストーリー、ここに開幕!
神獣の僕、ついに人化できることがバレました。
猫いちご
BL
神獣フェンリルのハクです!
片思いの皇子に人化できるとバレました!
突然思いついた作品なので軽い気持ちで読んでくださると幸いです。
好評だった場合、番外編やエロエロを書こうかなと考えています!
本編二話完結。以降番外編。
[長編版]異世界転移したら九尾の子狐のパパ認定されました
ミクリ21
BL
長編版では、子狐と主人公加藤 純也(カトウ ジュンヤ)の恋愛をメインにします。(BL)
ショートショート版は、一話読み切りとなっています。(ファンタジー)
猫が崇拝される人間の世界で猫獣人の俺って…
えの
BL
森の中に住む猫獣人ミルル。朝起きると知らない森の中に変わっていた。はて?でも気にしない!!のほほんと過ごしていると1人の少年に出会い…。中途半端かもしれませんが一応完結です。妊娠という言葉が出てきますが、妊娠はしません。
小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)
親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。
竜騎士さん家の家政夫さん
丸井まー(旧:まー)
BL
32歳の誕生日に異世界に転移しちゃった祥平は、神殿に保護された。異世界からたまに訪れる人のことは、『神様からの贈り人』と呼ばれている。一年間、神殿で必要なことを学んだ祥平は、『選択の日』に出会った竜騎士のダンテの家の家政夫として働くことになった。おっとりな竜騎士ダンテと、マイペースなおっさん家政夫祥平のゆるーいお話。
おっとり男前年下竜騎士✕マイペース平凡家政夫おっさん。
※ゆるふわ設定です。
※全75話。
※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる