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第二十一話 ケイ・タム
しおりを挟む翌週、ルーカスはカルヴァ大学に学生として足を踏み入れた。哲学入門講義を受講するのである。教鞭をとるのはソング・ニット教授だ。全16回の講義の予定で、単位認定には試験と小論文の提出が必要である。
ルーカスは聴講生としての受講であるので、最後の試験は受ける必要がなく、また大学卒業に必要な単位ももらえないということになっている。それでもルーカスは久しぶりに味わう「学校」の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
教室はケーキを四等分に切ったような形をしていて、生徒が座る席は一列ごとに一段ずつ高くなっていた。
後方にはカントット人らしい学生が、前方にはダン帝国人らしい学生が集まって座っている。なんとなくルーカスはどちらにも近づきたくなくて、窓際の中段の席を選んだ。
目立たないようにしたつもりであるが、受講生三十人程の中でルーカスは目立ってしまっているようだった。
それもそのはず、教室内においてカントット人学生はみすぼらしい服を着て痩せていて、ダン帝国人学生はきれいな服を着て健康的な肉体をしている。カントット人の外見でありながらきれいな服を着て健康的なルーカスの存在は異質であった。
前方からは好奇の視線を、後方からは嫉妬の視線を感じた。ルーカスはバートンが勧めてくれた哲学の入門書を取り出して目を落とし、その視線を気にしないように努めた。
そこにある人物が近づいてきた。その人物はルーカスの隣に腰を下ろすと開口一番に「感謝するよ」と言った。
ルーカスが顔を上げると、そこには先日知り合ったケイ・タムがいた。
「何の話?」
ルーカスが尋ねると、ケイは肩を竦めた。
「君の後ろ盾様から、俺の後ろ盾にお言葉があったらしくて、大変喜んでいたよ。俺の株も上がるってものだろう?」
「ああ……」
バートンがもうケイの後ろ盾となっている中尉に連絡をしたということだろう。
ルーカスはあいまいに頷いた。
「僕も……その、友達ができるか心配されていて……咄嗟に君の話をしてしまったんだ。いい方向にいったならよかったよ」
「で? どうする?」
「どうするって?」
「聞いたぞ。半分ダン帝国人なんだろう? 道理でダン帝国風の名前なんだな」
「ええっと……」
ルーカスは彼が言いたいことをとらえきれず、口ごもる。
ケイは片眉を跳ね上げ、今度は直球で言った。
「俺とつるむより、ほら、前の席のあいつら。あっちに入れてもらったほうが何かと有意義な学生生活を送れるぞ」
顎で示された先にちらりと目をやると、ダン帝国人らしい金髪青目の青年たちの集団がいた。そのうちのひとりと目があってしまい、ルーカスは慌てて目をそらす。
「……僕、ずっとカントット人として生きてきていて……たぶん、無理だよ」
とはいえ、手負いの獣の群れのようなカントット人の集団の中に入る勇気もない。
ルーカスはいま絹でできたシャツと厚手のズボンを履いている。どちらも清潔で、ルーカスの体格にあわせて作られたものだ。それに対して、カントット人学生の多くは薄汚れて肘に継ぎ布をあてたシャツを着て、泥の付いた丈の合わないズボンを穿いている。
ルーカスはケイを見た。ケイはルーカスと同じくカントット人でありながらきれいな服を着て、髪をきちんと揃えて切っている。
ルーカスと同じく、異質な存在だ。ルーカスはようやく、ケイが声をかけてきた理由を理解した。
ルーカスは声を潜めて尋ねる。
「こういう境遇の人間って、僕たちだけ?」
「他にもいる。少しだけどな。そのうち紹介してやるよ、相棒?」
そう言うと、ケイは隣で教本とノートと筆記具を取り出して広げ始めた。それらはどれも使い込まれていて、彼が真面目な学生であることを物語っている。
それを見てルーカスもようやく教本を取り出した。隣の教本をちらりを見て同じく「12頁」を開く。まだ新品の教本である。ルーカスはゆっくりと上から力を込めて教本ののどをしっかりと開いた。
一緒に並んだ二人を見て、教室の前方からも後方からも人のささやく声があった。ルーカスは背中に嫌な汗が流れた。特に後ろから突き刺さるようなカントット人の視線は恐ろしかった。
緊張を誤魔化すように、ルーカスは口を開く。
「僕、哲学を勉強したことなくて。中等学校も中退しているし」
「入門講義だから心配いらない。まあ、なにか本を読んで補完する必要はあるだろうが」
ルーカスはケイをじっと見た。彼は涼しい顔をしている。勉強ができる人間の横顔だ。
「ケイってさ、勉強、得意だよね?」
「いやまったく。でも、ここで学んで、いい職を掴んでやるってくらいにはやる気がある」
その言葉通り、ケイは講義中やる気にあふれていた。何度も挙手をして質問を投げかけ、またノートにはびっしりと教授の言葉を書き留める。彼はこの講義のために何冊か哲学の本を読んだらしく、その知識も踏まえて彼は思考を巡らせている。
彼のやる気にはニット教授も一目置いた。また教室中の学生も、彼の発言にたびたび舌を巻いた。
ルーカスは隣で目を丸くするばかりであった。
講義の終わり、ケイは荷物を手ばやくまとめると言った。
「君、このあと講義は?」
ルーカスは答えた。
「今日はもうないんだ。僕、哲学だけしか受けないつもりで」
「そうか。じゃあまた来週のこの講義で会おう」
「ケイは?」
「俺はこのあと4つ講義を受ける」
「え? 4つ?」
「そう。物理学と、国際法学と、宗教史、経済学。貴重な機会だ。いつまで通えるかもわからない。受けられるものは全部受ける。ひとつも無駄にはできないさ」
ケイは別れの挨拶を言うと、そのまま足早に教室を出て言った。ルーカスはその背中を呆然と見送った。
帰りの車の中で、ルーカスはケイの言葉を反芻した。
――身の丈に合っていない大学に通えているんだ。貴重な機会だ。いつまで通えるかもわからない。受けられるものは全部受ける。ひとつも無駄にはできないさ。
これはルーカスにもあてはまる言葉である。ルーカスはバートンのおかげでカルヴァ大学に通えるようになった。そして、バートンの機嫌ひとつでまた通えなくなる可能性もある。
懸命なケイを見たあと、いま自分を振り返ると、なんともだらしない気がした。
ルーカスはじっと考え込んだ。ひょんなことから恵まれた立場になった自分。自分も何かしなくてはいけないはずだ。しかし何を、と問われるとまだ答えられない。
考え込んだまま夕食の時間を迎える。バートンは遅れて夕食の席につくと、まっさきにルーカスに尋ねた。
「大学はどうだった?」
「よかったです」
反射的に端的に答えてしまう。
それから少し考えてまた言葉を付け足す。
「ケイがすごくいろいろ考えていて……すごいなぁって」
「ケイくん? ああ、新しい友達だね」
「はい。いっぱい勉強していて……。そうだ、僕も物理学とかの他の講義を受けてみてもいいですか?」
バートンはルーカスの言葉を聞いて小首をかしげると、思いがけない言葉を返した。
「別に構わないけれど……面白くないと思うよ」
「え?」
ルーカスが聞き直す。しかしバートンは態度を改め、誤魔化すように笑った。
「まあ、別の言い方をすれば、分かりやすい内容でいいかもしれない。受けてみたらいいんじゃないかな。ケイくんもいるんだろう?」
「はい」
バートンはもっとケイのことを聞きたがった。
「ケイくんはどんな子? なにか聞いた?」
ケイについてはルーカスも知らない部分が多いのだが、ルーカスはバートンの希望に沿うべく知っている限りのことを話した。
カントット人であること、ケイの姉がカミリア中尉の恋人であること、勉強熱心なこと……。
バートンはにこにこしてルーカスの話に聞き入った。
一通り聞いたあと、バートンは眉をひそめて、顎に手をおいた。
「……姉、ねぇ……。なるほど……。この国はなかなか難しい」
「え?」
ぱっとバートンの表情が変わる。彼は穏やかな顔になって言った。
「ケイくんには幸せになってほしいよ。……もちろん、お姉さんにもね」
バートンの言葉を聞いて、ルーカスは気になっていたことを尋ねてみることにした。
「……バートンさんは、結婚しないんですか?」
バートンは少し瞬いた後、噴き出した。
「しないよ。私にはもう君がいるじゃないか」
バートンは真面目な顔でこう言った。ルーカスは真っ赤になった顔を伏せて隠した。
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