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サーカスの歌声

マツリの危機 前編

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 ――sideサトリ
 「っというか!!サトリは来るのが遅いっ!!自分達とっても危なかったんだからね!」
「それは悪い…というか仕方がなかっただろ!何せお前らどの森に行ったか書き置きすらなかったじゃねえか!西じゃなくて東の森の方に探しにいっちまっまてたよ」
「雰囲気と匂いと音とかで見つけられたんじゃないの~?」
「無茶言うな!俺はもう単なる人間だ!」
 全てを換金し終わり、そのお金で二人は安い服(マサリは薄紫色の生地に花柄の刺繍が施されたワンピース、マツリは桃色に近い赤色のシンプルなワンピース)を買い、荷物を一旦整理してから、ようやく俺達はまた例のカフェに晩御飯を食べに来た。
 そしてその頃にはいつもの調子が戻っていたマサリは俺に理不尽な小言をぶつけてくる。そのまま言い合いがヒートアップしかけると、店員に注意された。完全に俺達が悪かった。
 そして落ち着いて晩御飯を頼む。俺とマサリは昨日少し食べてみたかったハギスと魔物のスープを、マツリはジャケットポテトとダージリンティーを注文した。
 「魔物のスープって美味しいんですか?」
 始めに届いた美味しそうに俺とマサリが飲むその透明でどろどろのスープを覗き込む。俺とマサリは目を見合わせた。
 「いや、俺はまずいと思ってる。でも落ち着くっていうか…」
「自分は美味しいなって思ってる。」
「俺としては、マサリはもっとまともな飲み物を好き好んでほしいんだがな。」
「無理だね。でももしサトリが我慢するなら」
「…………無理だな。」
 魔物の多くは牛や豚とは違った独特のくさみやうま味ならぬまずみがあって、万人受けは絶対にしないが、人によっては少し中毒性がある。
 マツリはそう説明する俺達が信じられないようで、ややひきつった笑顔で変わっているねと一言。
 これにはぐうの音もでなかった。

 「ところでさ、結局座長とは会えたの?」
 料理が大体揃ったところで一旦雑談は中断し、マサリが切り込んでくれる。
 「会えなかったが、明日の朝なら良いって言われた。」
「肩書きのお陰?」
「いや、なんかすんなり。逆に怖かった。そいつ、わざわざ来てくれてありがとうとも言ってたな。」
 いかにも魔法を使いそうな身なりだったが、いい奴だったと思う。
 「うーん。なら、種族判別キットは使わなくて良いかもね。あれ、使用してから結果がわかるまで一日使うから。」
「じゃあキットだけつくっておくか。」
「サトリ、座長に聞き出せたらいいけどさ、うまく聞き出せる?うん。やっぱ万一のためにキットも使わなくて良い?」
「ああ、大丈夫。俺がどうにかするよ。…安心しろ、脅さないようにする。」
 そう、それもまた約束したもんな。
 俺はここのカフェのメニューの中で一番ハギスか美味しいご飯だなと自身の皿の上の料理の減りようを眺めながらまた一口フォークで中身を食べる。
 「マツリ、この様子だと明日の夜には種族説明書を作成してこの町を離れられるよ。カルジャンに行こう。マツリは一人を旅してて、自分とサトリは二人でカルに行くかもね。」
 マサリはどんどんカルマアラネ・アンダージャン公国を略していきながら提案する。
 よくわからないが、マツリはやっぱり一人で旅することに固執しているようだ。
 そして俺達は理由を深く追求できないし、だから別のパーティーとしてたまたま同じ目的に向かうと言うていを装う。これで止められたり嫌な顔をされれば深追いはやめなくてはならないが、しかしマツリは少し嬉しそうにポテトから顔を上げた。
 「あの、それは本当に悪いよ…悪いけど、その……そうだととても嬉しいな。」
 フワッと赤くなった頬をしきりにつねり、マツリはその熱を冷まそうとしているようだが全く効果はなく、俺とマサリは目を合わせて微笑んだ。


 食事が終われば俺はマサリとマツリを彼女達の部屋に返し、俺も部屋に戻る。…が、二人はすぐに俺の部屋にやってきた。それぞれ二匹づつ猫を抱えている。それぞれ頭や腹を撫でられ、幸せそうだ。
 「で?マサリ、マツリ、どうしたんだよ」
「サトリ、今何時だと思う?」
「何時って…」
 俺は扉から離れ、窓を上にスライドして開け、首を突っ込んで数百メートル遠くの時計塔を見た。
 暗いので目を凝らすと、恐らく時刻は七時か八時。暗い夜だが、眠るほどの時間ではない。
 「退屈にでもなったのか?カードゲームは?」
「うん、でも人数も多い方がいいよねって思って」
「いや俺今から種族判別キットつくるんだが」
「はい、僕つくり方教えてほしい!」
「え?カードゲームは?」
「いつでも出来る!」」
 二人は息をぴったりに揃え、グッと両手で拳をつくり、俺に一歩迫る。
 わざわざキットをつくりたいなんて。マツリは俺を変人だと言うが、お前らもなかなか変わり者だな。
 …まあ、いいか。
 俺は机乱雑に並べた魔物の角や血抜きをした肉や青い血、黄色い血、種族をリトマス紙のように色判別する用の紙、そして固い木であるリグナムバイダの小さなすり鉢とすりこぎ。その他エトセトラの乗っかった四角い机を持ち上げる。
 部屋の中央にどんと置き直し、近くの椅子とソファを取り寄せ、二人を手招く。
 すると二人は揃って顔を見合わせ、猫達をベッドに置いて、マサリなんかは俺に抱きついてくる。マサリの体重は非常に軽いが、それを上回るチーターくらいのスピードで突進されたので、俺は情けなくも立ったまま耐えることが出来なかった。
 「おまっ、あぶねえだろうが!」
「えへへ!ごめんなさーい!」
「だ、大丈夫!?」
 全く反省の様子無くマサリは俺に手を貸し立ち上がらせてくれる。その近づいた瞬間には花の香りがあった。いつもこいつからは金木犀の香りがする。
 俺はため息をついてから、二人を椅子に座らせ早速キットづくりに移ることにした。
 といってもその作業は簡単で、用意した特定の臓物や血や角などを全部鉢にぶっ込んですり潰し、専用の紙を浸し、乾燥させて完成だ。
 そうした紙の上に調べたい魔物の細胞の一部を濡らしたものを置けばどんどん紙に色と模様が現れ、それを俺の持つ図鑑の一覧と照らし合わせれば判明する。
 きっと混血だろうこの猫達は、少し模様が複雑になるだろうが…
 「どうだ?簡単だろ?」
 中身の入ったすり鉢とすりこぎをマツリに渡せば、マツリは楽しそうに混ぜ合わせる。こいつ、ほんとに力あるな。
 「うん、本当だ!」
 少しして、マツリはマサリにすり鉢を手渡した。
 マサリは初めは嬉しそうに受け取ったものの、しばらくすると顔が曇り始めた。全く混ぜられていないのだ。顔を赤くさせ、立ち上がったりしゃがんだりと体全体を使って回すが、それらの動きは余計に力を無駄にしている気がする。床に鉢を置いて体重を使って混ぜようとして、一度姿勢を崩しすっころぶ。
 「うっぐぐ…」
「おーいマサリ、もう俺が…」
「いーやーだー!!」
 とは言うものの、彼女は既に息切れし始めている。
 更に数分すれば部屋にはゴリ、ゴリュッと不気味な音が響き、どんどん中身が固まってきているのに気づく。ああ、二人には固まるってこと説明してなかったな。固まったら使えなくなる。そろそろ代わらないと。
 腰かけていたベッドを振り返ると、猫達は思いきり怯えて音の方向を威嚇していた。
 みるみるうちに猫の瞳孔が開いてゆき、段々血のような赤色に変わっていく。――音に反応して暴走しかけているのか?
 慌てて制御か気絶させようと立ち上がれば、それより先に水色と赤色のエフェクトが視界の隅に確かに光った。
 「《揺籃歌》」
 淡々とした口ぶりで魔法がかけられる。猫達が大人しくなる。
 「マツリ、さすがだな」
 夕方には魔力を大分消費していたというのに、やっぱり若いやつは魔力の回復が早いな。
 そう頭の中で考えたとき、俺は床に倒れていることに気づく。
 あれ?
 「あっ!!」
 慌てて俺を床に座らせるマツリの顔を見て何となく理解する。
 揺籃歌は術者がどれだけの人数にその魔法をかけるかを決められる。それは無意識の内でも些細なことが影響していて、例えば咄嗟で焦りがあれば一人にのみ影響したり、リラックスしていれば大勢に影響したり。その逆も然りだったりするが、とにかく今回は俺達にも影響してしまったのだろうな。
 「ごめんなさ……ちゃんと……」
 俺は勇者時代にどんな魔法にも耐えていたという記憶を元に目覚めようとしたが、努力も意味なく段々と気が遠くなっていく。
 きっと俺も力が衰えた。昨日寝るのが面倒になったのも原因のひとつか?
 けれどそれ以上に、マサリの力はえげつないんだろう。
 体の感覚はないが、視界的に俺は今ベッドの上に運ばれたのだろうとぼんやり考える。子供に軽々運ばれるとは恥ずかしい。
 「すぐに……戻りま……」
 何をいっているんだろうか。
 どんどんと意識は吸い込まれていく。
 さすがは…ミューズの……魔道…………師………………



 ――sideマツリ
 これはチャンスだ、と思った。
 猫達のための揺籃歌が何故かマサ姉達に効いてしまったのだ。全く悪気はないけれど、実は僕にとってはちょっと都合がよかったりする。

 僕は一人で旅をする。

 それがとある人達と約束した条件だった。


 ――僕は出来るなら、あのサーカスで産み出された全ての魔獣を助けてあげたかった。何でって、サーカスで使えなくなれば魔獣は即刻処分されるからだ。人間への見世物として充分なそれは、人間への脅威としても充分だから。
 だからこそ、それを知ったときからずっと、僕は全ての魔獣を助けたかった。
 けれど、どうだ。
 現実はそんなに甘くなくて、僕は唯一保護している四匹の限りなく猫に近い魔獣位しか助けられていない。
 せめて、あと一匹だけでも助けられれば。お母さん猫だけでも。
 そんなことを考えている時、僕はとある人に出会った。その人はとても親切な人で、魔獣が大好きだと話してくれた。
 僕とその人は意気投合して、そのうち四匹の猫とお母さん猫を助ける方法を一緒に考えてくれた。
 四匹の猫の方はサーカスに出ていないために鍵も余裕に開けられて実に簡単だった。
 僕達の問題はお母さん猫の方で、するとその人は条件を提示する代わりに必ず一緒に助け出すと意気込んでくれたのだ。
 「母猫を助けたあと、きっとすぐにこの町を発て。お前以外は信用ならないから必ずお前一人でどこでもいい、保護区まで向かうんだ。それが守られなければ俺がお前の命を奪って猫達を保護するからな」
 それに倣い、僕はまず四匹の猫の檻を壊した。けれど異常にはやく見つかって、僕を良く思わない人達に殺されかけた。運良く、その前日にお兄さん達に助けられたけど…
 お兄さん達にするつもりの依頼はあの猫達を僕が引き取る数日間守ってほしいというもので、主にあの男二人がは猫達を殺しかねなかったのでそう頼もうとしたんだけど、マサ姉が、思いきり魔法を放ってくれたお陰で猫を執念深く殺そうとまではしないはずだ。
 だからこそ、僕は依頼を解除しようとした。
 ……結局、沢山助けてもらったけど……
 でも、だからこそ今日行う親猫解放には、一人で…正確には僕ともう一人の協力者で赴きたかった。
 ベニトサーカスはすごく大きくて財力や権力みたいなものも豊富だ。そんな人達とマサ姉達を敵対させるわけにはいかない。絶対に。
 けれどそれをあの二人にどう説明しようか悩んでいたんだ。丁度良かった。
 僕は部屋に戻り、動きやすいいつもの服に着替えて部屋をあとにする。揺籃歌は数時間で効果がきれるだろうし、それまでに戻ってくれば問題ない。
 高鳴る心臓をおさえようとして、余計にうるさくなる僕の心は本当に落ち着きがない。
 扉の前で深呼吸をして、こっそり宿をあとにした。

 待ち合わせ場所には数日前に親猫救出策を一緒に考えてくれた、フードを被った細い男がいた。
 「お待たせ。僕だよ、マツリです」
「ああ、やっと来た。とっとと逃げたのかと思ったよ」
「そんな、逃げて意味ないじゃないじゃんか。」
「ああ、そうだ。お前サーカスをやめたみたいだな?」
「あ…ええとその、それは成り行きというか…」
「責めてる訳じゃない。ただそうなると、お前が今から向かう先はもうお前の職場ではないからもうそれは不法侵入に当てはまる。罪を犯す気はあるか?」
 その人は僕と出会うなり歩き始めていて、つまりは覚悟がないならここから去れとでもいうのだろう。僕は彼を小走りで追いかけた。
 「あるよ。僕は出来る。」
「だが、元来お前は性分が真面目だと思う。そういうのは俺にはよくわかる。」
 その人は街頭の元で立ち止まる。白い息を吐いて、顔の見えないまま僕をまじまじと見た。
 僕は咄嗟にヴェール越しに口元をおさえた。何となく、怖くなって。
 でも、母猫を助けるには怖じけてちゃ駄目だ。
 「それは昨日までの僕の話だ。僕は今日、沢山の命を奪った。誇れることでは全くないけれど、そんな僕が守らないといけない命をルールを理由に助けなくて、どうするんだ」
 声は確かに震えていた。僕はうつ向いたままだったけれど、それでも意思は伝わったと思う。
 するとその男はため息を大袈裟についた。
 「良くない思想に向かってるな」
「え?」
「命は沢山奪います、ルールはしっかり守りません。今日まで何も意図的に殺したことが無かったお前が、随分思いきったことを言うね。なかなか珍しい」
「……滅茶苦茶かな」
「さあ?俺は好きだけどな。血が好きで、秩序を気にしない信念があって、守ろうって気持ちもある。将来有望だよ。あの子に似ていてとってもほしい。」
「あの子…?」
 僕が聞き返したところで、そこで僕はようやくあれ?と首をかしげた。
 いや。おかしいぞ。この会話全てがおかしい。
 何でこの人、こんなにも僕のことを知ってるんだ。
 だって僕はこの人を全然知らないのに。
 その途端、なんだかとてつもなく悪い予感がしてしまって、僕は一歩下がって夜に紛れようとした。
 わずかに冷たく汗ばんだ僕の手を、グッと掴まれる。
 「魔法っていうのはどうしてあんなにも便利なんだろうな」
 耳元でねっとりとした声が響く。ベタベタの異物に侵食されるような嫌悪感。
 「かの勇者様すら、どの人間に、どんな魔法がどれだけかかっているのか、そんなことは中々見抜けない。現にお前は一度も俺を疑わなかったね。或いは元から何でも信じるような純粋な頭か。お前のお姉様の教えの賜物か?」
 その言葉は明らかに皮肉を交えられていて、僕は反射的にその男を睨む。今、僕がすべき行動はこの男の手を振り払うことなのだろうが、その瞬間に目の前に向けられたあの剣の鈍い銀が視界に映る錯覚を見て思わず顔を歪ませ目を擦るばかりで、その手を振り払うという動作にまでは時間が足りなかった。
 一瞬、男の掌が夜に目立つ白色に光る。
 「《揺籃歌》」
 それを最後に、僕の記憶は途切れた。
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