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第十四話 推す

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 二日後、俺に書庫利用の許可が下りた。
 俺はノワイエに付き添われてはじめて書庫に立ち入った。


「うおおお……本がいっぱいだ……」

 俺は感嘆の声を上げた。
 書庫はドアのある壁以外の壁面はすべて本棚になっていた。その本棚も天井すれすれまで本を収納できるようになっている。そして部屋の中にも本棚がずらりと並んでいる。

 俺は圧倒された。
「すごすぎる……」
 ノワイエは誇らしげだ。
「シャテニエ家が代々蒐集しているんだ。これほどの規模の書庫は地方ではなかなかお目にかかれないよ」
「ひー……ぜんぶでいくらだろ」
「値段など……。知の結晶なのだから」

 それもそうか。知の結晶。本の価値はその紙代でもインク代でもない。
 俺は恐る恐る一冊の本をとって開いてみる。そして唸る。なるほど知の結晶。ようするに内容がむずかしすぎて俺にはわからない。
 しかし、ひとつだけ俺でもわかることがある。

「さすが、貴族の本。きれいな文字で書かれてる……」
 整然と並んだ文字。庶民が乱雑に書き写して束ねただけのものとは違う。
 ノワイエは苦笑した。
「それはそうさ。歴代の司書や書記官が書き写しているからね。司書は文字の美しさも求められるのさ」
「知らなかったです……」

 ということは、ノワイエもきれいな字を書くのか。言われてみれば、たしかに几帳面そうな顔立ちだ。
 ノワイエは奥に三つ並んだ机を示した。それらは一番大きいものが中央に、そしてのこりふたつが向かい合うように置かれている。

「私はこれからこちらの机を使って書き写しの仕事を続けるよ。君はこちらの机を使うといい」
 向かい合う机のひとつにノワイエが座る。俺はその向かいの席を使うらしい。俺はおびえた。
「ご、豪華……」
 机は磨かれ、精緻な彫刻が施され、さらに銀が象嵌されている。
「書庫はふつう貴族の方しか立ち入らないからね。一番大きな机は領主様のものだよ」
「うう……汚さないようにします……」
「そうしてくれたまえ」

 それからノワイエは何冊か樹木についての本を持ってきてくれた。
「体裁を真似して書いてみるといいよ」
「は、はい……ガンバリマス」

 どんどんどん、と分厚い本が俺の前に積まれる。本を書くと言い出したのは俺なのだが、ほんとうにできるのだろうか。
 俺は顔がひきつっていくのを感じた。これは大仕事になるぞ。俺はぐっと力を入れて一冊目を開いた。


 エラーブルは俺の肩越しにその本に目を落とす。ぱらぱらと俺が頁をめくると、彼は不遜に命じた。
「セルジュ。こんな本には興味ない。別の本を持って来い」
 俺は彼を睨みつけて「なにを読みたいのさ」と目だけで尋ねる。
「世界情勢がわかるものだ」
 俺はうなずく。

「ノワイエ司書」
「ん?」
「あの、せ、世界地図とか、あと国について書いてあるものってありませんか。樹木がどこの国からどのように運ばれて来たのかもあわせて書き記しておきたくて……」

 言いながら、俺は内心泣いていた。

 ――これから自分が書くことになる本の難易度を自分であげてしまっている気がするんだけど……!

 案の定、ノワイエが持ってきた本はどれも難しいものばかりだった。
「大丈夫かい?」
 ノワイエはそう言って心配していたが、俺はうなずいた。うなずくしかない。
 ノワイエは素直に褒めてくれる。
「すごいな。勉強が好きなんだね。いっぱい読むといい。学がどれほどあっても無駄にはならない」
「ははは」
 俺は乾いた笑みをもらした。

 机の上に借りた地図を広げる。
 俺たちのいるフラレ国は大陸の西側に位置している。海を挟んで北には大国リギー、陸の西は果てのない海「青海」だ。そして左隣りにはバレロ小国群が点在し、さらにその左にはかつては大国ファジャールがあったが、いまは崩壊し三つの国に割れている。さらにその東には黄金の国インレン、そして小国ながら強力な騎馬隊によって国を守っているバーミー、大陸の東の果てには東の雄・エンがある。


 最初にエラーブルが指をさしたのは『東諸国の情勢』という本だった。
 俺は従順にそれを開く。内容はバレロ小国群についてのようだった。
 文字を目で追うふりをして、エラーブルの合図で頁をめくっていく。

 ――なんだ、書庫に行きたいって、いったいなにをするつもりかと思ったら……。

 なんということはない。彼は本を読みたかったのだ。そして、知識を得たかったのだ。


 一冊読み終わると、エラーブルは息を吐いた。
「私は人間と交流を絶って五百年が過ぎた。その五百年で、人間の世界は変わった。森を守るには、まず人間を知らなくてはならない」
 エラーブルは熱心だった。彼はすぐに二冊目を要求した。
 そうして四冊目に入ったとき、ノワイエはオルム様から呼び出しがあって書庫から出て行った。


 彼の後姿を見送ったあと、俺ぐっと伸びをしてからエラーブルに目をやった。彼は本から目をあげもしない。
 俺は口を開いた。
「そんなに根詰めて大丈夫?」
「馬鹿にするな。私の根はそこらの木より頑丈だ。貴様に見せてやりたいくらいだ」
「いやそんな話をしているのではなくて……」
「それより、はやく頁をめくれ」

 頁をめくる。この本は小難しく、文字も多い。頁をめくるごとに、俺は圧倒される。

「なんで急に人間のことを知りたくなったのさ。森を守るのとどう関係しているんだよ」
 ぱっとエラーブルが顔をあげた。
「貴様がさっさと領主を篭絡しないのが悪いのだぞ!」
「ろ、篭絡ってなんだ、篭絡って!」
「領主を遠くから見つめるだけで何が面白いのだ貴様は!」
「オルム様の存在を愛でているんだよ!」
「せっかく領主に近づけてやったというのに……! むっつりすぎてお話にならないではないか!」
「別にいいだろ! むっつりの何が悪いんだ! 害がないだろ!」
「害どころか利もない! 無風だ!」

 無風はちょっとひどい。俺だって俺なりに頑張っているのに。
 俺はため息をついた。そしてちらとエラーブルの人差し指を見た。エラーブルは人智を超えた力を持っているが――。

「なんか力を使って、オルム様から聞き出せないのか?」
 エラーブルは首を振った。
「……無理だな。それができないから貴様と契約したのだ」
「それもそうか」
 俺はうんうん、とひとりうなずく。

 エラーブルは少し考えた後、口を開いた。
「だが、たしかにそれは妙案かもしれないな」
 俺は慌てる。
「え? できないんじゃないの?」
「やりようがある」
「やりようって?」
 エラーブルは笑う。
「いいことを思いついたぞ。おい、なんとか領主の厨に忍び込めないか」
「はあ?」
「あとそうだな、森の私の祠にも行こう」
「なにする気……」
「まず領主の食事にとある液体をもってだな……」
「却下‼」

 エラーブルは口をとがらせる。
「妙案だというのに」
「だめだろ! 絶対! 毒殺でもする気か!?」
「毒とは言っていない」
「いーや! 絶対に碌でもないものだね!」

 エラーブルはやれやれ、と肩をすくめた。
「それが嫌なら貴様も知識を蓄えろ」
「え、だからそれとこれがなんの関係が……」
「私は貴様がこの城に入ったあと、国中の森を訪ね歩いてきた」
「……そっ」

 エラーブルの顔から表情が消える。彼は深いため息のあと、ぽつりと言った。――痛みに耐えるように。

「ほとんどの森が無事ではなかった。すべてそれぞれの土地の領主によって伐採されていた」
 息を飲む。言葉を失って立ち尽くす俺に、エラーブルは身を乗り出し、指をつきつけた。

「いいか、おそらくだが、いま起きている問題は私や領主だけでなんとかなる問題ではないのだ」
「……うん」
 国中の森に、異変が起きている。背中に嫌な汗が伝う。いったい何が起きているのだ。
「いまなにが起きているのか、我々は理解しなくてはいけない。領主から目的を聞き出しても、意味がわかりません、知識がありませんではお話にならないだろう。わかったら黙って貴様も本を読め」
「……わかったよ」
「そうだ。努力の先には領主との乳繰り合いが待っているぞ」
「ち、乳繰り合いって言うな……!」
 突っ込みながら、俺は椅子に座りなおした。

 そして背筋を伸ばして、頁をめくる。今度は読んでいるふりではなく、ちゃんと読んで、わからない言葉が出てきたら辞書を引く。
 時間はかかるが、俺は自分の背中になにか大切なものが乗っかっているのを感じた。それのために、俺は学ぶ必要があるのだ。そして、それはエラーブルも同じだ。
 ここにきて、はじめて俺と彼の目的が一致したのを感じた。

 ぱらりと辞書をめくると、ふとある文字が目に留まった。
【推す】――人生の生きがいとなるような人物、ものなどを応援すること。
  
「これ……」
 俺がオルム様に抱いている感情にぴったりである。推し。推し。俺は何度もその言葉を舌の上で転がした。
「俺、オルム様を推しているんだ」
「真面目に学べ」
 エラーブルは俺の頭を叩いた。


 ノワイエが席に戻ってからは、彼にわからないところを尋ねた。それは俺自身の質問であったり、エラーブルの質問であったりした。ノワイエは優秀な先生で、それらによどみなく答えた。
 ――言い換えるなら、ノワイエがすらすらと答えられることすら、俺たちは知らないということだ。


 時間はあっというまに過ぎていく。
 俺は午前中に樹木園の仕事を済ませて、午後から書庫に行き、夕方にはまた樹木園に戻るという生活を送った。
 季節はすっかり初夏になった。
 エラーブルはずっと書庫通いを続けていたせいで、「書庫の精になってしまいそうだ」と漏らしていた。心なしか、彼の緑色の髪がくすんでしまったように見える。そのうち枯れてしまいそうだ。
 俺としては、書庫の静かな空気と洗練された調度品に囲まれて、彼がもう少し品のいい森の精になってくれることを願ってやまない。


 何日もいっしょに過ごして、新しい発見がいくつかあった。

 まず一つ目。
 エラーブルが物体に触れられるのは一日にひとつまでであるということだ。それも長時間は触っていられず、例えばドアを開けるとか、落ちている本を拾うとかしかできない。ただし、眷属である木や俺には触れることができる。

 そして二つ目は……。

「書けたかい? 何行書いた? 読むよ? 読むよ?」
 ノワイエが俺が書いたメモをとり、目を走らせる。と同時に叫ぶ。
「うわあああ! そうだったのかああ! 暖かい国の木でも眩しいのは嫌なんだね! おもしろい発見だ!」

 ノワイエがエラーブルの術にかかっていなくても、本を読むときはわりといつもこうであることだ。

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