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雪嶺とアリストクラット
覚醒と改悪
しおりを挟む斬りかかるか?剣を納めたあとの方が恐怖が和らいだが、それでも怖くてしかたがない。思わず冷静ではない判断を成そうとしてしまっている自分がいる。
いやいかんだろ。ほら、そうだ。マサリは攻撃はしていなかった。「助けて」の意味は何も「守れ」という訳だけではない。攻撃で暴力ではない問題解決のひとつの手段として助けを求めたのだろう。
それはともかく俺は進行方向を大幅に曲げマサリから怪物を引き離したのだが、しかしどうにもうまくいかないんだな、これが。何を思ったのか、飄々とした足取りでマサリは俺の隣をついてきた。そこに俺とは違って恐怖はなく、もはや安心感も過ぎ去りただこれからに対する興味があるようだった。俺が入ればなんとかなるだろとでも考えているのだろうか。ふざけるな、お前の方が余程強いだろうが。…………考えるだけでも悲しくなるな。やめよう。
マサリは今みたいな…つまりはそういった時、分類的にはワクワクしている時だろうか。そういう時にマサリは俺の背中を叩く。子供っていうのはどうしてこう、喜怒哀楽の切り替えがこんなにも早いのか。
「マサリさんよ、とりあえず話を聞いて良いか?というか聞くぞ!」
「はいはーい!」
「まずマツリだ!マツリはどこだ?」
するとマサリは左手の人差し指を怪物達のうんと奥の方に向ける。
「自分がねぇ、ぜーんぶひきつけたんだよ!!すごいでしょっ!」
そのまま両腕を白鳥が水面から飛び立つ時のように広げ、腕を寒さをしのぐように強くぐっと折り曲げる。
「マツリが安全なように、暗いここには入れてないのだよ!」
誉めてほしいことは分かったし、その時、マサリはマツリを助けるために頑張ったのだろう。徐々に体力が失われゆくマサリに合わせ、少しだけ走るスピードを遅くする。
「よくやってくれた。本物のお姉ちゃんみたいだ」
「うんっ!」
「頑張ってお前一人であいつらを引き付けたんだろう?あとは俺が引き受けるからな。……そういえば」
どうやって引き付けたかを聞きたいが、今は大事なことじゃない。口をつぐむ。けれどそれを聞く前にマサリはそれを悟ったのか、人差し指を頬に当てて、「暗いとこを見つけてるとあいつらに出くわしたらね、バラバラに動き出したの。いっぱい頑張ったんだけどね、無理でさ、最後に勇者が来たぞーって言ったんだ」と説明を加えてくれる。狼少年みたいな常套句だが、実際俺はここにいるしな。
「そうか、ありがとな。じゃあマサリは」「はいっ、マサリもお手伝いするよ!」
「頼もしいな。じゃあお前はマツリの護衛を…」
「揺籃歌があるからね、あの子は今自分より魔法を使えるし。今心配なのはサトリだよ」
「俺?」
マサリの声色がわずかに低くなったと思えば、俺の袖口をひく。それは思ったよりも力強く、思わず俺は足を止めた。
「うぉい、なにす…」
パタリ。途端、怪物達も足を止める。それどころか、彼ら(なのかは分からないがともかく全ての怪物)は跪くように重そうな脚を曲げてその場にとどまった。
「止まった…」
それは洗礼されたマーチングのようで、俺は思わずその動きに敬礼をしたくなる。マサリを見る。
まさかマサリはこいつらが俺の動きと連動しているとわかっていたのか?
「ほんとだ!よかったラッキー!」
マサリは走るのが得意ではないのですぐによろこぶと、ふう、と息を整える。どうやら違うようだった。
暗い空間はそのままだったが、靄がどんどん薄くなる。視界は少しは鮮明になった。
怪物達は呼吸もなにも…微動だにせずにそこに固まっている。
「…いや、なんで俺が心配なんだ?」
「べっつにぃ~?」
「剣、抜かないね」
マサリは俺の肘を肘でつつく。確かにいつも何かあるとすぐ抜いてそのまま握りっぱなしの癖が少し残っているのだが、今日はもう納めている。
「あ、ああ…現状驚異はないからな。それよりなんだ、こいつらは本当に…」
俺が一歩近づくと、怪物達は一斉に顔を上げる。よくよく見れば、十人十色の姿をしている。片目がなかったり、眉を潜めていたり、口を開けていたりと様々だ。
もう一歩歩けば、何十もの列を成す怪物達の中央に道が出来るよう全員がそれぞれ右か左かに寄る。それ以上は俺がどれだけ動こうが足踏みしようが反応はなかった。その開けられた二メートル強の距離はどう考えても俺のために道をあけてくれたに違いない。問題は、その意味だが。
俺は両肩を回して肩凝りを軽くほぐし、そのわずかな道を歩こうとすれば怪物達は立ち上がるので身構えたが、彼らは手を上にあげて伸ばし、向い合わせの怪物同士で手を繋いで俺の頭上に歪なアーチを作ってくれた。俺よりもひどく大きいため、遥か上空に掲げられた壁のようなアーチだった。
「うわあっ、すごいね!!」
マサリは厚手のネックウォーマーや手袋を俺の方すら見ずにポイポイ手渡しながら、そのアーチを潜り抜けては歓声に似た感嘆の声を上げている。
「走るなって!待てよおい…!」
俺も慌ててマサリを追いかける。子供の手は離してはいけないと嘆いていた育て親の顔が目に浮かぶ。
そのまま追いかければすぐに追い付いただろうが、途中、一体の怪物が前のめりに倒れてきた。前方で倒れてから腕だけを上げた奇妙な姿でもそれは微動だにせず、石化したように全く動かなかった。それに押されるように後ろへ倒れ込んだもう一体も同じだった。彼らを持ち上げようと努力はしたがさすがに重すぎたので飛び越える。
するとこの先ではスタコラサッサと俺を置いていっていたマサリが早足でこちらへ戻ってくる様がみえた。その顔は不機嫌そのもので、眉間にシワを寄せ口を尖らせてまでいた。
「早く帰ろうサトリ」
「え?」
「こんなところ本当にくだらない」
ケッと、マサリはわざとらしく声に出す。
「ウツリを探さないと」
「怪物達の変な動きの謎は判明したし」
「いやだから、ウツリを…」
「それ分かったらもうこいつらどうでもいいし」
「どうでもよくはねえだろ。俺ちょっと怖がってるぞ」
「自分は全然怖くないし余裕だもん!逃げてたのはマツリの側で一気に沢山殺したくなかっただけだし!それで何体かだけ呼び寄せて倒そうって煽ったら、ちょっと量が多すぎて圧倒されただけで、それに奇妙だったから興味が湧いただけで。しかももうサトリもいるのに倒せないわけじゃないもん」
そうやってやや早口で反論されると、マサリは俺が今飛び越えた怪物のひとつの首根っこを掴み、俺が服の下でぶら下げたナイフを探そうとこちらに飛び込もうとして来るのでひょいと避ける。
「もうこの倒れてるのを引き摺ってマツリのところまで戻ろうよ」
「引き摺る?こいつ重いぞ…じゃなくて!お前、さっき何見たんだ」
「最悪なやつ」
「俺も見てくるよ。マサリはこいつらをまだ倒さないでいてくれよ、多分ウツリが見つかればなんとかここを出られるはずだから……」
そういえば俺、セェガーに結局ここに出る方法を聞かずに飛び入ってしまわなかったか?
途端、どっと汗が吹き出る。こういったミスは昔からよくするが、まさかこんな致命的な場面で焦って突っ走ったのか?やべ…
いや、案外さ、セェガーのやつここに送る時に帰れる魔法とかかけてくれてるんじゃないか?なんかこう…懐中時計に出会えたらみたいな制約で…
「い、いや、全然?懐中時計さえあればなんとかなるかもだし?いやほんと、うん…」
「嘘つき」
「う、嘘じゃないぞ!?絶対に何とかしてやるから…」
「…手っ取り早い方がいい」
「手っ取り早いって、あのなぁ…」
マサリはどうにも機嫌が悪いようだ。便利な耳でマサリが戻ってきた道からは足音とそれにともなった服の擦れる音が響いている。人だ。マサリの先程の苦手なものを見た怪訝そうな反応、ここで人がいる意味、殺意のない気配…
俺はまだ話の途中ではあったがマサリの前に出て俺もそちらに近づいてくる。
「あーもうサトリ!!」
「マサリ、奥にいるのってさ」
ウツリだろ?
同時に下手くそな舌打ち。ご名答だったようだ。
それからマサリは余程嫌なのか、俺の二の腕を思いきり引っ張ってウツリから遠ざけようとするが全く効果はなく、挙げ句の果てには「もう疲れたぁ~!!」と駄々まで捏ねてくる。仕方がないので一旦停まって少ししゃがみ、両手を後ろに伸ばす。
「むー…」
口を尖らせつつ、マサリは俺に飛び乗った。こいつはよく食う癖に非常に軽い。昔と比べても、おんぶしたって何も変わらない気すらした。
そのまま俺は走ってウツリのもとへ駆け寄り、やがてマツリをこれだけ放置しておいていいかというそちらの方の不安が勝りかけた時、向こうからも人影が見えはじめる。俺の首にかかっていた、ちょっとだけ退屈になって、セェガーからの布をハチマキにしたマサリが前のめりになって先を指差した。
「いたぁ!」
「ウツリ!」
マサリの脚を支えていて手は触れないが、せめて声でウツリに存在を示す。ウツリも駆け寄ってくれているようで、靴音が早くなる。
姿が見える。
両手を振ってくれていた。
とりあえず、良かったよウツリが元気そうで――
「サトリ様~!!!!!!」
「「え?」」
一瞬だった。
ウツリは俺との再開をよろこぶように両手をあげて抱きつこうとしたのだがその背後にマサリがいると知るや否や目の色が赤色に変わったように見え、そのまま右足を踏み込んだと思えば拳を俺の頬に突きつけた。以前はマサリを抱えていても避けられていたはずだが今日は突然すぎたのか、衰えただけなのか、ともかく避けられずにもろに右フックを喰らう。
「うごおぅ…痛えよなんだよ怒ってんのか?」
「本当貴方ってプレイボーイね、何人誑かすのよ」
「はぁ!?」
俺は思わず耳がキーンとなるほどの大声をだしてしまう。
なにを言い出すんだこいつ!?頭でもやられたのか!?
とりあえずマサリを下ろす。俺はやっと右頬を擦ると、こいつの異変を解明するべくまじまじ観察をする。
暗がりではあるが一見するとどこも変なところは見られない。
するとパチッと目が合って、するとウツリは分かりやすく頬を染めた。そのまますっと俺の左胸のところに手を置いて、ウツリは心臓の音を確かめるように体を預けてくる。引き剥がす。膨れっ面。
「お前、一体どうしたんだ」
「どうしたもない。早く帰りましょう?ダーリン」
「ダーリン!?」
「貴方に見せたいものがあるの」
「俺が今見たいのは懐中時計だな」
「それはあとでね。町へ帰りましょう」
そう言ってウツリはマサリの存在などもうなくなったかのように俺の左側で青筋を立てたマサリを手で押し退け俺の腰の辺りを掴み、出口へ向かおうと言う。出口はどこなのか。
「すぐここから出られるわ」
「じゃあさっさと帰らしてよ馬鹿馬鹿ニセイジョ」
マサリを見れば彼女は分かりやすく脚を揺すって、腕を組んで睨めつける。
「サトリ様、帰りましょ?」
「や、まずはマツリと合流して…」
「外へ出られれば大丈夫!皆同じ様なところで出られるわ。出口はいつも決まった場所なの」
「そうなのか、いやじゃなくて、それはありがたいがお前マジでどうしたってんだよ」
「さあ早く、帰りましょ?」
ウツリは俺を見上げる。目は尋常じゃないくらい輝いていて、怪物に感じた恐怖とどこか類似した感情が沸き上がってくる。マサリは俺からウツリを引き剥がそうとしているが、すぐに手を離して怪訝そうに眉を潜めた。静電気か何かか。なにがあったのかは分からないが、今度は足で引き剥がそうとしたので頭を撫でて静止させる。マサリに渡された防寒具を返す。
「わかった。全員で帰らせてくれるか?話は出口の先の、そこでしよう。」
「ええそうね」
ウツリは俺をいっそう強く抱き締めた。やめろ照れるだろ!すうと強く息を吸うと、ウツリは何かを呟きだした。俺は耳をたててみる。
「――我が体の時を止める鎖よ、針を騙った世界の指針よ、我らを現世に降臨させよ――」
ウツリの体が光り輝く。
視界が眩しすぎて思わず目をつぶる。
ウツリが俺の耳元でささやいた。
「ワタシはね、もう誰にもニセイジョなんて言わせないわ。ワタシの憧れ、それはワタシの姿。何年かかったか覚えてないけれど、ワタシはきっとこれを望んでいたのよ。全てはサトリ様のためですからね。喜んで、ワタシの勇者様」
最後の方は頭日が上る感じがした。怒りとかではなく、どちらかと言えば貧血で耳が聞こえなくなる前に耳が熱くなる感じだ。目を閉じた。
次に目を覚めると、そこには俺がとっさに手を目にかざしたマサリ、座り込んで辺りを見渡すマツリ、そして俺に抱きついたままはなれないウツリがいた。
そして最後に視界の先には、セェガーが冷めためで俺を見ていた。口を動かす。きっと小声だったのだろうが、今の耳のお陰で注意して聞けば聞こえてしまう声だった。
「深夜の四時頃にペナイトンの屋敷」
同時に親指を下に立てられる。何かが遅かったのだ。
俺は彼女をただノーリスクで助けるには遅かったのだ。
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