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第二十九話 秘密の共有

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 ルーカスの状態はますます悪化していた。使用人たちを拒絶し、夜中に邸宅を抜け出そうとすることさえあった。
 ルーカスは家に帰ることしか頭になかった。しかし、使用人たちはそれだけは容認できなかった。彼らはルーカスを捕まえては連れ戻した。やがて使用人たちは交代でルーカスを見張るようになった。ルーカスは自分が囚人か何かになった気がした。そうした思いはますますルーカスの郷愁を強めた。

 そんなルーカスのもとに客人があった。客人は大学の課題を持参していた。
 ルーカスは久しぶりに会うその人物の名前を呼んだ。
「ケイ……」
 客人――ケイは痩せてしまったルーカスの姿に内心驚きながら、しかしそれを見せずにいつもの調子で言った。
「大学に来ないから、会いに来た」
「なんで?」
「知らない。バートン総司令官が中尉に言って、中尉が俺に言ってきた」
 正直に話すケイに、ルーカスはほっと胸をなでおろし、それから謝罪した。
「ごめん」
「別に」
 沈黙が落ちた。部屋の中にはルーカスとケイだけである。使用人たちはお茶とクッキーを運んだあと、退室している。

 ケイは部屋の中を見回したあとで切り出した。
「で? 何あったんだよ? 召使いにいじめられているのか? そうには見えないけど」
 ルーカスは首を振る。
「僕、故郷に帰ろうと思っているんだよね」
「故郷ってどこなんだ?」
「キルスの……マイトレ」
「キルス? 遠いな」

 少し考えて、それからまたケイが言った。
「もうカルヴァには戻らないつもりなのか?」
「うん。もともと、強引に連れてこられただけだし……」
「連れてこられた?」
「バートンさんが、僕のことを自分の子どもだって言って、それで」
「でも、総司令官に大事にされているって聞いたけど?」
 ルーカスは黙った。「大事にされている」それは今も間違いない。だからこそ、もう耐えられないのだ。

 ケイはさらに尋ねた。
「何があったらそうなるんだ?」
 ケイは真摯な顔をしていた。ルーカスはケイのことを考えた。彼は真面目で、いい人物だ。彼は大学でルーカスが微妙な立場になるであろうことを予想して、真っ先に声をかけてきてくれた。彼がそうした頭のまわる人物であり、信用できる人間であることをルーカスはよく知っている。
 ルーカスの秘密はふたつある。ひとつはカントット人として知られたくないこと、そしてもうひとつは誰にも知られたくないこと。しかし、ケイになら話せる気がした。

 ルーカスは声を落とした。
「内緒にしてくれる?」
「……ああ」
「僕、Ωだったんだって」
 ルーカスの告白に、ケイは目を丸くした。ルーカスはさらにもうひとつの秘密を言う。
「バートンさんのことが好きなんだ」
「ええ!?」
 ケイが声を上げたので、ルーカスは慌てて言い添える。
「親子だってバートンさんは言うけど、僕はそう思ってなくて、その、なんていうか……ここに連れて来てくれてから、すごくやさしくしてくれて……それだけじゃないんだけど」

 ルーカスのたどたどしい言葉を、ケイはじっと聞いていた。
 彼は顎に手を置き、じっと何事かを考えていた。ルーカスが口を閉ざしたとき、彼はこめかみを抑えて、それから重々しく言った。
「ここに連れて来られたって言ったよな?」
「う、うん……」
「それから、一回くらい、家に帰ったか?」
「ううん……」

 ケイは両手を叩いた。ぱちん、と乾いた音が部屋に響き、そこまであった重苦しい空気が消えた。
「よし、じゃあ故郷に行こう。俺もいっしょに行ってやるよ」
 突拍子もないことを言い出すケイに、ルーカスは目を丸くした。
「ええ!?」
「お前、意外と世間知らずだし、俺がいっしょの方がいいだろ? それに、故郷で調べてみれば、ほんとうに子どもなのかどうか、わかるかもしれないじゃん。ちゃんと総司令官の子どもだったら、またカルヴァに戻ればいいし」
「え、えと、え……」
「キルスなら、イレまで船で行くと早い。ただ、船はほとんど軍に接収されているから、陸路を行く必要がある」
 ケイはルーカスを見る。
「お前、鉄道の乗り方、知っているか?」
「……の、乗ったことない……」
 ルーカスは驛前で靴を磨いたことはあるが、鉄道に乗ったことはなかった。ケイは胸を張った。
「ほら、俺がいた方がいいだろ?」
 ケイは力強く胸を叩く。そして声を落とす。
「行くぞ。荷物まとめろ。――静かにな」

 ルーカスは硬直して動けない。帰りたい、帰りたいと駄々をこねていた彼であるが、あまりの展開の速さについていけなかった。ケイはそんな彼を叱咤した。
「故郷に帰りたいんだろ? それに、総司令官が許可してくれるとも限らない。俺も次いつ会いに来られるかわからないし。もろもろ勘案して、いまが絶好の機会だ」
 ルーカスはようやく、いま自分に起きていることを理解した。
「ほんとうに、ケイも来てくれるの?」
「悪いか?」
「なんで、ついて来てくれるの? お姉さん、心配しない?」
 ケイはため息をついた。そして衝撃的なことを言う。
「姉さんってのは嘘だから」
「え?」
「中尉と仲良くやっているのは、俺なんだよ」
 ルーカスは目を数回瞬く。ケイが言うことの意味を理解するのに時間がかかった。
「あ……」
 ケイは自分を指さして言った。
「俺、Ω。だから総司令官も俺にルーカスに会ってくれって言ったんだな」

 ルーカスは急にケイという人物が近くなった気がした。そして、彼の肩を何度も叩いた。
「もう! 僕てっきり……もう! なら! はやくそう言ってよ!」
 ルーカスはうれしくなった。世界にひとりきりなのではないかと思うほど彼は自分の闇にこもっていたが、身近にこんな人物がいたことに安堵した。

 安堵と同時に、ひとつの疑問がわいた。
「ええ? じゃあ、羨ましいって、何? ケイも大事にされているんだろ?」
「恋人って、不安定な立場だろ。息子の方が血がつながっている分、足元がかたいじゃん」
「そう、かな……」
 ルーカスは戸惑う。息子と恋人。どちらが羨ましいかと問われると、ルーカスにとって答えは明らかだった。

 肩を落としたルーカスに対して、ケイが促す。
「ほら、わかったら、荷物まとめろ。……窓から抜けるぞ」
「ええ? でも……それこそ、中尉はいいの?」
「いい。今日から陸軍は軍事訓練だ」
「え? 訓練?」
「そう。上陸訓練。船の上に出たらしばらく連絡はとれない」
「あ、そういう……」
「総司令官も行っているんだ。君、ほんとうに何も知らないんだな」
 ケイは肩をすくめる。そして思った。

 ――息子というより、むしろ……。

 そこは口に出さないことにした。

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