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サーカスの歌声

冒険者になる練習 前編

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 ――sideマツリ
 皆でご飯を食べた翌日、朝早くからお兄さんはサーカスの方へ向かっていった。
 僕達は朝ご飯を軽く食べてから、早速周辺の森へ出掛けた。猫達は部屋の中で大きめのゲージに入れて、ちゃんと鍵を閉める。いってきますと言えば、いってらっしゃいと答えるようにナァゴと鳴いた。
 マサ姉は背中に花の刺繍がある以外はシンプルな薄紫のワイシャツを着込み、チェック柄でスリット入りのミニスカートの下には黒のスパッツを履いていて、足元は履き潰された黒のジョッキーブーツは土埃は粗くがさつに洗われた痕がある。
 そしてなぜか、僕とお揃いにしたいとパーティーグッズでよくある黒猫のつけ耳をしていた。
 僕も、彼女にお揃いの水色ワイシャツを貸して貰った。下はスカートだけでなく、ショートパンツを予め持ってきておいてよかったと思う。寒い日にこれは少し丈は短いけど…
 荷物はほとんど部屋に置き、彼女が持つのは手にもった杖と空の袋、干し肉と干し葡萄、水を入れたディアスキン製ウエストポーチのみだ。
 近場ということで、彼女は旅人の装備とは違い、ほとんどの荷物を置いて身軽に行こうと言われたのだった。
 「本当に大丈夫なのかな。食べ物だけなんて…」
「マツリは知らないだろうけど、この杖はとても優秀なんだ。その人が使える魔力を余すことなく使ってくれるし、無駄な消費も失くしてくれる。」
 そしてマサ姉は森に入って数歩して、僕に杖を渡してくれた。白くて細長いその杖には五線譜の彫刻とまばらにちりばめられた金箔がキラキラと木漏れ日に照らされてたまボケとしてまばゆく光る。先端には昔は何か宝石みたいな装飾など飾られたのかもしれないけれど、それは折れたみたいで、今はヤスリで削られ整えられているように綺麗な断面図だけが残っていた。
 こちらはジョッキーブーツとは違い本当に丁寧に手入れされていて、使い込まれて所々凹んだどうしようもない傷はあれどそれはそれで趣もあって手に馴染む。そして石膏のようなずっしりとした重さ。
 「結構、重いですね…」
「ん?そうかな?」
 思わず敬語になってしまう。いや、正確にいえばこのくらいは特に問題ないのだが、僕は僕の腕力が人より強いことを知っているのでマサ姉があまりにも軽々と持っていたのを尊敬したのだ。
 僕よりほんのちょっと、身長が高いくらいなのにな。
 「さ、それよりもモンスター討伐に行こう。朝の時間帯は倒すのが楽なモンスターが多いんだ。」
「う、うん…」
 僕は五線譜の丁寧な線を親指でなぞらえながら、一歩一歩深い森を歩く。
 そのうち、血生臭い空気にゴホッゴホッと幾度か咳をしてしまったが、マサ姉は何の問題もなくずんずんと奥に進んでいく。僕は思わず服の袖にはなをくっつけて、一定間隔に息を止めて進む。
 服の袖から洗ったあとに本物の金木犀香りが匂う。ファブリックミストとは違う、本当に本物の自然に似た香り。
 けれど杖を構えるためにはいつでもはなを抑えてはいけないので、やがて観念して杖を両手で持ち直す。
 けれどやっぱり、臭いがきついの。
 「なんか、臭い酷くない…?旅してたときは、困難じゃなかった気が」
「そりゃ、きっと魔法でもかけられてたんじゃないかな。そうやって気を回す優しい人もいなかった?」
「……いたのかな…いたのかもな。……こういうのって、慣れるもんなの?」
「ん…自分匂いに鈍感だからな」
 そうしてマサ姉が茂みを掻き分けると、直後、いきなりなにかが飛び出した。マサ姉の頭上を飛び越え、僕の目の前に立つ。
 それは見覚えがあった。セリルリガルっていう、E級凡位の低級モンスターだったはずだ。大きく角張った耳に、常に充血したような目。茶色い毛。大きさは五十センチほどで、ギュルルルと腹の音のような鳴き声で僕を睨んでいた。立った猫のような細長い尻尾の先端からは鉢の針のような細いものが尖って僕の方に向けられた。あちらさんも敵意丸出しだ。
 「うにゃっ…」
「やった!」
 思わず一歩身を引く僕に対し、マサ姉は見るからに喜んだ。一瞬、彼女の手が空を切ったが、すぐに僕に任せようとその手を下げる。
 「マツリ、殺っちゃえ!」
「やるったって、どうやるの!?」
「杖に心臓を委託する感じで!」
「心臓を痛く!?つつくの!?」
 僕はすっかり混乱して、整えられた杖の先端を僕の心臓に向ける。そのまま僕の心をいっぱいに押そうとすると、杖と心臓の間に透明な筒が現れ、それを阻まれた。マサ姉が魔法で止めてくれたんだろう。
 「違う違う。」
 そしてマサ姉はおもむろに僕に近づくと僕に手本を見せるように僕の杖を手に取ると、片手で軽々持ち上げ先端をセリルリガルに向ける。
 「《針刺し》」
 彼女の何の魔法のエフェクトも出ることなく、代わりにマサ姉が杖を振り上げた直後にセリルリガルは太い針に勢いよく貫かれて倒れた。セリルリガルに大きな穴が空く。
 血飛沫がマサ姉の頬を伝った。
 「ね?今のは針刺し。十センチくらいの大きさの針で対象を刺すんだ。E級華位ね。マツリなら簡単簡単!!」
 何の悪意も屈託もない無邪気な笑顔で杖を返される。林檎のような綺麗な赤が頬を涙のように伝い、彼女の綺麗に洗濯しただろう服に染み付く。
 「あ…」
「気にしない気にしない。洗濯したら落ちるよ。それよりセリルリガルは基本的に団体行動してるから奥にもっといるはずだ。」
 ――今度こそ頑張れ。倣うより慣れろだよ!
 そういってマサ姉は先ほどのモンスターの耳を掴んでから早足で歩く。セリルリガルの、血抜きも必要ないくらいの血が地面に滴った。
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