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第八話 庭師!

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 翌日、目を覚ましたらずいぶんと部屋が明るかった。窓からうららかな日差しが差し込んできている。その光を見て、瞬時に寝坊を悟る。

「しまった! ……寝すぎた……!」

 起き上がる。妙にやわらかい。俺は天蓋付きの大きなベッドの真ん中にいた。

「えっ!? あ……ええっと」

 一瞬頭の中が真っ白になる。
 ――どうしてこんなところにいるんだっけ……?

 それから、昨日の記憶が次々と波のようになって蘇った。生贄の儀式、領主様、そして――エラーブル。
 俺は唾を飲み込んだ。
「俺、となりの部屋の床で寝たはずなのに」
 いつの間にか寝室のベッドに移動している。俺は恐る恐るそのやらかいシーツに触れる。絹でできているであろうそれは軽く、それでいてうっとりするほど滑らかだ。

 俺はそれを汚さないように、破らないように慎重に体を動かしてベッドから下りる。ベッドの傍には俺の靴がそろえて並べられていた。
 くたびれて、土やほこりがついた靴だ。俺はいたたまれない気持ちになって、その靴をもって絨毯のないところにまで逃げた。

 そこで身支度を整えているうちに、はたと気が付く。そういえば、この部屋には二人いたはずだ。
「エラーブル?」
 名を呼ぶが、返事はない。いったいどこに、と思っておっかなびっくり寝室を横切って居間に行き、そこから廊下につながるドアをゆっくりと開けて廊下に顔を出した。

「お目覚めですか」
「ひっ!」
 すると、廊下で侍従らしき人物とばったり会ってしまった。
「朝食をお持ちしましょうか」

 几帳面そうな顔をした侍従だった。ラインの入ったズボンにかっちりとしたジャケットを羽織っている。長い赤毛をひとつにまとめ、茶色い目をしている。年齢は自分と同じくらいだろうが、しゃんと伸びた背筋のせいでとっつきにくい感じがした。

「あ、ええっと」
 俺がまごついていると、侍従は「失礼」と言って俺の手をとり、そのまま歩き出す。彼はそのまま部屋を横切り、寝室に俺を連れ戻した。

 侍従は言う。
「お着替えを」
 俺はもごもごと答える。
「俺、着替え持ってきてないです」

 着の身着のまま逃げて来たのだ。着替えどころか財布すら持っていない。
 俺が固まっていると、侍従はあっさりと鏡の横の小さなテーブルを指さした。
「こちらでご用意しております」
 白くて仕立てのいいシャツが見えた。庶民には手が届かないボタンまでついている。その畳んだシャツの下には黒いズボンまで見える。俺はまごついた。

 侍従は続けた。
「このあと、領主様がお会いしたいとおっしゃっています」
 俺は黙る。言外に彼が言わんとするところを理解できてしまったのだ。ようするに、小汚い格好で領主の前に出るな、ということだ。
 俺はすごすごと与えられたシャツに袖を通した。


 侍従は名をティユルというらしかった。ティユルは俺のために顔を洗う水盥を運んで来てくれて、そのあと朝食を運んで来てくれた。俺は昨日縛られていた手首が痛んでパンをちぎるのも一苦労だったが、その様子を見たティユルは丁寧にパンを小さく切り分けることまでしてくれた。彼はただの農民である俺を貴族の客人のように接する。それが俺には奇妙に見えて落ち着かなかった。

「あの、ティユル……。俺はその、貴族でもなんでもなくて……ふつうに接していただけると嬉しいんですけど」
「貴族でなかったとしても、領主様の客人です」

 ティユルはすました顔でそう言うと、俺を促した。

「さ、領主様がお待ちです。急ぎましょう。領主様はお忙しいので」

 おそらく、彼もまた俺と同じくオルム様を崇拝しているのだろう。彼が誇りをもって仕事をしているのを感じた。俺はなんとなく負けた気分になって、彼の後ろについて行った。


 案内されたのは大きなドアのある部屋だった。ドアを開けると、広々とした部屋の中心に革張りのソファが向かい合っておかれ、その奥には立派なマホガニーの机があった。執務室のようだった。

 オルム様は椅子に腰かけて机の上の書類を読んでいた。彼はこちらに目をやると、読みかけの書類を置いた。
「よく寝れたようで何より」
 彼は笑う。もう太陽は傾きはじめている。疲れていたとはいえ、寝すぎだ。

 からかわれて、俺は真っ赤になりながらもじもじすることしかできない。
「オルム様……」
 オルム様は片手を振った。
「緊張しなくていい――座りなさい」
「あの、俺……」
「いいから。じっくり腹を割って話そうじゃないか」

 おっかなびっくり、ソファに腰掛ける。向かいにオルム様が座る。すかさずティユルが紅茶と菓子を並べる。朝食――といっても昼過ぎに食べているのだが――を食べたばかりの俺は次々と並べられる食べ物に圧倒され、目をそらした。


 オルム様が尋ねる。
「木の世話が得意だとか?」
「はい」
「庭師が驚いていた。お前が言うポプラを調べたら、中に虫がたくさんいた、と。いま薬を撒いているところだろう。よく知らせてくれた」
「へへ……」

 なんとも言えない中途半端な笑顔をしてしまう。褒められてうれしい気持ちもあるが、これは俺の手柄でもなんでもない。エラーブルの計画通りなのだ。
 というかそれどころではない。オルム様の向かいに座って、いっしょの空気を吸っている。生まれてきてよかった。
 うっとりしている俺に、オルム様は真面目に切り出した。
「それで、お前の今後なのだが」
「はい」
「お前はどうしたい? できる限り、お前の願いを聞こう。隣の街に転籍するもよし、旅券を発行してもよし。このまま村に残るもよし……もちろん、ひどい目にあわないように配慮はする」

 ――ここだ。

 俺は唾を飲み込む。そして、昨日エラーブルに吹き込まれた台詞をそのまま言う。
「あの、俺、わ、私を庭師として雇っていただけないでしょうか。この城の西の庭に、見慣れない木がたくさんありますよね? どの木も元気がないみたいで。私に任せていただけませんか?」

 オルム様は目を丸くした。
「庭師?」
「はい」
「西の庭? 樹木園のことか?」
「……はい。たぶん……」

 西の庭――樹木園とやらがどこにあるのか、どんな場所なのか、俺は知らない。しかし、もうここまで言ってしまったのだから引くことはできない。俺は顔を上げてオルム様を見た。

 彼は言った。
「樹木園に植えてある木の名前を知っているか?」
「いえ……」
「どこから来た木か知っているか?」
「……いえ」
「……」

 オルム様は頭を抱えて黙ってしまった。それもそうだろう。まともな問答になっていない。俺だって頭を抱えたい。

 ――エラーブル、なんで教えておいてくれなかったんだ……。

 沈黙が落ちる。オルム様の執務室は風通しがいいらしく、窓から春のあたたかい風が吹き込んでくる。

 ――悩んでいるお顔も素敵だなぁ。

 俺はオルム様の挙動のひとつひとつを見逃すまいとじっと見つめた。ひそめられた眉、ものいいたげな唇。はあ、素敵。

 長い我慢比べの末、先に折れたのはオルム様だった。
「……そうだな。このまま放っておいても枯れるだけだ。ちょうどいい。……やってみるといい。お前を庭師として抱えよう」
「ありがとうございます!」

 俺は立ち上がって喜んだ。『庭師』――それは俺が想像していた職業ではないが。

 ――オルム様のお役に立てるんだ。

 オルム様は命令する。
「ティユル、この者に契約書を発行しろ。使用人の部屋と、それから仕事場を案内してやれ」
「かしこまりました。セルジュ、行きましょう」
 ティユルに執務室から出るように促される。
 俺はそれに従い立ち上がる。執務室のドアが閉まる瞬間、オルム様が「おもしろいやつだな」とつぶやいたのが聞こえた。

 廊下に出る。

 ――おもしろいやつ。

 その言葉が脳内に反響した。喜べばいいのかなんと反応したらいいのか。

 ――変人って思われたかな……。

 ひそかにため息を吐く。これもすべてエラーブルのせいだ。とはいえ、これからお側にいられるのだ。ほかはすべて些末なことだ。

 ティユルは咳払いをすると、それまでより態度を崩した。俺はもう客人ではない、ということだろう。
「セルジュ、これから部屋と、樹木園を案内するよ」
 ティユルにそう言われて、やっと気が付いた。

「ところで、樹木園って結局なんなんだ?」
「はあ!?」

 ティユルは眉を跳ね上げた。
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