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第四章

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◆◆◆◆◆◆


ヴォルフラムの手を離れたクッキー缶は、俺とアルミンの間をすり抜けて、廊下に転がり出た。俺は思わず、クッキー缶の行方を目で追ってしまった。

「アルミン、気をつけろ!ヴォルフラムは、扉から外に出る気だ!」

ヴォルフラムの狙いが、フリートヘルムから、扉の入り口に立つ俺達に移ったことは明らかだった。

「マテウス、廊下に出ろ!扉は俺が閉める。マテウスは部屋を離れて、誰かに助けを求めろ」

「アルミン、でも!」
「早く!」

「っ、分かった」

ヴォルフラムが、アルミンを目掛けて突進してきた。俺は慌てて廊下に向かう。だが、マテウスの目前で、ヴォルフラムは突然動きを変化させた。

「あっ!」

廊下に出ようとした俺の腕を掴んだのは、ヴォルフラムだった。俺はヴォルフラムに抱き込まれて、動きを封じ込められた。俺を人質にして、ヴォルフラムは廊下に出るつもりだ。

「マテウス!」

アルミンが武器を取り出す気配を見せた。俺は慌ててアルミンを制する。

「武器は必要ないよ、アルミン。ヴォルフラムはもう限界だから・・彼は、もう動けない」 

「マテウス・・ヴォルフラムの状態は異常だ」
「それでも、武器は使わないで」

武器は必要ないと、俺は判断した。ヴォルフラムは肩で息をしている。ひどい顔色で、今にも倒れそうだった。そして、本当に倒れてしまった。

「ヴォルフラム様!」

俺はヴォルフラムを支えようとして、共に部屋の床に倒れ込んでしまった。地面に叩き付けられる直前に、俺はヴォルフラムに庇われた。衝撃はあったが、痛みはそれほど感じなかった。

「ぐっ、つうっ!」

「ヴォルフラム様、しっかりして。マテウスです。わかりますか?マテウスです、ヴォルフラム様・・」

ファビアン殿下が作ってくれたクッキーが床に散らばり、踏まれて粉々になっていた。部屋中が、クッキーの甘い香りで満ちていた。

「ファビアン殿下が作って下さったクッキーが、粉々になってしまいました。ヴォルフラム様と一緒に食べるつもりだったのに・・クッキー缶を武器に使うなんて、なんて愚かな騎士なの・・ヴォルフラム様」

甘いクッキーの香りが、ファビアン殿下の笑顔を脳裏に呼び起こした。俺の眼から涙が溢れでる。ポロポロと零れ落ちる涙が、ヴォルフラムの頬を濡らした。

ヴォルフラムの顔の右半分は、包帯で覆われていた。暴れた為に包帯は少しほどけていて、右目に押された焼き印の痕が少し見えた。皮膚は赤く腫れて、盛り上がりひきつれていた。

包帯に触れると、ヴォルフラムはびくりと震えた。俺は構わず包帯の上から触れて、傷を確認していく。右耳は削がれてなくなっていた。

「ヴォルフラム様、私の事がわかりますか?」

左目は無事な筈なのに、何も景色を写していないように思えた。俺はさらに、包帯に触れる。

「ヴォルフラム様、マテウスは貴方の前にいます。無事に傷ひとつなく、貴方の前にいます。わかりますか、ヴォルフラム様?」

ヘンドリク = マーシャルは、本当にヴォルフラムの体の右側を、執拗に拷問したようだ。胴体にも包帯が巻かれている。包帯が血で滲んでいた。あれだけ暴れたなら傷も開く。

「ヴォルフラム様、貴方は『マテウスの騎士』でしょ?守るべき本人は、目の前にいますよ?それなのに、貴方は・・異端審問所の牢獄に、向かうつもりなのですか?」

ヴォルフラムの右腕も包帯で巻かれている。そして、右手の五本の指がなくなっていた。涙が出て止まらなかった。

「ヴォルフラム様・・貴方はひどい拷問を受けました。でも、貴方が暴れて周囲の注目を引き付けてくれたお陰で・・私は、マテウスは、拷問を受けずに済みました。わかりますか?ヘンドリクは、私を捕らえることも、拷問することも出来なかった」

不意に、ヴォルフラムの右手が動いた。右手が俺の頬を撫でようとした。だが、その動きが止まる。ヴォルフラムの左目がまじまじと自身の右手を見つめていた。そして、彼は掠れた声で呟いた。

「指がない」

俺はヴォルフラムが見つめる右手に、自らの手を重ねた。

「指はないですが・・ヴォルフラム様の大切な右手です。それに、左手。左手は無事です」

「だが、もう・・剣を掴む指がない。私は、護衛騎士ではなくなった。騎士でなくなった私には、もう何の価値もない」

俺はヴォルフラムの左手に触れていた。そして、俺はゆっくりと話しかけた。

「学園時代のヴォルフラム様は、『遅れてやってきた騎士』でした。私は、ヘンドリク = マーシャルに体を触れられ、とても不快な思いをしました・・」

「・・『遅れてやってきた騎士』」

「でも、今回は違う。ヴォルフラム様は体を張って、ファビアン殿下を守りました。私を探し回るヘンドリクを呼び戻す為に・・貴方は暴れて周囲の注目を集めた。貴方は、ヘンドリクに私を見つけることを諦めさせた。私は、ヘンドリクに捕まっていません。牢獄には、一度もいれられなかった」

ヴォルフラムが俺の顔を見つめる。左目に俺の泣き顔が映り込んでいた。俺はできるだけ笑みを浮かべ話しかけた。

「ようやく・・ヴォルフラム様が、私を見てくるた。ね、私は牢獄にはいないでしょ?マテウスは、貴方の傍にいます」

「だが、貴方の・・マテウス卿の声が牢獄に響いていた。私はあの場所で、確かに貴方の悲鳴を聞いた。ひどく苦しげに助けを求めていたのに・・私は何も出来なかった」

ヴォルフラムが、左目からポロポロ涙を流していた。俺は胸がつぶれる思いがした。


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