20 / 32
第二十話 爵位
しおりを挟む
夕刻、屋敷に戻るとバートンが門扉の前に立っていた。
「あれ、どうしたんですか」
ルーカスが車から顔を出して尋ねると、バートンは笑って答えた。
「帰ってくるのを待っていたんだよ」
「え? 急用ですか?」
「ちがうちがう」
バートンはその美しい唇で弧を描く。
「かわいいルーカスの顔を見たかったんだよ」
ルーカスは赤面しそうになって、それから首を慌てて振って誤魔化す。
バートンはそんなルーカスの動揺には気が付かずに、ルーカスがもっていたカバンをちらと見た。
「必要なものはそろったかい?」
「あ、はい……お金、ありがとうございます」
「よしてくれ。他人行儀だ」
バートンは明るく言う。ルーカスは車から降りて、バートンと並んで邸宅に入っていく。
バートンの邸宅ははじめて見たときから季節が変わり、咲き誇る花も変わっている。しかし、変わらず作り物のように完璧に整えられている。
歩いていると、ルーカスの鼻孔に芳しい花の香りが届いた。その匂いも変わっている。
もうすぐ秋だ。きっと、秋にはこの庭はまた違う景色を見せるのだろう。そしてまた、そのときも隣にはバートンがいて……。
ルーカスは妄想をした。妄想の中で、彼らは二人で手をつないで歩いていた。
ルーカスは隣を歩くバートンを見上げた。
彼の横顔は美術館に並ぶ彫刻のように美しい。彼に「手をつなぎたい」と言ったら、どんな顔をするだろうか。きっと、彼は頷いて手を差し伸べてくれるだろう。――そして、その手がもつ意味はルーカスが求めるものとは違う。
「そんなに見つめられると照れるな」
ふいにバートンがこちらを向いて、そう言った。青い目がルーカスを捉えて、ルーカスは弾かれるように俯いた。
いま顔を見られたくなかった。きっといまはよくない顔をしている。
何か誤魔化さないと、と思って、カバンの中にあるものの存在を思い出す。
「あの、バートンさんに、これ……」
それはあの店で見つけたハンケチーフである。紫色のそれはやはりバートンによく似合う。
「バートンさんの色かなって思って」
そう言って、彼に手渡す。手渡してから、その贈り物にリボンも包装もないことに気が付く。物資不足の世の中とはいえ、相手はダン帝国軍占領軍の総司令官だ。
ルーカスは慌てて言い添える。
「いっぱい持ってるかもしれないですし、いらないかもしれないんですけど、その、何か渡したくて……!」
両手を振ってわたわたして、それからおずおずと目を挙げた。
視線の先で、バートンは目を丸くしてその小さな織布を見ていた。
「あの……」
ルーカスが次に言うべき言葉を見つけるより先に、バートンが動いた。
彼はゆっくりとそのハンケチーフに唇を落とすと、大事そうに胸に抱いた。
「ありがとう。大切にするよ」
ルーカスは優美なその所作から目が離せなかった。
縫いとめられたようにその場に立ち尽くす。
そんなルーカスの肩を抱き寄せて、バートンが言った。
「私からも贈り物があるよ」
そうして、バートンの使用人であるマトックスが小さな直方体の箱を差し出した。バートンはその箱をとると、ルーカスの掌に乗せた。それはきれいな紙に包まれ、艶やかな茶色いリボンが巻かれている。
「これ……」
「ペンだよ。筆記具はいいものを使わないといけない」
「あ、ありがとう……ございます」
ルーカスはそれをぎゅっと胸に抱いた。
リボンが巻かれた贈り物をもらうのは初めてだった。もったいなくて、リボンをほどくことができなかった。
バートンは一度ルーカスの頭を撫でたあとでルーカスを誘った。
「ルーカス、今日は風が気持ちいいから、いっしょに庭を散歩しないかい。疲れているだろうけど、少しだけ」
「……はい」
良い日だった。
ルーカスは右手に貰ったばかりの小さな箱を大事に持って歩く。
叫びたいような、手足をばたばたさせたいような、むずがゆい感情がルーカスの胸にあふれた。
しかし、それを言葉にすることができなくて、ルーカスは黙ってバートンの後ろを歩く。
バートンは迷いなく進んでいく。その後ろをルーカスが歩き、さらに後ろにマトックスとロイが歩いた。
濃厚な花の香りが漂っている。
「なんの花の匂いでしょうか」
ルーカスが尋ねると、バートンは首を傾げた。代わりに使用人のマトックスが答える。
「ゼラの花です」
示された先を見ると、門の傍に植えられた木が白い大輪の花をつけていた。庭のランプに照らされたそれは、子どもの手のひらほどもある。ルーカスはそのような花を初めて見た。彼はもの珍しげにその白い花弁に鼻を近づけた。
「わ、いい匂いですね」
ルーカスが言うと、バートンはあいまいに笑った。
そしてバートンもゼラの木に近づくと、そのひと枝を手折った。彼はその枝をルーカスに渡して「部屋の花瓶に活けるといいよ」と言った。
「バートンさんは?」
「私はいいよ。……そんなに好きじゃないんだ」
「そうですか」
白い大輪の花を背に立つバートンは優美だった。ルーカスは神がつくったような美しい光景を目を細めて眺めた。
ふいに、バートンがルーカスに向き直った。
「大学で友達もできて、安心したよ」
見とれていたルーカスはその言葉に反応するのが遅れた。
「あ……え、あ、はい」
バートンがルーカスに近づく。ゼラの甘い香りがルーカスを包む。
「君に言った言葉を撤回するつもりはないのだけれど、形だけでも、私の子どもになってくれないかい」
「え?」
バートンはルーカスの肩に手を置いた。
「私の家には爵位があってね」
「爵位?」
「そう。本国の私の父が体調を崩していてね。私が爵位を継ぎたいのだけれど、爵位継承の条件は子どもがいることなんだ。父から手紙が来て、君のことを伝えたら、急いで手続きを、と」
「あ……」
カルヴァに来るまでの船で盗み聞きした会話が脳内に蘇る。
――「跡取りがいないことを心配なさっていましたからね」
――「そこにきて18歳の男児だ。いやめでたい」
――「これでバートン様も爵位を継げます」
ルーカスは手の甲に爪を立ててバートンを見上げる。彼は静かにルーカスの返事を待っている。
「バートンさんは……父さんが好きでしたか?」
「ああ」
「いまも?」
風が吹いた。ルーカスは「もちろん」という返事を半分だけ期待した。もしバートンがそう答えてくれたなら、ルーカスは胸の奥に灯ったばかりの小さな火をなかったことにして、バートンの子どもになろうと思っていた。
バートンは答えた。
「いまは、ルーカスのことが一番だよ。私の子だもの」
ルーカスは奥歯を噛んだ。それはもう半分の期待をかすめた言葉だった。
――僕のことが一番。
バートンの一番になれたことが嬉しい。しかし、バートンの子どもだから得られた一番でもある。ルーカスは喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。
ルーカスはゆっくりと息を吐いた。
「ちょっと……考えてもいいですか。そんなにお待たせしませんから」
「もちろんだとも」
バートンは花がほころぶように笑った。
「あれ、どうしたんですか」
ルーカスが車から顔を出して尋ねると、バートンは笑って答えた。
「帰ってくるのを待っていたんだよ」
「え? 急用ですか?」
「ちがうちがう」
バートンはその美しい唇で弧を描く。
「かわいいルーカスの顔を見たかったんだよ」
ルーカスは赤面しそうになって、それから首を慌てて振って誤魔化す。
バートンはそんなルーカスの動揺には気が付かずに、ルーカスがもっていたカバンをちらと見た。
「必要なものはそろったかい?」
「あ、はい……お金、ありがとうございます」
「よしてくれ。他人行儀だ」
バートンは明るく言う。ルーカスは車から降りて、バートンと並んで邸宅に入っていく。
バートンの邸宅ははじめて見たときから季節が変わり、咲き誇る花も変わっている。しかし、変わらず作り物のように完璧に整えられている。
歩いていると、ルーカスの鼻孔に芳しい花の香りが届いた。その匂いも変わっている。
もうすぐ秋だ。きっと、秋にはこの庭はまた違う景色を見せるのだろう。そしてまた、そのときも隣にはバートンがいて……。
ルーカスは妄想をした。妄想の中で、彼らは二人で手をつないで歩いていた。
ルーカスは隣を歩くバートンを見上げた。
彼の横顔は美術館に並ぶ彫刻のように美しい。彼に「手をつなぎたい」と言ったら、どんな顔をするだろうか。きっと、彼は頷いて手を差し伸べてくれるだろう。――そして、その手がもつ意味はルーカスが求めるものとは違う。
「そんなに見つめられると照れるな」
ふいにバートンがこちらを向いて、そう言った。青い目がルーカスを捉えて、ルーカスは弾かれるように俯いた。
いま顔を見られたくなかった。きっといまはよくない顔をしている。
何か誤魔化さないと、と思って、カバンの中にあるものの存在を思い出す。
「あの、バートンさんに、これ……」
それはあの店で見つけたハンケチーフである。紫色のそれはやはりバートンによく似合う。
「バートンさんの色かなって思って」
そう言って、彼に手渡す。手渡してから、その贈り物にリボンも包装もないことに気が付く。物資不足の世の中とはいえ、相手はダン帝国軍占領軍の総司令官だ。
ルーカスは慌てて言い添える。
「いっぱい持ってるかもしれないですし、いらないかもしれないんですけど、その、何か渡したくて……!」
両手を振ってわたわたして、それからおずおずと目を挙げた。
視線の先で、バートンは目を丸くしてその小さな織布を見ていた。
「あの……」
ルーカスが次に言うべき言葉を見つけるより先に、バートンが動いた。
彼はゆっくりとそのハンケチーフに唇を落とすと、大事そうに胸に抱いた。
「ありがとう。大切にするよ」
ルーカスは優美なその所作から目が離せなかった。
縫いとめられたようにその場に立ち尽くす。
そんなルーカスの肩を抱き寄せて、バートンが言った。
「私からも贈り物があるよ」
そうして、バートンの使用人であるマトックスが小さな直方体の箱を差し出した。バートンはその箱をとると、ルーカスの掌に乗せた。それはきれいな紙に包まれ、艶やかな茶色いリボンが巻かれている。
「これ……」
「ペンだよ。筆記具はいいものを使わないといけない」
「あ、ありがとう……ございます」
ルーカスはそれをぎゅっと胸に抱いた。
リボンが巻かれた贈り物をもらうのは初めてだった。もったいなくて、リボンをほどくことができなかった。
バートンは一度ルーカスの頭を撫でたあとでルーカスを誘った。
「ルーカス、今日は風が気持ちいいから、いっしょに庭を散歩しないかい。疲れているだろうけど、少しだけ」
「……はい」
良い日だった。
ルーカスは右手に貰ったばかりの小さな箱を大事に持って歩く。
叫びたいような、手足をばたばたさせたいような、むずがゆい感情がルーカスの胸にあふれた。
しかし、それを言葉にすることができなくて、ルーカスは黙ってバートンの後ろを歩く。
バートンは迷いなく進んでいく。その後ろをルーカスが歩き、さらに後ろにマトックスとロイが歩いた。
濃厚な花の香りが漂っている。
「なんの花の匂いでしょうか」
ルーカスが尋ねると、バートンは首を傾げた。代わりに使用人のマトックスが答える。
「ゼラの花です」
示された先を見ると、門の傍に植えられた木が白い大輪の花をつけていた。庭のランプに照らされたそれは、子どもの手のひらほどもある。ルーカスはそのような花を初めて見た。彼はもの珍しげにその白い花弁に鼻を近づけた。
「わ、いい匂いですね」
ルーカスが言うと、バートンはあいまいに笑った。
そしてバートンもゼラの木に近づくと、そのひと枝を手折った。彼はその枝をルーカスに渡して「部屋の花瓶に活けるといいよ」と言った。
「バートンさんは?」
「私はいいよ。……そんなに好きじゃないんだ」
「そうですか」
白い大輪の花を背に立つバートンは優美だった。ルーカスは神がつくったような美しい光景を目を細めて眺めた。
ふいに、バートンがルーカスに向き直った。
「大学で友達もできて、安心したよ」
見とれていたルーカスはその言葉に反応するのが遅れた。
「あ……え、あ、はい」
バートンがルーカスに近づく。ゼラの甘い香りがルーカスを包む。
「君に言った言葉を撤回するつもりはないのだけれど、形だけでも、私の子どもになってくれないかい」
「え?」
バートンはルーカスの肩に手を置いた。
「私の家には爵位があってね」
「爵位?」
「そう。本国の私の父が体調を崩していてね。私が爵位を継ぎたいのだけれど、爵位継承の条件は子どもがいることなんだ。父から手紙が来て、君のことを伝えたら、急いで手続きを、と」
「あ……」
カルヴァに来るまでの船で盗み聞きした会話が脳内に蘇る。
――「跡取りがいないことを心配なさっていましたからね」
――「そこにきて18歳の男児だ。いやめでたい」
――「これでバートン様も爵位を継げます」
ルーカスは手の甲に爪を立ててバートンを見上げる。彼は静かにルーカスの返事を待っている。
「バートンさんは……父さんが好きでしたか?」
「ああ」
「いまも?」
風が吹いた。ルーカスは「もちろん」という返事を半分だけ期待した。もしバートンがそう答えてくれたなら、ルーカスは胸の奥に灯ったばかりの小さな火をなかったことにして、バートンの子どもになろうと思っていた。
バートンは答えた。
「いまは、ルーカスのことが一番だよ。私の子だもの」
ルーカスは奥歯を噛んだ。それはもう半分の期待をかすめた言葉だった。
――僕のことが一番。
バートンの一番になれたことが嬉しい。しかし、バートンの子どもだから得られた一番でもある。ルーカスは喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。
ルーカスはゆっくりと息を吐いた。
「ちょっと……考えてもいいですか。そんなにお待たせしませんから」
「もちろんだとも」
バートンは花がほころぶように笑った。
20
お気に入りに追加
82
あなたにおすすめの小説
悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
▼毎日18時投稿予定
転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる
塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった!
特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。
孕めないオメガでもいいですか?
月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから……
オメガバース作品です。
嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!
棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる