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雪嶺とアリストクラット

不思議な魔女

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 ――side サトリ
 「セェガーさんよ、あんたがここに住んでる魔女だがなんだか知らないが、なんで俺の名前を知ってるんだ?」
「それは貴方が勇者だから」
 そう聞いた途端、俺は思わず剣の柄を握った。抜きはしなかったが、変わりに数歩後ずさり、露骨な警戒を纏う。空…頭上からの光は燦々と体を包み込むのに、視界の色彩は真っ白だけで頭が狂いそうになる。綿菓子だってこんな白色じゃないぞ。今俺がこうやって立てていられるのは、その光が写し出した俺達の影が、今足をつけている白い空間にぴったりと張り付いてくれているからだろう。
 「勇者…よくご存じですね。おかしいな、俺とは初対面だと思うが」
 なんで俺を知っている?
 だって、俺はこいつを助けたことは愚か、会ったこともない。変装しようが、奇妙なことにこいつの纏う不気味な感じは隠しきれないだろう。或いは、そういった類いの思い込みなのかもしれないが。
 こうやって、勇者サトリとして再び誰か人に認知されることを俺は心底望んでいた部分もまだあったはずだ。だのに今、このイレギュラーが俺は怪しく感じて堪らない。他の誰の記憶からも既に勇者はなんとなくの思い出に過ぎないわけだが、なんでよりによってこの魔女が。
 いや。そもそもそういう疑いを持っている俺がいること自体が奇妙なんだ。喜べるはずのこの瞬間をどうしても無意識の内に不気味に思うこの今の俺こそが、最大限にセェガーを警戒を怠れない理由。
 俺はやはり剣こそ抜かなかったが、まるで一歩動けば斬り合ってしまう寸前の武士のように…目が赤くなるほどにセェガーを観察していた。静かに重心を低くして、ほんの少しでも早く動けるようにする。
 上品で厳かそうなのに、どことなく飄々とした態度がウツリに似ている。セェガーはコートのボタンを掛け直し、ヴェールの結び目を結び直したりして退屈そうに俺を待った。初対面かどうかは答えてくれないらしい。仕方がないので催促する。
 「で、悪いが教えてくれ。俺とは初対面だよな」
「そんなに気になりますか」
「気になるな」
「私が思うに、貴方の記憶はいつだって、それなりに真実に近いわ。そこに何かが入り込む余地がないと思うのよ」
 それから、大きなため息。
 「そうか、初対面…なんだな。俺もそう思ってた。信じるぞ」
 そんなにも不機嫌になることなのだろうか、そんなことを考えている内に、彼女の表情はますます陰っていった。
 この顔は、あれだ、期待して購入した商品があまりにもちゃっちくて思わず地面に叩きつけたくなるような感じ。俺は外れだとでもいうわけか。
 「はぁーあ。本当にがっかり。勇者って聞いたから、きっともっと自意識過剰で、自信家で、初対面にも異常なほどの敵対心を隠さないで、そのギラギラに磨かれた才能と勘で鞘からその冷たい剣先を向けてくれると思ったの。私に。私の異質さに反応したのに何もしないのは一番駄目。最っ悪だわ。」
 セェガーは先程のサトリ様と俺を呼んだ時とは大違いの半分俺を敵視した目付きをしながら早口で俺の悪口を捲し立てる。だがしかし、セェガーが挙げた勇者の理想像は現実にいれば少々厄介な人じゃないだろうか。ちょっと悪い男に牽かれるタイプなのだろうか。
 今ここでこれ以上彼女に嫌われてはマサリ達を見つけるのも困難になりそうなので、俺はそういう人物になりきってわざとらしく舌打ちをして右手で乱暴に髪を揺さぶった。セェガーはちょっとだけ口角が上がった。こいつはどうでも良いが、マサリはこんな感じになって欲しくないな。優しくて、頭にかびが生えずに生活してて、これからも生える予定の無いやつが良い。
 「なんだよ、斬られたかったのか?残念だが俺は死刑否定派だからな基本的には」
「気持ち悪いわね」
「すごい嫌われてるじゃん俺」
「私に勝てるっていう傲慢さが垣間見えて不気味だわ」
「傲慢なのは嫌なのか…」
 初対面のはずなのだが、ともかくセェガーは俺を元勇者だってことすら知っていて、全く好印象を持たれていないことだけは確かだ。
 「…ともかくだ、お前は俺のことを知ってるんだ。だが、初対面。これはここ数年で心臓が跳び跳ねるくらいえげつない異例のことなんだ。その理由を聞きたい。…いや、だが無いならそう言ってくれ。今はそういうことよりも、ここがどこなのか、マサリ達はどこなのかが知りたいからな。」
 そういうと、セェガーは一旦悩む仕草を見せる。ふぅむ、と深くはなさそうだが浅くもなく考えてくれているのか。
 「話したくないと言えば?」
「一旦は退くが、これからの生涯においてあんたと俺は腐れ縁と言えるほどの繋がりが出来ることは確かだぞ」
「地獄ね」
「仕方ないだろ」
 しかし地獄と吐き捨てたその割にはセェガーはそのまま黙ったままだ。いえない状態というよりは、話す義理がないといったような。そう言ったあからさまな態度はわかりやすいし、困る。
 ――どうか先ほどから今までで、ずっと激しくて強い口調を我慢している俺を誰か誉めて欲しい。
 ようこそ、と、歓迎すると、そう言ったのにも関わらずにここはどこなのかも話してくれないし、マサリ達がどこななのかもまだだ。いっそお望み通り本気で斬りかかってみるか?
 そんなもはや自暴自棄に近い考えで剣を抜いた…のだが、実際にはそういう浅はかな考えだけではないことに、間も無くして気付く。
 俺が鞘からブランドではないものの、そこらの貴族やら何やらが使うよりもよっぽど質の良い刃を取り出した次の瞬間、白い部屋(部屋というほどに密閉された場所なのかは不確かだが)全体に美しいとはかけ離れた呻き声が轟く。床か地面が揺れたのか、思わず体勢を崩す。しかしセェガーは全く動じず、背筋を伸ばしたままどちらの両足も一ミリも動かさず、「うおっ!?」俺の声を真似して笑った。
 「あーあ、来ちゃったわね」
 そうしてセェガーはご機嫌にパチンと手を合わせる。
 「ここには今から強大な怪物が現れるの。もしもそれを倒せれば、ここがどこかとマサリはどこかも教えてあげるわ。あれは厄介だから、そう、交換条件ね。」
「怪物?俺はそれを倒しゃいいのか?そもそも怪物って俺の敵か?」
「ほら、貫けると良いわね」

 その次の瞬間には、驚くほどに赤い鮮血が空間一帯を包み込む。
 目の前の魔女が引き裂かれた音は、存外にも軽い音だった。同時に、ちょっとした煙幕。
 「セェっ…」
 ゴトン、と足元には何かが当たる。俺は恐らくは人体の固い一部だろうと半ば覚悟しながら、煙の中おずおず視線を落とす。
 意外にも、辛うじて見えたそれは固形物で、人の形を模した半透明な石だった。いつの間にか血はなくなっている。何があったかはわからないが、今度は胴体に向かって大きな武器が通りすぎるだろうと感じ、慌ててしゃがむついでに石を手に取る。よく見るとインクルージョン入りの石英で出来たらしい石は掌サイズの重みじゃない。セェガーはこれに変えられたりしたのだろう。
 しゃがんだ勢いで前へ、少なくともどこからか大きく振られた武器から遠ざかるように一回転して、リュックにしまう時間もないので人形はより遠くの方へ滑らせる。何かから人形を庇うような立ち位置で、殺意満々の何かへ剣先をようやく向けた。
 ちょっとした煙幕はすぐに消える。そこから現れたのは、真っ黒いモンスター。
 「でけぇよ…!」
 身長は四メートルくらいで、全身は獣特有の剛毛で覆われ、高すぎる位置にある目は黒い布で雑に覆われていた。二足歩行の熊のようだが、耳は人間のように目の横にあって、しかし目隠しによって同時にそこも隠されている。このデカブツ専用のツーハンデッドソードの素材は昔ながらの錆びた青銅だが、だからといって脆くなってはいなさそうなほどには丈夫だろう。
 さっきまでは姿もなかったはずだし、気配になかなか気付けなかった。
 「ウグ、ウゴォ……」
 怪物は響かない呻き声と共に唾液を撒き散らしながら俺へとまっすぐに突進してくる。明らかに殺しに来ているな。
 ……が、先程の気配のなさはどこへやら、黒い怪物は右足と左足を交互に動かすこともままならない赤ん坊のようによろけながら近づいてくる。それでも辛うじてスピードがあるのは身長と、勢いがあるからか。
 両手剣の持ち方もちょっと歪なその怪物は技術面ではさほどの能力はなさそうだった。
 (なら、別に…)
 この化け物は恐らく、俺に姿を表してからは段々と能力が落ちている。
 俺は怪物に縦一文字に大きな剣を振られる少し前に一気に前へ詰めると、怪物の胸を斜めに強く斬りつける。斬った感覚は確かにあった。ダメージはほとんど無さそうで地もこぼれていない。毛だけでなく皮も厚いのだろう。ちょうど真横にある左腕の下から怪物の目の前を抜け出しながら剣を垂直に持ち変えると、俺達が互いに背中を背中を見せた瞬間に脇に突き刺す。怪物の左腕が痛みで上がる。抉るように力一杯剣を抜くと、今度こそドロッとした不健康な血は吹き出した。
 「ウグガァァア…!!」
 そうして俺はそのままいつも止めを刺すように、機械的に首元に剣を突き立てようとしたが、そこでふと、直前でその手が止まる。
 見れば俺の右手は確かに震えていて、もう小刻みにマッサージ器並にガタガタしている。
 「あれ?」
 ゆっくりと手を退く。
 何故なら怪物はどんどんぎこちない動きになっていって、もし今から暴れようが即座におさえ込められそうだったからだ。
 現にだらだら急所から血は流れ続けている。
 そのうち死んでいく。
 そう頭で理解した途端、自然と目が見開いて、一気によくわからない感情が汗になって流れていった。
 今、簡単に倒しつつあるこの怪物に対して未知の恐怖を覚えているようだった。
 今までも、恐怖を覚えない訳じゃない。俺はそこまで勇猛果敢なやつじゃない。でもこれは、それとは全く別の震えで…

 「お見事ですね」

 その声のはじめの音が聞こえるよりも先に、俺は気付けば血塗れの剣先をセェガーに向けていた。
 「お前、死んだんじゃなかったのかよ」
「あの時、私が死んでいないってことはわかっていたはず。ちゃんと私をあの怪物から遠ざけてくれましたもの」
「あの怪物?」
 そうして後ろを振り替える。
 そこにはもう、弱っているはずの怪物はいなかった。跡形もない。音も立てない、気配もなかった。いや、今の気配はきっと俺が気付かずに逃してしまっただけだろうが。
 俺は剣をゆっくりと地面に突き立てると、そのまま腰を曲げ、顎を柄に添えて体重をかける。
 血を浴びたはずだがそれはないし、人は童話とも違った形で石に変わるし、俺は目蓋を閉じて目を休ませながらセェガーと向かい合う。
 「で?今のはなんだよ。強そうだったのに弱くなりやがったと思えば消えた。それにここはどこだ。マサリはどこだ。お前はなんで名前を知ってて、今なんでお前は姿を消した」
「うん、びっくりしたね。私は貴方を嘗めてたみたい。ううん、貴方の力の無さを嘗めてた。」
「え、けなされてる?」
 なんだよ、お前はすぐに姿を変えられたくせに。
 俺はそっぽをむいて、疲れたからその場に座り込むとセェガーはそんな俺に手を差し伸べた。冷たそうな手だった。

 「今のはそれほど馬鹿にしてはいないの。貴方の実力は嗤う程低くなかったし、さあ立って。ご褒美の時間よ」
 マサリ達と、それからウツリに会いに行きましょう。
 「……さっきのモンスターは?」
「暫くは来ないでしょう。私が人形に変わったのも、あの怪物が消えたのも、いつものことだから。」
「ますますわからないんだが」
 俺はその手を借りて立ち上がる。ありがとうとだけ伝えて剣を鞘に収めると、セェガーは俺の手を汗ばんでいると評し、人間みたいね、と俺を人とは別の生物だと認識していたことが判明したが、ともかく認めては貰ったようで、シンプルに先程の敵意はなくなっていた。

 「…で、けっきょくここは?」
「聖女様の保護区域」
「保護区域?」
 ようやく答えを貰ったのに、よくわからない答えだった。
 「それってどういう?」
「けれど今は汚い人間達の手を通ったゆえに、処刑場のように混沌としたディストピアなの。だから私はここを壊しに来た。」
「なんだそれ」
「もうひとつ、依頼を受けてくれるかしら」
 セェガーはそういうと、ふと真剣な眼差しで俺を長く見つめる。
 「まあ、内容によるが…」
「報酬は、そうね、貴方が先程口にした疑問の全てに答えて挙げる。先程貴方が震えた理由も。」
 俺は黙って頷くと、彼女にその依頼とやらを聞き出すことにする。
 「あんたがマサリ達の居場所を教えてくれたらな。でも一応先にその依頼を聞いておくよ。俺に出来ることか?」
「ええ。依頼は簡単よ」
 そしてわざとらしくためて、セェガーは綺麗な丸い瞳で俺を覗き込んだ。そっと、頭を撫でられる。
 「ウツリから聖女の懐中時計を奪って頂戴。そうすれば、貴方を蝕む大きな大きな問題も、きっと解決の糸口を掴めるわ。」
 途端、視界が白から元の白銀の世界に戻る。いつの間にか綺麗に晴れていて、まだどこか別のところにとらわれているのかと勘違いしてしまうほどに青い空が見えた。
 魔力が戻るのか?
 俺が静かに問うと、セェガーは静かに微笑んだ。それは既に遥か遠く優位に立った勝者のような笑顔だった。
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