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第1話 異世界帰り
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季節は春。天候は晴れ。
生暖かい春風に、足取りも軽快になる。
衣替えも始まり、皆が気分を新たに入れ替えていく。
時折、吹き抜ける突風を煩わしいと思いながら通学路を進む。
髪が乱れようと、服が乱れようと構わないが、小説のページを乱暴にめくるのはやめてほしい。
それから、もう一つ煩わしいことがあった。
「きゃ、スカートめくれちゃう!」
「大丈夫? 後ろ押さえててあげるよ」
「んもう、さりげなくお尻触らないでよね、えっち」
「ははは、ごめんごめん」
リア充なヤツらを活気づけるのもやめてほしい。
「……はぁ」
朝から気分を沈ませながら黙々と活字をなぞる孤独の高校一年生、新山奏太。
彼女いない歴=年齢。
祖父の教えを信じて読書一筋に生きてきたものの、最近になってどこか虚しさを感じてきた。
「ねえ、今日泊まりに行ってもいいかな?」
またか。学生カップルの次は社会人カップルだ。
「ああ、構わないよ。なら、鍵渡しておくか」
「うふふ、おいしいご飯を作って待ってるね」
…………。
人類の半分は女だと言われている。
しかし、僕にはそういった色恋沙汰は皆無である。
「単純にモテないだけか……」
それとも運命の相手との出逢いが、まだ訪れていないだけなのだろうか?
できれば後者であってほしい。切実に――。
◇
その日の放課後、普段滅多に使用しない視聴覚室の扉を開けると、窓際にたたずむ女子生徒の姿が見えた。
窓の外を眺めていた彼女は、振り返ると、
「手紙、読んでくれたんだね……」
「……うん」
鋭い視線に白い肌。金色に染めた髪をサイドテールに纏めた、同じクラスメイトの沢村真衣だった。
教室を見回しても沢村さん以外の姿は無い。西日で茜色に染め上げられた室内には、今、僕と彼女の二人だけだった。
僕は今朝、下駄箱に入っていた差出人不明の手紙で、放課後この時間の教室に呼び出されていた。
「……それで、僕に伝えたいことって、なんですか?」
「うん……それなんだけどね……」
沢村さんは視線をさまよわせて、手を背にすると忙しなく動かす。西日のせいもあるだろうが、彼女の顔は耳まで真っ赤に染まって見えた。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙の後、沢村さんは急にキッと姿勢を正すと、僕と視線を合わせてきた。そして、
「……あたしと付き合ってください」
沢村さんはうつむき、僕にそう告げる。
制服のスカートの端を握りしめて、ひたすらに僕の返事を待っている。
生まれて初めての、女子からの告白。
客観的にみれば嬉しいはずのシチュエーション。それなのに僕の手は僅かに震え、額には脂汗が滲んでいる。
正直な話……僕は彼女が苦手だった。
何故なら、沢村真衣――メイクはアイシャドウにマスカラ、ネイルアートといったもので派手に彩られていた彼女は見た目通りの、いわゆるギャルというやつであったからだ。
勉強がそこそこ出来るだけ。顔もイケメンとはほど遠い地味な僕とでは、あまりにも釣り合いが取れていないのは明白だった。
「……一つだけ聞いてもいいかな?」
「うん……」
「どうして、僕なの……?」
当然ともいえる疑問を僕は彼女に投げかけた。
「…………」
僕の投げ掛けに、彼女はしばらく無言だった。
静まり返った春の校舎に響くのは吹奏楽部のピアノと、時折それに混じって聞こえる野球部員たちの球を打つ金属バットの乾いた音。
やがて沈黙を破るように彼女はゆっくりと口を開いた。
「……変わりたいから」
「……え?」
「あたしってほら、こういう見た目だから周りはチャラい男ばっかり集まって来るし、そろそろ真面目になろうかなって……」
「う、うん……」
「それで、新山くんってすごい真面目で優しいから……いいかなって……」
「そ、そうなんだ……」
僕の印象と数少ない友人から伝え聞く悪い噂は当てにならないな、と思った。
……きっと僕と同じで、沢村さんも変わろうとしているんだ。
「それで……どうかな……?」
沢村さんが上目遣いに僕を見つめてくる。
今朝のことを思い返す。
運命の出逢い。
今、頷くだけで、僕は彼女と付き合える。
正直、僕は沢村さんに対して何の恋愛感情も持っていなかったけど、彼女が変わろうとしているように、僕も変わらなければいけないのだ、と思った。
「よろしく……お願いします……」
僕は彼女から少しだけ視線を反らし、ぎこちない笑顔を浮かべながら言った。
今はまだ手探りだけれど、目の前にいる彼女となら、きっと僕も……
「…………」
ゆっくりと視線を沢村さんの方に戻すと、彼女は無言で僕との距離を詰め、そして密着するようにして僕の背中に腕を回した。
今の僕は茹で蛸のように顔を真っ赤にしているのかもしれない。そしてこれからキスをするんだ、と思った僕はぎゅっ目を瞑った。
「…………」
だけど、一向にその時は訪れない。僕はその沈黙に耐えかねてゆっくりと片目を開くと……。
「…………ふふっ、ごめんね?」
「…………えっ?」
目の前には、舌を出し、小悪魔のような薄ら笑いを浮かべた彼女がいた。
これはもしかして――と思った瞬間、教室のドアが勢いよく開かれ、ゲラゲラと笑いながら入ってくる四人組の男達。
やられた。
彼らを見て、ようやく自分が嵌められたことを理解した。 おそらくこれは嘘コクというやつで、僕が困惑している様子を見て楽しむためにわざわざ呼び出したのだ。
「オラ、早く沢村から離れろよ」
「あぐっ……」
彼らの一人が、強引に僕の襟首を掴んで彼女から引き剥がし、そして床に叩きつけた。
「バーカ。沢村がお前みたいな地味な奴と付き合うワケねーだろ」
そう言ってリーダー格らしき男がポケットからスマホを取り出すと、尻餅をつく僕に向けて録画していた動画を再生する。 そこには、顔を真っ赤にしたままおろおろとしている僕と、その様子を小馬鹿にしたような顔で見つめる沢村さんの画が映し出されていた。
「あははっ、マジでウケるんだけど~!」
何が面白いのか。動画を確認した沢村さんは、彼らと一緒になって下卑た声で笑い合う。
「沢村の演技力まじっぱねえわ。んじゃ、これ賭け金な」
リーダー格らしき男が財布から千円札を数枚取り出すと、彼女に手渡した。そして「毎度~」と、語尾に音符が付いたような口調でお札を財布を収めると、彼らに背を向けて教室を後にしようとする。
「沢村さん……」
「うん?」
僕は彼女を呼び止めた。
「どうしてこんなこと……変わりたいって……嘘だったの……?」
「んー……」
僕の問い掛けに対し彼女は、一差し指を口に当てて考える仕草をした。やがて何か思いついたような表情になると、くすりと笑う。
「新山くんが真面目で優しいって思ってるのは本当だよ? でも、あたしの家って結構貧乏でさ、何かを変えるにもまずはお金が必要だからね~」
「…………そっか」
僕を見下ろす形で一瞥すると、今度こそ彼女は教室を後にした。残ったのは僕と……
「さてと、そんじゃ俺らは賭け金の回収だな」
「えっ……?」
「オラ、この映像バラ撒かれたくなかったら金出せよ」
彼らだった。
そしてこの日を境に、僕を取り巻く環境は一変した。
◆
「オラっ、もう一発!」
「がはっ!」
「おい、ボールが痛がってんじゃねーよ」
「う、うぅ……ご、ごめんなさいっ……」
「なあ、そろそろ俺にも代わってくれよ?」
……僕は今日もサッカーボールだ。
彼らは新しい玩具を見つけたように、休み時間になればキックオフ。とりあえず、頭をボールに見立てて蹴られまくる。当然ルールなんてないオリジナルだから、ハンドも可。そして放課後になればPK戦が始まる。一人ずつ僕を蹴って、苦しむ声をより出せたほうが勝ち。こんなイジメを受けていたおかげで僕の制服はいつもボロボロだ。
そしてある日。
「動くんじゃねーよ、サンドバッグが」
「うぐっ!」
お腹を殴られた拍子に僕は大切にしている小説を懐から落としてしまう。
「おい、コイツ、小説なんて持ち歩いてるぜ」
「どれどれ。『戦国名将伝』? なんだこりゃ」
「……えして」
「ん? なんだよ、はっきりいえよ」
「そっ、それ……大切な小説……かっ、返して……!」
「ふーん、そんな大事なモンだったのか」
僕は痛みに堪えて必死に頷く。
「そんじゃ、こうしてやんないとな。オラっ!」
不良の一人は、手に持った小説を開くと、力の限りそれを引き裂いた。
「そ、そんな……っ!」
「うるせえ! つまんねーもん持ち歩いてんじゃねーよカス!」
『戦国名将伝』
今は亡き小説家だった父が、生前最後に書いた小説。未完という事情で世に出回らず、僕のためだけに一冊のみ製本された父の形見。
「うぅ……うぅ……」
「お、やっと泣きが入ったか。誰が最初にテメェを泣かせるか賭けてたんだが、俺の勝ちみてえだな」
「……ちっ。こんな下んねーもんで泣いてんじゃねーよ!」
不良たちは床に散らばった小説のページを踏みにじり、そして僕に見せつけるようにして念入りに破き始める。
僕は、ついに耐えられなくなり、夏休みを機に逃げるよう転校した。
高校入学から僅か四ヶ月足らずして。
◆◆◆
気がつけば高校二年生の春を迎えていた。
転校先の高校でも状況は一向に変わらず、僕は常にイジメの対象となっていた。
人と人とが同じ空間で過ごし、平穏な環境を保つために一番必要なもの。
それは『道理』だ。
なにしろこれ以上に明快で単純なことはない。
世界は道理に満ちていて、だからこそ社会というものが成り立っている――。
あの日までの僕は、そんな風に思っていた。
だが、実際はどうだろうか。
この世の中は道理を踏みにじる輩が多い。
不条理で曖昧なものを許し、平然とした顔で共存している振りをする。
行き交う人間は誰も止めに入らない、入れない。
相手は一日先の未来も考えない。今を楽しむことだけを考える脳しかない連中だ。
見て見ぬを振りをする者、こっそりと携帯で撮影する者、どうしようかと迷いながら視線だけを送る者。
その場では可哀想と言いつくろい、やがて忘れ去る。
例えそこから救い出すことが正しいことだとしても、見捨てる、あるいは見過ごすことが多勢なら、それが正しいこと。
だから、周囲の人間は異常ではなく正常。
それが道理というのなら、僕は――
「そこのキミ! 危ないからホームから離れなさい!」
◆◆◆
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………ああ、俺は帰って来れたのか」
気がつくとそこには100年ぶりに目にする我が家の光景が広がっていた。あの日と同じような。
といっても部屋の配置などを細かく記憶なんざしてらんねえので、余所様の部屋へ土足で上がりこんだような心持ち。だが世間ではほんの一瞬の出来事だったのかも知れぬ。
俺は確かに、かつてこの部屋、いやいや、この世界で暮らしていたのだ。
それはおそらく歴史的な事実、鎌倉幕府がかつて存在したとか、よりは確実なことであるはず。
にもかかわらず、こんなに遠くに感じる。それはきっと、俺が変わってしまったからなんだろう。
俺はアルタード・ステイツのような現実の遠景化から覚め、ベランダへと向かった。
「…………<飛行魔法《フライト》>」
下向きに落下する重力と、上向きに落下する反重力を制御して、俺はベランダから夜空へと飛び立った。
高度約2500m上空を飛行中、ふと一人の中年男に目が留まった。ソレは、然も当たり前のような流れで、火種の残る吸い殻を路上へと向けて放ったのだ。
「ははっ」
どこの世界にも悪いヤツがいるもんだ。無自覚でかかる行為ができるということは、そうすることで、自分の立脚点を脅かされるなど絶対にないという自信があるからだろう。
羨ましい話である。人間っていいな、である。
そんな余所見をしているうちに目的地へと着地。
かっ。くかっ。俺は東京タワーの頂から見下ろした先に展開する街並みに呆然とした。
「……洒落ている」
あの世界とは違う、いわばオサレ発信基地って感じのオサレさであり、店も人も我ひとり尊しって感じで屹立あるいは闊歩していた。
俺はフンハと丹田に力を込め、危険な目つきで辺りを睥睨する。
くしょー、お前ら人間が青春の謳歌にこれ努めている間に、俺は異世界という豚箱に100年もぶち込まれていたのだ。黙々と刑期を終えて帰ってきた俺は俺の舐めた辛酸によっていつか大成するのだ。
しかしそれは詭弁というものであり、外科医のメスも行きすぎれば傷害、苦労も過ぎるとかえって逆効果である。
ましてや、この苦労なるものが他から押しつけられたものではなく、単に俺の見方や感じ方の問題に過ぎないとすれば。
だが現実として俺は魔族になってしまった。魔王とまで呼ばれた。
異世界で、とある女が俺に云った言葉がある。
『あなたは魔王なんかじゃありません。この世界を救った勇者様です』
俺はそのとき、はっ、と思いましたね。あるいはけっ、と。
言霊じゃあるまいし、言葉を変えて実態が変われば世話はないのだ。
もっとも、こうして笑顔をふりふり往来している地球連中にしても俺の内面などまったく分かったものではない。
内面の孤独、など、いかにもありそうなテーマである。外見だけならいくらでも取りつくろえる。
俺はそれを知っている。俺は人間のフリが得意だった。
===============================
『カナタ・ニイヤマ』 116歳 魔族 レベル:8726
【天職:勇者・魔王】
攻撃:9999999
防御:9999999
敏捷:9999999
魔力:9999999
魔攻:9999999
魔防:9999999
心力:0
スキル:全属性魔法、自然治癒(極)、魔眼、生命吸収、擬態、言語理解
===============================
【ステータス:心力】
・別名:正気度。
・このステータスのみ全天職で上限100に統一される。
・戦闘又はそれに準ずる行動によって徐々に低下する。
・休息や睡眠によって自然回復する。
・数値が0になると正気を失う。
生暖かい春風に、足取りも軽快になる。
衣替えも始まり、皆が気分を新たに入れ替えていく。
時折、吹き抜ける突風を煩わしいと思いながら通学路を進む。
髪が乱れようと、服が乱れようと構わないが、小説のページを乱暴にめくるのはやめてほしい。
それから、もう一つ煩わしいことがあった。
「きゃ、スカートめくれちゃう!」
「大丈夫? 後ろ押さえててあげるよ」
「んもう、さりげなくお尻触らないでよね、えっち」
「ははは、ごめんごめん」
リア充なヤツらを活気づけるのもやめてほしい。
「……はぁ」
朝から気分を沈ませながら黙々と活字をなぞる孤独の高校一年生、新山奏太。
彼女いない歴=年齢。
祖父の教えを信じて読書一筋に生きてきたものの、最近になってどこか虚しさを感じてきた。
「ねえ、今日泊まりに行ってもいいかな?」
またか。学生カップルの次は社会人カップルだ。
「ああ、構わないよ。なら、鍵渡しておくか」
「うふふ、おいしいご飯を作って待ってるね」
…………。
人類の半分は女だと言われている。
しかし、僕にはそういった色恋沙汰は皆無である。
「単純にモテないだけか……」
それとも運命の相手との出逢いが、まだ訪れていないだけなのだろうか?
できれば後者であってほしい。切実に――。
◇
その日の放課後、普段滅多に使用しない視聴覚室の扉を開けると、窓際にたたずむ女子生徒の姿が見えた。
窓の外を眺めていた彼女は、振り返ると、
「手紙、読んでくれたんだね……」
「……うん」
鋭い視線に白い肌。金色に染めた髪をサイドテールに纏めた、同じクラスメイトの沢村真衣だった。
教室を見回しても沢村さん以外の姿は無い。西日で茜色に染め上げられた室内には、今、僕と彼女の二人だけだった。
僕は今朝、下駄箱に入っていた差出人不明の手紙で、放課後この時間の教室に呼び出されていた。
「……それで、僕に伝えたいことって、なんですか?」
「うん……それなんだけどね……」
沢村さんは視線をさまよわせて、手を背にすると忙しなく動かす。西日のせいもあるだろうが、彼女の顔は耳まで真っ赤に染まって見えた。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙の後、沢村さんは急にキッと姿勢を正すと、僕と視線を合わせてきた。そして、
「……あたしと付き合ってください」
沢村さんはうつむき、僕にそう告げる。
制服のスカートの端を握りしめて、ひたすらに僕の返事を待っている。
生まれて初めての、女子からの告白。
客観的にみれば嬉しいはずのシチュエーション。それなのに僕の手は僅かに震え、額には脂汗が滲んでいる。
正直な話……僕は彼女が苦手だった。
何故なら、沢村真衣――メイクはアイシャドウにマスカラ、ネイルアートといったもので派手に彩られていた彼女は見た目通りの、いわゆるギャルというやつであったからだ。
勉強がそこそこ出来るだけ。顔もイケメンとはほど遠い地味な僕とでは、あまりにも釣り合いが取れていないのは明白だった。
「……一つだけ聞いてもいいかな?」
「うん……」
「どうして、僕なの……?」
当然ともいえる疑問を僕は彼女に投げかけた。
「…………」
僕の投げ掛けに、彼女はしばらく無言だった。
静まり返った春の校舎に響くのは吹奏楽部のピアノと、時折それに混じって聞こえる野球部員たちの球を打つ金属バットの乾いた音。
やがて沈黙を破るように彼女はゆっくりと口を開いた。
「……変わりたいから」
「……え?」
「あたしってほら、こういう見た目だから周りはチャラい男ばっかり集まって来るし、そろそろ真面目になろうかなって……」
「う、うん……」
「それで、新山くんってすごい真面目で優しいから……いいかなって……」
「そ、そうなんだ……」
僕の印象と数少ない友人から伝え聞く悪い噂は当てにならないな、と思った。
……きっと僕と同じで、沢村さんも変わろうとしているんだ。
「それで……どうかな……?」
沢村さんが上目遣いに僕を見つめてくる。
今朝のことを思い返す。
運命の出逢い。
今、頷くだけで、僕は彼女と付き合える。
正直、僕は沢村さんに対して何の恋愛感情も持っていなかったけど、彼女が変わろうとしているように、僕も変わらなければいけないのだ、と思った。
「よろしく……お願いします……」
僕は彼女から少しだけ視線を反らし、ぎこちない笑顔を浮かべながら言った。
今はまだ手探りだけれど、目の前にいる彼女となら、きっと僕も……
「…………」
ゆっくりと視線を沢村さんの方に戻すと、彼女は無言で僕との距離を詰め、そして密着するようにして僕の背中に腕を回した。
今の僕は茹で蛸のように顔を真っ赤にしているのかもしれない。そしてこれからキスをするんだ、と思った僕はぎゅっ目を瞑った。
「…………」
だけど、一向にその時は訪れない。僕はその沈黙に耐えかねてゆっくりと片目を開くと……。
「…………ふふっ、ごめんね?」
「…………えっ?」
目の前には、舌を出し、小悪魔のような薄ら笑いを浮かべた彼女がいた。
これはもしかして――と思った瞬間、教室のドアが勢いよく開かれ、ゲラゲラと笑いながら入ってくる四人組の男達。
やられた。
彼らを見て、ようやく自分が嵌められたことを理解した。 おそらくこれは嘘コクというやつで、僕が困惑している様子を見て楽しむためにわざわざ呼び出したのだ。
「オラ、早く沢村から離れろよ」
「あぐっ……」
彼らの一人が、強引に僕の襟首を掴んで彼女から引き剥がし、そして床に叩きつけた。
「バーカ。沢村がお前みたいな地味な奴と付き合うワケねーだろ」
そう言ってリーダー格らしき男がポケットからスマホを取り出すと、尻餅をつく僕に向けて録画していた動画を再生する。 そこには、顔を真っ赤にしたままおろおろとしている僕と、その様子を小馬鹿にしたような顔で見つめる沢村さんの画が映し出されていた。
「あははっ、マジでウケるんだけど~!」
何が面白いのか。動画を確認した沢村さんは、彼らと一緒になって下卑た声で笑い合う。
「沢村の演技力まじっぱねえわ。んじゃ、これ賭け金な」
リーダー格らしき男が財布から千円札を数枚取り出すと、彼女に手渡した。そして「毎度~」と、語尾に音符が付いたような口調でお札を財布を収めると、彼らに背を向けて教室を後にしようとする。
「沢村さん……」
「うん?」
僕は彼女を呼び止めた。
「どうしてこんなこと……変わりたいって……嘘だったの……?」
「んー……」
僕の問い掛けに対し彼女は、一差し指を口に当てて考える仕草をした。やがて何か思いついたような表情になると、くすりと笑う。
「新山くんが真面目で優しいって思ってるのは本当だよ? でも、あたしの家って結構貧乏でさ、何かを変えるにもまずはお金が必要だからね~」
「…………そっか」
僕を見下ろす形で一瞥すると、今度こそ彼女は教室を後にした。残ったのは僕と……
「さてと、そんじゃ俺らは賭け金の回収だな」
「えっ……?」
「オラ、この映像バラ撒かれたくなかったら金出せよ」
彼らだった。
そしてこの日を境に、僕を取り巻く環境は一変した。
◆
「オラっ、もう一発!」
「がはっ!」
「おい、ボールが痛がってんじゃねーよ」
「う、うぅ……ご、ごめんなさいっ……」
「なあ、そろそろ俺にも代わってくれよ?」
……僕は今日もサッカーボールだ。
彼らは新しい玩具を見つけたように、休み時間になればキックオフ。とりあえず、頭をボールに見立てて蹴られまくる。当然ルールなんてないオリジナルだから、ハンドも可。そして放課後になればPK戦が始まる。一人ずつ僕を蹴って、苦しむ声をより出せたほうが勝ち。こんなイジメを受けていたおかげで僕の制服はいつもボロボロだ。
そしてある日。
「動くんじゃねーよ、サンドバッグが」
「うぐっ!」
お腹を殴られた拍子に僕は大切にしている小説を懐から落としてしまう。
「おい、コイツ、小説なんて持ち歩いてるぜ」
「どれどれ。『戦国名将伝』? なんだこりゃ」
「……えして」
「ん? なんだよ、はっきりいえよ」
「そっ、それ……大切な小説……かっ、返して……!」
「ふーん、そんな大事なモンだったのか」
僕は痛みに堪えて必死に頷く。
「そんじゃ、こうしてやんないとな。オラっ!」
不良の一人は、手に持った小説を開くと、力の限りそれを引き裂いた。
「そ、そんな……っ!」
「うるせえ! つまんねーもん持ち歩いてんじゃねーよカス!」
『戦国名将伝』
今は亡き小説家だった父が、生前最後に書いた小説。未完という事情で世に出回らず、僕のためだけに一冊のみ製本された父の形見。
「うぅ……うぅ……」
「お、やっと泣きが入ったか。誰が最初にテメェを泣かせるか賭けてたんだが、俺の勝ちみてえだな」
「……ちっ。こんな下んねーもんで泣いてんじゃねーよ!」
不良たちは床に散らばった小説のページを踏みにじり、そして僕に見せつけるようにして念入りに破き始める。
僕は、ついに耐えられなくなり、夏休みを機に逃げるよう転校した。
高校入学から僅か四ヶ月足らずして。
◆◆◆
気がつけば高校二年生の春を迎えていた。
転校先の高校でも状況は一向に変わらず、僕は常にイジメの対象となっていた。
人と人とが同じ空間で過ごし、平穏な環境を保つために一番必要なもの。
それは『道理』だ。
なにしろこれ以上に明快で単純なことはない。
世界は道理に満ちていて、だからこそ社会というものが成り立っている――。
あの日までの僕は、そんな風に思っていた。
だが、実際はどうだろうか。
この世の中は道理を踏みにじる輩が多い。
不条理で曖昧なものを許し、平然とした顔で共存している振りをする。
行き交う人間は誰も止めに入らない、入れない。
相手は一日先の未来も考えない。今を楽しむことだけを考える脳しかない連中だ。
見て見ぬを振りをする者、こっそりと携帯で撮影する者、どうしようかと迷いながら視線だけを送る者。
その場では可哀想と言いつくろい、やがて忘れ去る。
例えそこから救い出すことが正しいことだとしても、見捨てる、あるいは見過ごすことが多勢なら、それが正しいこと。
だから、周囲の人間は異常ではなく正常。
それが道理というのなら、僕は――
「そこのキミ! 危ないからホームから離れなさい!」
◆◆◆
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………ああ、俺は帰って来れたのか」
気がつくとそこには100年ぶりに目にする我が家の光景が広がっていた。あの日と同じような。
といっても部屋の配置などを細かく記憶なんざしてらんねえので、余所様の部屋へ土足で上がりこんだような心持ち。だが世間ではほんの一瞬の出来事だったのかも知れぬ。
俺は確かに、かつてこの部屋、いやいや、この世界で暮らしていたのだ。
それはおそらく歴史的な事実、鎌倉幕府がかつて存在したとか、よりは確実なことであるはず。
にもかかわらず、こんなに遠くに感じる。それはきっと、俺が変わってしまったからなんだろう。
俺はアルタード・ステイツのような現実の遠景化から覚め、ベランダへと向かった。
「…………<飛行魔法《フライト》>」
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高度約2500m上空を飛行中、ふと一人の中年男に目が留まった。ソレは、然も当たり前のような流れで、火種の残る吸い殻を路上へと向けて放ったのだ。
「ははっ」
どこの世界にも悪いヤツがいるもんだ。無自覚でかかる行為ができるということは、そうすることで、自分の立脚点を脅かされるなど絶対にないという自信があるからだろう。
羨ましい話である。人間っていいな、である。
そんな余所見をしているうちに目的地へと着地。
かっ。くかっ。俺は東京タワーの頂から見下ろした先に展開する街並みに呆然とした。
「……洒落ている」
あの世界とは違う、いわばオサレ発信基地って感じのオサレさであり、店も人も我ひとり尊しって感じで屹立あるいは闊歩していた。
俺はフンハと丹田に力を込め、危険な目つきで辺りを睥睨する。
くしょー、お前ら人間が青春の謳歌にこれ努めている間に、俺は異世界という豚箱に100年もぶち込まれていたのだ。黙々と刑期を終えて帰ってきた俺は俺の舐めた辛酸によっていつか大成するのだ。
しかしそれは詭弁というものであり、外科医のメスも行きすぎれば傷害、苦労も過ぎるとかえって逆効果である。
ましてや、この苦労なるものが他から押しつけられたものではなく、単に俺の見方や感じ方の問題に過ぎないとすれば。
だが現実として俺は魔族になってしまった。魔王とまで呼ばれた。
異世界で、とある女が俺に云った言葉がある。
『あなたは魔王なんかじゃありません。この世界を救った勇者様です』
俺はそのとき、はっ、と思いましたね。あるいはけっ、と。
言霊じゃあるまいし、言葉を変えて実態が変われば世話はないのだ。
もっとも、こうして笑顔をふりふり往来している地球連中にしても俺の内面などまったく分かったものではない。
内面の孤独、など、いかにもありそうなテーマである。外見だけならいくらでも取りつくろえる。
俺はそれを知っている。俺は人間のフリが得意だった。
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『カナタ・ニイヤマ』 116歳 魔族 レベル:8726
【天職:勇者・魔王】
攻撃:9999999
防御:9999999
敏捷:9999999
魔力:9999999
魔攻:9999999
魔防:9999999
心力:0
スキル:全属性魔法、自然治癒(極)、魔眼、生命吸収、擬態、言語理解
===============================
【ステータス:心力】
・別名:正気度。
・このステータスのみ全天職で上限100に統一される。
・戦闘又はそれに準ずる行動によって徐々に低下する。
・休息や睡眠によって自然回復する。
・数値が0になると正気を失う。
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