死に戻りの不感症オメガは王都で穏やかに暮らしたい

月歌(ツキウタ)

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1.不感症オメガのハンス

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◆◆◆◆◆


「それは承諾できない、ハンス!」

「兄上、僕はもう決めたのです。どうか養子縁組を解消してください」

僕はソファーから立ち上がると、ハルトムート兄上に向い頭を下げた。だが、望む言葉は返ってこない。兄上のため息混じりの声が耳に響いた。

「養子縁組を解消した上で、私の援助も受けずに独り立ちなど無謀過ぎる。幼いハンスが王都で一人暮らしなど・・悪辣な者達の餌食になるだけだ」

頭を下げても効果はない。ならば、真正面から言葉を交わし議論するしかない。きっと、分かってくれる。ハルトムート兄上は優しい人だから。

僕は顔をあげると一気に話す。

「僕は幼くはありません、兄上。もう18歳です。孤児院からボーリンガー侯爵家に引き取られた年齢は13歳。庶民なら13歳で仕事を始めるものをも多いと聞きます。18歳の僕が13歳の庶民に劣るとお考えですか、ハルトムート兄上?」

僕の言葉に兄上が立ち上がる。そして、僕の目を見つめながら言葉を紡ぐ。

「そのようなことは考えた事もない。お前は優秀な貴族の子だ。私はボーリンガー侯爵家現当主として、お前を必要としている。ハンス、実弟としてそばで私を支えてほしい」

僕は兄の言葉に首を左右に振った。

「ハルトムート兄上・・どれほど望まれても、僕は貴方の実弟にはなれません。兄上の実弟のホルガー様は病で亡くなられました。いくら容姿が似ていようとも実弟にはなれません」

「すまない、ハンス。実弟としてそばで支えてほしいとは・・配慮のない言葉だった。だが、我々には神が繋いだ絆がある」

「兄上・・」

兄上の言葉を遮ろうとして言葉を発したが、僕は右腕を掴まれて黙り込んだ。ハルトムート兄上は僕の腕を掴んだまま、テーブルを避けて目の前に回り込むと左腕も掴む。

不意に、ハルトムート兄上が僕を胸の中に閉じ込める。僕は抵抗もできずに、兄上の胸に顔を埋める。

「実弟のホルガーは流行病で亡くなった」
「はい、兄上」
「私は弟の墓参りをするために教会に向かった」
「・・はい」

ハルトムート兄上の声が耳元で弾けて、僕の体を震わせた。甘く切ない声。

「そこで見た光景は・・私にとり奇跡だった。ホルガーの墓の前で、お前は美しい花束を抱えていたね。私が墓に近づくと、お前は軽く頭を下げて花束を差しだした。その瞬間、ハンスの姿にホルガーの姿が重なって見えた。私は不思議な感覚におそわれて涙を流していた」

「僕もよく憶えています・・兄上」

その時の光景が鮮やかによみがえる。墓地を常に美しく保ち、その場を訪れる人物に花を手渡す。それは、教会の孤児院に住む子供達の仕事だった。

「私は神の絆を感じた。そして、この機会を失うことは再び弟を喪うことに繋がると思った。ハンスは知らないだろうが・・あの教会では貴族相手に孤児を売っていたのだ」

その場で気に入られた子供は身請けされる。墓地が人身売買の見本市にされていたのだ。それを教えてくれたのは、幼馴染のニコラウス・ライスターだった。その時の僕は、ニコラウスの話を話半分に聞いていた。

「・・そうでしたか。僕は何も知らずにおりました。ハルトムート兄上は僕を魔の手から救ってくださったのですね」

「私もその魔の手の一員だがね。ハンスにはすでに貰い手があると聞き、私はハンスを養子にする為に少し強引な手法を使った」

出逢ったばかりのハルトムート兄上から養子縁組の申し入れがあり、当時の僕は人身売買の話は真実だったと理解した。でも、僕に他の貰い手の候補がいた事は今初めて知った。

「・・・」
「ハンス?」

「兄上以外に貰い手がいたとは意外です。ハルトムート兄上は僕を義弟として受け入れてくれました。ですが、教会で人身売買が横行していたなら・・僕のもう一人の貰い手は体目的だったに違いありません。でも、不感症のオメガなど手に入れても・・つまらないだけだと思って」

不意にハルトムート兄上に髪を撫でられた。優しい仕草に僕は思わず兄上を見上げる。

「人身売買の話などするのではなかった。それと、自分を貶める発言は慎みなさい。お前を大切に思う者を傷付ける行為だよ、ハンス」
 
「ごめんなさい、兄上」

「だが、ハンスが性的なハンデを背負っているのも事実だ。オメガ向きの職場はハンデを持つオメガを滅多に雇わない。イジメも横行していると聞く。だが、アルファと偽って生きる事は、王都であろうと身に危険が及ぶ。ハンス・・私の弟として、ボーリンガー侯爵家に一生を尽くしてはくれないか?領地運営を任せても良いと考えているが、どうだ?」

限界かもしれない。ハルトムート兄上に、この屋敷を出ないといけない理由をはっきりと伝えないと。このまま流されては駄目だ。お互いのために。

「僕は弟になりたいのではありません」
「・・?」

「兄上は分かっていない。僕は不感症オメガだけど、オメガ性には変わりないのです。いずれ、ハルトムート兄上は婚約者と婚姻なさるでしょ?僕は知っています。婚約者の方は僕の存在を気にされていると。その為に、兄上の婚姻が延期になったことも!」

僕は思いっきり兄上の胸を両手で押した。解けた腕の拘束から僕は逃げ出すと、部屋の出口に向かい駆け出す。扉の鍵は掛かっていない。

「ハンス!!」
「兄上は何もわかっていない!」
「何を言っているんだ、ハンス?」
  
このまま、部屋を飛び出して使用人の通路に向おう。階段を駆け下りてまっすぐ進めば屋敷の外に繋がる扉がある。この時間は扉に鍵は掛かっていない。

「ハルトムート兄上、僕は貴方の弟じゃなく伴侶になりたかった!だって、貴方はアルファで僕はオメガで、兄弟じゃなくて!」

「やめなさい、ハンス!」

やっぱり否定された。だから、今まで言えなかった。でも、もう決めたから。貴方の元を離れると。決めたのだから。

「僕は兄上にうなじを噛んでほしかった。不感症だから、番にはなれないけれど!それでも、ハルトムート兄上の一番になりたい。兄上が伴侶を迎えるなんて耐えられたい!だから、家を出る!」

「ハンス、待て!落ち着きなさい!」

兄上が僕の言葉に怯んだのは明らかだった。胸は痛いけどそれでいい。扉を開くとするりとすり抜け扉を閉めた。そして、一気に走り出す。

「兄上、兄上、あにうえ、ごめんなさい」

ニコラウス・ライスター。
幼馴染が僕の手紙を読んでくれたなら、きっと馬車で迎えに来てくれているはず。そう信じて進むしかない。

扉が開く音。
もっと早く走らないと。
この先に使用人の通路がある。
思ったより暗い。足元がよく見えない。
急がないと。
大丈夫。大丈夫。
階段をおりて、その先の扉を開けば外。

「あっ」

階段が見えない。足が床についてない。
回転してる。

「ハンス!」

落ちてる。

「あにうえ」

「ハンスーーーー!」

おちてる。
おちて、その先は床で‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。






◆◆◆◆◆◆


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