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弥太郎の想い

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◆◆◆◆◆

弥太郎は散花を抱きしめたい想いをぐっと堪える。同じく売られて陰間になり、弥太郎は共に苦難を乗り越えてきた。

ただ一度だけ、散花が陰間茶屋から逃げ出した事がある。泣きながら遊郭を出ようとして茶屋の男衆に捕まった。

その時の折檻ははげしく、散花は何故逃げ出したのかを白状した。

『兄を見かけて。迎えに来てくれたと思ったから。迎えに来てくれたって‥‥』

散花は錯乱したようにそう叫び気絶した。弥太郎は茶屋の主の言いつけで、散花の折檻される姿を見ていた。そして、散花を逃がすなと告げられる。

それからの弥太郎は散花を弟の様に扱った。逃げ出さないように‥離れていかないように、弥太郎は散花の前で兄として振る舞ってきた。

それ以来、散花はよく笑うようになった。店を逃げました時の事も、散花は弥太郎に詳しく語った。

『今思うとあれは兄ではなかったと思う。だって、兄が救いに来るなんてないもん。穀潰しの私を救いになんて来ない』

散花の言葉は弥太郎の胸も抉った。

弥太郎も親兄弟が金を携えて迎えに来るのではと、密かに思っていたからだ。だが、それはただの夢だと思い知らされて、散花の影で弥太郎は少し泣いた。

そんな幼い日々も過ぎて、弥太郎も散花も大人になった。そして、散花の前に兄が現れた。その男は裕福で散花を幸せにできる男。

それに比べてと、弥太郎は思う。蔦屋の回しとして金は稼いでいるが、到底桔梗屋の若旦那に敵うはずがない。

そして、弥太郎は思った。散花の兄の役目は終わりだと。こうして散花と弥太郎の絆は切れる。

「わかりました、若旦那様。私を弟にして下さい。私の兄さまになって下さい」

絆が切れる音を聞き、弥太郎は苦しく思う。それでも、弥太郎は散花の幸せを願う。

「承知した。ではこれからは兄上と呼びなさい、散花。散花の名はこのままで良いかい?」

「散花の名は気に入ってます。ぜひ散花と呼んで下さい、兄上」

散花の返事に満足した左衛門は、優しく微笑み弟に尋ねる。

「散花は私の水揚げ話を受け入れた。そう考えて良いね?」

「はい、兄上」

「‥‥お前を水揚げするとして、陰間をやめた後に散花は何をしたい?」

散花は少し迷った後にズズッと後退りする。そして弥太郎の横に並ぶと頭を下げて、願い出る。

「私は以前より『十九文屋』の商いに憧れていました。櫛や紅、鏡に剃刀、後は盃や筆と墨。陰間として良い品を扱う行商人の見極めもできると自負しております。どうか商いのためのお金を用立て願えないでしょうか、兄上?」

散花の言葉に左衛門は目を丸くするも、緩く笑って応えた。

「『十九文屋』とは面白い。初めての商売としては妥当だね。だが、露天商は駄目だよ。店を持って商いをしなさい。」

「ですが、それではお金が掛かりすぎます。返済を考えると露天商の方が」

散花の言葉に左衛門は急に不機嫌になる。そして、少し拗ねた口調で話し出す。

「弟の新たな旅立ちを兄は祝いたい。返済など口にするとは水臭い。だが、商売への口出しはさせてもらうよ。店に住居がついていると便利だね。」

楽しそうに語る左衛門に散花は戸惑い声を掛ける。

「あの‥‥兄上?」
 
「下女二人と飯炊き女、後は散花の身の回りの世話をする婆やも雇うとしよう。後は、用心棒も必要だな」

散花はあまりの好待遇に驚きつつも、最後の言葉に飛びついた。

「用心棒!あ、あの用心棒なら弥太郎さんがいいです!弥太郎さんは陰間上がりなのに腕っぷしには評判があります。桔梗屋の旦那様が蔦屋の陰間にオイタをした時には、旦那様の鼻をへし折りましたから!」

「うぉー!やめろ、散花!バラすんじゃねえ!大体、お前も旦那様の襟首掴んで啖呵を切ってたやろうが!」

弥太郎の必死の叫びが寝所に響き渡る。

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