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雪嶺とアリストクラット

幕間 ウツリ

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 ――sideウツリ 六年前
 「お父様!おとうさま!おとう…」
 長く叫びすぎたせいで、喉に微細な氷の結晶が引っ掛かるようで、慌ててさっきまで口を覆っていたネックウォーマーで再び装着しなおした。
 「待っていてください、雪洞か、何か急いでつくりますから、ですから、どうか眠らないでください…」
 そう言うと私はお父様に背を向ける。なんとか雪洞をつくって、わずかに残る温もりを絶やさないように、と。そんな建前で背を向けた。けれど背を向けたのは前向きな理由じゃない。ただ、本当に死に行くお父様をそのまま見ていくのが辛くなったからだ。
 手袋で雪を掘るが、それ以上に吹雪が体を纏って、一向に窪みすらも出来ない。作り方、教わればよかった。
 振り向くとリュックを背もたれに項垂れたお父様の足元は雪で埋まってきていて、掘り起こそうとはするけれど、その度に冷たい肌が本当に死んではいないかとヒヤヒヤした。もしかすると、お父様の心臓は動いていないのかもしれない。
 私は私の知る唯一の肉親が風前の灯だということに、どうしようもない恐怖を抱き、やがて現実を責めるように目を閉じる。


 ――こうなったのも、全ては嫌なことばかりが重なったからだ。
 既に昔から貴族としての信頼も親交も何もかもなくしていた私達は、最後に残っていた僅かな財産すらもなくしてしまったのだ。
 そうなったのも、他の貴族から教わったらしい、町外れの行きつけのうんくさい骨董品屋のせいだ。
 私の父親はひどく騙されやすい人だったし、だから損ばかりの人だったけど、まさかほとんど全部の財産を、そんなただの店に奪われるなんて思わないじゃない。
 そんな時に出会ったのが、『パント・ローリン』。パントは骨董品屋にささやかな復讐を、とそこで一番高額だったらしい懐中時計を箱ごと私に手渡してくれた。金色でまばゆい懐中時計。繊細そうでいて頑丈なフォルム。心臓の鼓動が負けそうになるほど感じる、確かな生きた針の音。不気味なほどに伝説を物語る存在感。朧気で輪郭くらいしか描かれていなかったが、古い本に小さなイラストと一文のみの薄い説明が載っていた時計に似ている気もした。
 …だから、つい子供の頃の夢みたいなのが頭を邪魔した。
 私は誰からも疎まれる下級貴族なんかじゃなくて、誰からも愛される…そうだな、例えばお姫様、あるいは聖女様で、一人凛々しく凶悪な魔女に立ち向かう夢。十八歳でそんな馬鹿みたいな乙女の夢を描いて、でも私はその夢こそが、この現実の唯一の打開策のように思えた。魔女を見つけるなんてことは考えていなかったけど、この山は謎に包まれたところも多いし、山の中間地点辺りで珍しい果物や廃墟から拝借したものなどを持って帰ればいいと考えていた。そう考えたのは昔に読んだ古い新聞に載っていた記事がそういうトレジャーを見つけることの効率のよさを語っていたからだ。
 後に戻れない今にしてみれば、あれは無価値に等しいほど整合性がなかったし、お父様が私以上に賛成しなければ私達はここにいなかった。
 そう、雪山の天気がまさかこんなに荒れるなんて思っても見なかった。これじゃ、魔女のすみかを探すどころじゃない。


 だから……ここから私達が生き残る方法はたったひとつで、この荒れた天候が晴れて視界が自由になること。それ以外は本当に死んでしまうだろう。だけど天気は晴れないし、私は頭の中に絶えずよぎる死を必死にふりきるように、一心不乱に穴を掘った。
 そのうち涙が溢れそうだった。でも、泣いていてどうする。わずかに残る希望の灯火も、そのせいで消えてしまわないか。
 そうだ、せめて歌えばいい。何もない、大丈夫、私は生きて帰るから…

 「……ぃ、おい!!」

 ふと、目の前に誰かが立っていた。こんな吹雪の日に、大きな山の中で何故ここに、いったい誰が。体が暖かくなる。気付く。幻覚でなければ目の前の誰かが暖かい炎の魔法を目の前に出して置いてくれている。
 「おい、お前何してんだ」
 その声は怒りを含んだようでいて、それでいて恐怖は感じなかった。子供が親を窘めるように、なんだかちぐはぐで似合わない怒り声。
 私は顔を上げる。そこにいたのは私と同年代くらいの少年だった。顔ははっきりわからないが、下から見た輪郭やぼんやりと見える顔のパーツや雰囲気からはそんな感じがする。そのくせ体は細身ながらもしっかりとしていて、小太りの父や酷く着込んでいた私よりも遥かに薄着だ。
 これはもしかすると、奇跡かもしれない。私は助かりたい一心でその子の足にしがみついた。もしくは、手を思いきり引いたのかもしれない。けれどとにかくその子が迷惑がらず、深刻さを性格に汲み取ってくれたのは確かだった。
 そこでわかる。先程の怒鳴り声に似た声は、きっと私と対話したい一心だったのだろう。心配する気持ちと、怒声を上げる声との相性がちぐはぐだったからああ感じたのだろう。
 「助けて、お願い!父が、父が…」
「背負って運ぶが、異論はないよな」
「道はわかるの…?」
「地図があるしな…っと!!」
 その少年は実に理解が早いというか、行動が早いというか、私と話している間に、もうお父様を背中に背負って立ち上がってこちらを見ていた。お父様の意識はいつのまにか覚醒しているみたいで、多分うっすらと目を開けていた。彼が起こしてくれたのだろう。お父様も暖かそうだった。少年は言う。
 「お前も。立てそうか?暫く吹雪くだろうし、かといってこのままじゃ危ねえし、近くの洞窟まで行くぞ。」
「近くに洞窟が…?」
「あー、そっちの感覚からすると、もしかするとちょっと離れてるかもしれないけど。」
 ――本当はここで避難できるようなものをつくれれば良いんだが、生憎雪崩を起こしそうでな。さ、行けるか?
 手をさしのべられて、私はその手を取る。一旦は立ち上がるけれど、次の瞬間には酷い風でまた倒れ混む。少年はバランスを崩しながらも倒れずにいたが、このままだと私が途中で危ないと判断したのだろう。私はとにかく一刻も早く父親を助けたかった。私は怖い思いを無理に掻き消し勇気を出して、命の安全の優先を父に譲ることにした。
 「あの、父を先に…」
「いや、お前一人は残せないだろ。魔物だっているし。」
 けれどすぐに駄目だと言われ、そして彼はそのままポケットから繊細な龍の形をした石を取り出す。吹雪の中でもわかるくらいキラキラ光っていて、その輝きは上級貴族が嗜む高級品の魔法道具に似ていた。消耗するよりも観賞用によく、舞踏会のシェルターに飾られたりするもの。実際にしようしたところは見たことがないけれど、威力の強さと光の強さは比例すると聞いたことがある。
 「本当は自然の摂理を変えちゃ駄目なんだ。この事は内緒な」
 そうして少年は石を上空に投げる。

 一瞬の無音の後、突如上空で無数のカラフルな花火が輝き、あちこち飛び回り、やがてそれに目を奪われる間に上空には柔らかいうすオレンジ色が広がっていた。
 私は気付けば立ち上がろうとするのをやめて腰を抜かしていて、代わりに目を何度も瞬かせた。
 「今のは…」
「あの石に入ってた魔法が雲を吹き飛ばしたわけだ。一時的だが。元通りになる前に、ほら立って」
 勿論私は立ち上がる。お礼を言おうと、少年と目線を合わせる。少年の顔がはっきりくっきり見える。
 私よりほんの少し背の低いその人は、見覚えがあった。
 私は顔を覆う雪と、防止とネックウォーマーを全て外して頭を下げるつもりだった。
 
 ――次の瞬間には私はそこにはいなかったわけだが――
 
 間違いない。ぶっきらぼうな話し方、まだ幼い顔立ち、黒髪に桃色のメッシュ。協力で美しいゆえに誰もが飾るのみだった高級品を簡単に魔法道具として使うだけの器量、財力。あれは一度きりのものだから、既に壊れただろう。
 何人の命をそのままの意味で売って、大勢の人生つぎ込んでも並みの貴族じゃ買えないのが当たり前なのに。
 見ず知らずの人のために使ってしまう、行き当たりばったりな善意の塊。

 あれは間違いなく、勇者サトリだった。

 サトリ様、だった。
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