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雪嶺とアリストクラット

懐中時計

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 ――side サトリ
 「はああ!?お前、さっきのところに簡単に入れんの!?」
 そう叫んだ目の前には、冷たい空気に肌を晒しながら笑顔を崩さないセェガーが「下等生物とは違うから」と大変失礼な発言をかましてくる。

 ――それは、俺があの怪物を倒してすぐのことだった。外に出て、青い空を拝んだ後。
 さて、今からどうマサリ達を助けに行くかな、と呟いてから考えようとした丁度その頃、なんとセェガーは笑って、「私なら貴方をまた保護区域に送れるわよ。」とあっさりと言うのだ。その時点で(セェガーが嘘をついていなければ)マサリ達、そしてウツリがそこにまだいることは確定したのだが、いや…
 「それ二度手間じゃね?まじでなんで怪物倒す前に言わなかったんだよ!」
 怪物を倒すと外に出る仕組みはセェガーもわかってただろうに、何で一回外に出したんだ。
 実力を試すにしても、だ。
 「仕方ないでしょ」
 とセェガー。
 「いやなにが」
「入れるけれども簡単には抜け出せないのよ」
「そういう魔法がないってことか?入口は創れるのに?」
 セェガーは近くの雪を手掴みで拾うと雪玉を作りながら唸る。
 「そもそも、正規じゃない魔法で入れること自体が欠点なの。それに、普段私が普段保護区域から出ていく方法も異常だわ」
「じゃ、今までどうやって外に出てたんだ?」
「ほら、怪物に魔法にかけられてたでしょ?あの魔法、処置を施さないと時間が経つと自分も怪物になるか存在が保護区域と溶け合うかしかないから。でも私は国際的にも魔女認定されるほどに歪んだ魔術師だもの。それすら受け入れられずに外にほっぽり出されるの。しかも、貴方が今回してくれたみたいに怪物を私は倒せない」
 なるほどな。セェガーが言うに、ここはもとは聖女の保護区域だったのが、別の汚れた力が加わってあんな怪物を産み出したことになる。だったらもとから悪い力を持つとされているセェガーがそれを食らったところで怪物になるように侵食されないし、言ってももとは悪からの保護区域なのだから彼女はそこから弾き出される…というわけか。ややこしいか。
 だがまあ、入る度に逐一魔法にかからないと行けないのなら、これじゃ確かにもう一度行きたくはないだろう。
 俺はしゃがみこみ、誰にも踏みつけられずに済んでいるふわふわの雪に袖を捲らず腕を差し込みなんとか雪と土の間に転がる石ころをひとつ手に取る。見当たらないが近くにあるらしい下流のお陰で転がる石は野蛮に尖っておらず、どれも丸かった。こういう外界の空気に触れていない石で、かつ魔石だったのなら本の少しの魔力を蓄えている。何個か拾い上げたところで魔石を見つけた。
 他の大勢ならばこんな魔力無価値に等しいし、おままごとに使えるくらいの量だが、例えば食えばほんの少しは魔力が回復する。他の石よりはちょっと柔らかいし。
 ポケットに仕舞いこむ。
 「なるほどな。理解はしたよ。じゃあ早速だが、俺に再びあそこに戻る魔法をかけてくれないか。悪いが魔力が全く無いもんで、魔法を教えてもらったとしても使える自信が皆無なんだ」
 俺はいっそ魔力が使えない現状を茶化されるか指摘される前に嘲笑覚悟で丁寧に説明すると、セェガーは意外にもなにも突っかかってこずに、「知ってる。」とわずかな哀れみの目でこちらを見つめた。俺が全て悪いわけではないが、根本的要因はお前にあるのだとでも言うように、しかしそれでも可愛そうだなと、いわば半歩引いたところで俺を客観視しているような状態だった。
 セェガーの雪玉はやがて小さな雪だるまの頭くらいの大きさになる。職人技。
 「ウツリの懐中時計だよな。ウツリ、セェガーのこと知ってるし、とりあえず連れて帰る。懐中時計は…ウツリの宝みたいだし、簡単に受け取れないだろうから、とりあえずな。どこかでわかりやすい目印でもたてて待っててくれよな」
 しかし、セェガーは緩く首を降る。
 「いや、私はあの子と会いたくない。だから私は貴方に頼んでる。懐中時計だけ、私に寄越しなさい」
「会いたくない」
「あの子も私に会いたくないはず」
「いやそれは絶対に無い」
「私はあの子がほんっとうに駄目なの」
「…善処はするよ。だが一人で懐中時計を渡してもらう自信はちょっとなぁ…」
 そもそもウツリはセェガーにこれを隠そうとしていた。その頼みごとは無意味なものだったが、俺が奪うことも難しそうだ。
 少し躊躇いはあったが、事実である。
 セェガーはそう聞くと、顎に手を当ててしばらく固まったうち、滑らかな動きで左手の甲と右掌を軽く合わせて柏手を打つのに似た音を出す。
 「でもそうしないと、あの子死ぬよ」
 …深刻な言葉は案外あっさりと告げられる。

 「…は?」
「聖女じゃないのに、少し適正があるだけなのに。あの子は今、汚れきった保護区域の番人になってしまっている。汚れた空間は聖女以外は浄化できないのだから、当然、侵食される」
 一瞬だけ、セェガーの顔には曇りが見えた。大変なことになってしまっているんだ。俺も途端に汗が吹き出て、自分の鈍感さは、まるで正常性バイアスばかりで回りも見ることの出来ない、楽観的すぎて何にも備えることすらしない馬鹿と全く同じだと気づく。彼女は異常な体調不良を起こしてただろう。何故それをもっと深く考えなかった。
 「絶対にまだ間に合うよな?お前も、助けたいって考えてくれてるんだよな」
「ご想像にお任せする」
「よし分かった、なら尚更早くウツリに会いに行かないと」
 セェガーは頷き、腰に巻き付けていた布を俺の肩にマフラータオルのようにかけた。
 「貴方、勇者様ね。タイプじゃないけどその勇者らしい本能は尊敬は出来るかも」
 ――可愛そうね、魔女にそんなこと言われてね。
 セェガーは雪玉を上空に投げ、見た目よりも柔らかで固められず、脆かったらしい雪玉は空気圧に負けて四散する。その雪が、陽に照らされ真夏の夕立の雨のように煌々と輝く。セェガーがそこにてを伸ばし、エフェクトを伴う右手で魔法の名前を唱えれば、雪は本当に雨に変わる。彼女は独特のリズムと音程で歌いだし、俺の体はどこかに引き込まれていく気がした。いかんいかん。思わず見とれてしまったが、ちゃんと言うことは言っておかないと。
 「ありがとう、また後でな、心優しい魔術師さん!」
 雪山の魔女が悪者にされてようが知らないが、少なくともその末裔の彼女はいい人だ。なにはともあれ、得意ではない人の命を助けようとする、俺が見た彼女のことはいい人だと信じたい。
 …何でそんなに簡単に人を信じられるのかな。寝返ってしまった仲間が俺を軽蔑の眼差しで見ていたことを思い出す。
 馬鹿言うな、別に完全に信じた訳じゃねぇよ。もう一度ウツリの話も聞くつもりだからさ。だってあり得そうな話だったじゃないか。
 俺は今、誰に聞かれたわけでもないが、ただ過去のその言葉に答えるように呟いた。


 再び保護区域に戻ってからは、また何度か怪物と出くわした。
 奴らがかけてくる魔法は避けて、倒してしまえば元の世界に戻ってしまうので気絶させる程度にしておく。
 「グググ…グオォ…!!」
 それに、こいつらは…
 背後から刀かなにか刀身の長いものが振りかざされているのを感じたので振り向き様に受け止め、刃溢れした刀は真ん中あたりで折ってやる。そのまま怯んでいるうちに心の中では色々悩んで、最後には魔法と剣は使わず急所に向かって殴る蹴るなどの暴行を加えることで気絶させた。なるべく一瞬で気を失わせるよう努力はした。努力は。
 その怪物を斬りつけることは、最早俺には無理だった。セェガーは嘘を吐いたかもしれないし、人が怪物になることを知らない。お伽噺と現実は違うから。だが確かに、俺はすでに一人を斬ってしまっていた。あれが人だったなんてあり得ないと否定できなかったのは、咄嗟に考えられなかったのは、あの時歪に感じた震えに納得がいったからだった。
 ――いや、今はそんなことよりマサリ達だ。
 またこの白い空間で一から探さないと行けないのはしんどいが、探せるだけありがたい、か。
 そうして覚悟を決めて足をひたすら進めるが、今度は不思議なことに、その白い空間の出口に出会う。まるでそこまで誘われたように、ごくごく自然に、だ。
 出口、というか終わりだった。
 白い空間に突如として視界に現れたのは黒い靄に埋め尽くされたところだ。
 なんだ、ここ。
 スルーすることも選択肢としては残るものの、いや、ここで通りすぎても恐らく袋小路だろう。
 俺は不用心にその靄に突っ込んでみる。
 とたん、霧が顔面を覆い、俺はへまをしたかと焦ったが、どうやらそんなことはなかったようだ。

 次の瞬間には説明も出来ないような歪な空間が広がっていた。その空間にあるものは奇妙なビビッドカラーで、ただ激しいだけで色合いも似合わない。何もかもが曲がりくねりすぎて原型がなにかも分からない。そもそもそれらが触れられるのか、背景なのか物体なのかも麻痺して分からなかった。
 目に血が貯まったのか、血が足りなくて幻覚でも見たのかなにかと一瞬考える。
 「サトリ!」
 その一瞬のうちに、安心する声。
 「マサリ?」
 このいつもとは違う耳のお陰が、より鮮明にはっきりと聞こえた。俺は声の方へ走り出す。途中、例の奇妙な色合いのなにかが俺とぶつかりそうになったが案外それらは脆く、手で押し退けることが出来た。なので特に弊害もなく声のもとへと急ぐ。
 「おーい!!」
 やがては両手をふり、満面の笑みでこちらに向かってくる薄い茶髪の少女の姿が見える。
 「サートリー!」
「マサ…え?」
 まるで遊園地のアイスクリームでもかって貰ったかのような仕草で俺のもとへやってくる、その少し後ろ。
 そこには先ほどから何度か見たことのある怪物がぞろぞろと列の乱れた蟻のように無数に歩いているのが見えた。
 「助けて~!」
 そこでようやく気づいた。先ほどまでのマサリの笑顔はなにか嬉しいことがあった訳じゃない。ただ、俺を見つけたことによる安堵感だったのだ。俺は咄嗟に剣を構え…
 ――いや違う?
 背後からぞろぞろやってくる怪物達。それらは確かにマサリの後ろを追随しているようで、実際は少し違うかもしれない。マサリに触れられる距離にいながらどんなアクションも起こさない怪物と、真後ろに敵が迫っていながら攻撃もなにもしないマサリ。
 剣を納めると、俺はマサリの延長線上から左側に数歩移動する。怪物も数歩移動した。これは間違いなく、俺を狙ってきているな。
 マサリがあのような対応を見るに、特に敵でもないのかもしれない。そもそも俺の方が強い、が…
 俺は体温が下がるのを感じた。純粋に、単なる恐怖で。
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