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サーカスの歌声

サーカスの歌声 前編

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~サーカスの歌声~

 時は遡って五年前、勇者の献身的活躍によって世の中に平穏が訪れた。しかしその勇者は王都で栄光と脚光を浴びてその余生を過ごすことなく、どこかへ消えたそうな。
 そして時間が経つにつれ、その勇者は伝説になることもなく徐々に多くの人間の記憶から消えていく。時間が経つ度に、その度に。



 ――ベニートシティーにて
 「『勇者は死んだのか…天国の都で聖剣が見つかる!』だって。ねえねえやっぱサトリがゴシップにのってる。やっぱりあの剣、拾わなくて良かったの?」
「仕方ねえだろ、落としたのが冬の大河なんだから」
 各部屋一泊二十ラントの安上がりな宿屋のある一室。
 真冬の午前五時ごろ、パーティーメンバーである魔導師の少女マサリは俺の部屋のベルをけたたましく鳴らし、朝っぱらから上がり込んで来たかと思えば、第一声の大変!と共に流行りのゴシップ紙を見せびらかしてきたのだ。
 俺は眠気も吹き飛び目が覚めてしまったので、手に取ったお気に入りの剣を磨ぎながらベッドの縁に座る。
 「でも、聖剣って確かランクはS級華位でしょ?思い入れは?」
「いやいやあんなん、勇者時代の最後の一週間しか使ってなかったからね。伝説の剣だからって思い入れもねえしそんなもんさ。俺には今の……この、俺のために鍛冶屋がくれた剣の方がよっぽど大事だよ。」
「うわぁ~王様危篤だってー」
「もう聞いてねえのかよ」
 俺は内容の薄い雑誌を熱心に読み込むマサリに溜め息をついてから、剣を鞘に直し顔を洗って朝の支度を始めた。
 シャツを脱ごうとしたところでマサリがいることを思いだし、脱衣所の方へ戻る。
 マサリはゴシップ紙に飽きたようで俺の枕辺りにそれを放置する。
 錆び付いたドアノブを握った時、声をかけられ振り向いた。シワだらけのシーツに寝ころぶはねっ毛の少女は、明るい茶髪に所々ラベンダー翡翠のような薄紫が混じっていて、それが朝日に照らされて煌々と…まるでモデル雑誌の表紙撮影のようだ。いつもはサイドテールであるのに今日はよほど急いでいたのか髪は括られておらず、いつもとは違う印象を与えられる。
 「ね、サトリ。今日の依頼は何時から?」
「朝七時に広場横のカフェ。せっかく起きたなら、もう寝るなよ?」
「はぁーい!準備してきます!」
 マサリは嬉しそうに立ち上がる。左耳の美しい耳飾りが光を跳ね返し、アメジストのような透明な瞳で、彼女は俺にウインクをしてから部屋を出ていった。俺はそれを見届けたあと、ふと檜の扉横のナップサックからよく使う方の財布を取り出す。
 銅貨はあるが、銀貨がもうない。困ったな。
 尤も、別の財布からは金貨も宝石も一生困らない分以上、つまりは沢山出てくるだろうが――あれは旅の間は使わないと決めたんだ。約束だからな。
 その約束を遂行するには、今日の仕事を成功させて稼いでおきたい。俺もマサリも料理は不得意だし、旅をしている分、馴染みの八百屋などで得をするなどといった節約術は使えない。
 俺は息を吸い込み意気込むと、今度こそ部屋に備えつけられていた寝巻きを脱ぎ散らかす。そして普段着の若干桃色とも取れるような赤のライン入りシャツに着替えた。


 ――何年か前、勇者としての俺は名前も顔も忘れられかけていた頃から…俺は名を改め新たな人生を進み始めた。改名については全世界が報じたものの、それを覚えている者は少ないだろうが。
 ただ、世界を救った前日くらいに思い描いていた『新たな人生』…つまりはのんびり暮らすこととは違い、俺は未だに旅を続けている。
 何故なら、本来死ぬまで減るはずの無い自らの才能…つまりは俺の魔力量。それが勇者としての職務を終えた後から何故か衰えているのだ。魔力は使えば減るがほっておけば増える。その限度を決めるのが魔力量だ。
 本来あり得るはずの無い減少を止めるにも、聞いた限りでは前例も無く、医者や魔導師は役に立たない。大変由々しき事態である。
 しかし、そんな減少を増加へ向かわせる方法は聞かないが、止める手段は噂話として耳に入った。『源生の宝玉』というアイテムだ。
 そう、俺は今やそのわずかな希望である宝玉を手に入れるために旅をしているのだ。
 そしてそのどこにあるかわからない宝玉を探すには何処までも旅をしなければならず、そのためにはお金が要る。
 その金儲けの手段として、現在俺とマサリは特殊なモンスター討伐の依頼を受けつつ新たな人生を歩んでいる途中なのだが…


 「ジャケットポテト二つとクリスマスティーひとつ。あと、水と魔物のスープはここにあるか?透明なやつ。無いなら料理に使えない魔物の廃棄物を適当にミキサーしてくれ。」
「はあ、かしこまりました…」
 六時間ほど長居したカフェで何個めかになる食べ物を注文すると、魔物のスープを知らなさそうな店員は怪訝な顔をしながらキッチンへ戻っていった。
 それを見届けてから、俺達は同時に溜め息をつく。
 「あーあー。今日も来なかったね、依頼主。」
「な。これで何度めだよ、ドタキャン。」
 俺たちの一番の悩みの種。それは多くの依頼のほとんどが土壇場でキャンセルされることだった。理由は知らないが、所詮は旅とモンスター討伐とを並行した仕事なのだから、おおよそ他に拠点を置いて討伐を生業としている奴らよりも信憑性がないのだろう。ここのソーセージパイは美味しいと評判なのに、ったく、収入もないせいでいも料理しか食えない。
 …いや、目の前の食べ盛りが来ない客を待っている間に食べたお菓子のせいでもあるが。

 「サトリ。ベイクドビーンズちょっと頂戴よ」
「お前のところにも十分のってるだろうが!」
「魔物のスープも自分のでいいの?」
「それは俺んだ!マサリはいい加減魔物以外の飲み物を好きになれ!」
 キタリスの赤が釉薬によって誇張されたティーカップの中には透き通る赤茶の液体が注ぎ込まれていて、それを俺がマサリの方に向けるが、マサリは俺にあげると言って飲もうとしない。
 俺は心の中で深く深くため息をついた。というのも、こいつは俺に出会ってからの数年で恐らく味覚が完璧に変になってしまっていて、しかもそれが甘かったり辛かったりなどならまだ良いのだが、こいつの場合、所謂不健康で生々しくてゲテモノの料理を好んでしまっているのだ。これはいけない、もとに戻さねばと俺が他の飲み物を提案し飲ませるが、彼女は結局魔物のスープなどの方が良いというのだ。
 結局今日も俺はスープもティーも取られたためおかわりをした水で残ったいくつかのビーンズを流し込んだ。

 「よし、食べ終わったな。」
「ごちそうさま!」
「はい。…どうせ依頼主も来ないし、今日は魔物討伐に行くか。ここの辺りはオークが多く出るみたいで…」
「あーっ!!」
 腹も満たされて立ち上がった頃、マサリはいきなり静かなカフェで大声を出した。何人かの客が睨んできたので慌てて俺が頭を下げるが、マサリに反省した様子はない。
 「うるせえよ。いったいどうして……」
 そう俺が眉を潜めた瞬間に頭を掴まれ、首がねじ切れるのではないかというほどに回転させられ窓の方を向かされる。
 そこには、慌てて走る少女と、それを後ろから刃物を持って追いかける屈強な男二人が見えた。事件性が疑われる。遠巻きから眺める周りは怯えているというよりは迷惑しているかのようだ。確かに、一昨日のあの血溜まりは誰だって見たくはないだろう。
 …いや。そんなことより気になることがある。なんてったって、追いかけられているその少女は…

 もしかして?

 「あいつ、依頼主じゃあねえか!おいマサリ、追いかけるぞ!」
「らじゃー!」
 俺は立ち上がって走り出し、外に出る前にレジに立っている店員に向かい、俺は銅貨を一掴みほどレジのそばに叩きつける。…叩きつけたのはわざとじゃない。力があり余っただけだ。
 「悪い、つりは後で取りに来る!」
「あ、おい待てお客さーん!!」
 店員の困り果てた叫びを無視し、俺達は慌ててその走る少女を追いかけた。猪突猛進とはまさにこの事で、力が強すぎて凹んだらしいレジ台代を請求されるのはもう少し後の話だ。


 「で?言い残すことは?」
「なにそれ。殺すの?」
「そんなわけねえだろ。お前の言い訳の言葉を聞いておきたくてな。」
「そもそも俺らに楯突いて、その意味わかってんのか」
「わかってる。からもうこの町からも出てく。だから僕のことは放っておいて…ん?」

 公園までやってきて、俺達はようやく追い詰められた少女と男達に追い付いた。その瞬間にドシーンと大きく地面が揺れたかと思うと、目の前に黄色の光が一瞬伸びる。その瞬間、あの少女を囲んでいた男二人は力なく倒れる。――マサリの魔法だ。
 「今の魔法は?」
「あえて名前をつけるとすれば、《雷鳴》?」
 また新しい技か。確かに雷ぽかったな。俺は一度頷くと、男二人の生死確認を行った。外傷もないし、死んでない。
 俺が脈と呼吸確認をしていると、後ろからふて腐れたマサリが俺をつつく。
 「大丈夫、死んでないでしょ?全く、サトリは自分が今まで人を殺したところを見たことがあるわけ?」
「ねえけどお前のは未知過ぎるからな。念のため」
 続いて俺が男達からナイフを奪い、近くの町外れに生えた木の下に避難および拘束すると、同時に尻餅をついた少女の方にマサリが手を差しのべてくれる。
 「はい、大丈夫?お嬢さん。」
 しかし少女は唖然として動かない。
 「ほら、どうしたの?」
「…………っ、すげえ…」
 やがて少女は声を絞り出した。
 「え?」
 途端、少女はマサリに飛び付く。
 「すごい、すごいよっ!!お姉ちゃんありがとう!」
「うわっ」
 マサリに飛び付いた少女からは独特の甘い香りがした。花の蜜のように甘く、檸檬のように酸っぱい香り。何となく、嗅ぎ覚えのある香りだった。…いや、変な意味じゃなくて。

 「僕の名前は『マツリ』。多分猫の亜人で、トートシティー出身の十四歳。今はベニトサーカス団に所属してるんだ。」
 男達二人の側のベンチで、マツリは可憐なお辞儀をしながらそう名乗る。一見するとか弱そうで華奢なお嬢さんのようだ。まるで先ほどまでナイフを突きつけられていたとは思えないほどに落ち着いている。
 頭の上の少し小振りで立った犬(いや猫か)のような耳、後ろで括った薄い水色の髪、口元にはキャラメル色のフェイスヴェール。ネックの部分には小さなマイクをつけていて、シンプルなシャツに下はチェックのミニスカート。靴は使い込まれていながらも綺麗なブーツで、きっと日常から商店街か路地裏通り辺りで靴磨きを行って貰っているのだろう。
 「そんで、ごめんな。約束の時間に行けなくて。」
 そうマツリは深々と頭を下げるが、俺達はもうとくに怒りは感じていなかった。なにせ、事情は知らないが変な連中に追いかけられていたのだ。何らかのアクシデントがあったということは明らかだし、何より依頼はまだ破棄されてない。
 そして特にマサリは、「別にいいよ、ブリオッシュ美味しかったし!」と頬をさすった。俺の財布には良くないがな。
 「それで、あいつらはいったいどうしたんだ?」
 親指で伸びた男連中を指差すと、マツリは目を伏せながら教えてくれる。
 「えーとね。僕とおんなじ、ベニトサーカスの芸人だよ。」
「えっ仲間なの!?」
「てっきり流行りの人攫いかと。ってか、え?容赦なく気絶させたが大丈夫だったか!?」
「僕は嫌いだし、あいつらも僕のことを良く思ってないだろうから良いよ。」
「そういう問題か…?」
「そういう問題だ」
 なんだかとてつもない罪悪感。しかしそんな心情を知る由もないマツリは解放感を表す伸びを盛大にしてから、銀貨を六枚ほどマサリの手にのせる。
 「はいこれ。僕が約束の時間を破っちゃったからお詫びと、さっきのお礼と、依頼料の銀貨四枚。四枚で大丈夫だよね?」
「…いや、まだ依頼は遂行してねえし、そもそもなんの依頼かも聞いてないぞ。」
「…あと、依頼量はちょっと多い」
 銀貨は一枚で銅貨百枚くらいで、つまりは今の宿屋五泊分だからな。子供が出すにはすごく多いぞ。マサリも頷き、マツリにお金を返そうとするが、しかしマツリは細い手を横に振りそれを受け取らなかった。
 「いや、いいんだ。違約金も兼ねているから。」
「違約金?」
「そう、お願いしようとしてたこと、なんとかなりそうなんだ。さっきのはその弊害。」
 マツリは安堵した笑顔を見せる。
 「でもこれで解決だね。本当にありがとう」
 弊害。つまりはマツリはあの男達さえどうにかすれば良かったというわけだ。……俺達、一応魔物討伐依頼専用なんだが。
 「ま、まあそれは良かったよね?」
 俺達は揃って首をかしげる。昼時にあんな雷鳴が轟いたのだ、先程の音につられて徐々に回りに人が集まりだしていた。ポリスが来る前にここをおさらばしなければな。
 「よくわからんが、こいつらはマツリの仲間なんだろ?ここに放置していくわけにも行かねえし、連れてかないと。警察沙汰にはしたくない。俺が。」
「ほんと?じゃあ僕の部屋に来てよ。あっ、どうせだし、サーカスも見てってよ!」
「お、おう…」
「ほんと!わーい、サトリ、サーカスだぁ!」
「…いいのか?それで」
「うん、お詫びとお礼だよ!」
 マツリは屈託なく笑った。俺は未だにマツリの同僚が起き上がったあとどうしようかを悩んでいたが、マツリとマサリはそんなこと頭に無いようで、ただ目の前の悪が消えたことを喜んでいるようだった。
 だんだん俺も面倒になって、その問題は後で考えることにする。うん、そもそも公共の面前であんな風に刃物を振り回して女の子を追いかけるのはもう暴漢以外の何者でもないしな。誰だってうっかり雷を落としてしまうさ。
 俺は男の腕を掴むと一気に持ち上げた。とりあえず、運ぶか。
 とりあえず一人を担ぎ、もう一人をどうするかと数秒悩む間にマツリは体重が彼女の倍もありそうな男を軽々持ち上げ裏路地へ入っていく。か弱そうな腕、とても小さな背中で。
 「え…」
「さ、こっちだよお二人さん。僕はこの辺りに詳しいんだ」
 ――人は見かけによらないな。
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