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修学旅行編
陽キャの廣川くんは策士だけど詰めが甘い…3話
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修学旅行一日目は、その後少しの自由散策の後に京都市内のホテルにチェックインとなった。ホテルの部屋割りは出席番号順でツインルームに二人ずつであり、ホテルのレストランで夕食を食べた後は定められた消灯時間まで自由行動となっている。とはいえ、当然ながらホテルから外出は厳禁である。
香村と同じ部屋になったのは木嶋という生徒で、香村自身あまり話したことは無かったが部屋に荷物を置いて早々に「僕が同じ部屋でごめんね、廣川君の方が良かったよね」と恐縮されてしまったのがやや納得の行かないところだ。別にそんな事は無いよと返したがその返答が合っていたのかも良く分からなかった。これが、廣川の策士たるところなのだろうか……すっかりクラス内で香村と廣川はセット扱いされてしまっている。
香村たち修学旅行の一行が宿泊したホテルには大浴場が完備されていて、団体客である生徒たちももちろん入る事が出来る。部屋にユニットバスが付いているので大浴場で裸になる事を厭う生徒はそちらで済ませるようだが、香村はせっかくなら広い大浴場に入りたかった。
広々とした大浴場に足を踏み入れた瞬間、大きな窓からは京都の夜景が広がり、無数の明かりが静かに輝いていた。当然ラグジュアリーな高級ホテルなどでは無かったが、高校生の香村にとって、こんな贅沢な体験はなかなかあるものでは無かった。
先に頭と体を洗ってから広い石造りの湯船に入る。少し熱かったが、肩まで深く沈みこむと自然とため息が漏れた。
「あれ、誰かと思ったら香村だ」
不意に近くから声をかけられて振り返る。眼鏡を外した目にはやや輪郭がぼやけて見えるが、教室で隣の席に座っている中津祐輔のようだった。
「中津君?」
「あ、もしかして眼鏡無いとあんま見えない?」
「いや、全然見えないわけじゃないから大丈夫。ちょっとぼやっとしてるだけ」
彼は友人たちと一緒に入りに来ていたようで、少し離れた場所には数人がわいわいと楽し気に話をしている。湯船の端にいる彼らの顔までは、近眼の香村には認識出来なかった。
「残念ながら廣川はいないよ」
「え?」
「今、探してたんじゃない?」
そう言う中津の表情はなんとなく意地悪く笑っているように見えて、香村は湯船の端の団体から視線を逸らした。別に、彼らの中に廣川がいるだろうかと探していたわけではないのだ。本当に。
「はは、そんな嫌そうな顔しないでよ~」
「……してないよ。良く見えないから眉間に皺が寄っちゃうだけ」
「あーなるほど。近眼?」
こくり、と頷く。そういえば彼の前で眼鏡を外したことは、レンズを掃除するほんの短時間くらいしか無い事を思い出した。彼の前で、というより家族以外の他人の前で眼鏡を外す習慣は香村には無い。
「廣川君に、あまり人前で眼鏡外すなって言われたけど……そもそもコンタクトも持ってないから外す機会なんてそうそう無いと思うんだよね」
そろそろ熱くなってきたな、と思いつつ香村がそう言うと、中津は今度は本格的に噴き出すように笑った。
「凄いなあ廣川は。それってめちゃくちゃ独占欲じゃない?」
「……独占される謂われは無いんだけど」
独占欲、なのだろうか。香村は彼に言われて初めて、それが廣川の独占欲から溢れ出した言葉であった可能性に気づいた。
風呂から上がり、持って来ていた学校指定のジャージに着替えると大浴場の扉を出たところに自販機と休憩スペースがある事に気づいた。香村は冷えた緑茶の缶を買い、ベンチに腰掛けて一休みすることにした。温泉ではないようだが、大きな大浴場にテンションが上がってしまい少し長く浸かりすぎたせいか体が熱い。
「あら、こんなところで何してるの?」
不意に聞きなれた声がして、香村は顔を上げる。眼鏡をかけているので今度はすぐに声の主が判別出来た。
「六花、風呂入ったのか」
「うん、少し早く出たからみんなを待とうかと思って」
隣のクラスである二年A組の吉野六花とは家が近い事もあり物心ついた頃から付き合いのある幼馴染だ。高校まで一緒になるとは思っていなかったが、彼女曰く家から近いからという理由で高校を決めたらしい。なんというか、見た目に反してさっぱりと現実的な女性なのだ。
吉野は黒くまっすぐな髪を背中まで伸ばし、やや切れ長の目といつも笑みを含んでいるかのような赤い唇、驚くほど白い肌と、例えるならば日本人形めいたところのある美人だ。赤ん坊のころから付き合いのある香村にしてみれば、彼女の美醜など殆ど気にした事は無かった。
「私、オレンジジュースね」
「……なんで俺が奢る前提みたいに言ってんの?」
「お財布は部屋に置いてきたのよ。ここの自販機、これじゃ買えないみたいだから」
殆ど答えになっていない事を当然のように言いながら、吉野は赤い手帳型のケースに入ったスマートフォンを振ってみせる。確かにここの自販機はスマートフォンでの決済には対応していないようだった。
昔から彼女には弱い自覚のある香村は大げさな溜息をつきながら、仕舞ったばかりの財布をジャージのポケットから取り出して自販機に小銭を投入する。こういう場所の自販機は高い。
オレンジジュースをゲットした吉野は満足そうにありがとうと言って受け取り、香村の隣に腰掛けた。湯上りの彼女は体育祭の時に作ったクラスTシャツに学校指定のジャージのズボンという姿で、ドライヤーで乾かしたばかりであろう長い髪からふわりとシャンプーの香りが漂って来た。
「修学旅行って、どうして告白しようって子が増えるんだろうね」
小さなペットボトルのオレンジジュースに口を付けながら、吉野は唐突に言う。彼女の場合、こうやって唐突な話題を口にすることが多いので香村はそのマイペースさには慣れていた。
「また告白されたのか」
「そう、自由散策の時に呼び出されて。一言も喋った事が無いC組の子」
美人な彼女はよく告白されるらしい。今年に入って、これで何度目だろうか。モテて良いなと思った事もあったが、純粋な恋愛感情だけでなく邪な視線に晒される事も多いと中学生の頃に気づかされたので素直に大変だなと思った。何かあればすぐに言えよと格好つけてみたところで、小学生の頃から合気道を習っている彼女の方が香村よりずっと強いだろう。
「誰かと付き合ってみるとか、やってみないのか?」
吉野六花がとにかくモテるということは香村が一番知っているが、彼女が誰かと交際を始めたという話はこれまで聞いた事が無い。もちろん何もかもを曝け出して隠し事など無い、なんて関係性では無いので香村の預かり知らぬところでそういった相手はいたのかもしれないが。
「無いかなあ。私、恋愛感情とかよくわからないのよ。そういった話は嫌いじゃないけど、自分が誰かと、とか全然ピンとこない」
吉野は大したことではない、という様子で綺麗にヌードカラーに塗られた艶やかな爪を見下ろしながら興味無さげな声を発する。
「へえ……お前はてっきり女の子の方が好きなのかと思ってた。全然男と付き合わないから」
「それは考え方が短絡的過ぎ」
「……確かに。ごめん」
良いけど、と言って彼女は美しく笑う。恋愛に興味が持てない、と言うのならますますモテてしまうのは苦痛なのではないかと思ったが、そう問えば彼女は楽し気に笑った。
「変な人に絡まれるのは嫌だけど、モテる自分の事案外嫌いじゃないから」
「ちやほやされるのが好きってことか」
「うーん、それも無いとは言わないけど、私の外側だけを見て恋愛感情を抱く人の心理が分からないから面白い」
なんともマッドなサイエンティストのような言い方に香村は思わず笑ってしまう。外側だけを見て恋愛感情を抱く人の心理……それは香村にもよくわからない。もちろん外見に対する美醜の価値観は人それぞれであるし、美しいとされる人の方が好感度が高くなることも理解は出来るがそれが恋愛感情へ結び付けられることは今までの香村の人生の中で経験は無かった。
思えば、廣川は香村を好きになった理由を一目惚れみたいなものと言った。それが本当の事なのかは分からないが彼はよく香村の見た目を褒める。自分はたまたま彼にとって好みの外見をしていたのだろうか、と考えたところで一年生の頃は榊原奈美と交際していたことを思い出し、それは無いなと首を横に振った。
「今、何を考えてたのか当ててあげましょうか」
はたと顔を上げた香村は、切れ長で真っ黒な吉野と目が合った。彼女が香村を覗き込んできていたのだ。思わずごくりと唾を飲み込む。
「廣川君の事、でしょ?」
長い睫毛に縁どられた瞳がにんまりと絵本の中のチェシャネコのように弧を描いた。じわり、と耳が熱くなってきた気がしてたまらず彼女の特徴的な瞳から目を逸らす。
「違うよ」
「ふふ……健臣は嘘をつく時すぐに目を逸らすからバレバレ」
「っ……本当に、そういうのじゃなくて」
――ああ、せっかくの修学旅行だというのにどうしてみんな廣川君の話をするんだ。
なんだかとても理不尽な目に遭っているような気がしてならなかった。
香村と同じ部屋になったのは木嶋という生徒で、香村自身あまり話したことは無かったが部屋に荷物を置いて早々に「僕が同じ部屋でごめんね、廣川君の方が良かったよね」と恐縮されてしまったのがやや納得の行かないところだ。別にそんな事は無いよと返したがその返答が合っていたのかも良く分からなかった。これが、廣川の策士たるところなのだろうか……すっかりクラス内で香村と廣川はセット扱いされてしまっている。
香村たち修学旅行の一行が宿泊したホテルには大浴場が完備されていて、団体客である生徒たちももちろん入る事が出来る。部屋にユニットバスが付いているので大浴場で裸になる事を厭う生徒はそちらで済ませるようだが、香村はせっかくなら広い大浴場に入りたかった。
広々とした大浴場に足を踏み入れた瞬間、大きな窓からは京都の夜景が広がり、無数の明かりが静かに輝いていた。当然ラグジュアリーな高級ホテルなどでは無かったが、高校生の香村にとって、こんな贅沢な体験はなかなかあるものでは無かった。
先に頭と体を洗ってから広い石造りの湯船に入る。少し熱かったが、肩まで深く沈みこむと自然とため息が漏れた。
「あれ、誰かと思ったら香村だ」
不意に近くから声をかけられて振り返る。眼鏡を外した目にはやや輪郭がぼやけて見えるが、教室で隣の席に座っている中津祐輔のようだった。
「中津君?」
「あ、もしかして眼鏡無いとあんま見えない?」
「いや、全然見えないわけじゃないから大丈夫。ちょっとぼやっとしてるだけ」
彼は友人たちと一緒に入りに来ていたようで、少し離れた場所には数人がわいわいと楽し気に話をしている。湯船の端にいる彼らの顔までは、近眼の香村には認識出来なかった。
「残念ながら廣川はいないよ」
「え?」
「今、探してたんじゃない?」
そう言う中津の表情はなんとなく意地悪く笑っているように見えて、香村は湯船の端の団体から視線を逸らした。別に、彼らの中に廣川がいるだろうかと探していたわけではないのだ。本当に。
「はは、そんな嫌そうな顔しないでよ~」
「……してないよ。良く見えないから眉間に皺が寄っちゃうだけ」
「あーなるほど。近眼?」
こくり、と頷く。そういえば彼の前で眼鏡を外したことは、レンズを掃除するほんの短時間くらいしか無い事を思い出した。彼の前で、というより家族以外の他人の前で眼鏡を外す習慣は香村には無い。
「廣川君に、あまり人前で眼鏡外すなって言われたけど……そもそもコンタクトも持ってないから外す機会なんてそうそう無いと思うんだよね」
そろそろ熱くなってきたな、と思いつつ香村がそう言うと、中津は今度は本格的に噴き出すように笑った。
「凄いなあ廣川は。それってめちゃくちゃ独占欲じゃない?」
「……独占される謂われは無いんだけど」
独占欲、なのだろうか。香村は彼に言われて初めて、それが廣川の独占欲から溢れ出した言葉であった可能性に気づいた。
風呂から上がり、持って来ていた学校指定のジャージに着替えると大浴場の扉を出たところに自販機と休憩スペースがある事に気づいた。香村は冷えた緑茶の缶を買い、ベンチに腰掛けて一休みすることにした。温泉ではないようだが、大きな大浴場にテンションが上がってしまい少し長く浸かりすぎたせいか体が熱い。
「あら、こんなところで何してるの?」
不意に聞きなれた声がして、香村は顔を上げる。眼鏡をかけているので今度はすぐに声の主が判別出来た。
「六花、風呂入ったのか」
「うん、少し早く出たからみんなを待とうかと思って」
隣のクラスである二年A組の吉野六花とは家が近い事もあり物心ついた頃から付き合いのある幼馴染だ。高校まで一緒になるとは思っていなかったが、彼女曰く家から近いからという理由で高校を決めたらしい。なんというか、見た目に反してさっぱりと現実的な女性なのだ。
吉野は黒くまっすぐな髪を背中まで伸ばし、やや切れ長の目といつも笑みを含んでいるかのような赤い唇、驚くほど白い肌と、例えるならば日本人形めいたところのある美人だ。赤ん坊のころから付き合いのある香村にしてみれば、彼女の美醜など殆ど気にした事は無かった。
「私、オレンジジュースね」
「……なんで俺が奢る前提みたいに言ってんの?」
「お財布は部屋に置いてきたのよ。ここの自販機、これじゃ買えないみたいだから」
殆ど答えになっていない事を当然のように言いながら、吉野は赤い手帳型のケースに入ったスマートフォンを振ってみせる。確かにここの自販機はスマートフォンでの決済には対応していないようだった。
昔から彼女には弱い自覚のある香村は大げさな溜息をつきながら、仕舞ったばかりの財布をジャージのポケットから取り出して自販機に小銭を投入する。こういう場所の自販機は高い。
オレンジジュースをゲットした吉野は満足そうにありがとうと言って受け取り、香村の隣に腰掛けた。湯上りの彼女は体育祭の時に作ったクラスTシャツに学校指定のジャージのズボンという姿で、ドライヤーで乾かしたばかりであろう長い髪からふわりとシャンプーの香りが漂って来た。
「修学旅行って、どうして告白しようって子が増えるんだろうね」
小さなペットボトルのオレンジジュースに口を付けながら、吉野は唐突に言う。彼女の場合、こうやって唐突な話題を口にすることが多いので香村はそのマイペースさには慣れていた。
「また告白されたのか」
「そう、自由散策の時に呼び出されて。一言も喋った事が無いC組の子」
美人な彼女はよく告白されるらしい。今年に入って、これで何度目だろうか。モテて良いなと思った事もあったが、純粋な恋愛感情だけでなく邪な視線に晒される事も多いと中学生の頃に気づかされたので素直に大変だなと思った。何かあればすぐに言えよと格好つけてみたところで、小学生の頃から合気道を習っている彼女の方が香村よりずっと強いだろう。
「誰かと付き合ってみるとか、やってみないのか?」
吉野六花がとにかくモテるということは香村が一番知っているが、彼女が誰かと交際を始めたという話はこれまで聞いた事が無い。もちろん何もかもを曝け出して隠し事など無い、なんて関係性では無いので香村の預かり知らぬところでそういった相手はいたのかもしれないが。
「無いかなあ。私、恋愛感情とかよくわからないのよ。そういった話は嫌いじゃないけど、自分が誰かと、とか全然ピンとこない」
吉野は大したことではない、という様子で綺麗にヌードカラーに塗られた艶やかな爪を見下ろしながら興味無さげな声を発する。
「へえ……お前はてっきり女の子の方が好きなのかと思ってた。全然男と付き合わないから」
「それは考え方が短絡的過ぎ」
「……確かに。ごめん」
良いけど、と言って彼女は美しく笑う。恋愛に興味が持てない、と言うのならますますモテてしまうのは苦痛なのではないかと思ったが、そう問えば彼女は楽し気に笑った。
「変な人に絡まれるのは嫌だけど、モテる自分の事案外嫌いじゃないから」
「ちやほやされるのが好きってことか」
「うーん、それも無いとは言わないけど、私の外側だけを見て恋愛感情を抱く人の心理が分からないから面白い」
なんともマッドなサイエンティストのような言い方に香村は思わず笑ってしまう。外側だけを見て恋愛感情を抱く人の心理……それは香村にもよくわからない。もちろん外見に対する美醜の価値観は人それぞれであるし、美しいとされる人の方が好感度が高くなることも理解は出来るがそれが恋愛感情へ結び付けられることは今までの香村の人生の中で経験は無かった。
思えば、廣川は香村を好きになった理由を一目惚れみたいなものと言った。それが本当の事なのかは分からないが彼はよく香村の見た目を褒める。自分はたまたま彼にとって好みの外見をしていたのだろうか、と考えたところで一年生の頃は榊原奈美と交際していたことを思い出し、それは無いなと首を横に振った。
「今、何を考えてたのか当ててあげましょうか」
はたと顔を上げた香村は、切れ長で真っ黒な吉野と目が合った。彼女が香村を覗き込んできていたのだ。思わずごくりと唾を飲み込む。
「廣川君の事、でしょ?」
長い睫毛に縁どられた瞳がにんまりと絵本の中のチェシャネコのように弧を描いた。じわり、と耳が熱くなってきた気がしてたまらず彼女の特徴的な瞳から目を逸らす。
「違うよ」
「ふふ……健臣は嘘をつく時すぐに目を逸らすからバレバレ」
「っ……本当に、そういうのじゃなくて」
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