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1-4 セドリック・アシュフォード
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◆◆◆◆◆
馬車の車窓から見える女の姿に、私は苛立ちを覚えた。ミア・グリーン…夫の妾。
赤子を抱いた女がアシュフォード邸の中に入っていく。彼女を恭しく邸内に案内する伯爵家の使用人たち。
ミア・グリーンは夫のセドリックだけではなく、アシュフォード家の使用人たちの心まで掴んでしまったの?
「っ…」
「母上、どうしたの?」
「なんでもないわ、リリアーナ。それより、馬車を降りる準備はできている?」
リリアーナの肩に触れて話しかけると、娘はにこりと笑ってクッキーの箱を胸に抱きしめる。
「準備できてるよ!父上へのお土産も持ってる。ねぇ、父上は喜んでくれるよね?」
ついさっき同じことをリリアーナは私に尋ねた。そんなに不安なのかな?
「勿論、喜んでくれるわ」
「本当に?」
リリアーナが急に不安そうな表情を浮かべたので、私はどきりとして狼狽える。子供は大人が考えるよりも周囲の空気に敏感だ。
リリアーナは私と夫の不仲に気がついているのかもしれない。小さな子にこんな思いをさせるなんて母親失格だわ。
「大丈夫よ。だって、たっぷり愛情を込めて作ったのでしょ?」
「うん!父上は甘すぎるのは苦手でしょ?だから、砂糖控えめで塩とハーブをちょっと加えたの。父上向けのクッキーだよ!」
「すごいね、リリアーナ!今度私にそのクッキーのレシピを教えて」
「いいよ」
リリアーナの頭を撫でていると、馬車が邸の車寄せに停まった。そして、使用人が近づき馬車の扉をゆっくりと開く。
「奥様、お嬢様、おかえりなさいませ。お荷物はございますか?」
「荷台の荷物を部屋に運んでおいてちょうだい」
「承知しました、奥様」
人に指示を出しながら、私はリリアーナと共に馬車のステップに足をかけ床から降りた。そして、夫の元に歩み寄る。
セドリックの冷たい眼差しに心が揺れ、思わず視線を逸らしそうになる。そんな自分を情けなく思いながら、私は夫に話しかけた。
「あなた、お迎えできずにごめんなさい。リリアーナと共にルーベンス家に出掛けておりました。」
「また実家に帰っていたのか、ヴィオレット。まあ、居心地がよいのは容易く想像できる。アルフォンス卿はお前に甘いからな…異常なほどに…」
「…異常なんて」
セドリックに反論しようとしたが、私はそのまま口を閉じた。 彼は何かとアルフォンス兄上の名前を挙げては貶してくる。 最初こそ反論していたが、今ではそれでさえ煩わしく諦めてしまった。
それよりも大事なことがある。
「娘が貴方の為にクッキーを作ったのよ。ね、リリアーナ」
娘に声を掛けると、リリアーナは待ち切れない様子でセドリックに駆け寄った。そして、ラッピングしたボックスを差し出す。
「父上!あのね、私が作ったの!厨房にオーブンがあって!ケーキも焼けるんだよ。それでね、塩が入ってるから大丈夫だよ。甘くないから食べやすいクッキーで…伯父様もすごく褒めてくれて!だから、父上!食べてっ、あっ!」
唐突にセドリックがリリアーナの手の甲を叩いた。娘は驚いて手にしたクッキーボックスを地面に落としてしまう。
「あ、あっ…」
「リリアーナ!」
私は慌ててリリアーナを抱きしめて、気が付けばセドリックを睨みつけていた。
「なんだその目は?」
「なぜこの様な事をなさるのですか?リリアーナを叩くなんて!」
呆然と立ち尽くす娘を背後に隠して、私はセドリックに向き合った。セドリックは鋭い眼差しでこちらを見やり口を開く。
「お前は黙っていろ、ヴィオレット。これはアシュフォード家に属する者の問題だ。お前には関係ない」
「私もアシュフォード家に属しています。どうして関係ないなんて…」
「黙れ、ヴィオレット」
「私はっ、」
「母上…ひっく、」
「っ、……」
セドリックの言葉に怯んで黙ったわけではない。でも、リリアーナが私のドレスを掴み泣き出したので、どうすればよいのか分からなくなる。
私が黙り込むと、セドリックは高圧的に娘に向かって言葉を発した。
「リリアーナ、お前は女であろうともアシュフォード家の人間だ。侯爵家ではどうだかは知らないが、我が伯爵家では貴族は厨房になど出入りしない。下女の真似をして恥ずかしくはないのか、リリアーナ?」
「ご、ごめんなさい、父上…っ」
「やはり、浮ついたリリアーナを女当主に据える事は無理だな。アシュフォード家の後継者は男子であるべきだ。そう思うだろ、リリアーナ?」
「はっ、はい…ち、父上…私は…」
「いい子だ、リリアーナ」
セドリックは卑劣だ。
責めるならば母親である私を責めるべきなのに…私をのけ者にして娘に当主の座を譲れと迫るなんて。
そんな事、私が許すとでも?
「リリアーナは利発で父親思いの子です。貴方を想ってクッキーを手作りしただけで、下女の真似などしていません。リリアーナは侯爵家と伯爵家の縁を結んだ高貴な生まれ。下女の生んだ男子と比べるなど…私が許しません!」
これはリリアーナを蔑ろにした事に対しての怒りだけじゃない。ミア・グリーンへの嫉妬も綯い交ぜの醜い私の心。でも、その醜い心を作り出した原因はあなたよ、セドリック。
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馬車の車窓から見える女の姿に、私は苛立ちを覚えた。ミア・グリーン…夫の妾。
赤子を抱いた女がアシュフォード邸の中に入っていく。彼女を恭しく邸内に案内する伯爵家の使用人たち。
ミア・グリーンは夫のセドリックだけではなく、アシュフォード家の使用人たちの心まで掴んでしまったの?
「っ…」
「母上、どうしたの?」
「なんでもないわ、リリアーナ。それより、馬車を降りる準備はできている?」
リリアーナの肩に触れて話しかけると、娘はにこりと笑ってクッキーの箱を胸に抱きしめる。
「準備できてるよ!父上へのお土産も持ってる。ねぇ、父上は喜んでくれるよね?」
ついさっき同じことをリリアーナは私に尋ねた。そんなに不安なのかな?
「勿論、喜んでくれるわ」
「本当に?」
リリアーナが急に不安そうな表情を浮かべたので、私はどきりとして狼狽える。子供は大人が考えるよりも周囲の空気に敏感だ。
リリアーナは私と夫の不仲に気がついているのかもしれない。小さな子にこんな思いをさせるなんて母親失格だわ。
「大丈夫よ。だって、たっぷり愛情を込めて作ったのでしょ?」
「うん!父上は甘すぎるのは苦手でしょ?だから、砂糖控えめで塩とハーブをちょっと加えたの。父上向けのクッキーだよ!」
「すごいね、リリアーナ!今度私にそのクッキーのレシピを教えて」
「いいよ」
リリアーナの頭を撫でていると、馬車が邸の車寄せに停まった。そして、使用人が近づき馬車の扉をゆっくりと開く。
「奥様、お嬢様、おかえりなさいませ。お荷物はございますか?」
「荷台の荷物を部屋に運んでおいてちょうだい」
「承知しました、奥様」
人に指示を出しながら、私はリリアーナと共に馬車のステップに足をかけ床から降りた。そして、夫の元に歩み寄る。
セドリックの冷たい眼差しに心が揺れ、思わず視線を逸らしそうになる。そんな自分を情けなく思いながら、私は夫に話しかけた。
「あなた、お迎えできずにごめんなさい。リリアーナと共にルーベンス家に出掛けておりました。」
「また実家に帰っていたのか、ヴィオレット。まあ、居心地がよいのは容易く想像できる。アルフォンス卿はお前に甘いからな…異常なほどに…」
「…異常なんて」
セドリックに反論しようとしたが、私はそのまま口を閉じた。 彼は何かとアルフォンス兄上の名前を挙げては貶してくる。 最初こそ反論していたが、今ではそれでさえ煩わしく諦めてしまった。
それよりも大事なことがある。
「娘が貴方の為にクッキーを作ったのよ。ね、リリアーナ」
娘に声を掛けると、リリアーナは待ち切れない様子でセドリックに駆け寄った。そして、ラッピングしたボックスを差し出す。
「父上!あのね、私が作ったの!厨房にオーブンがあって!ケーキも焼けるんだよ。それでね、塩が入ってるから大丈夫だよ。甘くないから食べやすいクッキーで…伯父様もすごく褒めてくれて!だから、父上!食べてっ、あっ!」
唐突にセドリックがリリアーナの手の甲を叩いた。娘は驚いて手にしたクッキーボックスを地面に落としてしまう。
「あ、あっ…」
「リリアーナ!」
私は慌ててリリアーナを抱きしめて、気が付けばセドリックを睨みつけていた。
「なんだその目は?」
「なぜこの様な事をなさるのですか?リリアーナを叩くなんて!」
呆然と立ち尽くす娘を背後に隠して、私はセドリックに向き合った。セドリックは鋭い眼差しでこちらを見やり口を開く。
「お前は黙っていろ、ヴィオレット。これはアシュフォード家に属する者の問題だ。お前には関係ない」
「私もアシュフォード家に属しています。どうして関係ないなんて…」
「黙れ、ヴィオレット」
「私はっ、」
「母上…ひっく、」
「っ、……」
セドリックの言葉に怯んで黙ったわけではない。でも、リリアーナが私のドレスを掴み泣き出したので、どうすればよいのか分からなくなる。
私が黙り込むと、セドリックは高圧的に娘に向かって言葉を発した。
「リリアーナ、お前は女であろうともアシュフォード家の人間だ。侯爵家ではどうだかは知らないが、我が伯爵家では貴族は厨房になど出入りしない。下女の真似をして恥ずかしくはないのか、リリアーナ?」
「ご、ごめんなさい、父上…っ」
「やはり、浮ついたリリアーナを女当主に据える事は無理だな。アシュフォード家の後継者は男子であるべきだ。そう思うだろ、リリアーナ?」
「はっ、はい…ち、父上…私は…」
「いい子だ、リリアーナ」
セドリックは卑劣だ。
責めるならば母親である私を責めるべきなのに…私をのけ者にして娘に当主の座を譲れと迫るなんて。
そんな事、私が許すとでも?
「リリアーナは利発で父親思いの子です。貴方を想ってクッキーを手作りしただけで、下女の真似などしていません。リリアーナは侯爵家と伯爵家の縁を結んだ高貴な生まれ。下女の生んだ男子と比べるなど…私が許しません!」
これはリリアーナを蔑ろにした事に対しての怒りだけじゃない。ミア・グリーンへの嫉妬も綯い交ぜの醜い私の心。でも、その醜い心を作り出した原因はあなたよ、セドリック。
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