上 下
3 / 13

第三話 誰かのベッド

しおりを挟む

◆◆◆◆◆


女性の甲高い話し声を耳にして、蒼は目を覚ました。蒼はうつらうつらしながら女性の声に耳を傾ける。

男子学生寮に住んでいるが、たまに女性の声で目覚める事がある。学生寮の決まりで女性を連れ込むことは禁止されている。だが、若い男ならリスクを犯しても女とやりたい時はある。

「喘ぎ声でないだけましだな」

そう呟いた蒼だが、違和感を覚えて周囲を見回した。そして、顔色を変えてベッドから起き上がる。そこは蒼の学生寮の自室ではなかった。

蒼が目を覚ましたのは、キングサイズのベッドの上。彼がいつも寝ているベッドとは、比較にならない上質なものだった。

「どこだ・・ここ?」

蒼は冷や汗をかきながらベッドから抜け出した。幸いなことに裸ではない。だが、衣服は乱れて寝汗もかいている。蒼はシャワーを浴びたいと思った。だが、今はそれどころではない。

広い寝室だが、それでもキングサイズのベッドの存在は際立っていた。そのベッドのシーツはあやしく乱れていて蒼を混乱させる。

「・・誰かと寝たとか?」

蒼は必死に昨晩のことを思い出そうとした。だが、記憶はにわかには浮上してこない。それでも、途切れ途切れの記憶の断片が、蒼の脳裏によみがえり始めた。

学友の池田に誘われ、二度ほど行ったことのある「Bar.カメリア」。同性愛者が集う場であったが、マスターの会話が巧みで客を楽しい気分にさせる良い雰囲気の店だ。昨夜は気晴らしの為に、蒼は一人で「Bar.カメリア」を訪れた。

だが、残念な事に店名はそのままに、オーナーが変わってしまっていた。マスターも別人で、「Bar.カメリア」の穏やかな雰囲気はなかった。残念に思いながら蒼がお酒を飲んでいると、複数の男に声を掛けられる事になった。

そのうちの一人と会話がはずみ、蒼はお酒を一緒に飲んだ。ほどなくして、蒼は泥酔して男と共に店を出ることになる。その後の記憶は曖昧で、男の顔もすっぽりと蒼の記憶から抜け落ちていた。

「記憶をなくすほど酒を飲んだかな?まあ、泥酔してるし飲んだんだろうな。たしか、男にタクシーに押し込まれたような?」

蒼にはそれ以降の記憶が全くない。だが、思い出した記憶を繋ぎ合わせると、どうやら見知らぬ男の家に連れ込まれたらしい。蒼はそう結論付けた。深いため息をついた蒼は、ベッドの縁に腰を下ろして頭を抱える。

「まじかよ、これ?池田に別れを切り出した次の日に、見知らぬ男のベッドで目覚めるって・・節操なさすぎだろ。いや、体に違和感を感じないってことは、何もされてないってことか?まさか、俺が相手を掘っちゃったとか?」

蒼には抱かれた経験はあるが、男を抱いた経験はない。池田が初めての男で、彼以外の男性と関係を持ったことはない。だが、蒼は泥酔していた。剥き出しの本能が、蒼をタチとして目覚めさせた可能性はある。

「大体、池田と別れたばかりなのに。あいつとの思い出の店に行くとか・・おかしいよな」

蒼はふと思った。

別れを切り出し、池田から逃げ出したのは蒼の方だ。だが、本当は池田に見つけ出してもらいたかったのではないのか?「Bar.カメリア」で彼と再会し、復縁する機会を得ようとしていたのだろうか?

蒼のそんな思考の渦を中断させたのは、寝室の扉から漏れ聞こえる女性の声だった。

流星りゅうせい先生、確かに原稿をお預かりいたしました。お疲れのところを申し訳ないのですが、次回作についての打ち合わせをさせてもらってもよろしいですか?」

「ああ、構わないよ」

「先日からお願いしていますように・・先生にもそろそろ、ハードな凌辱ものか、調教ものに手を伸ばしていただきたいのですが?」

「ちょっと待って!その件は一度断ったはずだけど。ハード系なのはちょっと心理的に抵抗があって。それに、俺の作風と違うからファンが離れるんじゃないかな?」

「そんな事はありません!先生が以前に一度だけ書かれたハード系のBL小説は重版が掛かりました。今では、流星先生の代表作の一つになっています!」

「うーん。そう言われると否定できないけど。基本的には和姦が好きなんだよね・・俺は」

「先生!!凌辱を乗り越えての和姦に萌える女も沢山います。因みに、私はそちら方面が大好物ですのでアドバイスも可能です!」

「いや、担当さん。そう興奮しないでくれる?そうですね・・わかりました。検討しておきます。じゃあ、俺はコーヒーを入れるから寛いでいて」

「あ、先生。お構いなくーー」

なんだこの会話は??

いつの間にか扉に耳を押し当て、蒼は会話を盗み聞きしていた。一瞬、男女の痴話げんかのように聞こえた。だが、違ったらしい。どうやら、二人は仕事関係の間柄らしい。しかし、蒼には彼らがどんな仕事についているのか、見当もつかなかった。

『凌辱』や『調教』といった刺激的な言葉が、蒼の体を火照らせる。だが、次の瞬間には蒼の顔色は青ざめていた。

「そうだ、流星先生。BL界の大御所の一華いちか先生から、キングサイズのベッドをもらったって本当ですか?お気に入りの作家さんに、一華先生が迷惑なプレゼントを贈るのは有名な話なんですよね」

「迷惑ではないが、厄介なデカさだった」

「キングサイズのベッドですものね!編集部でも話題になっていて、一目見て来いって先輩編集者に言われてるんですよ。実物を見させてもらいますね。あ、ここが寝室ですよね!」

「うわぁ、ちょっとまって!!」

男の制止を気にすることなく、女はいきなり寝室の引き戸を開く。寝室の扉にくっついて男女の会話を盗み聞きしていた蒼は、必然的にリビングに転がりだすことになった。

「あら・・」

長髪の女性は寝室から転がり出てきた蒼を見て、『あら・・』と言ったきり黙り込んでしまった。蒼の乱れた着衣に気がついた彼女は、キッチンで固まっている男に視線を向けた。そして、含み笑いを浮かべつつ言葉を発する。

「先生が素敵なBL小説を書ける秘密がわかりましたわ。こんなに綺麗な彼氏さんがいらっしゃるなんて、隅におけないわ。ふふふっ」

「勘違いしないでくれ。そいつは俺の親友だ!」

その男の声に聞き覚えがあり、蒼は思わず視線をキッチンに向けた。そして、眼を見開き叫んでいた。

「直人!?」
「ようやく目が覚めたか、蒼」

柏木は蒼に向けて、ちょっと手を上げて挨拶した。蒼はそんな彼を見たまま爆弾発言をした。

「俺を酔わせて部屋に連れ込んだのって・・お前だったのか、直人?」

蒼の言葉に目を丸くした柏木は、次に顔をしかめて口を開いた。

「俺はお前を救ったヒーローのつもりだったんだけどな、蒼?」

男同士のリアル痴話げんかが始まりそうな予感に、女編集者は顔をにやけさせた。だが、流星先生こと柏木に促されて、渋々原稿をもって部屋を後にする。

柏木は蒼と二人きりになると、彼のためにコーヒーを入れた。そして、昨夜の顛末を蒼に説明することになった。


◆◆◆◆◆
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あと少しで届くのに……好き

アキノナツ
ライト文芸
【1話完結の読み切り短編集】 極々短い(千字に満たない)シチュエーション集のような短編集です。 恋愛未満(?)のドキドキ、甘酸っぱい、モジモジを色々詰め合わせてみました。 ガールでもボーイでもはたまた人外(?)、もふもふなど色々と取れる曖昧な恋愛シチュエーション。。。 雰囲気をお楽しみ下さい。 1話完結。更新は不定期。登録しておくと安心ですよ(๑╹ω╹๑ ) 注意》各話独立なので、固定カップルのお話ではありませんm(_ _)m

峽(はざま)

黒蝶
ライト文芸
私には、誰にも言えない秘密がある。 どうなるのかなんて分からない。 そんな私の日常の物語。 ※病気に偏見をお持ちの方は読まないでください。 ※症状はあくまで一例です。 ※『*』の印がある話は若干の吸血表現があります。 ※読んだあと体調が悪くなられても責任は負いかねます。 自己責任でお読みください。

かあさん、東京は怖いところです。

木村
ライト文芸
 桜川朱莉(さくらがわ あかり)は高校入学のために単身上京し、今まで一度も会ったことのないおじさん、五言時絶海(ごごんじ ぜっかい)の家に居候することになる。しかしそこで彼が五言時組の組長だったことや、桜川家は警察一族(影では桜川組と呼ばれるほどの武闘派揃い)と知る。 「知らないわよ、そんなの!」  東京を舞台に佐渡島出身の女子高生があれやこれやする青春コメディー。

それでも日は昇る

阿部梅吉
ライト文芸
目つきが悪く、高校に入ってから友人もできずに本ばかり読んですごしていた「日向」はある日、クラスの優等生にとある原稿用紙を渡される。それは同年代の「鈴木」が書いた、一冊の小説だった。物語を読むとは何か、物語を書くとは何か、物語とは何か、全ての物語が好きな人に捧げる文芸部エンタメ小説。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

恋人に捨てられた私のそれから

能登原あめ
恋愛
* R15、シリアスです。センシティブな内容を含みますのでタグにご注意下さい。  伯爵令嬢のカトリオーナは、恋人ジョン・ジョーに子どもを授かったことを伝えた。  婚約はしていなかったけど、もうすぐ女学校も卒業。  恋人は年上で貿易会社の社長をしていて、このまま結婚するものだと思っていたから。 「俺の子のはずはない」  恋人はとても冷たい眼差しを向けてくる。 「ジョン・ジョー、信じて。あなたの子なの」  だけどカトリオーナは捨てられた――。 * およそ8話程度 * Canva様で作成した表紙を使用しております。 * コメント欄のネタバレ配慮してませんので、お気をつけください。 * 別名義で投稿したお話の加筆修正版です。

葵の心

多谷昇太
ライト文芸
「あをによし奈良の都に初袖のみやこ乙女らはなやぎ行けり」これはン十年前に筆者が奈良地方を正月に旅した折りに詠んだ和歌です。一般に我々東京者の目から見れば関西地方の人々は概して明るく社交的で、他人と語らうにも気安く見えます。奈良の法隆寺で見た初詣の〝みやこ乙女たち〟の振袖姿の美しさとも相俟って、往時の正月旅行が今も鮮明に印象に残っています。これに彼の著名な仏像写真家である入江泰吉のプロフィールを重ねて思い立ったのがこの作品です。戦争によって精神の失調を覚えていた入江は、自分のふるさとである奈良県は斑鳩の里へ目を向けることで(写真に撮ることで)自らを回復させます。そこにいわば西方浄土のやすらぎを見入出したわけですが、私は敢てここに〝みやこ乙女〟を入れてみました。人が失調するのも多分に人間によってですが(例えばその愚挙の最たる戦争とかによって)、それならば回復するにもやはり人間によってなされなければならないと考えます。葵の花言葉を体現したようなヒロイン和泉と、だらしなくも見っともない(?)根暗の青年である入江向一の恋愛模様をご鑑賞ください。 ※表紙の絵はイラストレーター〝こたかん〟さんにわざわざ描いてもらったものです。どうぞお見知りおきください。

パスタの美味しいレストラン(イケメン)オーナーの日常

みちまさ
ライト文芸
パスタの美味しいレストランのオーナー、朝倉ジン。後輩のミュージシャンだった寺道ユウヤをシェフに据え、二店舗目を展開している。アルバイトの竹中君数名に加え、パートの伊藤アキを雇った。伊藤さんはとても仕事ができるので助かっているけれど、そんな時に店の中でトラブルが、、、! レストランでの人間模様や、スタッフの織り成す人間関係を切り取った一コマ。 今までシリーズで出て来た登場人物たちがちらほらと出演します。 *「君への嘘を、僕への嘘を」「となりの窓の灯り」、「空白の7階、もっと空っぽなその上の階」「何様だって言ってやる」「真面目な警察官は、やっぱり真面目に恋をする」と同じ世界線のお話です。 今回のお話でシリーズ終了となります。続けて読んで頂きましてありがとうございました! 同じ時を生きているけれど、同じではない。それぞれの人生が少しずつ絡まっている様子をお楽しみください。

処理中です...