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陥落するまでの話

15.陥落

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 ぱちりと目が覚めた。俺の意識は深く沈んでいたはずなのに、潔いほどあっさり浮上した。

(……えっ)

 数回、瞬いたところで、それ以外の動作をとることなく俺は固まった。

 既視感に襲われている。似たようなことがつい最近あったから、まさか同じことが起きるはずなどないのに一瞬混乱した。
 一週間ほど前に気を失った原因は魔獣からの攻撃という外的要因だ。今回意識をなくした理由とはまったく違う。いわゆる体力切れに近い。だから気分はそれほど悪くなかった。
 ということは自分の状況を理解するまでの時間を要しないわけで、少し前の記憶がすぐさま押し寄せた。何も覚えていなければそれはそれで諦めもつく。すべて幻だとなかったことにすればいい。
 ところが霞がかっている部分は諸所あるものの、とんでもないことを口にしたことやレオンとの行為が鮮明に残っていた。

 自ら強請ったことだけを都合よく忘れられるわけもなく、口走った内容だってしっかり覚えている。俺はレオンを欲した。そして望みどおり、いやそれ以上に彼を与えられた。快感と満たされた多幸感はしっかり身体へ刻み込まれている。それらを思い出し、途端に顔へ熱が集まった。

 俺は動揺と羞恥で顔を覆った。

(う、わっ……)

 感情を処理しきれず顔を両手で覆ったまま固まっていると、左手の薬指に温かな感触が落ちた。驚いて覆っていた手を顔から外す。

 誰の気配もなかったはずが、いつの間に……俺は間近にある顔をじっと見つめた。薬指へ触れたのはレオンの唇だったらしい。そう想像するに容易い距離だった。

「おはよう。身体は大丈夫かな?」

 手加減したんだけど、という言葉と共にレオンの甘ったるい雰囲気を浴びせられた。悪びれた様子は微塵もなく、眩しいほど整った顔で言われてしまえば俺から何も返せなくなる。
 際限なく揺さぶられたことを思い出し、レオンがいう手加減とはいかほどを差しているのか、俺の基準とまったく合わない。

 ──あの行為の真意
 『誰のもの』と言っていた。レオンの機嫌は悪かったように思う。隠れて行動したことが気に入らなかったのかもしれない。俺が少しばかりレオンの近くにいたから、勝手をされたことへの意趣返し、もしくは序列を理解させるためかもしれない。

 それでも丁寧に扱われた記憶しかなかった。組み敷かれ……いうなればレオンに抱かれたわけだが、それだって力ずくで事を進めてはおらず、いや、そもそも最初から抵抗らしい抵抗なんて俺はしていなかった。
 始まりはレオンかもしれないが、同意の上で身体を重ねたと言える。

「だっじょ、ぶ……っ」
「ああ、無理しないほうがいい。ちょっと待って」

 喉が枯れていた。ざらざらの声が喉につっかかってうまく出せない。起き上がろうとしたところ背を支えられレオンが手助けしてくれる。ヘッドボードにいくつかクッションを重ね、そこへ凭れさせてくれた。
 勝手な行動を叱責されたにしては、レオンの手はことごとく優しい。だから余計に分からなくなる。いくらでも話はできるのに、問い詰めることも叱責だってできた。まるで逃げ場を奪うように、

 どうしてあんなことを──

 身体はあちこち軋むが寝込むほどではなかった。普段の鍛錬を思えば使うことのない腰や関節周りの筋が鈍いと感じてはいる。それだって半日休めば動けるまで回復するだろう。

「はい、果実水だから飲みやすいと思うよ」

 レオンから差し出されたコップを受け取り、からからの喉を潤すことができた。冷たいものが身体の中を通り過ぎる感覚に思わずほっと息が漏れる。気持ちもいくぶんすっきりした。
 飲み終えたコップを返し、寝台の端にレオンが腰を下ろしたところで、この状況はどうしたものかと考えを巡らせた。

 辺境領へ行ける気がしない。
 他の方法を考えなくてはならないが、それができるかもわからなくなってしまった。

 騎士団の事務室から自室へ帰ろうとして、レオンと会った後おかしなことになったのだ。ここから離れるためフェリクス第二騎士団長へ辺境伯への口添えを頼んでいた。一週間後に王都を発ち、辺境領へ向かう予定だったし、その準備を進めるつもりでいたのに。

 あれこれ逡巡している俺には構わず、先に切り出したのはレオンだった。

「フェリクスとは親友でね。お互い仕事以外のことも話をするんだ」
「は、ぃ……?」

 レオンの様子はいつもどおりだ。俺とあんなことがあったようには思えない。レオンにとってはよくあることだから──そう考えると胸が痛い。
 普段と変わらず話をする声に、俺は耳を傾けるしかなかった。

 言葉どおり受け取れば、フェリクス第二団長とレオンは歳が近いこともあって、統括団長を務めるレオンのよき相談相手なのだが、それは騎士団内でも皆に知られていた。学園時代の学友で旧知の仲であることも。

 けれど、含みのある言い方に嫌な予感がした。レオンはその答えを披露するべく優しく告げる。

「辺境伯へは何も伝わってないよ。そんな必要はないからね。それにラトギプ伯爵閣下にはヴァレンシュタインから婚姻の打診をしたから」
「──えっ?」

 何を言っているのか理解できない。話の内容すべてが俺の許容範囲を超えていた。想像だにしない言葉の羅列はただ音として捉えることしかできなかった。
 混乱するなという方が無理だろう。

(何も伝わってない、って……打診?)

 俺がフェリクス団長へ頼んだ辺境伯への口添えは、話自体ないものとされたのか? レオンへ筒抜けだったと。
 レオンの『フェリクスとよく話をする』とは、つまりそういうことなのだろう。俺がしようとしていたすべてのことを事前に把握されていたらしい。

 いや、それよりもだ。
 婚姻の打診と聞こえた気がする。
 何故レオンがそんなことを言い出したのか理由が浮かばない。ヴァレンシュタイン家で不和でも起きているのか。例えば後継問題でレオンは次男だから子を得ないようにするため、同性との婚姻を急がねばならないとしたら、その可能性はあり得る。

 先日、俺から父上へ手紙を送ったのに珍しく何も返信がなかった。レオンの話が本当なら、息子の承諾なしに婚姻を決めてしまいバツが悪くて何も返さなかった。ということになる。

 ……待ってくれ。まって。
 レオンが結婚するという噂、まさか、それって……

「……誰と、誰が……婚姻?」
「俺とアル以外に誰がするの?」
「何で……?」

 そう、すべてはその疑問に集約される。
 レオンが何を考えているのか、俺をどうしたいのか、どう思っているのかさえ。一言も聞いていないからわからないのだ。

 俺から絞り出たその問いに、レオンは何を今更と言いたげに、当然として答えた。


「アルは俺のことが好きで、俺はアルのことを愛しているから」


 言い切ったその言葉に、俺はぽかんと呆けてしまった。するとレオンの顔が近づいてキスをされた。触れただけなのに、俺は盛大に狼狽えてしまう。

「だって、俺のことが好きでしょう? 自分の気持ちに無自覚なまま逃げるくらい。嬉しいな」
「っ、なに……」

 言われてどこか腑に落ちた。俺は自分の気持ちがどうにもならなくて怖かったのだ。そばから離れることを厭わないくらい、自覚なしにレオンに惹かれてしまったから。
 それを本人に指摘されるまで気づかない俺もどうかと思うが、何も言わず勝手に行動を起こしたレオンも大概だと思う。

「初めて会ったとき……手合わせの日だね。つまらなそうにしていたアルの瞳が俺に対して挑戦的なものに変わって。ああ本気でくるつもりだって嬉しくて高揚したんだ。あんな風に感じたのは初めてだったよ。アルに対して俺は手加減しなかったから、口では勝敗なんかどうでもいいように言ってたけど目が悔しがってて、たまらなかった」

 その眸にずっと俺を映してほしいと思ったから──それがレオンからの告白だった。
 碧い瞳はこんなにきれいなのに、怖いほど深いのはレオンのほうだ。むしろ俺が、ずっと見ていてほしいと願った。たぶん最初から囚われていたんだ。

「君の寮部屋だけど俺と同じ部屋になるから、来週にでも荷物を運ぼうか。そうはいってもあそこじゃ何かと不便だし、屋敷の手配ができ次第、調度品や使うものを揃えようね」
「屋敷……」

 ようやく自分の気持ちを自覚したばかりだというのに、なんだか話の規模が大きい。俺の理解はまだ追いついていない。
 騎士団寮の部屋は移動となり、そことは別の住まいを持つという。それではまるで婚姻を結んだみたいじゃないか。いや、どうやら俺がその当事者になるらしいが、まったく実感なんてものはない。

「他の書類は整っているけど、これだけは直筆じゃないと通らないものだから」
「書類……」

 どこからともなくレオンからペンを渡され、『ここだよ』と署名を促される。展開の早さに俺はついていけず、ペンを持ったまま止まってしまった。

「国へ提出する書類。他はほとんど出し終えているから心配しないで」

 この署名ひとつで変わる。立場や名、色々な意味で俺の存在というものが。

 俺が躊躇っているとレオンがこれまで提出した書類の説明をしてくれた。それを聞いてここで俺が拒んだとしても既に手遅れのような気しかしない。おそらく。おそらくなのだが、直筆が必要だというこの書類ですらレオンはどうにかしてしまうのだろう。

 驚きはしたものの、少しも嫌な気持ちにはならなかった。レオンから離れる理由が消えたのだ。願ったり叶ったりじゃないか。だから俺は自分の意思で書類へ署名した。

「よかった……すぐ提出させるよ。これでアルは俺の伴侶だ。これからもよろしくね。あ、そうそう。アルの所属なんだけど第一騎士団へ異動してもらうことにしたから」
「本当に伴侶……え、第一に?」

 書類一枚で俺たちの関係は変わってしまった。だからといって見える何かが変化するわけでもないのに、二人の繋がりができたのだ。その繋がりは俺の中に奇妙な感慨をもたらした。

 第一騎士団は王族の警護や来賓の警備を担っている。魔獣を相手にする第二騎士団に比べれば危険度は減るが、それなりに教養が必要で身なりも整えなければならない。やや堅苦しいところもあるだろうか。
 内心で俺が不満気にしていたら、顔に出ていたのかレオンに笑われた。

「あんな怪我をされたら心配にもなるよ。アルには防御壁や魔術の対応で頑張ってもらうつもり」
「そうなんだ」
「アルフォンス……」

 急にそれまでの軽やかな雰囲気ではなくなり、真っ直ぐ見詰められた。きゅっと俺の両手をレオンに握られる。そうやって真摯に告げようと周りの空気さえ変えながら、レオンは心を言葉で紡ぎ出す。

「君と共に幸せになりたいんだ。ずっと傍にいて?」

 勝手にあれこれ手配して俺を囲って逃げられないようにした男が、最後の最後にそれを言うのか。けれど、統括団長としていつも毅然としているレオンが見たことのない情けない顔をしていたからしょうがないと絆される。

 だって、俺だけなのだ。
 その顔を知っているのは。

「しかたないですね、俺もあなたのことが好きなので。ずっと一緒にいましょう」
「アルッ……! ありがとう」

『愛してる』とぎゅうぎゅう抱き締められ俺もレオンの背中へ手を伸ばした。

 逃げて忘れてしまおうとした相手が外堀を埋めて愛していると言うのだ。

 堕ちてもいいんじゃないか?
 どんなことだってきっと平気だ。この人となら。


 俺は逃げられないそこへ、嵌る決心をした。



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