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第二十話 ためしてみよう

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 翌日の夜、俺が寝る準備をしているときに部屋にノックの音が転がった。
 返事をすると、ドアの向こうから予想外の人物が顔をのぞかせた。

 俺は頓狂な声をあげた。
「オルム様!?」
 彼は唇の前に指を一本立てて「しー」と言った。どうやら部屋を抜けて来たらしい。彼はほかの使用人が廊下に出てこないことを確認すると、すばやく俺の部屋に体を滑り込ませた。
 彼は薄い部屋着を一枚着ているだけだ。そんな彼と部屋で、夜に、ふたり(と精霊ひとり)きり。
「ふええ……!」
 俺はおおいに動揺した。

 エラーブルははやくも俺のうしろで「おしたーおーせー‼」と怪しげな応援歌を歌い始めている。それにつられて俺の脳内に邪な思いが広がる。

 ――こここ、こちらにも心の準備というものが……!

 いろいろすっとばして桃色の妄想を勝手にはじめてしまった俺であるが、オルム様はいたって冷静だった。
 彼はからっと明るい声で俺に言った。
「昨日は悪かったな。改めて、あやまりに来た」
 息を吸って、吐く。そう、落ち着け。俺は冷静な仮面をかぶって答える。
「……あれから、ずっとティユルは怒られているんですよ。今日も怒られました」
「悪かった」
 オルム様がぺこりと頭を下げる。
「……オルム様が元気になられたなら、もういいですよ」
 彼はちらと俺のベッドを見て言った。
「座っても?」
「え? ええ」
 冷静に答えたが、俺の心臓は張ちきれそうだ。

 ――オルム様が、オルム様が俺のベッドに……!?

 どうしよう。もう二度とシーツが洗えない。俺は涙ぐみそうだった。

 ――もういま死んでもいい。

 オルム様の摂取過剰である。俺は自分の呼吸が浅くなるのを感じた。
 オルム様は「座る」と言ったが、彼はそのままベッドに横になった。
 そして自分の隣を叩く。

「ほら、お前も来い」
 俺の体に雷が落ちた。

 ――うえええええ!? もう無理! 死んじゃう!

 隣に? ベッドの? それはもうそれだけでいかがわしいのでは?
 俺は純情だった。そしてもういっそのこと認めてもいい。むっつりだった。めくるめく妄想が俺の頭を駆け巡り、俺はその場から動けない。

 俺がかたまっていると、オルム様はからかうように笑った。
「ほら、はやく。昨日も添い寝をした仲だろう?」
「いえいえいえいえいえ! めっそうも! めっそうもございません!?」
 高速で首を左右に振る。しかしオルム様は俺の手を取って引っ張る。俺は均衡を崩してそのまま彼の腕の中に――。

 ――あ、だめだ。もう死ぬ。

 俺の頭は思考を放棄した。
 そんな俺にかまわず、オルム様は俺たちの体の上に布団をかけた。そのまま寝そうな勢いだ。向かい合って抱き合ったままで。
 口から心臓が出そうだった。叫びだしてむちゃくちゃに暴れまわりたいのに、体は指先ひとつ動かない。

 彼は俺の背に手をまわして淡々と話し出した。
「私には兄がいてな。優秀な人だった。両親が乗った船といっしょに沈んだ。嵐だった。まだ当時は航海技術も確立されてなくて……」
「えあ」
 変な声が出る。この状況でふつうに話し出した彼にも驚きだ。
「聞け。昨日の寝物語のお返しだ」
「な、な、なんでこの体勢……!」
「昨日もこうして寝ただろう」
「かかか! 肩をお貸ししただけです!」
 俺が言うが、オルム様はこのまま話すことにしたらしい。彼の腕がゆるめられることはなかった。
 このままではオルム様中毒で俺は死んでしまう。助けを求めて俺はエラーブルを見たが、彼はしめしめといった様子でこちらを見ている。
「ガキのお遊戯会ではないのだぞ。まさぐってみろ。勃っているやもしれん」

 ――あ、だめそう。

 一瞬気が遠くなる。この部屋で部屋主である俺だけが苦しんでいる。

 オルム様は話し続ける。
「兄は賢い人だった。それでいて慈悲深い人だった。兄は私よりはるかに領主にふさわしかった」
 彼は一度言葉を切った。そして唾を飲み込んで、言った。
「兄ではなく、私が死ぬべきだった」
 俺は弾かれたように口を開いた。
「そんなことはありませんよ。みんなオルム様のことが大好きです」
「兄はもっと好かれていた」
 俺は彼の兄を知らない。返す言葉が見つからず、俺は口をつぐんだ。

 オルム様は続ける。
「領主として仕事をしていると、悪魔が私を責め立てるのだ。どうしてお前が領主の席に座っているんだ、と」
 彼は顔をゆがめる。
「エートルが成人したら、領主の座は彼に譲るつもりだ。兄亡きあと、領主の座はあの子のものになるべきだ。あの子の成人まであと十年。それまで、それまでの辛抱なのだが……」
 そこまでひと息で言ったあと、彼は息を吐く。苦しそうだった。
 つらそうな彼になにか言葉をかけたかった。しかし、言葉が見つからなかった。俺には彼の苦しみを理解してあげることができないのだ。

 ただできることは、寝られないという彼につかの間の休息を差し出すことだけだ。
 俺は言った。
「それで苦しくて、眠れないんですね。また薬をつくりますよ」
 オルム様は俺の言葉には答えない。
「いっそ領主などやめてしまいたいが、そうもいかない。俺だって、シャテニエ一族のはしくれに生まれている」
「オルム様……」
 俺は彼をぎゅっと抱きしめた。家族を失った悲しみ。そして、彼の抱えている苦しみがほんの少しでも軽くなればいいと思った。

 俺の耳元で、彼がつぶやく。
「……昨日はよく寝られた」
「また薬をつくってお持ちしますよ」
「いや、このままで――」
「……でも」
「いいから」
「……」

 彼は言葉を言い直す。
「昨日お前の隣で寝たら、よく眠れた」
「く、薬がよく効いたんですね」
 声が裏返る。動揺する俺とは反対に、オルム様はどこまでも冷静だ。
 彼は言った。
「たしかめてみよう」
「え、じゃ、じゃあ薬を……?」
「お前のおかげかどうか、今夜ためしてみよう」
 彼は俺の首筋に顔をうずめた。
「――っ!?」
 俺は声にならない悲鳴をあげた。心臓はばくばくと跳ねる。

 ――なんで、なんでこうなった!?

 あこがれていたオルム様と、ひとつベッドの中。
 俺は夢を見ているのだろうか。

 エラーブルは部屋の隅で「うそだろう……ここにきてまた添い寝……?」と呆然と座り込んでいる。添い寝であっても俺の心臓はいまにも破壊されそうだというのに。
 身じろぎ一つとれないでいると、そのうち規則正しい寝息が聞こえてきた。
 オルム様は気持ちよさそうに眠っていた。その寝顔をまじかで見た。いい匂いがして、くらくらして――。

 その夜、俺は夜明けまで一睡もできなかった。

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