17 / 17
その後の二人
その後5
しおりを挟むなぜ、あれほど難しかったことが、これほど簡単にできたのか。
秀に起こった変化と言えば、一つだけだ。秀はただ、願った。
会いたい、と。
雪虎と呼ばれたあの子に、また。
それは幼子ゆえに純粋で、一途な願いだった。たとえ、根っこにあったのが、興味本位や好奇心であったとしても。
またもう一度、雪虎と会ってみたかったからこそ、秀は自由を求めた。
それが、功を奏したのか。
あれほど難しかった力の制御を、気付けばいとも容易く秀は行っていた。ただ。
そのための原動力となった、雪虎に会いたいと願う、渇望は。
幼い心にとって、すぐ。
…酷い―――――重荷となった。
なにせ、外に出てからも、ずっと。
秀の心の向きは、雪虎にだけ、真っ直ぐに進んでいて。
せっかく、自由になったのに。
なんでもできるのに。
すべて許されているのに。
秀は何一つ、自由ではなかった。
雪虎が憎くなるのは、すぐだった。
どうして。
―――――あの子は、私を縛るのか。
父が、雪虎を特別扱いするのも、納得できなくて。
許せなくて。
なのに、自分の心からあの子を決して外せないのだ。すぐにわかった。父も、そうなのだと。
気付けば、雪虎のすべてが疎ましくなっていた。
それでも、視線は必ず、雪虎の姿を追っていて。
雪虎が、だいじにしているという小汚い少女に向ける、表情を見た刹那。
たちまち、すべてがひっくり返った。
引きずり戻された。
あの時、はじめて雪虎を見た日へと、心が。
雪虎には、どうあってもかなわない。
完膚なきまでに、秀は敗北した。
否、勝ち負けなどどうでもいい。秀はもう、骨の髄まで理解している。
雪虎が雪虎として、生きて、そこにいる。もうそれが、それだけが、秀にとってのすべてなのだ。
「…旦那さま、よろしいですか」
助手席に乗っていた男が声をかけてくるのに、秀は目を開いた。
「なんだね」
「穂高の若君は、もう本州方面に出て―――――無事、故郷へ向かっていると連絡がありました」
秀は、ゆっくりと俯けていた顔を上げる。
助手席の男は、事務的に言葉を続けた。
「穂高家に、戻った暁には」
「手筈通りに」
ぞっとするような秀の声にも、臆することなく、月杜家に代々仕える男は頷く。
「了解しました。穂高家が始末に動く前に、月杜の者の手で片付けます」
月杜の手で始末したいなら、なぜ、わざわざ穂高家へ返すのか。
そのように思われそうだが―――――まずは穂高家へ戻すことに、意味がある。
秀は明かりが流れていく窓の外へ目を向けた。
雪虎は、こちらへ向かう前に、かかりつけの医師のところへ預けている。
付き添いを一緒にいた者数名に頼み、秀が踵を返したところ。
―――――どこ行くんだ…いや、ですか。
雪虎は、秀の前に、立ち塞がった。怒った顔で。だが。
いつも強い印象の目に浮かんでいたのは、心配だ。
幼い頃から、ああいった表情は変わらない。おそらく、雪虎は察したのだろう。
秀にとって、これからが今日最大の仕事の仕上げの時間だと。
―――――用事はもう終わったんじゃないんですか?
訊きながらも、どう言えばいいのか分からない、と言った態度で、雪虎は言葉を不器用に紡いだ。
終わった、と言えば、じゃあこのまま秀と一緒に行く、と返され。
診察があるだろう、と言えば、終わるまで待っていろ、と来た。
危険な場所へ、雪虎を連れて行きたくはない。
内心、ほとほと困っていると、雪虎は真っ直ぐな目で、核心をついてきた。
―――――危ないこと、しに行くんじゃ、ないだろうな。
その表情を思い出し、温かな心地になった半面。
車の中で、秀は独り言ちた。
「…トラを蹴った、だと」
呟きと共に、車内の空気が、凍えるほどに、冷えた。
秀の身を案じる雪虎の顔に、自身を傷つけた相手に対する恨みなど、もう微塵も残っていなかった。
殴り返して、彼の中では本当に、それで終わったのだ。
雪虎は一度やり返せば、もう、尾を引かない。ただし。
秀は、そうではない。
…秀が答えるまでは引かない、先ほどの雪虎は、そんながんとした態度で立ち塞がった。
彼が、真正面から、じっと秀の目から視線をそらさないのは、珍しい。
秀がすぐに答えなかったのは、そんな雪虎の表情を、もう少し堪能しようと思ったからだ。
だが、なぜそんな表情を雪虎が浮かべるのかは分からなかった。
だいたい、普段の雪虎の反応と言えば。
基本的に、秀を疎んじている。
なのに、その時の雪虎からは、秀から距離を取ろうとする意思を感じなかった。そのせい、だろう。
気付けば、手が伸びていた。
右手で、そぉっと頬に触れれば、ぴくりと雪虎の肩が揺れる。
戸惑った態度で、彼の視線が振れた秀の手がある方へ動いた。
秀は触れた指先で、頬の輪郭を撫で下ろすように、して。
雪虎の顎を掴んだ。そのまま、当惑した顔を上向かせ―――――…。
触れた、感触を思い出した秀は、車の中で、ふ、と指の甲で唇の輪郭をなぞった。
正直なところ、雪虎に害をなした相手は、すべて消し去りたい。なにせ、彼らは。
秀から雪虎という存在を、奪う可能性があったからだ。
その根にあるのは―――――恐怖だ。
笑うしかない。
鬼だなんだと恐怖と畏怖の対象でありながら、月杜秀は、たったひとりを失うことが耐えられないのだ。
だが、中学の頃、無茶なことをやらかしていた雪虎には、相当敵も多い。
もし、秀が。
気持ちのままに行動し、そのいっさいを片付けていれば、今頃、雪虎と同年代あたりの人間は、地元では不自然なくらいに数を減らしていただろう。
ゆえに、秀は耐えた。
子供の頃から、ずっと。
消し去りたい衝動を、堪え続けた。
だいたいそんなことは、雪虎は望んでいない。それを思えば黙っていることもできたのだ。だが、今回は。
穏やかだが、凍った刃のような声で、秀は続けた。
「いくら殺しても殺したりないが…仕方ないね」
たった一度、殺されるだけで済むならば、優しい方だろう。
173
お気に入りに追加
246
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

【本編完結】大学一のイケメンに好きになったかどうか聞かれています。
羽波フウ
BL
「一条くん。どう?……俺のこと好きになってくれた?」
T大の2年生の一条優里は、同じ大学のイケメン医学部生 黒崎春樹に突然告白のようなものをされた。
毎日俺にくっついてくる黒崎。
今まで全く関わりがなかったのになんで話しかけてくるの?
春樹×優里 (固定CP)
他CPも出て来ますが、完全友人枠。
ほのぼの日常風。
完全ハッピーエンド。
主人公、流されまくります。
酔った俺は、美味しく頂かれてました
雪紫
BL
片思いの相手に、酔ったフリして色々聞き出す筈が、何故かキスされて……?
両片思い(?)の男子大学生達の夜。
2話完結の短編です。
長いので2話にわけました。
他サイトにも掲載しています。

ポンコツアルファを拾いました。
おもちDX
BL
オメガのほうが優秀な世界。会社を立ち上げたばかりの渚は、しくしく泣いているアルファを拾った。すぐにラットを起こす梨杜は、社員に馬鹿にされながらも渚のそばで一生懸命働く。渚はそんな梨杜が可愛くなってきて……
ポンコツアルファをエリートオメガがヨシヨシする話です。
オメガバースのアルファが『優秀』という部分を、オメガにあげたい!と思いついた世界観。
※特殊設定の現代オメガバースです

顔も知らない番のアルファよ、オメガの前に跪け!
小池 月
BL
男性オメガの「本田ルカ」は中学三年のときにアルファにうなじを噛まれた。性的暴行はされていなかったが、通り魔的犯行により知らない相手と番になってしまった。
それからルカは、孤独な発情期を耐えて過ごすことになる。
ルカは十九歳でオメガモデルにスカウトされる。順調にモデルとして活動する中、仕事で出会った俳優の男性アルファ「神宮寺蓮」がルカの番相手と判明する。
ルカは蓮が許せないがオメガの本能は蓮を欲する。そんな相反する思いに悩むルカ。そのルカの苦しみを理解してくれていた周囲の裏切りが発覚し、ルカは誰を信じていいのか混乱してーー。
★バース性に苦しみながら前を向くルカと、ルカに惹かれることで変わっていく蓮のオメガバースBL★
性描写のある話には※印をつけます。第12回BL大賞に参加作品です。読んでいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします(^^♪
11月27日完結しました✨✨
ありがとうございました☆

愛人は嫌だったので別れることにしました。
伊吹咲夜
BL
会社の先輩である健二と達哉は、先輩・後輩の間柄であり、身体の関係も持っていた。そんな健二のことを達哉は自分を愛してくれている恋人だとずっと思っていた。
しかし健二との関係は身体だけで、それ以上のことはない。疑問に思っていた日、健二が結婚したと朝礼で報告が。健二は達哉のことを愛してはいなかったのか?

当て馬的ライバル役がメインヒーローに喰われる話
屑籠
BL
サルヴァラ王国の公爵家に生まれたギルバート・ロードウィーグ。
彼は、物語のそう、悪役というか、小悪党のような性格をしている。
そんな彼と、彼を溺愛する、物語のヒーローみたいにキラキラ輝いている平民、アルベルト・グラーツのお話。
さらっと読めるようなそんな感じの短編です。

【完結】婚約破棄したのに幼馴染の執着がちょっと尋常じゃなかった。
天城
BL
子供の頃、天使のように可愛かった第三王子のハロルド。しかし今は令嬢達に熱い視線を向けられる美青年に成長していた。
成績優秀、眉目秀麗、騎士団の演習では負けなしの完璧な王子の姿が今のハロルドの現実だった。
まだ少女のように可愛かったころに求婚され、婚約した幼馴染のギルバートに申し訳なくなったハロルドは、婚約破棄を決意する。
黒髪黒目の無口な幼馴染(攻め)×金髪青瞳美形第三王子(受け)。前後編の2話完結。番外編を不定期更新中。
【完結】売れ残りのΩですが隠していた××をαの上司に見られてから妙に優しくされててつらい。
天城
BL
ディランは売れ残りのΩだ。貴族のΩは十代には嫁入り先が決まるが、儚さの欠片もない逞しい身体のせいか完全に婚期を逃していた。
しかもディランの身体には秘密がある。陥没乳首なのである。恥ずかしくて大浴場にもいけないディランは、結婚は諦めていた。
しかしαの上司である騎士団長のエリオットに事故で陥没乳首を見られてから、彼はとても優しく接してくれる。始めは気まずかったものの、穏やかで壮年の色気たっぷりのエリオットの声を聞いていると、落ち着かないようなむずがゆいような、不思議な感じがするのだった。
【攻】騎士団長のα・巨体でマッチョの美形(黒髪黒目の40代)×【受】売れ残りΩ副団長・細マッチョ(陥没乳首の30代・銀髪紫目・無自覚美形)色事に慣れない陥没乳首Ωを、あの手この手で囲い込み、執拗な乳首フェラで籠絡させる独占欲つよつよαによる捕獲作戦。全3話+番外2話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる