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第6話 畑の賢者
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俺の補佐として派遣されてきたのはギルという青年で、日本でいう農林水産省みたいなところの役人だそうだ。
ギルは丸い眼鏡をくいっと上げて挨拶をした。
「賢者さまにお会いできまして光栄です」
俺は俺の知らないところでひろがっているらしい通り名に苦笑した。
ギルはまめな性格で、メモ帳片手に俺の後ろについてくる。
俺の農業の知識なんて、日本では大したことのないものばかりだが、この世界ではまるで天才発明家にでもなったようだ。
俺はぶどう畑の近くに小屋を借りた。そして神殿から借りた人足5人を集めた。人足は、体力がありそうな首の太い男ばかりだ。
そして、ギルが独自に農業に必要だと思われるものを用意してくれていた。
ざっと見た感じだと、いろいろな器具がそろっている。確認した後、ギルに足りないものを指示していく。
「あと、ワインもあるか?」
「ええ、ございます」
「ワインがあるってことは、ワインビネガーもあるだろ」
「ビネガーですか」
日本でいうところのお酢だ。ギルは戸惑いながらも、あると頷いてくれた。
「あと、ぶどう。生の状態のやつも頼むよ」
「ぶどうはどの品種を?」
「皮の赤いのやつで」
ビルは手際のいいやつで、ささっと人足に指示を出した。俺はのんびりと用意された椅子に座って、これまた用意されたお茶を飲んだ。
貴族のような扱いは久しぶりだ。
用意された紅茶はあちらの世界のセイロンティーに似た風味だ。きっと、標高の高いこところで採られた茶葉なのだろう。この皇都まで運ぶのに、どれくらいかかるのだろうか。
まさに貴族の嗜好品だなと俺は唸った。
俺が貴族をやってたころは思い浮かばなかったが、こちらの世界の農業は日本でやるよりもはるかに大変で、ましてや嗜好品を作るとなると、とんでもない手間がかかる。その嗜好品を消費する貴族というのは、お金がいくらあっても足りない。
ワインビネガーも、フルーツも、間違いなく嗜好品であるが、ギルは神殿から予算をもらったのか、それともハンローレンのポケットマネーなのか、高値のはずのそれらを難なく買い揃えてくれた。
「お待たせいたしました」
俺の前に、ワインビネガーとぶどうが用意された。
文明があるところに酒があり、酒があるところに、酒を発酵させたお酢がある。このへんはこっちの世界もむこうの世界も大して変わらない。
俺はワインビネガーを指先につけて舐めてみた。
「く~!酸っぱい!」
ワインビネガーは日本でよく調味料として使われる米酢よりも刺激が強い。この世界では酢は主に保存料として使われ、味はあまり気にされていないのだ。
「キフェンダル様、これをどうなさるので」
「ああ、簡単だよ。水で薄めて、葉っぱに塗る」
「え、それだけですか」
「そうだよ。ビネガーは酸性で、うどんこ病は酸性が苦手なんだ。あとは虫対策だな。トウガラシとか、ニンニクとかをビネガーに混ぜていっしょに塗ると防虫効果もあるぞ」
ギルは心底驚いた、というように目を丸くしている。賢者なんて呼ばれている俺の指示があまりにも簡素なものだったからだ。
「そんなものをかけてしまって、ぶどうの木は平気でしょうか」
「弱酸性なら大丈夫。あんまりpHが低いと植物も枯れるけど」
「ぺ、ぺーはー?」
「これを使って調べられる」
次に、俺はぶどうに手を伸ばした。このぶどうは夏に収穫される品種らしく、楕円の小ぶりの実が連なっている。
俺は皮をむいて、一粒食べてみた。さわやかな味が鼻に抜ける。糖度は高くないが、お菓子のデコレーションなどにちょうどいい酸味だ。でも、大事なのは味ではない。
「このぶどうの皮を使う」
指示したとおり、ぶどうは素晴らしい赤い皮をしている。指でつまむと、爪が赤く染まる。
「ぶどうの皮ですか」
「皮を水に浸す。ほら、ギルもぶどうをはやく食べてくれ」
こうしてぶどうの皮の液を抽出する。
この液はぶどうの皮の色そのままのあざやかな赤い色をしていた。
俺はそれをいくつかの小瓶に分けた。
「この液に、薄めたビネガーを入れる」
スプーンでビネガーを掬って1,2滴垂らすと、真っ赤だった液体が薄い赤紫色に変色した。
「色が……変わりました」
「うん。こうなると、薄めすぎてて効果がないってことだ。かといって、濃すぎると植物が枯れる。色が変わるかかわらないか、それくらいにビネガーを薄めてくれ」
ギルがメモ帳を広げて、希釈についての試行錯誤を始めた。
ぶどうの皮から抽出された赤い色素は、アントシアニンという。
酸性で赤、中性で薄い赤紫、強いアルカリ性には黒褐色に反応する。
日本の米酢より、ワインビネガーは酸度が高い。強すぎる酸性は植物を枯らしてしまうし、かといって薄めすぎると効果がない。
だいたい、pH3、アントシアニンがやや赤色になるくらいが望ましい。
この作業は几帳面なギルに任せよう。
「あとは連作障害だな」
「れんさく、しょうがい、ですか」
ギルが顔を上げる。俺は顎に手を置いた。
そう、ほんとうの問題は土壌の疲弊だ。
あの土地は代々ぶどうを作っていたらしい。同じ作物を同じ土で作り続けると、病気にかかりやすくなる。それが連作障害だ。それで、本来なら丈夫なはずのぶどうにあれほどのうどんこ病が出たのだ。
ビネガーを塗ればある程度は予防もできるが、ビネガーのような品はなかなか高価で、いくら希釈するとはいえ、毎年使うにはコスパが悪い。
「よし、これもいい案があるぞ」
解決のために、俺は村にいるタンゼルに手紙を出した。
うまくいけば、あの辺鄙な村で大きなビジネスができるかもしれない。
ギルは丸い眼鏡をくいっと上げて挨拶をした。
「賢者さまにお会いできまして光栄です」
俺は俺の知らないところでひろがっているらしい通り名に苦笑した。
ギルはまめな性格で、メモ帳片手に俺の後ろについてくる。
俺の農業の知識なんて、日本では大したことのないものばかりだが、この世界ではまるで天才発明家にでもなったようだ。
俺はぶどう畑の近くに小屋を借りた。そして神殿から借りた人足5人を集めた。人足は、体力がありそうな首の太い男ばかりだ。
そして、ギルが独自に農業に必要だと思われるものを用意してくれていた。
ざっと見た感じだと、いろいろな器具がそろっている。確認した後、ギルに足りないものを指示していく。
「あと、ワインもあるか?」
「ええ、ございます」
「ワインがあるってことは、ワインビネガーもあるだろ」
「ビネガーですか」
日本でいうところのお酢だ。ギルは戸惑いながらも、あると頷いてくれた。
「あと、ぶどう。生の状態のやつも頼むよ」
「ぶどうはどの品種を?」
「皮の赤いのやつで」
ビルは手際のいいやつで、ささっと人足に指示を出した。俺はのんびりと用意された椅子に座って、これまた用意されたお茶を飲んだ。
貴族のような扱いは久しぶりだ。
用意された紅茶はあちらの世界のセイロンティーに似た風味だ。きっと、標高の高いこところで採られた茶葉なのだろう。この皇都まで運ぶのに、どれくらいかかるのだろうか。
まさに貴族の嗜好品だなと俺は唸った。
俺が貴族をやってたころは思い浮かばなかったが、こちらの世界の農業は日本でやるよりもはるかに大変で、ましてや嗜好品を作るとなると、とんでもない手間がかかる。その嗜好品を消費する貴族というのは、お金がいくらあっても足りない。
ワインビネガーも、フルーツも、間違いなく嗜好品であるが、ギルは神殿から予算をもらったのか、それともハンローレンのポケットマネーなのか、高値のはずのそれらを難なく買い揃えてくれた。
「お待たせいたしました」
俺の前に、ワインビネガーとぶどうが用意された。
文明があるところに酒があり、酒があるところに、酒を発酵させたお酢がある。このへんはこっちの世界もむこうの世界も大して変わらない。
俺はワインビネガーを指先につけて舐めてみた。
「く~!酸っぱい!」
ワインビネガーは日本でよく調味料として使われる米酢よりも刺激が強い。この世界では酢は主に保存料として使われ、味はあまり気にされていないのだ。
「キフェンダル様、これをどうなさるので」
「ああ、簡単だよ。水で薄めて、葉っぱに塗る」
「え、それだけですか」
「そうだよ。ビネガーは酸性で、うどんこ病は酸性が苦手なんだ。あとは虫対策だな。トウガラシとか、ニンニクとかをビネガーに混ぜていっしょに塗ると防虫効果もあるぞ」
ギルは心底驚いた、というように目を丸くしている。賢者なんて呼ばれている俺の指示があまりにも簡素なものだったからだ。
「そんなものをかけてしまって、ぶどうの木は平気でしょうか」
「弱酸性なら大丈夫。あんまりpHが低いと植物も枯れるけど」
「ぺ、ぺーはー?」
「これを使って調べられる」
次に、俺はぶどうに手を伸ばした。このぶどうは夏に収穫される品種らしく、楕円の小ぶりの実が連なっている。
俺は皮をむいて、一粒食べてみた。さわやかな味が鼻に抜ける。糖度は高くないが、お菓子のデコレーションなどにちょうどいい酸味だ。でも、大事なのは味ではない。
「このぶどうの皮を使う」
指示したとおり、ぶどうは素晴らしい赤い皮をしている。指でつまむと、爪が赤く染まる。
「ぶどうの皮ですか」
「皮を水に浸す。ほら、ギルもぶどうをはやく食べてくれ」
こうしてぶどうの皮の液を抽出する。
この液はぶどうの皮の色そのままのあざやかな赤い色をしていた。
俺はそれをいくつかの小瓶に分けた。
「この液に、薄めたビネガーを入れる」
スプーンでビネガーを掬って1,2滴垂らすと、真っ赤だった液体が薄い赤紫色に変色した。
「色が……変わりました」
「うん。こうなると、薄めすぎてて効果がないってことだ。かといって、濃すぎると植物が枯れる。色が変わるかかわらないか、それくらいにビネガーを薄めてくれ」
ギルがメモ帳を広げて、希釈についての試行錯誤を始めた。
ぶどうの皮から抽出された赤い色素は、アントシアニンという。
酸性で赤、中性で薄い赤紫、強いアルカリ性には黒褐色に反応する。
日本の米酢より、ワインビネガーは酸度が高い。強すぎる酸性は植物を枯らしてしまうし、かといって薄めすぎると効果がない。
だいたい、pH3、アントシアニンがやや赤色になるくらいが望ましい。
この作業は几帳面なギルに任せよう。
「あとは連作障害だな」
「れんさく、しょうがい、ですか」
ギルが顔を上げる。俺は顎に手を置いた。
そう、ほんとうの問題は土壌の疲弊だ。
あの土地は代々ぶどうを作っていたらしい。同じ作物を同じ土で作り続けると、病気にかかりやすくなる。それが連作障害だ。それで、本来なら丈夫なはずのぶどうにあれほどのうどんこ病が出たのだ。
ビネガーを塗ればある程度は予防もできるが、ビネガーのような品はなかなか高価で、いくら希釈するとはいえ、毎年使うにはコスパが悪い。
「よし、これもいい案があるぞ」
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