35 / 45
陥落したその後の話
19.迷猫
しおりを挟む「いえ、待ち合わせていますので」
「ではお相手が来るまでよければ」
「……申し訳ありませんが」
「そうですか……残念です。楽しい時間を」
そう言ってグラスを傾け立ち去った。
話しかけられても相手にならないと示せば、しつこくされることはなさそうだ。相手の身なりからして商会の品でも勧めたかったのだろうが、俺には愛想がないことだし、客にはならないと判断したのかもしれない。
声をかけられることはないと油断していたが、そうか、客という意味では誰でもよいわけだ。そこは失念していた。黙ってこの場から姿を消すわけにもいかず、クラウディア様が戻られるまでは動けない。
変な話を持ち掛けられたら面倒だ。そんなことを思っていたら、間を置くことなく再び声を掛けられた。先程と同じように同行者の存在を伝えるが俺の話には構わず、よければ飲み物をだとか名を尋ねられてしまう。夜会で誰かと交流を深めるつもりはないから、親切だとしてもすべてを断った。それでも立ち去ってはくれず、仕方なく『あちらで探していますので』と理由を付けて、この場から動くことにした。
クラウディア様からは動かないように言われていたが、他に方法が浮かばなかったのだ。だから安易に移動してしまった。すぐにまた戻ればよいだろうと考えてのことだ。
少し離れたこの辺りに、もしかしたらレオンがいないだろうかときょろきょろ周りに目を向ける。どうやらこのテーブルの近くにいらっしゃる方々はヴァレンシュタインとは関わる派閥が違うようで、長く留まるべきではないだろう。そう判断し元の場所へ戻るべく、向きを変えようとしたとき。無遠慮に腕を掴まれた。
「なあ、どこの迷い猫だ?」
咄嗟に振払おうとしたが、ここで事を荒立てたくはない。グッと指先を握り締め、相手への動きが乱雑にならないよう堪えた。
俺の腕を掴んだ相手を見てみれば、やや赤らんた顔、そして近くで吐かれた息からはアルコールの臭いがした。酔って絡まれたのかもしれない。だとしても掴まれてた手や寄せられた顔が不快だ。何より揶揄された言葉も不愉快だった。
「……離していただけませんか」
冷静に対処しろと自分に言い聞かせる。夜会でなければさっさと退かすのに、今はそれができない。話してわかる相手なら穏便に済ますことはできるが、この方、ちゃんと聞こえているだろうか。
「おお、これは愛らしい仔猫じゃないか。どこの子かね?」
記憶した貴族の中から思い出す。確か子爵位ではなかっただろうか。商いが成功したとかで羽振りがよいとの噂だ。あまりよい話を聞かない人で男色家と耳にしたことがある。なるほど。俺にそういった意味で声をかけたということだ。
厄介な人に関わってしまったと思いながら、この場をうまくかわせないか、言葉を探した。
「待ち合わせていますので……ご容赦ください」
「そうか、飼い主を探しているのかね。よしよし私が相手になろう」
「いえ、そういうことでは」
会話が成り立たない。俺の声が聞こえていないのか、そもそも聞く気などないのか。自分の意のままに扱おうとしている。相手の素性を知らずに行動すればどうなるか、後のことを考えていないようだ。いや、考えられる人間ならもう少しまともな人間性を持っているだろうな。
両腕を掴まれ、徐々に距離を縮められる。やろうと思えばどうにでも対処できるが、騒ぎを大きくせずやんわり退かすしかない。押されるままに後退すると、背に壁がついた。これでは動こうにもなかなか難儀だ。さすがに床へ転がすわけにもいかない。
「ちょ、っ やめ、て……くださいっ」
「ほお……誘い方を知っておるようだ」
遠慮して強い態度を取れずにいたせいか、身を近づけられてしまった。許したわけでもない至近距離に、嫌悪が湧く。鳥肌が立ち、忍耐の限界で魔力が吹き出しそうだ。
声も息も、掴まれた腕も、すべてを拒む。そもそもの根源ともいうべき、魔力の相性が悪い。
もう無理だと思ったとき──
「私の連れに何か?」
自分では振り解けなかった子爵の腕が、いとも簡単に離れた。そして俺の身体は引かれ、知った香りと体温に囲まれる。
──もう大丈夫だ。
背中から腰を抱かれ、所有を宣言するようにその声は頭上から響いた。
「これは主人以外に懐きませんよ。おや、卿は酔っておられるようですね」
「いや、別に、あ、……その、」
丁寧な言葉とは裏腹に、レオンの威圧と怒気は隠そうとしていない。気圧され相手はしどろもどろに後退った。
「別室で少し休まれてはいかがですか? ……ご案内を」
レオンが目で呼ぶと、控えていた給仕係がこちらへ、と子爵へ案内の先を促した。有無を言わせぬ応対は見事で、給仕係にしては隙がない。
声を荒げることなくこの場が収まり、周りからは貴族同士の会話にしか見えなかっただろう。レオンの手腕はさすがとしか言いようがなく鮮やかだ。
「さてと、どうしたものかね。アルの魅力はわかっているつもりだけど、こうも引き寄せてしまうとは……」
「レオン?」
クラウディア様から大人しく待っているよう言われていたにも関わらず動き回り、更には厄介事になりかけた。そして対処できずでレオンに助けられたのだ。これはあまりよろしくない状況ではなかろうか。小言なり苦言なりありそうだ。
何を言われるのか身構え、反省すべき点しかない自身の行動を省みる。慣れない場とはいえ悪手だった。
「皆に見せつけておこうか。君の主人が誰なのかを」
「何、……?」
後ろから腰を抱かれたまま左腕を取られ、エスコートするように歩き進める。どこへ向かうのかと思えば、装いを整える際などに使う小さな部屋だった。
ドアに掛けられている花の飾りを外す。こうしておくことで『部屋の使用』を意味する。外した花の飾りはドアの内側へ。衣装を整え終わり部屋から出たときにはまた戻せばよい。
レオンと共に部屋の中へ入った。談話室のような広さはもちろんなく、ソファーとローテーブル、それから化粧を直すための鏡台くらいしかなかった。
420
お気に入りに追加
1,243
あなたにおすすめの小説
白い結婚を夢見る伯爵令息の、眠れない初夜
西沢きさと
BL
天使と謳われるほど美しく可憐な伯爵令息モーリスは、見た目の印象を裏切らないよう中身のがさつさを隠して生きていた。
だが、その美貌のせいで身の安全が脅かされることも多く、いつしか自分に執着や欲を持たない相手との政略結婚を望むようになっていく。
そんなとき、騎士の仕事一筋と名高い王弟殿下から求婚され──。
◆
白い結婚を手に入れたと喜んでいた伯爵令息が、初夜、結婚相手にぺろりと食べられてしまう話です。
氷の騎士と呼ばれている王弟×可憐な容姿に反した性格の伯爵令息。
サブCPの軽い匂わせがあります。
ゆるゆるなーろっぱ設定ですので、細かいところにはあまりつっこまず、気軽に読んでもらえると助かります。
【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜
N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。
表紙絵
⇨元素 様 X(@10loveeeyy)
※独自設定、ご都合主義です。
※ハーレム要素を予定しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
モブなのに執着系ヤンデレ美形の友達にいつの間にか、なってしまっていた
マルン円
BL
執着系ヤンデレ美形×鈍感平凡主人公。全4話のサクッと読めるBL短編です(タイトルを変えました)。
主人公は妹がしていた乙女ゲームの世界に転生し、今はロニーとして地味な高校生活を送っている。内気なロニーが気軽に学校で話せる友達は同級生のエドだけで、ロニーとエドはいっしょにいることが多かった。
しかし、ロニーはある日、髪をばっさり切ってイメチェンしたエドを見て、エドがヒロインに執着しまくるメインキャラの一人だったことを思い出す。
平凡な生活を送りたいロニーは、これからヒロインのことを好きになるであろうエドとは距離を置こうと決意する。
タイトルを変えました。
前のタイトルは、「モブなのに、いつのまにかヒロインに執着しまくるキャラの友達になってしまっていた」です。
急に変えてしまい、すみません。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?
桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。
前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。
ほんの少しの間お付き合い下さい。
専属【ガイド】になりませんか?!〜異世界で溺愛されました
sora
BL
会社員の佐久間 秋都(さくま あきと)は、気がつくと異世界憑依転生していた。名前はアルフィ。その世界には【エスパー】という能力を持った者たちが魔物と戦い、世界を守っていた。エスパーを癒し助けるのが【ガイド】。アルフィにもガイド能力が…!?
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
【完結】守護霊さん、それは余計なお世話です。
N2O
BL
番のことが好きすぎる第二王子(熊の獣人/実は割と可愛い)
×
期間限定で心の声が聞こえるようになった黒髪青年(人間/番/実は割と逞しい)
Special thanks
illustration by 白鯨堂こち
※ご都合主義です。
※素人作品です。温かな目で見ていただけると助かります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる