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第十一話 みどりのゆび

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 それから三十日ほどかけて、俺は樹木園の木々から聞き取りをして、さらにある程度の植え替えを行った。
 植え替えとなると樹木によっては季節を選ぶのだが、ほんのわずかな距離の移動であることや、地面から掘り出すときに本人(本樹?)から「根っこをちぎってしまいそうかどうか」を伝えてもらえる作業である。なんとかなった。

 こうした樹木の世話というのは俺にとってははじめての経験だった。しかし、「世話」というものの基本は家畜と同じだ。ようするに、よく観察して、大事になるまえに対処する、というだけだ。今回に限って言えば、会話ができるぶん家畜の世話よりずっと楽かもしれない。

 ここに植えられているのは外国からやってきた三十種類と、国内の樹木五十種類だ。国内の樹木については育て方が確立されており、これまで世話をしていた庭師たちが手伝ってくれている。
 樹木園は日に日に目に見えてよくなっていった。
 庭師としてはなかなかいい滑り出しをしたと思う。




 そんなある日の朝、俺がいつものように朝食を済ませてから樹木園に向かうと、パメラの木の根元にオルム様が座っていた。

「お、オルム様」
「やあ」
「な、なんでここに!?」

 驚く俺を「まあまあ」となだめて、彼は自身の隣を叩いた。座れ、ということだろうか。俺がおずおずと腰を下ろす。

 ――おおおお、俺が、オルム様の隣に座って……!

 とんでもない奇跡が起きている。俺は胸の前でシャツをぎゅっと握った。そうしていないと心臓が飛び出してしまいそうなのだ。

 オルム様は嬉しそうに話し始めた。
「すっかり城に馴染んでいるそうじゃないか」
「ま、まあ……」
 馴染んでいるというか、俺の周りで勝手にティユルとソールが騒いでいるだけというのが真相なのだが、そういうことにしておこう。

 オルム様は手をこめかみに当てて目を閉じる。眉間に皺が寄っていた。俺はそれが妙にひっかかった。

 しかし、その皺は一瞬で消え、彼はまた穏やかな表情に戻る。
「すっかり春だな。いい季節だ」
 オルム様はぐっと体を伸ばす。なんというか、まるでこのままここで寝始めるのではないかという雰囲気さえある。
 俺は尋ねた。
「あの、オルム様、お仕事は……?」
「お前までそんなことを言うのか? ちゃんと仕事はしている。休む、という仕事だ。最も大事な仕事だ」
「……はあ」
 ようするに、息抜きに来たということなのだろう。なら、邪魔をするのはよくないかもしれない。

 しかし、一つだけ聞いておこう。
「あの、オルム様ってディヌプの森を壊してしまう予定はありますか?」
「なぜそんな質問を?」
 オルム様は怪訝そうな顔をする。
「いえ、その、なんとなく」
 俺はちょっと口ごもる。まさか森の精が予知を見たそうで、などと説明しても信じてもらえないだろう。

 オルム様は苦笑した。
「ない、と答えておこう」
「そうですよね」

 風が吹いた。オルム様は目を閉じる。もうひとりにしてあげよう。というか、いい加減距離を取らないと死んでしまう。俺が。

 ――でもこの瞬間のこと、俺は一生忘れないっ。

 何度か立って、また座る。名残惜しい。理性と本能が大ゲンカだ。

 そしてついに意を決して立ち去ろうとしたそのとき、オルム様に裾を引かれた。
「どこに行く。相手をしてくれてもいいだろう」
「……お邪魔になりませんか」
「いい。少し話そう」
 すとん、とオルム様の隣にまた座りなおす。そしてさっき領主様に触られた袖を撫でる。

 ――ああ、この服も永久保存だ……!

 どんどん増えるオルム様の残滓を感じられる品たち。俺が死んだら、棺にぎっしりそれらの品をつめてほしい。
 オルム様は言った。

「樹木園の調子がいいらしいな。お前のおかげだ」
「俺だけの力ではありませんよ。庭師のみなさんと、ソールとティユルも手伝ってくれているんです。みんな、樹木園のことを大事にしています」
「だろう。ここまで集めるのに金も時間もかかったからな」

 オルム様はごろりと横になった。今日は前に見た時よりも簡素な服を着ている。貴族らしからぬ様子だ。彼は続ける。
「だが、やった価値はある。中央貴族たちもシャテニエ家の存在を無視できなくなってきた。――もうひとふんばりだ」
「……はい」
 幸いなことに、樹木園の木々は俺に友好的であった。彼らは何でも話してくれた。日陰においてほしい、水が多すぎる、少なすぎる、寒い、暑い。俺は彼らの要望を聞いてそれを叶えてやるだけでいい。俺はほっと息を吐いた。オルム様の役に立てたことがうれしかった。

 俺はオルム様の隣で、風に揺れる木々を眺めた。目に痛いくらいの緑だ。
 ふと隣を見ると、オルム様はまたこめかみに手を当てていた。

 目が合うと、彼はごまかすように口を開く。
「すごいな。いい庭師を得た。まるで魔術だ」
「魔術、ですか」
 俺は目を丸くした。オルム様は続ける。
「緑の指というそうだぞ」
「緑の指?」
「植物を上手に育てる魔術の使い手をそう呼ぶらしい。もしかして、お前はそうなのか?」
 オルム様を見る。彼は真剣な顔をしていて、とても冗談を言っているようには見えない。それで、俺はなんと反応していいのかわからなくなった。
「……はあ」

 俺があいまいな反応をすると、オルム様は片眉を跳ね上げた。
「なんだ?」
「なんというか、意外で」
「そうか? なぜ?」
「新しい時代を見られている方なので……。魔術なんて信じていらっしゃらないかと」
 俺が言うと、オルム様は腹を抱えて笑い出した。

「なっ、なんで笑うんですか」
「いや、すまない、すまない。新しい時代、か。それもそうだな」
 オルム様はそこで一度言葉を区切った。そして俺をじっと見据える。彼の目の奥にきらきらとした輝きが見えた。
「……父も兄も私も、世界中に船を出し、冒険家を送り込み地図を作らせた。それで気が付いたことがある。なんだと思う?」
「俺なんかには見当もつきません」
「世界は広い、ということだ」

 彼の目の輝きが強くなる。冒険に飛び出していくまえの少年のようだ。

 彼は笑う。
「これだけ世界が広いのだ。どこかに魔術を使える者がいても不思議ではない。知れば知るほど、世界は知らないものだらけだ」
「――ほんとうに、そうかもしれませんね」
 俺もそうだ。エラーブルの世界も、オルム様の世界も、ただ畑を耕して、豚を飼って生きていた俺には知らないことばかりだ。この村だけでそうなのだから、海の向こうまで行けば――。

 俺は海の向こうを夢想した。隣で、きっとオルム様も同じ夢を見た。

 しばしそうしていると、オルム様が手を叩いた。淡い夢はそこで途切れる。
「さて、そろそろ行くとするか。邪魔したな」
 そう言って、彼は立ち上がる。

 俺は少しためらってから言う。
「あの、よかったら、これをどうぞ」
 懐から紙の包みを取り出して彼に差し出す。
「なんだ、これは?」
「薬です。ウィローの樹皮を乾かして砕いて……。あ、これは自然に落ちて来たぶんですよ。勝手に折ったりはしていませんからね」

「それは……」
 オルム様は戸惑う。俺はあわてて付け加える。
「痛みをとってくれるんですよ。ほんと、すっごく効きます」
「――……」

 オルム様はその包みを無言で見つめている。
「あ、余計なお世話だったらごめんなさい」
「いや……」

 俺は言葉を付け加える。
「もしかして、オルム様、頭が痛いのかなって思って……」
「なぜ?」
「え? だって、さっきから何回もこめかみに手を当てていらっしゃるでしょう?」
 オルム様の体から力が抜けていくのがわかった。
「……そうだったか」
「はい」
「よく見ているんだな」

 ――そりゃあもう! なにひとつ見逃すまいと目をかっぴらいています‼

 とは言えない。
 俺は必死にごまかす。

「俺、豚を飼っていて。家畜を飼っている人にとってはふつうですよ。どこか痛いところはないかなって毎日気を付けて見るので」
「……ふ」

 ようやく、彼は笑った。

「この私が、豚と同じ扱いか」
「え!? あ、いや! そんなことはないですよ!?」

 オルム様が豚なら俺は塵以下だ。
 オルム様は薬を受け取ると、ジャケットの内ポケットにしまった。

「お前のことを、おもしろいやつだと思ったが」
 オルム様はいたずらっ子のように笑い、俺の頭を撫でた。
「撤回する。ものすごく、おもしろいやつだ」
「それっ! 撤回していますか!?」

 そのとき、大きな声が樹木園に響いた。
「オルム様――――‼」
 弾かれたように顔を上げる。城の窓から、ティユルが顔を出してこちらを見ていた。

 オルム様は吹き出す。
「しまった見つかった」
「えっ?」
「黙って抜け出して来たのだ。ティユルは真面目過ぎていけない」
 オルム様は片目をつむって言う。
「私は逃げる。今日は休むと決めているのだ。お前も私の行方は知らぬと言ってくれよ」

 走り出したオルム様の背中に、俺は慌てて声をかける。
「オルム様!」
「なんだ!」
「助けてくださって、ありがとうございました!」

 それは、ずっと言いたかった言葉だ。

「気にするな!」
「二回も助けていただきました!」
「何度でも助けてやるさ。――私でよければな」

 彼は振り返り、にっと笑った。そしてひらりと身をひるがえした。

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