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【恋愛編】

負けずぎらいな令嬢は赤毛の侍女に名前を贈り、紳士から指輪を贈られる

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わたし達の背後に立っていたジンジャーは静かに目線を伏せたまま会釈した。
「あなたの事情は聞きました。亡くなられた旦那様との約束で、本名を使わなくなったのね。」
「契約書には、本名を記しております」

「アイビー・オブライエン。旦那様の姓がオブライエンね?」
「はい、奥様」
「旦那様は......若くしてあなたを置いていかなくてはいけない事が、無念だったのでしょうね......」
「夫は死後も自分がいた証を残したい、と最期に。あたし達には子もおりませんでした。夫はあたしの名を持って、逝きました」

ジンジャーは、淡々と言った。
身近な人の死を語る人は、みんな悲しみに溺れまいとしてるかのように、殊更に静かな話し方をする。
昨日のレジーもそうだった。

ジンジャーはわたしの方を気にしながら、言いにくそうに続けた。
「子爵家でお仕えしてる時、あたしは綺麗に話すようにしていたんですが......、それで、おっとりした抵抗しない娘だと思われて、子爵家の御子息に手籠にされ......かけた事がありました」

誰ともなしに、息を呑む音が部屋に響いた。
わたしも衝撃を受けて、喉がひゅっと鳴った。

子爵家が没落した理由は、唯一の嫡子が急逝したことだった......。
ジンジャーの旦那様は、妻を傷つけた子爵家の後継に復讐をした......? 
旦那様が亡くなったのは、じゃあ......。

「夫との最後の約束は、端的に言ってしまえば、"死後の世界で一緒になるまで、現世では女としての価値がない存在になってくれ"という懇願でした。お前が誰か他の男のものになったら、安らかではいられない。きっと冥界(アナーナ)から戻ってきてしまう......と」

旦那様の強い愛情と、執着を示す言葉だ。
「......だからわざと自分を貶める呼び名を使って、田舎の話し方をしていたの......」

頷いて、決意を込めた眼差しで、わたしを見つめて、ジンジャーは口を開いた。
「......侯爵家へ嫁がれるおじょう様のお側に仕え、お守りするためには、夫との約束を手放す必要があると、理解しています。あたしが侮られてはおじょう様の価値も落ちます」

わたしはどうしたら良いのかわからなくて、答えが見つけられない。
「......いいの、ジンジャー?それで......」
問いかけると、困った声で返答が返ってきた。
「ほんと言うと、あたしにも、分からないんですよぅ......」

思い切って言う。
「ねぇ、ジンジャーではなくて、別の仮の名を使うのはどう?」
「別の?」

「そう、アイビーという名は旦那様のものだから使えない......それは尊重したいわ。でもジンジャーという名は、自分で自分を貶めるために名乗るようになったんでしょう?
なら、呼び名は一般的な女性名を名乗ったら、変に言われることもないわ」

「自分の呼ばれたい名なんて、急には思い浮かびませんよう」
「そう言われたら確かにそうだけど......。ねぇお母様、わたしの名前ミドルネームをあげちゃだめ? アニスっていう名前は、ジンジャーの雰囲気に合うと思うの」

元々、"アニス" はお母様が子どもの頃に憧れてた名前なのだ。
オリヴィアもソフィアも美しいけれど、志が高く大人っぽすぎる。もっと愛らしい名前がよかったのにと不満だったらしい。

お母様は美しい顔に微笑みを浮かべ言った。
「貴女がいいと思うならそうなさい。名前をあげるなんて、なかなかないことよ。運命を共にする、一生を縛るようなものだと覚悟をしてね」

「ジンジャーが、嫌でなければ......どうかしら」
ジンジャーは目を潤ませて、早口で言った。
「あたし如きに、そんなにお目をかけてもらっちゃあ、いけねぇです!百ぺん死んでも、お返しできそうなことが思いつかねぇ」

「大袈裟ね。それに、これからのわたしには、あなたみたいな人が必要だわ。身分差や偏見の怖さを知ってる、あなたでないと出来ないことが沢山あるわ」
主従契約書の新しい用紙を、カーターが恭しく差し出してしてきた。

「今日からあなたの名はアニス・アイビー・オブライエン」

わたしが告げると、ジンジャー......アニスは契約書に名前を書き入れた。
契約書の主人の名のところには、わたしが署名をした。
生まれて初めて、わたしはお父様の娘ではなく、一人の人間として、仕える者を持った。

見守ってくれていたお父様が、「シャーロット、ここから先は女主人としての心構えを持たなくてはいけない、お母様にしっかりと教わるように」と述べ、お母様は侍女や使用人達の意向を確認するよう面談の指示を家政婦長へ伝えることになり、家族会議は終了した。

+++

「ロッティ」
居間から全員が自分の仕事をしに立ち去るところで、レジナルドはシャーロットを呼び止めた。
ジンジャー改めアニスは、出入り口で扉を開けるために待機している従僕のところまで離れて控えた。

「さっきはありがとう。君がそばにいてくれて嬉しかった。ソフィア様にお伝えする勇気が出せた」
二人はまだ着席している。レジナルドはシャーロットの手をとり、肘掛けの上で撫でた。

「レジー、あなたは思うようにしていいの。わたし良くわかってない事も多くて、ただあなたを信じて付いていく事しかできないけど、ずっと一緒よ」

少し前、アニス・ジンジャーに言われた「スタンフォード卿のおちからを以ってしても上手くいかない時......」という会話を思い出す。
シャーロットは心の中で独白した。

今すぐ凄い人に、わたしは成れない。
レジーにふさわしい、教養や機知があって、センスが良くて隙がない大人の美女は、もしかすると他にいるかもしれない。
だけど、レジーが失敗したり、悪いことがあったり、後ろ指を指されたりしたときも、ずっと一緒に寄り添える人になるって、わたしは決めた。
だから、こわいけど、侯爵家でも頑張るわ。

レジナルドはシャーロットの指を掬ってキスを送ると、しみじみ言った。
「......ああ......いいもんだな。ずっと焦がれてた、愛する女性と結婚できるって」
思わず漏れた本心だったが、ど直球の物言いにシャーロットの頬がボン!と紅潮した。
シャーロットがはくはくと口を動かして声もない様子をしてる間に、レジナルドは懐からゆっくり指輪の小箱を取り出した。

「ロッティ、......ロッティ?」
顔の熱を冷まそうと頬に手を当てて顔を覆うシャーロットの気を引くために呼びかける。
「えっ、なに!?あっ」
指輪の小箱に気づいて、シャーロットの目がまん丸になった。

「後からになっちゃったけど。嵌めてもいいかな」
「嬉しい......ドレスだけでも十分だったのに......!」

シャーロットの指は細い。
指輪だけが存在感を持って浮かないよう、くびれを持たせて繊細なつくりにした金無垢の指輪の中央に上品な大きさのダイヤモンドが輝いていた。

「......きれい」
シャーロットは箱の中に入れたまま、惚れ惚れといつまでも鑑賞していそうだった。
これは芸術品ではなくて、身に付けてこそ意味があるのだけど......と思いながら、肘掛けに置いたシャーロットの左手を右手で支え、レジナルドは取り出した指輪を逆手で華奢な指に嵌めた。

「ありがとう、レジー。」
「俺のも嵌めてくれないか?」

揃いで用意した男性用の指輪はシャーロットの指輪と同じ意匠を伝統的なラウンドバンドの表面に彫り込ませ、同じく中央にダイヤを嵌め込んだ対のデザインとなっていて、小箱の二段目に入っている。

シャーロットの位置からはレジナルドの左手には届かない。
立ち上がって椅子に座ったレジナルドの正面に向かいあい、男性らしいが指が長く美しい形の手をとって、左手の薬指に指輪を通した。

「......まだ公表はしてないけど、これでもう婚約の証を他の人に示せる」
二人は両手を重ね合わせ、じっと見つめあった。
「わたしはレジーのもので、レジーはわたしのもの?」

「そう。君は今まで家から出なかったから、俺は心配をしなくてよかったけれど、これから外に出るようになったら......。君という花は、あらゆる虫を惹きつけるだろうな」

「わたしは......レジーの心配しかしてなかったわ。社交界では男性に火遊びを誘いかける女性もいるのでしょう? 誘惑がいっぱいだって。わたしが大人になる前に、レジーが取られてしまうのではないかって、ずっと......」

可愛らしい口に悋気を上らせるシャーロットの頬をつついて、レジナルドは意地悪な口調で言う。
「"火遊び" ......ね。そんな言葉、またよく分からないまま口にしてるな?」
「......。......そ ぅなのかしら」
反論しようとして自信がなくなったシャーロットは、尻すぼみに声を落とした。

「ロッティの中では、どんなことをするのが "火遊び" になるの」
「......ぅ......」
顔を赤くしたシャーロットは、そういえば具体的なことはなにも知らず、イメージで話していたと気づく。

シャーロットの中では最大の「いやらしいこと」は、レジナルドに昨日教わった恋人のキス止まりだ。
あとは「体を触らせる」とか「抱かれる」とか、言葉の上だけの理解でしかない。
どんな場所をどのように触らせるのか。
抱かれると表現する時はどんな状況か。
具体的な想像がないまま分かったつもりになっている。

「何を想像しているにしろ、どんな過激なことよりも......俺にとっては、こんなふうに君の手を握ったり、ぎりぎり許される範囲で君に触れることの方がよっぽど刺激的だよ」
「レジーったら......」

甘い言葉で恥ずかしくなったシャーロットが返した言葉のカウンターは強烈だった。
「じゃあ......誘惑の仕方を覚えるから、 "火遊び" するなら、わたしとしてね?」
「ーーー」
悪魔のようなセリフと一緒に、柔らかな体で抱きついてくる。
必ず翻弄し返してくる、シャーロットのこの煽り癖はなんなのか。

ただレジナルドの手管に翻弄されっぱなしで、可愛らしく狼狽えていればいいのに、ぜったい一矢報いずにはいられないらしい。
何も分かっていないくせに。

レジナルドは両手を降参の形に挙げた。
監視の目と耳がなければ、紳士では居られないところだ。

「この、負けずぎらい......!」
唸るように言った婚約者の紳士に、負けずぎらいの令嬢は真剣な顔で反論した。
「だって、わたしだってレジーをドキドキさせたいんだもん!」

さすがにスタンフォード卿がお気の毒だべ、と止めに入ったアニス・ジンジャーの働きで、レジナルドは父への報告をするための手紙を認めるという口実で、部屋へ逃げ帰ることができたのだった。
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