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1-3 兄と弟

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◆◆◆◆◆

(現在:正美)


自宅アパートに着いてすぐに、兄さんのスマホに連絡を入れた。部屋は少し散らかっていたが、まあ男の一人暮らしならこんなものだろう。そう思うことにした。

しばらくして兄さんが僕の部屋にやって来た。その手にはクリスマスケーキの箱が握られていた。

「おお、クリスマスイブって感じ」

僕が笑ってカラフルなケーキの箱を受け取ると、兄さんが笑いを浮かべながら部屋を見回した。

「お前の部屋‥‥相変わらずオタク臭いな。現実の女の匂いがまったくしないじゃないか」

壁に張られた美少女アニメのポスターを見ながら、兄さんがそう呟いた。

「いいんだよ。漫画家を目指す正真正銘のオタク青年なんだから」

「彼女くらい作れよ。21歳だろ」

「悪かったね。兄さんと違って僕はもてないんだよ!」

僕は口を膨らませながらケーキを盛る皿を用意した。百貨店で買ったクリスマスらしい料理を、兄さんはテーブルに並べていく。美味しそうなその料理に唾が口にたまる。

「料理が豪華だと、ボロアパートの部屋もいい雰囲気になるね。キャンドルでもあったらよかったなぁ~」

「‥‥正美、そういう事は彼女と二人の時にやれ。男二人でキャンドル眺めるのは、さすがの俺も嫌だ」

「言えてる。キャンドルは不要だね。じゃあ、早速いただきます!」

僕はチキンをぱくりと口に運んだ。兄さんも料理を口にする。美味しい料理に思わず笑顔になって口を開いた。

「ん、美味い!」

兄さんが笑顔を浮かべてこちらを見たので、どきりとして僕は目を逸らせた。動揺を見破られたくなくて話を振ってみた。

「そういえば‥‥‥‥クリスマスとか正月とか、年末年始は警察官は忙しいものだと思っていたけど。兄さんは大丈夫なの?」

「ん、ああ。俺は警察官でも経理担当だからな。普通の会社員と変わらないよ。まあ、人手が無いと警備とかに借り出される事もあるけどな。今年は大丈夫みたいだな」

「なんか‥‥経理担当の警察官って、しょぼいね」

僕が正直な感想を述べると、兄さんは嫌な顔をした。

「仕方ないだろ。警察官が刑事ドラマのような仕事ばかりしていたら、やっていけないだろ?裏方も必要なんだよ。俺は地味な公務員で満足してるよ。給料は安定しているし、犯人に殺される危険もないしな」

高卒で警察官になった堅実な兄さんらしい言葉だった。その点、僕は随分とやくざな稼業に就いている。漫画家を目指すアシスタントなんて、僕が女性にもてても結婚相手としては敬遠されるだろうな。

そんな僕の考えを読んだように、兄さんが僕の仕事について尋ねてきた。

「で、お前の方はどうなんだ?仕事は順調か?」

兄さんの心配そうな声に、何となく気恥ずかしさを感じた。成人した後も兄さんに心配を掛けている。そんな自分が恥ずかしい。

「藤村先生の専属アシスタントをしているんだ。今はデビューの機会を狙っているところ」

「ふーん。なあ、その藤村先生って‥‥まともな奴なんだろうな?」

「どういう意味?」

兄さんが言いよどむ。

「兄さん、気になるだろ?」

「いや‥‥よく小説とかであるだろ?デビューを餌にして先生が立場の弱い人間に体の関係を迫るとかさ」

僕は唖然として兄さんを見つめた。そして、吹き出していた。

「兄さん、ありえないよ!それにそんなことでデビューできるなら苦労しないって」

「ちょっと待て!正美は漫画家デビューの為なら、体の関係を持ってもいいって言うのか?」

「違う、違う。ありえないって話。先生は僕の友達だしね」

「ふーん」

まだ心配そうな兄さんに、僕は笑いかけていた。

「それより、兄さんは自分の心配したらどう?」

「なんだよ‥‥いきなり?」

「姉さんが旅行に行っている友達って、ホントに女友達?」

「当たり前だろ!」
「あやしー。男かもよ?」

「お前なぁーー。夫婦関係に波風立ててどういうつもりだよ!」

僕はニヤニヤしながら答える。

「兄さんたちが離婚したら、僕が姉さんを貰うよ」

「誰が正美みたいなオタクに奥さんをやるかよ!」

「はるかさんかわいいからなぁ。アニメみたいに目がくりくりだし」

「お前は二度と俺の家にくるな。危険人物め」

そんなことを言う兄さんの顔は笑っていた。僕も笑いながらケーキを口に運ぶ。甘い味が口いっぱいに広がり、兄さんとクリスマスイブを送れた事を感謝した。

その兄さんの次の一言に、思わずケーキを吹き出しそうになる。

「今日ここに泊まっていいか?」
「んぐぅ‥‥」

ケーキをなんとか飲み込むと、僕はまじまじと兄さんを見つめた。

「どうせ彼女もいないし明日も暇だろ?日曜日で俺も休みだから、たまには一緒に出かけないか?」

「明日はクリスマスだよ?」
「だから?」

「兄弟で出かけるには不向きかなって思って‥‥‥」

「たまには良いだろ?正美の好きなところに行っていいぞ」

好きなところ?

「日本橋の電気街に行きたい」

「‥‥オタクロードか?まったくお前はクリスマスまでアニメかよ」

「その後は難波パークスで昼食兼買い物でどう?」

「僕の好きなところに行っていいと言ったよね?」

「仕方ないな」
「じゃあ、それで決定だね!」

僕はニコニコしながらケーキを頬張った。


◇◇◇◇◇


(現在:弘樹)


弟の部屋に泊まると言ったものの、布団が一組しかない現実に突き当たり俺は途方にくれた。

正美は戸惑いながらも、風邪を引くと不味いから同じ布団に入るように勧める。仕方ないので俺たちは一緒の布団に入ったが‥‥やはり狭い。

大人の男が二人布団に入るのは、端から無理なことだ。

眠れずぼんやりと天井を眺めていると、不意に過去が呼び起こされる。父親と暮らしていた部屋も、こんなボロアパートだった。

母親は知らない男と駆け落ちして、俺と正美は自堕落な父親の元に取り残された。典型的な不幸な家庭。

それでも、あれが始まるまではまだ平和だった気がする。たとえ、暴力を振るわれていても。

嫌な記憶がよみがえり、俺はそれを振り払うように身じろぎした。その動きで俺の手が正美の背中に僅かに触れる。

びくりと震えた正美の背中に、俺は驚いて弟を見つめる。こちらに背中を向ける正美から、緊張している様子が伺えた。

嫌な汗が背中を流れる。

正美は俺が怖いのかもしれない。全身を張り詰めて警戒しているその姿は、俺を切ない気分にさせた。

父親から無理強いさせられていたとはいえ、俺は正美に酷い事をした。その精神を責め苛み、弟の体を削って陵辱を繰り返した。

その過去は消えない。

アパートを焼いた炎でも、あの行為を消し去る事はできなかった。俺はそっと正美から身を離し天井を見つめる。

目の前に赤い炎がちらつき、過去がよみがえり俺は飲み込まれる。

火の着いたタバコを雑誌の上に置いて、中学生の俺はそれを観察していた。

父親のいびきを聞きながら。

ひどく綺麗だった。じりじりと赤黒い灰を散らしながら雑誌が大きな穴を開けてゆく。お酒の染み込んだ畳に炎となって広がった時、俺は興奮を覚えていた。

父親が燃えるのを見ながら俺は勃起していた‥‥。

震える正美を抱えてアパートを飛び出した時、俺の興奮は消え去り涙が出て止まらなかった。赤々と燃えるアパートは、あまりにも綺麗で苦しくて切なかった。

あれから随分と経つ。

犯罪者の俺が警察官になって、家庭を築いているのだから世の中は分からない。後は正美が幸せになってくれたなら‥‥。

俺は弟の幸せを祈って眠りについた。



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