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第十五話 若き領主の悩み
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その日、俺は目をこすり、あくびを噛み殺しながら樹木園で木々を世話していた。
夏のさかりを予感させるような陽気である。しかし、あたたかい国からやってきた木々はまだ寒い寒いと言っていた。
いま樹木園の奥には温室を建てている最中だ。完成したら、そこに移せる。それまでの辛抱だ。
俺は彼らの根元に藁を敷いていた。先輩庭師たちが教えてくれたのだ。多少寒さがましになるらしい。
とはいえ藁を敷きっぱなしにすると虫が住み着くので、定期的に入れ替えなくてはいけない。
今日はそれを済ませるつもりだったのだが、その作業は来訪者によって止まった。
「セルジュ、いるか」
「オルム様?」
声を聞いて、俺は笑顔で振り向く。
あれ以来、オルム様はたびたび樹木園にやって来ていた。疲れたときに木陰に入って小鳥のさえずりと聞きたいのは貴族でも庶民でも変わらないらしい。
俺はますますオルム様のことが好きになっていた。
――いつ見ても、かっこいいんだよなぁ。
オルム様はかっこいい。
さらさらとした鈍色の髪に、きれいな形の眉、凛とした瞳。俺はその横顔を見るたびに胸が高鳴るのを押さえられなかった。
樹木園での慣れない仕事も、オルム様のためになるのなら毎日頑張れる。
「今日はどうされたんです……か……ティユル?」
振り返った先にいたのはオルム様だけではなかった。今日のオルム様はティユルを連れていた。
こんなことははじめてだ。仕事を抜け出して樹木園で休んでいるオルム様をティユルが探しにくる、というのがいつもなのだが。
どうやら今日は仕事を抜け出して来たわけではなさそうだ。
エラーブルが言う。
「なんだ、いまから外でおっぱじめるのかと思ったが……」
――そんなことできるかっ!
俺はつっこみたい気持ちをぐっと堪える。我慢、我慢だ。またオルム様におもしろい奴だと思われてしまうぞ、俺。
オルム様は真剣な顔で俺に言った。
「相談がある」
「相談、ですか?」
彼の顔はなんだかいつもとちがう雰囲気がある。俺はちょっと不安になりながらオルム様を見た。
彼は生真面目な領主の顔で言う。
「保養院を建てようと思っている」
「ホヨウイン?」
オルム様は説明する。
「いま病気になったら家に医者を呼ぶだろう? そうではなく、医者を保養院に集めておいて、病気になったら保養院に行くようにする。こうすれば医者は一日に多くの患者を診ることができるし、患者の家族が医者を呼びに行ったが留守だったというのもなくなる」
「へえ……なるほど」
さすがオルム様だ。俺はうんうんとうなずく。
「海の向こうの、サラートという国が取り入れているらしいんだ」
「真似するわけですね」
俺の言葉にティユルが眉をひそめる。
「真似って言うなよ。失礼だぞ!」
オルム様がそれをなだめる。
「事実、真似だ。いいものはどんどん取り入れていくべきだからな」
オルム様は言いながら、目頭を押さえた。
俺は念のため確認した。
「あの、その保養院って、ディヌプの森を切り拓いてその跡地に建てようとしていませんよね?」
「は?」
オルム様は目を丸くする。俺はあわてて言葉を付け加えた。
「いや、その……どこに建てるのかなあって思いまして……」
「西の教会の近くに、昔兵舎だったものが残っているから、そこを利用する」
「あ、ああ……」
「それで、前もらったあの薬。ウィローの樹皮だったか。よく効いた。保養院に置きたいんだが。どれくらい作れる?」
「えっと、まだそんなに多くは……もっと木が大きくなってからの方がいいと思います」
ウィローの木はまだ若木である。俺が首を振ると、オルム様は残念そうにうなずいた。
「では、ほかに薬として使える木はないだろうか」
「調べてみます。時間をいただきますね」
俺が言うと、彼は笑った。
「ああ。任せたぞ」
――まかせたぞ、だって。
俺は舞い上がる。オルム様に頼られている。役に立てている。
――もうそれだけで十分すぎるっ!
我が人生に悔いはない。最高だ。シャテニエ万歳。オルム様万歳。
舞い上がった俺であったが、次に続くオルム様の言葉で地に落とされる。
「薬として使えるものがあったら、それも全部本に書き留めておいてくれ」
「……はい」
自然と返事は小さくなる。本を書く作業は思った以上に大変で、まったく進んでいないからだ。
そんな俺の心の内を知らず、彼は俺の肩を叩く。
「ノワイエが自慢して回っていたぞ。優秀な生徒だと」
俺はめまいがした。
「いやあ……全然ですよ。わからないことだらけで」
「完成したら、我々を真似して樹木園を作る貴族に高額で売り付けてやろう」
その言葉に俺は仰天する。
「お、俺の本を売るんですか!?」
「駄目か?」
「いや、でも……俺、字汚いですし」
「ノワイエに写させよう」
「でも、ノワイエ司書が大変ですよ」
「そのための司書だ」
そこまで言って、オルム様はまた目頭を押さえた。
俺はティユルの様子をうかがう。彼はしれっとした顔で立っている。
俺はそれを見て、またオルム様に視線を戻す。
「オルム様」
「なんだ?」
「もしかして、またどこか体調悪いんですか?」
俺が言うと、ティユルは胡乱そうな顔をして、オルム様は渋い顔をした。
彼は言う。
「寝不足だ」
「あ、ああ……」
俺は納得した。なにかいつもと違うと思っていたのだ。なるほど言われてみれば、彼の目の下にはうっすらと隈があった。
もちろん、寝不足のオルム様もけだるい雰囲気をまとっていて素敵なのだが。
「ちゃんと寝てください」
「気を付ける」
オルム様はそう言って去って行った。
その後姿を俺はじっと見つめていた。その視線をエラーブルが遮る。
彼は忌々し気に吐き捨てる。
「なんだ、ちゃんと寝てください、だ」
彼は目をくわっと見開き、俺の肩をつかんで揺さぶる。
「俺と寝てください、くらい言ったらどうだ! ええ! いつ誘惑するんだ! そんなんだから貴様はいつまでたってもむっつりなんだ!」
「うるさいな! ほっとけ! むっつりでいいんだよ! 妄想だけで幸せなんだから! 俺はオルム様を推しているんだからな」
そう、そばにいられるだけで十分幸せなのだ。
夏のさかりを予感させるような陽気である。しかし、あたたかい国からやってきた木々はまだ寒い寒いと言っていた。
いま樹木園の奥には温室を建てている最中だ。完成したら、そこに移せる。それまでの辛抱だ。
俺は彼らの根元に藁を敷いていた。先輩庭師たちが教えてくれたのだ。多少寒さがましになるらしい。
とはいえ藁を敷きっぱなしにすると虫が住み着くので、定期的に入れ替えなくてはいけない。
今日はそれを済ませるつもりだったのだが、その作業は来訪者によって止まった。
「セルジュ、いるか」
「オルム様?」
声を聞いて、俺は笑顔で振り向く。
あれ以来、オルム様はたびたび樹木園にやって来ていた。疲れたときに木陰に入って小鳥のさえずりと聞きたいのは貴族でも庶民でも変わらないらしい。
俺はますますオルム様のことが好きになっていた。
――いつ見ても、かっこいいんだよなぁ。
オルム様はかっこいい。
さらさらとした鈍色の髪に、きれいな形の眉、凛とした瞳。俺はその横顔を見るたびに胸が高鳴るのを押さえられなかった。
樹木園での慣れない仕事も、オルム様のためになるのなら毎日頑張れる。
「今日はどうされたんです……か……ティユル?」
振り返った先にいたのはオルム様だけではなかった。今日のオルム様はティユルを連れていた。
こんなことははじめてだ。仕事を抜け出して樹木園で休んでいるオルム様をティユルが探しにくる、というのがいつもなのだが。
どうやら今日は仕事を抜け出して来たわけではなさそうだ。
エラーブルが言う。
「なんだ、いまから外でおっぱじめるのかと思ったが……」
――そんなことできるかっ!
俺はつっこみたい気持ちをぐっと堪える。我慢、我慢だ。またオルム様におもしろい奴だと思われてしまうぞ、俺。
オルム様は真剣な顔で俺に言った。
「相談がある」
「相談、ですか?」
彼の顔はなんだかいつもとちがう雰囲気がある。俺はちょっと不安になりながらオルム様を見た。
彼は生真面目な領主の顔で言う。
「保養院を建てようと思っている」
「ホヨウイン?」
オルム様は説明する。
「いま病気になったら家に医者を呼ぶだろう? そうではなく、医者を保養院に集めておいて、病気になったら保養院に行くようにする。こうすれば医者は一日に多くの患者を診ることができるし、患者の家族が医者を呼びに行ったが留守だったというのもなくなる」
「へえ……なるほど」
さすがオルム様だ。俺はうんうんとうなずく。
「海の向こうの、サラートという国が取り入れているらしいんだ」
「真似するわけですね」
俺の言葉にティユルが眉をひそめる。
「真似って言うなよ。失礼だぞ!」
オルム様がそれをなだめる。
「事実、真似だ。いいものはどんどん取り入れていくべきだからな」
オルム様は言いながら、目頭を押さえた。
俺は念のため確認した。
「あの、その保養院って、ディヌプの森を切り拓いてその跡地に建てようとしていませんよね?」
「は?」
オルム様は目を丸くする。俺はあわてて言葉を付け加えた。
「いや、その……どこに建てるのかなあって思いまして……」
「西の教会の近くに、昔兵舎だったものが残っているから、そこを利用する」
「あ、ああ……」
「それで、前もらったあの薬。ウィローの樹皮だったか。よく効いた。保養院に置きたいんだが。どれくらい作れる?」
「えっと、まだそんなに多くは……もっと木が大きくなってからの方がいいと思います」
ウィローの木はまだ若木である。俺が首を振ると、オルム様は残念そうにうなずいた。
「では、ほかに薬として使える木はないだろうか」
「調べてみます。時間をいただきますね」
俺が言うと、彼は笑った。
「ああ。任せたぞ」
――まかせたぞ、だって。
俺は舞い上がる。オルム様に頼られている。役に立てている。
――もうそれだけで十分すぎるっ!
我が人生に悔いはない。最高だ。シャテニエ万歳。オルム様万歳。
舞い上がった俺であったが、次に続くオルム様の言葉で地に落とされる。
「薬として使えるものがあったら、それも全部本に書き留めておいてくれ」
「……はい」
自然と返事は小さくなる。本を書く作業は思った以上に大変で、まったく進んでいないからだ。
そんな俺の心の内を知らず、彼は俺の肩を叩く。
「ノワイエが自慢して回っていたぞ。優秀な生徒だと」
俺はめまいがした。
「いやあ……全然ですよ。わからないことだらけで」
「完成したら、我々を真似して樹木園を作る貴族に高額で売り付けてやろう」
その言葉に俺は仰天する。
「お、俺の本を売るんですか!?」
「駄目か?」
「いや、でも……俺、字汚いですし」
「ノワイエに写させよう」
「でも、ノワイエ司書が大変ですよ」
「そのための司書だ」
そこまで言って、オルム様はまた目頭を押さえた。
俺はティユルの様子をうかがう。彼はしれっとした顔で立っている。
俺はそれを見て、またオルム様に視線を戻す。
「オルム様」
「なんだ?」
「もしかして、またどこか体調悪いんですか?」
俺が言うと、ティユルは胡乱そうな顔をして、オルム様は渋い顔をした。
彼は言う。
「寝不足だ」
「あ、ああ……」
俺は納得した。なにかいつもと違うと思っていたのだ。なるほど言われてみれば、彼の目の下にはうっすらと隈があった。
もちろん、寝不足のオルム様もけだるい雰囲気をまとっていて素敵なのだが。
「ちゃんと寝てください」
「気を付ける」
オルム様はそう言って去って行った。
その後姿を俺はじっと見つめていた。その視線をエラーブルが遮る。
彼は忌々し気に吐き捨てる。
「なんだ、ちゃんと寝てください、だ」
彼は目をくわっと見開き、俺の肩をつかんで揺さぶる。
「俺と寝てください、くらい言ったらどうだ! ええ! いつ誘惑するんだ! そんなんだから貴様はいつまでたってもむっつりなんだ!」
「うるさいな! ほっとけ! むっつりでいいんだよ! 妄想だけで幸せなんだから! 俺はオルム様を推しているんだからな」
そう、そばにいられるだけで十分幸せなのだ。
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