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1−1 夫が浮気先から帰らないので兄上とお茶してきます!

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◆◆◆◆◆


「伯父様~!」
「リリアーナ、よく来たね」

馬車から降りたリリアーナは、玄関まで迎えに来た兄のアルフォンスに駆け寄る。

「抱っこ!抱っこ!」
「もちろん、リリアーナ姫」

リリアーナ姫と呼ばれた娘はご満悦で兄に抱きついた。アルフォンスは娘をひょいと抱き上げると、こちらに視線を向けて微笑む。

「随分大きくなったね。もっと頻繁に来てもらわないと、成長を見逃してしまうな」

「アルフォンス兄上、二週間前に来たばかりですよ…」

「遠くはないのだから、一週間事に来るといい。三日ごとでも対応可能だ。ぜひ訪ねて欲しい、ルーベンス家に」

リリアーナの嬉しそうな顔を見れば、三日ごとでも来たくなるけど…。

「月二回も実家に帰っているのに、これ以上は迷惑かけられないよ」

「遠慮はいらないだろ」

まあ、兄がまだ独身なので実家に帰っても肩みの狭い思いはしない。でも、いつかは兄も妻を迎えるのだから、いつまでも甘えてはいられないかな…。

「ヴィオレット、おいで」
「はい、兄上」

兄がリリアーナを抱いたまま私に手を差し出してくれる。その手を取ろうとすると、娘がすねた声で兄の肩を叩いた。

「伯父様!母上とばかり話さないで。私の話を聞いて。あのね、リリアーナね、字をいっぱい書けるようになったよ!」

「そうか。それは楽しみだね。私に手紙をくれないかい、リリアーナ」

「いいよ!いっぱい書くね」

私はリリアーナに近づいて顔を覗き込み口を開いた。

「私には手紙を書いてくれないの、リリアーナ?」

そう尋ねると娘は目をパチパチとさせた後に、とびっきりの笑顔を見せて返事した。

「母上にも書いてあげる!」
「それは楽しみ」

私は笑いながら二人を追い越して、先にルーベンス家の中に入る。

「おかえりなさいませ、お嬢様」
「クリス、ただいま」

執事のクリスは私が嫁に行ったあとも『お嬢様』と呼んでくれる。その言葉を聞くたびに、独身時代に戻ったような軽やかな気分になる。

あの頃は…結婚に夢を持っていた。夫に溺愛されて息苦しいほどに愛されると思っていた。

でも、現実は違っていて。

アシュフォード家に嫁いですぐに夫に妾がいることを知った。身分の違いから妻にはできないその女を、夫は心から愛している。

そして、親の決めた婚姻相手を当初から疎ましく思い…甘い言葉など一つもなかった。

義務を果たすようなセックスに、心がすっかり疲れた頃に私は妊娠して一人娘のリリアーナを生んだ。

子ができると夫はもう私の体を求めては来なかった。そして、妾の元に足繁く通い現在に至る。

「はぁ…」

思わずため息が出てしまった私の頰を、娘が小さな手で撫でた。

「母上、疲れてる?」

「馬車に揺られてちょっと疲れちゃったかな。部屋で少し休んできてもいい、リリアーナ?」

そう娘に尋ねると、リリアーナはにっこり笑ってアルフォンス兄上にぎゅっと抱きついた。

「いいよ~。私は伯父様に手紙書くから。あと、おやつも食べたい!」

「リリアーナの為に料理人が腕をふるって焼き菓子を作っているよ。厨房に行ってみるかい、リリアーナ?」

「行く!」
「連れて行っても構わないかい?」

貴族が使用人たちが働く地下に行くことは滅多にない。でも、ルーベンス家は昔から使用人との交流が盛んだ。本当に名門の侯爵家なのかと疑いたくなるくらいに。

「勿論です、アルフォンス兄上」

「ヴィオレットは部屋で休んでいなさい。後で部屋を訪ねるからお茶を共にしよう」

「はい、兄上」

アルフォンスはリリアーナを抱いたまま、地下への階段を軽やかに降りていく。昔は兄と妹でよく厨房に遊びに行ったものだ。今は兄が私の娘を抱いて厨房に向かう…なんだか、不思議な気分。

「クリス、部屋で少し休むわね」
「承知しました、お嬢様」

私は二階の自室に向かって階段をのぼっていった。


◇◇◇


妹の娘のリリアーナを厨房に連れて行くと、ちょうどケーキを焼いているところで甘い香りがした。リリアーナを床に降ろすと、早速料理人に近づき挨拶をする。

嫌いな男の娘だが、その半分には妹の血脈が流れている。可愛らしくも忌々しく思う自身の顔に笑顔を貼り付けてリリアーナに接する。

リリアーナがクッキー作りに夢中になったので、使用人たちに姪の面倒を頼んだ。後でヴィオレットの部屋にお茶を運ぶように頼み、私は妹の部屋に向かう。

二階の妹の部屋をノックするとすぐに扉が開いた。ヴィオレットはにこりと笑うと部屋に招いてくれる。

「部屋にはお花が飾ってありました。お気遣いに感謝します、兄上」

「ヴィオレットが気に入ったのなら良かった。リリアーナは厨房でクッキーを作っている。後で手作りのクッキーを三人で食べよう」

「はい、兄上」
「座ってもいいかい?」

私がソファーを指差すと、ヴィオレットはコクリと頷いて「どうぞ」と呟く。私がソファーに座るとヴィオレットも向かえのソファーに座った。

「少し痩せたのではないか?」

「そうですか…確かにそうかも知れません。ちょっと食欲が落ちてしまって」

「悩みなら聞くよ、ヴィオレット」

そう促すとヴィオレットは逡巡した後に口を開いた。

「夫の妾が子を生みました」
「っ!」
「男子だそうです」
「…そうか」

ヴィオレットは視線を窓の外に向けると、少し虚ろな眼差しで空を見る。婚姻するまではこんな顔はしなかった。

「兄上…先代王の御世より、女子にも相続権が与えられましたよね。リリアーナは…アシュフォード家を継げるでしょうか?」

「君の夫は…妾の子を継がせるつもりなのかい?」

「いえ…ここのところ顔を合わせても会話もなく。尋ねるのも怖くて」

「ヴィオレット」
「情けないですね」

私は立ち上がってヴィオレットのそばに寄り、妹の肩に触れた。ヴィオレットは不意に震えて俯くと、唇を噛み締めながら涙を流す。

「リリアーナの為にも…ちゃんと話し合わなくては駄目だと分かっているのに…怖くて」

「怖い?」

「セドリックは領地のご両親に、男子が生まれたことを伝えたそうです。義父母も男子が生まれたことを喜んでいると…アシュフォード家の使用人が噂していました。きっと、その男子が跡継ぎになるのだろうと」

流れる涙を手で拭ったヴィオレットは、顔を上げて言葉を紡ぐ。

「アシュフォード家の邸に私とリリアーナの居場所はありません。だから、こんなに頻繁に実家に帰ってしまう。きっと使用人たちは笑っています…こんな女主人に誰もついてこないもの」

ヴィオレットを抱き寄せて、私は妹の耳元で囁いていた。

「そんな夫とは別れるといい」
「そんな事はできません」
「なぜ?」
「リリアーナが路頭に迷います」

「共に実家に帰ってくれば良いだけだろ?難しいことはなにもない」

「アルフォンス兄上…」

「ルーベンス家は本来なら一人娘のヴィオレットが継ぐべきものだった。従兄弟の私が継ぐ必要はない」

「私の両親が兄上を次期当主にと選んだのです。幼い時から兄妹として育ち、もう従兄弟だなんて思っていません…大切な兄上です」

ヴィオレットの言葉に胸が痛む。親愛の情以上のものを彼女はくれない。妾を作って妻を蔑ろにする男にさえ、私は敵わない。

いっそ、奪ってしまったら…私の想いに気がつくだろうか?

「アルフォンス兄上?」

「…君が幸せになる方法を考えるよ、ヴィオレット」

「はい、兄上。私もリリアーナを幸せにする為に…考えます」

リリアーナを喪えばヴィオレットは壊れてしまうだろう。

セドリックはどうだろうか?

夫を喪ってもヴィオレットは大丈夫だろうか?もしそうなら、いくらでもやりようはある。未亡人となっても私が支えれば…。

「母上~、伯父様~、クッキー持ってきました!お茶も運ばせたよ~」

リリアーナがノックもせずに部屋に入ってきた。躾ができていないとは思うが、半分は忌々しい男の血が流れているのだから仕方ないか。

「リリアーナが焼いたクッキーだね。楽しみにしていたよ」

私がそう言うと、リリアーナはニコニコしながら手に持ったクッキーを手渡してきた。

「これは………猫だね?」
「伯父様、違います!」
「そ、そうか」
「母上は当ててくださるはず!」
「え!?」
「これだよ、ヴィオレット」

ヴィオレットにクッキーを手渡すと、妹はまじまじとそれを見つめた。そして、呟く。

「……うさぎ?」
「正解!」
「うさぎなのか?」
「うさぎだよ!」

「そうです、兄上!完璧にうさぎです!リリアーナのクッキーを褒めてください!」

ヴィオレットとリリアーナに問い詰められて、私は降参した。妹の手からクッキーを奪うと、口に含み食べた。甘いクッキーがほろりと崩れる。

「美味いな」
「でしょ!」
「私も一つ頂戴、リリアーナ」

リリアーナが母親にクッキーを手渡す。そして、二人でクッキーを口に放り込んでニコニコと微笑み合った。リリアーナの細めた目元はヴィオレットの目元にそっくりで、やはり親子だなと感心する。

さて、この二人を幸せにするには…排除しないと駄目だろうね。それが私の役目なら喜んで請け負う。


「アルフォンス兄上」
「どうした?」

「愚痴を聞いてくださりありがとうございます」

「問題が解決するまで付き合うよ、ヴィオレット」





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