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サーカスの歌声

不器用どもの宥め方

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 「ではでは、問題です!自分達は一般的に魔法やそれに準ずる道具などにランクをつけますが、そのランクの種類は全部でいくつでしょう?」
「SからEの六種類、そしてかく位ごとに更に細分化した華位、凡位、泥位、計十八」
「ピンポポォーン!!」
「ポポン?」
 雑談、クイズ。俺とマサリはマツリが心の中を整理し終わるまで、ずっとそんなことに時間を割いていた。


 ――時間は遡り、マツリの四匹の猫が暴れ、落ち着いてから。
 俺達は気絶しても薄くなくとも明日までは意識が戻らないであろう猫達の万が一を考え、とりあえず自室に戻ることにした。
 マツリはどうやらすぐにサーカスから抜けられるよう、とある場所に荷物を預かって貰っていたらしく、一度俺達の宿に戻って猫達を俺達に任せたあと、エサや毛布やケージがあるからとそれを取りに部屋を出た。それらの動きは全て脳を働かせず脊椎からの命令だとでもいうようで、俺達からの声は届かないようだった。
 一応マサリと俺は心配になって尾行したが、彼女は始終存在すらもがふわふわとしていて危なっかしかった。もう少し夜が深くなれば不届き者は平然と町を徘徊するし、そうなればマツリは危険な目に遭うかもしれない。奴隷商人にとって、魔力量も高く瞳も綺麗な亜人は格好の的だしな。
 でも、今回はルンペンを装った人攫いを一人気絶させて町のシンボルの時計塔にくくりつけてきた以外問題はなく、俺達は再び自室に戻り、そしてずっと混乱が解けないマツリをソファに座らせて、俺は椅子に、マサリは俺の使うベッドの縁に足を乗せて座りながら暫く雑談…をしていたわけだ。


 が、クイズもそろそろ飽きてきた頃、俺とマサリは目を合わせていよいよ頭を抱えるマツリをどうしようかという問題を直視する。
 マツリはここに帰ってきたあともずっと動かず、ひどく混乱状態にあった。いくらなんでも長すぎるくらい。
 何せ、俺達はこういった人間関係には疎いんだ。特に俺が今まで会話してきた人間は商売関係だったり、ずる賢く生きてきた人間とだったりと、とにかくこういった精神的に参ってしまった状態の人とは会話したことがほとんどなかった。あったとしても会話の全ては短絡的で、カウンセリングや人との会話が得意な人間などに任せっきりだった。魔物を斬って人の命を選ぶ直前の人の絶望顔は何度も見たが、その人達がどうやって笑うようになるのか等のプロセスはほとんど見たことがない。
 「ね、どうしよサトリ」
 今週のゴシップ紙で顔の下半分を隠し、そしてきっと隠れた口は尖らせているマサリは横目でそっと俺と目を合わせる。いつもは無邪気な目はかつてないほど困り果てていて、それは食料を忘れ食事を魔物の生肉で凌いだ数日間よりも遥かに参っているようだ。
 が、前述したように俺もどうすればいいかは全くわからない。俺が長々と心の中で過去を思い返し言い訳を重ねたのも、マサリにどうにかして貰おうという甘えが関係しているのである。
 「どうしよって…マサリとは年近いし同姓だし、俺より話しやすいんじゃないか?」
 と、尤もらしい理由をつけてやる。マサリは普段冒険している旅人とは思えないほど綺麗な人差し指の第二間接をおでこに当ててウンウン唸る。そしてジト目でこちらを見て、さらりとおっかない台詞を投げてくる。
 「…洗脳しちゃえばちゃんとお話ししてくれると思うよ」
「お前は過激派教祖の素質あるぞ」
「冗談だよ、約束したじゃん」
「ならよし」
「で、どうするの?」
「…………マサリ、お前マツリと年近いんだし」「堂々巡りじゃん!!」
 俺との会話に答えは出ない、とポスンっとマサリは布団の上に体を投げると、天井の染み隠しのために張られたアカンサスの刺繍入りの白布に手を伸ばす。そしてすぐに体を持ち上げ振り向いて、近くから彼女が俺の部屋につくなりベッドの上に置いたナップサック(というかそれよく地面においてたやつじゃね?白いシーツ、なんかちょっと土で汚れてね?気のせいだよな?)から中身がパンパンの巾着袋と少し古い手のひらサイズの箱を取り出した。
 右手と左手に一つづつ置いた二つのアイテムを交互に見比べ、そして巾着袋だけを膝の上に乗せた。
 「?おいマサリ、なにするんだ?」
「自分、人の励まし方とかわかんないからさ、自分が好きなことをしてあげれば良いのかなって。」
 そしてマサリはにっこりと無邪気に笑う。確かアミラド繊維が組み込まれた巾着袋には今まで旅をしてきた中で、その土地その土地の伝統や歴史を移したアクセサリーが詰まっていたはずだ。
 マサリは箱入り娘というよりは寧ろ生まれてからずっと僅かな塵すらも触れないよう閉じ込められていたかのように透き通り彫刻のように滑らかな手で、その中から一つのチェーンネックレスを取り出す。他のネックレスと絡まっていたようで、丁寧に絡まりを解いていくがすぐに眉間に皺をよせて俺の膝にそっとネックレスを乗せたので俺が代わりにほどいてやると「えへへ、ありがとう!」と俺に軽いハグをしてからそのアンティークジュエリーを手に乗せる。チェーンにただひとつぶら下がる丸い虫食い珊瑚の赤い色味は艶々にコーティングされていて、それを恐らくは四隅のプロング含めた全てが純金で出来た石座で固定しており、骨董屋か知識のある貴族辺りに売れば相当な値が張るだろう。
 確か、どっかで買った宝地図を元にトレジャーハンターごっこをしていた末に見つけた宝箱の内の一つだったはずだ。当時のマサリも他の宝石には目をくれずに真っ先に手に取ったくらいには大変気に入っていた。
 そしてマサリは一瞬惜しそうな顔をして、しかしすぐに首を振って項垂れたままのマツリに近づいた。しゃがんで手のひらにそのネックレスを乗せる。
 僅かにマツリが顔を上げた。
 「え…」
「あーと、えっと。自分、何て言えばわっかんないけど、えっと、その…………」
 マサリは少しだけ照れくさそうに目をそらして頬を染め、そして最後にはマツリをまっすぐに見つめてネックレスを握らせた。

 「元気だして」

 瞬間。

 ブワッと、比喩表現ではなく本当にマツリから毒々しい色合いのものが四散した。
 「っ、魔法か!?」
 そしてそれは俺が咄嗟に机にある剣を手に取ったとほぼ同時にまたマツリに戻ろうとする。
 俺は剣を抜くまでにマツリに再び体に入り込むと判断し、魔法が使えない今の俺を心底呪いながら首にぶら下げ服の下に隠していたペティナイフをシースから引き抜き毒々しい何かの一番色濃い部分めがけて投げつける。幸いにも、マツリの体と重なる前にそれを刺すことが出来た。じゃないとマツリまで斬ってしまいそうで投げられなかったからな。
 ナイフは何かのものを刺したまま一直線に壁に突き刺さり、これは弁償だろうと内心で落ち込む。つう、と今更ながらに血が流れたことで、ナイフを引き抜いた時に鎖骨辺りに傷が出来てしまったのを知る。
 「えっ、な、なに!?」
 俺がナイフを回収する間、マツリの頭を庇ってくれたマサリは困惑してハッキリと声を出したマツリの頬を緩くつねった。
 「マツリ、もしかして魔法にかけられてたの?」
「魔法?」
「ほら、さっきまで何をしてたか、言える?」
「え?僕は確か、仕事が終わって、猫達に会いに行って、それで、それで…………そしたら暴走して…………」
 段々と言葉が途切れていき、やがて光しか知らないような瞳に影を落とす。
 「それから。それから、何してた、僕…」
 そしてそのままマツリは絨毯の敷かれていない床を靴でトントンと叩き、必死に思い出そうとしているが、恐らくは今ここにいるまでの過程すら思い出せていないようだった。
 俺は思わず勇者時代の血のようなものがうずいたのを感じた。尤も、あの頃よりも汚れてくすんだ血の色だろうが。
 ゾクッと背筋を撫でられたように身震いをして、今俺は目を見開いている。
 「マサリ、残念だがこの辺りにはもう既に悪徳教祖様が存在するようだぜ」
「あはは。それでどうする?」
「とりあえず分析と解析。お前らの荷物の全部、お前の部屋に置いてくれ。それでマツリと遅めの晩飯でも考えといてくれ」
「はぁい!」
 こういう時、行動は幼稚でも頭は聡明なだけあってすぐに状況の把握と無駄ない行動を実行してくれる。
 「え…えっ?」
 アワアワと混乱するマツリには、マサリの説明で何とかして貰おう。俺はナイフと向かい合う。
 魔法には何かしらの思いが詰まってる。
 俺に出来るのは、そういった基準からはみ出る個々の魔力の個性を見分け、大体いつ頃、どこで魔法が使われたのか予測するくらい。成功はほとんどないし、物理的か精神的に攻撃する魔法の種類は沢山あるのに、なにかを探ったり空を飛んだりする魔法がないのが悔やまれる。
 二人が荷物と猫を抱えてこの部屋を出たのを確認する。
 俺は、非常に鋭くとがったナイフを壁から抜き取り同時に蠢く黒い物体を素手で掴んだ。
 本来こういう悪意の魔法は素手で掴めば魔法の対象が触れた本人に移り変わることも多いが、俺の場合は純粋な魔力だけが溢れる聖剣を扱った経験のお陰か、ちょっとやそっとの魔法には影響されないみたいだ。
 「おい、おまえさぁ、どうせ化け猫達にかけられてた魔法と同じだろ?しかも同じ魔導師が仕組んでる。目的はなんだよ?」
 もちろん、触れた魔法に意思はない。だが気を紛らわせたかった。俺は俺のナップサックからシャムロックの絵柄が耳なし芳一の耳が切り取られたあとのように抜かりなく刻まれたメスを取り出し、左手でつかんだ魔法にメスを切り込んでいく。こいつを引き抜いた時に拾い損ねたペティナイフが黒い魔法から抜け落ちて、鮮血の出血に似た勢いで煙が溢れる。
 思わず咳き込んで、手放しそうになる。いや、駄目だ。こんなこと、何度もしてきた。これくらいで精神を病んでられるかってんだ。
 そう、触れた魔法に魔除けが施されたナイフを切り込むと、やがて魔法は腐敗し消える。
 一定の魔法量を誰もが持っていて、その中でも優れた才能のある、所謂魔導師は色々な魔法が使えて、更に素晴らしい人間は一生に一度二度くらいは魔法を創作出来る。
 しかし、これらを全て分析することは難しい。魔法はいずれ消えて、それか目に見えないからだ。科学とは全く別の空間に位置してしまっているから。けれど、ただひとつ、この方法ならばだいたいいつ魔法が出来たのか、大体どこにいる術者が作ったのかくらいはわかる。決して完璧ではないけれど。
 そうこうしていると、魔法は腐敗してみる限りどろどろの気持ち悪い物体になっていく。魔物を煮込んだらこんな色になるものもあって、それを思い出して思わずお腹がなるが、今はそんなことはどうでも良い、気にするな。
 「この腐敗スピード、早い…魔法は結構前にかけられてんな。マツリが七歳くらいの時か?」
 俺は更にメスを深く刺し込む。聞こえるはずのない悲鳴が幻聴のように響き、そして完全に腐敗したそれは術者の元へ戻ろうと必死に暴れた。当然、この魔法は術者の元には戻れずに途中で朽ち果てるのだが、その際に向かった方角から、どこの辺りに術者がいるのかわかるというわけだ。距離が近ければ近いほど魔法の動くスピードは早くなるから、その時速から計算すれば術者が大体どの辺りにいるのか予測がつく。まあ、そいつが移動すればほとんど意味をなさないのだが。
 俺は幸いにも夜空の瞬きを映す窓の方へ向かおうとする魔法を掴んだまま雨戸を開け、足をかける。下をみると、レンガブロック柄の地面が道なりに延々と続いている。ガス灯のわずかな明かりが転々と円形に地面を黄色く照らしている。
 「うえ、けっこーたけーな。」
 とは言うものの、俺は特に躊躇うこともなく地面にダイブする。四階だっけな。無傷のまま、俺は魔法を手放すと、走る魔法を追い抜かさないように追いかける。ぼんやりと考える。四階から落下。まともなやつなら死ぬはずなんだけどな。
 まあ、考えても仕方がない。
 俺はとにかく魔法を追いかけた。



 ――sideマツリ
 記憶は混濁したまま、僕は隣のお姉さんの部屋に案内される。
 猫達は暴走を止めてよく眠っているし、僕の手にはなぜか高そうなネックレスが握られているし、最終避難用のスーツケースはここにあるし。そもそもここはどこだろう。
 僕がポカンと扉の前で立ち尽くしていると、お姉さんは僕の腕を引っ張って少し古い一人用のソファに座らせてくれる。猫達はベッドの上に優しく寝かせておいてくれて、スーツケースは部屋のすみに置いてくれた。そしていきなり他人の家で、しかも手土産一つも持ってきていない状況に余計に緊張し、背筋を必要以上に伸ばしていると、お姉さんはネックレスを僕の手から優しく奪うとそっと後ろに回ってくれる。
 「自分がつけてあげるよ。とても綺麗な水割りソーダ色の清涼な髪とは正反対でしょ?情熱の赤。珊瑚なんだ。」
「あ、ありがとう…これ、お姉さんの?」
「うん、そうだよ」
「貸してくれるのは嬉しいけれど、僕が返せるものはないよ…申し訳ないから…」
 だから、僕に飾ってくれなくて良い。
 そういったニュアンスでとりあえずやんわりと断ろうとすると、お姉さんはクスクスと無邪気な笑い声を上げた。
 「違う、違う。これはもう君のもの。」
「えっ!?いやいや、本当に大丈夫だよ。そんな、僕が貰う理由ないし…」
 そもそもなんで、何があってこのネックレスを僕が持っているんだ。
 僕はもう色々と困惑して、思わず後ろを振り向いた。お姉さんは動かないでと僕を制止したが、その頃に丁度ネックレスは僕の首に繋がったようで膝かソファか床に落ちることはなかった。
 「うん、似合う似合う!!このマサリ様がこう言うんだ、もう絶対絶対ぜえったいの超最強に全人類君の姿は素晴らしいと言うね!」
「あ、ありがとう…?」
 僕はさっと手渡された重みある手鏡で首元を見た。フェイスヴェールの下にチラリと見える、丸くて小振りで真珠のような艶やかさの珊瑚のネックレス。回りは全て金色で、人魚姫から貰ったかのようにどこか海底に沈んでいたような影をもった、不思議なネックレス。
 余計に貰えない。
 「ありがとう、お姉さん。じゃあこれは返す…」
 そう言い終えようとしたその時。

 「珊瑚は魔除けって意味があるんだ。だから持っていて。」
 その声は全く冷たくないし、寧ろ聖母のようにとても優しい言い方なのに、どこか威圧感を感じる声だった。心が闇でも光でもない、ただ彼女の見える無邪気な世界に溶けるような。魔法などかけられていないのに、そうやって僕の意見を強制されるような。でも、全く不快感はない。
 ああ、これはあふれでる魔力に充てられたのかもしれない。彼女の思いが魔力を通して漏れだして、彼女自信は無意識でも、僕は彼女の魔法に僅かにかかったのかもしれない。
 そんな不思議なお姉さんに目をやると、お姉さんは窓辺の机にもたれ掛かり、横からこちらを見ている。明かりを全身に浴びて妖精さんのようだった。あまりの存在の無邪気さに、彼女はこれから先も永遠に子供でいるのだろうな、とヘンなことを考えたものだ。
 そして僕はどうしてもその言葉に逆らうことが出来ないと悟る。
 「ありがとう、大事にする。…お礼させて」
 これが僕の出来る最低限の礼儀だろう。そういった瞬間、お姉さんの魔法が解けた…少し心が軽くなったというか、寂しくなったような感覚がした。
 町並みと夜空を優しく魅せる小さく窓は空いていて、風が入り込む。僕はじっと冷えた風に靡くシルフを眺めると、そのシルフは一言、「《雷鳴》」と呟き、直後に手のひらにお祭りで並ぶ提灯を遠くから見た時のようなキラキラを右手に宿す。
 それを口で吹くと、蛍が持続的に光って旅をするようにゆっくりとあちこちに飛んでいった。
 そして、一言。
 「マツリは真面目だねぇ。お礼なんて気にしなくて良いんだよ」
 そして、少し悩んでから一言。
 「でも、そうだなぁ。自分は今マツリのことが沢山知りたいな。お友達としてくれるなら、色々話したい。サトリが帰ってきたら、一緒にご飯も食べたい。少し遅いかもしれないけど、お腹空いたもん。」
 ――空腹は睡眠の敵だから。
 今度は一度も先ほどのような威圧感も、無意識の魔法も感じられなかった。
 けれど僕は当然頷いた。
 僕だって、もっとお姉さんとお話ししたいんだ。友達に、なりたいんだ。

 「お姉さん、魔力量が凄いんだね。僕、学校行ってないからどんな魔法があるのかお姉様から教わったもの以外知らないけど、お姉さんの魔法がとても凄いものってことは何となくわかるよ。猫の本能っていうのかな。」
「あはは。でもね、自分の魔法って結構差が激しくてさ。どんなに魔力が貯まってても、日によって使える魔力量が全く違うんだよね。いつも魔力量自体は計測しても全然変わってないんだけど、どうにもからだが言うこと聞かないみたいで…今日は調子良かった、かな。」
 僕は少し驚く。昔お姉様から魔力量は変化しないと聞かされたが、変わらずともそういう例外もあるんだな。
 お姉さんはベッドの縁に座り、僕はソファから机に併設された椅子に座りなおし、少しだけ感じつつある空腹をどうしようかなどと適当に考えながらあくびをした。
 なんだか、今日は疲れた。けれどお姉さんとのお話しは楽しくて、まだ止めたくないんだな。お姉さんはおしゃべり上手で、僕が話しやすい質問や話題を提示してくれて、しかも気さくに話してくれて、とても…思っていたよりも、会話しやすい。
 「ところでマツリはさぁ」
「ん?」
「これからどうするご予定?」
「これからは…まずご飯を食べて」
「あ、そうじゃなくて」
 お姉さんはこの部屋には他の家具よりもよっぽど高そうな、赤基調のメダリオンのデザインの絨毯が何故か敷かれているのでその細かい模様を靴の裏でなぞりながら僕を見上げる。
 「荷物、分けてたってことはベニトサーカスはやめるつもりだったんでしょ?これからどこに行くの?」
「一応、とあるところを訪れてから、トートシティーに。魔獣の保護施設があるんだ。僕の故郷なんだ」
 僕の故郷はド田舎で集落だから、その分注目する人も少なくて、結果殺しても良い魔獣達でも害がなければ保護してくれる。少なくとも、昔はそうだった。尤も、こういったことはごく僅かな人しか知らないけど。
 「トートシティね。こっから四百キロくらい離れている閉鎖的な集落だっけ。十年前くらいに一番大きな教会が崩れたよね」
「え?…あ、うん、そうだね。六、七年前かな」
 僕は思わず目を見開きたじろいたのは必然で、何せ、僕の田舎も田舎な故郷の名ををすぐ理解し、更に内部事情を知るような人は早々いないからだ。しかもまだ十代の若い人が。
 けれどお姉さんはそれを自慢げに話すわけでもなく、淡々と僕に尋ねた。
 「それで、どうやってその町まで?」
「…サーカス団として町をめぐっている時、道は覚えた。…簡単だったから。だから」
「そのまま一人で歩いていく、と。」
 僕は頷く。
 お姉さんは少し言いずらそうな顔をしてから僕をまじまじと眺める。
 「マツリ、魔法は使える?」
「幾つかだけは。よく使うのは揺籃歌と混声合唱だけかな」
「剣か武器は?」
「芸としては、ほんの少し…サーカスで使えるほどのものじゃないけど」
「野生動物を殺したことは」
「うんと…ないよ」
「屠殺現場は見たことある?」
「いいや」
「…………動物食べれる」
「肉は苦手かな」
「人の頸動脈を…」
「なに!?なにその手の動かしかた!?人の頸動脈!?しないよ!?そんな物騒な」「なら死ぬね。一日足らずでマツリは死ぬ。」
「そんなあっさり!?」
 先ほどの聖母のような姿はどこへやら、お姉さんは完全に冷たくハッキリと忠告した。
 「容赦なくなんでも殺せるくらいの人間じゃないと、逆にやられるよ。トートシティー付近なんて物騒だし人も少ないし、じわじわ失血して死ぬのがオチだ。所々町があってもどこかで野宿はしないといけないし。」
「でっ、でも、僕は行かないと」
 僕は思わず立ち上がった。こういった宿に猫達を囲うのは訳ないが、そうすれば猫達の自由を半ば永久的に奪うも同義だ。
 人間の勝手でつくられ殺されかけるなんて、そんなのあって良いわけない。
 僕はお姉さんの方が旅に対して経験豊富だと知りながら――そう、だからこそ、当初は依頼として僕の旅に途中まででも同伴して貰おうとした。なのに今、僕はそのベテランに剥きになっていた。
 「ちゃんと揺籃歌を使って危険は事前に回避するよ!四百キロは確かに遠いけど、でも僕は昔から世界中をサーカスと共に旅をした。」
 町の先々で歌を歌って、教会にあったヴァージナルをお昼時に弾いたりして、その足でサーカスの補佐もした。そう、運動神経もある程度持ち合わせているし、体力もある。
 「体力の問題じゃないんだよ」
 が、お姉さんは僕の頭の中を読んだかのように強く言い聞かせた。
 「体力があったってキリはない。逃げれば逃げるほど目立って魔物だか人攫いだかは目を付けるし、第一、君の中に他に魔法がかかっていないか判別しかねる。悪趣味なものだと魔物に好かれる体質に変わったりね。」
「……っ」
 旅人がどんなものなのかは知っていた。音信不通の人々はどんな町でもよく話に聞いたし、旅の際に犯罪に手を染めてしまったと言う噂話だってよく耳にした。
 僕は一瞬、ならば明らかに強い彼女達に当初の予定どおり、旅を途中まででも同伴して貰おうと依頼し直そうと考えて、やめた。
 これは、『契約違反』になってしまう。
 そうやって落ち込んだ僕が口をつぐんで何を言おうか迷っていると、お姉さんはふと思い出したかのように急にさっと立ち上がり、そして徐ろにナップサックから雲の形の薄い板を取り出す。
 「それは?」
「全快地図。サトリのなんだけど、この前の依頼で預かってたんだ」
「地図?」
 僕は信じられなくて、思わずお姉さんに近づいて板を覗き込むと、板の上には確かに地図が写し出されていた。しかも、お姉さんが指を動かすと地図も動き、あっという間にトートシティーとその周辺の森に移動した。
 「わあっ、なにこれすごい!」
「でしょでしょっ!?自分、暇な時はたまにこうやって地図上で旅をするの。一週間分の天気もわかるし、さすがS級華位だよね。もしも、万が一というか兆に一サトリと離れることになったら、絶対にこれは盗むか奪うかしてるかも…なんてね!」
 そういうお姉さんは非常に楽しそうで、そのまま匠の技のように鮮やかに地図上の世界を動かす。流れ星さんくらい、本当に一瞬で。
 「カルマアラネ・アンダージャン公国はどう?」
「カルマアラ…」
「カルジャン公国!治安はよくないけど、魔獣保護なら世界でもトップを誇るよ。とても一般人が住める場所じゃないけど。もしも猫ちゃん達と離れて良いのならここから十キロで、すぐに辿り着ける。」
 カルジャン公国は聞き覚えがあった。その国はいつか、入ろうとして止められたっけ。
 猫達と離ればなれは少し少し寂しいけれど、それ以上に近場には魅力がある。より良い安全が大事なんだ。それに、トートシティーに辿り着いたって、僕はまた行かなければならない場所があるし。
 「僕、一人でも行けるかな」
「トートシティーはつい最近行ったばかりだけど、カルジャンならサトリもきっと許可してくれる」
「……ううん、僕一人で行きたいんだ。その気持ちはとっても、とっても嬉しいんだけど…」
「…?」
 首をかしげられる。
 僕は慌てて話をそらそうと両手で乾いた音を出した。
 「それよりも!まずは猫達の種族を特定しなきゃ。カルジャン公国でもさすがに種族不明の生物は預けられないだろうし」
「ん。なにかヒントないの?」
「ひ、ヒント?」
 さもクイズでもするかのような言い方には少し戸惑いつつも、僕はそのヒントってやつを考えてみる。
 猫達は皆見た目じゃ魔物かなんてわからない。特徴…皆黒猫ってところとか?いや、でも猫達の魔獣の血の入っていない方のお父さんは黒猫だった。
 「あ、でも…猫達のお母さんは変身できるんだ。この前は凄く綺麗な人に変わってたらしい。誰かはわからないけど」
「良いヒントだよ。仙里とか、金華猫の血が濃いのかも。ただ、この一つに絞れないとな…」
「うん…それに猫達は一つの魔獣だけの血が混ざった訳じゃないよ。座長に聞いた方が早いかも。ちゃんと記してる本があるはずだから。」
「座長ね…」
「まあ、僕はちゃんと話したことないから…」
 もし話せたら話は早いんだけど。
 「でも、正直あの人はちょっとおっかないんだよな」
 なるべくあの人と話さない方向で情報を聞き出せたらな…とグラグラと頭を悩ませていると、そこでお姉さんは妙案を思い付いたといわんばかりに全快地図を布団に放り、僕の方へ近づく。
 「えへへ!マサリちゃん、良いこと思い付いちゃ~った!」
「えっ」
 葡萄のように丸っこく艶やかな紫の耳飾りが左耳でキラリと光った。彼女の顔は見えなかった。
 なぜなら彼女は今、最悪ともいえるほどにいたずらな笑みを浮かべていたからだ。
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