上 下
10 / 37

推しにキスをしました

しおりを挟む



「今年いっぱいで、学徒軍の隊長は退くことにしたよ。次の隊長をセレスティンにお願いしようと思っているのだけど、どうだい?」

「………は?」



何かがおかしいと気が付いたのは、その言葉を聞いたセレスティンの顔から表情が抜け落ちたからだった。

そして次の瞬間には、棚の中にあったグラスがバリン!と音を立てて割れた。

ビシりと振動する空気から、セレスティンが魔力を暴走させていることに気が付いた。



いつもの執務室。王子は公務でいないので、セレスティンと二人きりだった。

隊長の座を譲る話をするのにちょうどいいと、そう思ったのに。



「セ、セレスティン…?どうしたの…?」

「…今、なんて言った」



青い瞳が、まっすぐに僕だけを見つめている。

少しでも言葉を間違えたら、首を刎ねられるのではないかと思うほどの迫力だ。



「…少し、落ち着こう。…そうだ、お茶でも飲むかい?」

「隊長を退くと言ったのか?俺にその座を譲ると?」



じりっと、セレスティンが僕に一歩近づいてくる。話を逸らすことは許されないらしい。

諦めて腹をくくると、彼の瞳を見つめ返した。



「…そうだよ。先日の代行も立派に務めてくれたと聞いた。君は皆からの信頼も厚い。隊長を任せるのに何の心配もー…」

「それとジョエルが辞めることは、何の関係もないだろう!」



黒獅子が吠えるように、セレスティンが僕に詰め寄った。



「あるよ。僕は元々、隊長にふさわしい人が現れたら辞めるつもりだったんだ。君にも最初からそう言っていただろう?」

「ジョエル以上にふさわしい者などいない!実力も、人望だってー…!」

「ありがとう。君がそう言ってくれるのは嬉しい。でも僕は、学徒軍にそこまでの情熱はないんだ。大して熱意のない人間が、いつまでも居座っていい立場じゃないだろう」

「っー…!」



ぎりっと、苦しそうに奥歯を嚙み締めたセレスティンが俯く。

多少理由は聞かれても、隊長を譲ることについてはむしろ喜んでくれるかと思っていたのに。

あれだけ武功を立てようと張り切っていたから、てっきり隊長になりたいのだと思っていた。



「隊長になるのは、嫌?」

「……そうじゃない。…ジョエルが辞めるのが、嫌なんだ」

「そんな風に思ってくれて嬉しいよ。僕もセレスティンと戦うのは楽しかったから、寂しくなるな」

「………嘘だ。ならなんで辞めるなんて言うんだ」



少し拗ねたような言い方が子供みたいで。

気が付けばもう魔力の暴走は収まったのか、空気のビリビリ感はなくなっていた。

俯くセレスティンの頭にそっと手を当てて、落ち着かせるようにゆっくりと撫でる。



「隊長になったセレスティンを見たいからだよ」

「……なんだ、それ」

「君はもっと強くなる。そしてそのためには、早く隊長という責を担う方が良いのではないかと思ったんだ。皆を率いて戦うセレスティンは、きっともっと格好いいだろうしね」



微笑みながらそう言うと、俯いていたセレスティンが、僕の真意を疑うように瞳をのぞき込んできた。

言い訳でもなんでもなく、これは僕の本心だった。ゲームの中のセレスティンは学徒軍の隊長として戦っていたし、その姿はとっても格好良かったのだから。

僕のようなモブは、さっさと舞台から退くべきである。



「それに春から僕は3年生になる。領地についての仕事もさらに増えるだろうし、学ばなければならないことも沢山ある。殿下の手伝いも増えてきて、そろそろ手一杯だったんだよ。体を壊す前に、何かは手放さなければと思っていた」

「……でも、俺はまだジョエルには敵わない。魔法だって、采配だってー…」

「もう、何言ってるんだい」



いつもあんなに堂々としてるくせに、意外と自信がなかったのか。

そんなところも可愛いと思えて、僕はセレスティンの頬を両手で包み込んだ。



僕の瞳がしっかりと見えるように。

その瞳に一欠片も嘘がないことが、伝わるように。



「セレスティン以上に、隊長にふさわしい人間はいない。僕は心からそう思っているよ」



海の底のように深い青の瞳が、大きく見開かれて。

心を込めて微笑んだ次の瞬間。腰に彼の逞しい腕が回ったのがわかった。



「ーー…え」



ぎゅっと、骨が軋むくらいの力でセレスティンが僕をかき抱いた。

熱い体温と彼のシトラスの香りが、僕の全身を包み込む。

驚いて思わず身動きすると、まるで逃がさないとでも言いたげに腕の力が強まった。



「セ、セレスティン…?」

「………ジョエルは、俺の憧れなんだ」



擦れるような小さな声が耳元で聞こえた。



「ジョエルに近づきたくて…横に並びたてるようになりたくて、この半年鍛錬を積んできた。貴方は誰にでも優しいけれど、背中を預けられるのは俺だけなんだって…その自負が俺にとって、どんなに誇らしかったか…!」



言葉と一緒に吐き出される熱い吐息を、僕はただ目を見開いて感じていることしか出来なかった。



「なのに貴方は…何でもないことのようにそれを捨てるという。憎らしいし、許せない。そう思うのにっ……」



喉につまったような言葉の代わりに、僕の肩にぽたりと小さな雫が弾ける音がした。



「他でもない貴方に隊長として認められて……叫びそうなほど、嬉しい自分が…、悔しいっ…」



ーーーああ。彼はこんなにも。

こんなにも僕のことを、大切に思ってくれていたのか。



慕われているとは思っていた。でもそれはよくいる知人や友人の域をでないものだと思っていた。

ーーーだって僕は、『モブ』なのだから。

主要キャラクターであるセレスティンが、僕に特別な感情を抱くことなんてないだろうと思っていた。

彼が僕のことで涙を流してくれるなんて……あるはずないと思っていたんだ。



「…セレスティン」



彼の腕を少し解いて、顔が見えるようにその頬へ手を添える。

おでこがくっつくくらいの距離で見た深い青の瞳は、涙に濡れて宝石のように輝いていた。



僕のために泣いてくれて嬉しい、なんて。きっとあまり健康的な感情ではないだろうけど。

頬を伝うその涙に、喉の奥からせりあがってくるほどの愛おしさを感じた。



溢れる感情に揺り動かされるがまま、その眦に唇を落とす。

ーーーその涙全てを、僕のものにしたくて。



「…ジョ、エル…?」



涙の跡を辿るようにして繰り返されるキスに、青い瞳が大きく見開かれた。

きっと驚いているだろう。でももう止められない。

熱に浮かされている頭の片隅は冷静で、彼を不憫に思う自分がいた。



「……んっ…!」



首筋に伝った涙を吸い上げると、セレスティンの体がピクリと震える。

ああ、可愛いな。

あまりに情欲をそそるその反応につい嗜虐心を煽られて、首筋の雫を舌でねっとりと舐めとった。



「ふ…っぁ…!」



顎をそらせて体を震わせた彼に、腰のあたりが熱く疼く。

ーー…強く、逞しく、皆に恐れられるセレスティン・ギルクラウドが、僕のキスで体を震わせているなんて。

今まで感じたことのないほどの満足感が、僕の心を満たしていった。



「セレスティン」



僕を見つめる青い瞳の縁ふちは、涙と興奮で赤く染まっている。

とろんとした視線がまるで続きを求めているように見えて、たまらない気持ちになった。



春にゲームが始まったら。

ノアがセレスティンを選んだら。

二人が結ばれたら。

ーー…セレスティンはこんな表情を、ノアにも見せるんだろうか。



「…君にそんな風に思ってもらえて、とても嬉しい」



たとえ今だけでも。

それが憧れというものであっても。

セレスティンにこんなに思ってもらえたことを……涙へのキスを許されたことを、とても嬉しく思う。





「僕もセレスティンを、とても大切に思っているよ」



前世から、これまで。そしてゲームが始まるこの春から先も。

僕は遠くから、君の幸せを願い続けるから。

しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

【書籍化進行中】契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ  前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

俺の妹は転生者〜勇者になりたくない俺が世界最強勇者になっていた。逆ハーレム(男×男)も出来ていた〜

七彩 陽
BL
 主人公オリヴァーの妹ノエルは五歳の時に前世の記憶を思い出す。  この世界はノエルの知り得る世界ではなかったが、ピンク髪で光魔法が使えるオリヴァーのことを、きっとこの世界の『主人公』だ。『勇者』になるべきだと主張した。  そして一番の問題はノエルがBL好きだということ。ノエルはオリヴァーと幼馴染(男)の関係を恋愛関係だと勘違い。勘違いは勘違いを生みノエルの頭の中はどんどんバラの世界に……。ノエルの餌食になった幼馴染や訳あり王子達をも巻き込みながらいざ、冒険の旅へと出発!     ノエルの絵は周囲に誤解を生むし、転生者ならではの知識……はあまり活かされないが、何故かノエルの言うことは全て現実に……。  友情から始まった恋。終始BLの危機が待ち受けているオリヴァー。はたしてその貞操は守られるのか!?  オリヴァーの冒険、そして逆ハーレムの行く末はいかに……異世界転生に巻き込まれた、コメディ&BL満載成り上がりファンタジーどうぞ宜しくお願いします。 ※初めの方は冒険メインなところが多いですが、第5章辺りからBL一気にきます。最後はBLてんこ盛りです※

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

「トリプルSの極上アルファと契約結婚、なぜか猫可愛がりされる話」

悠里
BL
Ωの凛太。オレには夢がある。その為に勉強しなきゃ。お金が必要。でもムカつく父のお金はできるだけ使いたくない。そういう店、もありだろうか……。父のお金を使うより、どんな方法だろうと自分で稼いだ方がマシ、でもなぁ、と悩んでいたΩ凛太の前に、何やらめちゃくちゃイケメンなαが現れた。 凛太はΩの要素が弱い。ヒートはあるけど不定期だし、三日こもればなんとかなる。αのフェロモンも感じないし、自身も弱い。 なんだろこのイケメン、と思っていたら、何やら話している間に、変な話になってきた。 契約結婚? 期間三年? その間は好きに勉強していい。その後も、生活の面倒は見る。デメリットは、戸籍にバツイチがつくこと。え、全然いいかも……。お願いします! トリプルエスランク、紫の瞳を持つスーパーαのエリートの瑛士さんの、超高級マンション。最上階の隣の部屋を貰う。もし番になりたい人が居たら一緒に暮らしてもいいよとか言うけど、一番勉強がしたいので! 恋とか分からないしと断る。たまに一緒にパーティーに出たり、表に夫夫アピールはするけど、それ以外は絡む必要もない、はずだったのに、なぜか瑛士さんは、オレの部屋を訪ねてくる。そんな豪華でもない普通のオレのご飯を一緒に食べるようになる。勉強してる横で、瑛士さんも仕事してる。「何でここに」「居心地よくて」「いいですけど」そんな日々が続く。ちょっと仲良くなってきたある時、久しぶりにヒート。三日間こもるんで来ないでください。この期間だけは一応Ωなんで、と言ったオレに、一緒に居る、と、意味の分からない瑛士さん。一応抑制剤はお互い打つけど、さすがにヒートは、無理。出てってと言ったら、一人でそんな辛そうにさせてたくない、という。もうヒートも相まって、血が上って、頭、良く分からなくなる。まあ二人とも、微かな理性で頑張って、本番まではいかなかったんだけど。――ヒートを乗り越えてから、瑛士さん、なんかやたら、距離が近い。何なのその目。そんな風に見つめるの、なんかよくないと思いますけど。というと、おかしそうに笑われる。そんな時、色んなツテで、薬を作る夢の話が盛り上がってくる。Ωの対応や治験に向けて活動を開始するようになる。夢に少しずつ近づくような。そんな中、従来の抑制剤の治験の闇やΩたちへの許されない行為を耳にする。少しずつ証拠をそろえていくと、それを良く思わない連中が居て――。瑛士さんは、契約結婚をしてでも身辺に煩わしいことをなくしたかったはずなのに、なぜかオレに関わってくる。仕事も忙しいのに、時間を見つけては、側に居る。なんだか初の感覚。でもオレ、勉強しなきゃ!瑛士さんと結婚できるわけないし勘違いはしないように! なのに……? と、αに翻弄されまくる話です。ぜひ✨ 表紙:クボキリツ(@kbk_Ritsu)さま 素敵なイラストをありがとう…🩷✨

最強S級冒険者が俺にだけ過保護すぎる!

天宮叶
BL
前世の世界で亡くなった主人公は、突然知らない世界で知らない人物、クリスの身体へと転生してしまう。クリスが眠っていた屋敷の主であるダリウスに、思い切って事情を説明した主人公。しかし事情を聞いたダリウスは突然「結婚しようか」と主人公に求婚してくる。 なんとかその求婚を断り、ダリウスと共に屋敷の外へと出た主人公は、自分が転生した世界が魔法やモンスターの存在するファンタジー世界だと気がつき冒険者を目指すことにするが____ 過保護すぎる大型犬系最強S級冒険者攻めに振り回されていると思いきや、自由奔放で強気な性格を発揮して無自覚に振り回し返す元気な受けのドタバタオメガバースラブコメディの予定 要所要所シリアスが入ります。

処理中です...