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天下人への道
疑惑
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岐阜城、信長の部屋
「そう言えば今更なんですけど、光秀さんって今何処にいるんですか?京都ですか?それともまた義昭の見張り、とか……」
蘭が聞き辛そうにそう言うと、信長は寝転んだままふっと息を吐いた。
「あぁ。あいつは坂本にいる。そこに城を築かせて城主として置かせた。妻も子も呼び寄せて、何年か振りに家族水入らずで暮らしているさ。」
「坂本……ですか。」
坂本と言えば可成が討死した場所だ。蘭は複雑な気持ちになりながらも、光秀が家族一緒に暮らしていると聞いて一安心した。ずっと一人で京都で義昭の護衛を任されていた光秀は月に一度の休みにしか家族に会えなかったのだ。いくら意に沿わない結婚だったとは言え、子どもは可愛いだろう。笑顔で過ごしている光秀を想像して蘭は微笑んだ。
「信長様、失礼します。」
その時、音もなく秀吉が障子の向こうに現れた。信長は緩慢な動きで起き上がりながら返事をした。
「入れ。」
「はい。」
素早く入ってくるとその場に膝をつく。
「ご報告があります。堀城とその周辺の城が摂津の池田、讃岐の十河、そして雑賀衆の奴らに攻め落とされました。」
「何っ!?それで昭元は?」
「細川殿は逃げて、今は槇島城の跡地に建てた砦に身を寄せているそうです。」
「そうか……」
信長はホッとしたように溜め息をついた。
「あの信長様。堀城って?」
「幕府の管領、そして細川京兆家出身の細川昭元の居城だ。父親が死んだ後三好の連中から名目上の管領として扱われていたが、俺が三好とその関係者を全員亡き者にした時にあいつだけは許してやったのさ。」
「どうしてですか?」
「もちろん奴が京兆家当主だったからだ。あそこは名門だからな。頼りの三好を失って俺からも殺されると思って絶望していたあいつに、俺は言った。俺の妹をやるから配下になれとな。あいつは青い顔をしながら何度も頷いたよ。命が助かる為なら何でもするとな。それで堀城を与えたのだ。」
「でもその堀城が落とされたって……」
「サル。詳しく話せ。」
「はい。突然の事だったようです。夕べ、池田らの兵が押し寄せてきてほとんどの者が討死したと。先程も言いましたが細川殿は数人の家臣と共に槇島城の跡地に逃げて、籠城している模様です。」
「そうか。それで?」
「それに加えて高屋城の遊佐や本願寺の門徒も挙兵したそうで、こちらは高屋城に立て籠もって機会を窺っているとの事です。」
「また本願寺……」
蘭が呟くと、信長は小さく舌打ちした。
「もっと早く潰しておけば良かったな。坊主は坊主らしく、黙って経でも読んでおけばいいものを。」
「如何致しますか。このままでは細川殿は長くはもたないでしょうし、高屋城にいる者達もいつ動くかわかりません。」
「そうだな……」
しばらく顎に手を当てて考えていた信長だったが、パッと顔を上げると言った。
「よし、援軍を送ろう。光秀に連絡だ。」
―――
槇島城跡地、槇島砦
「昭元様、信長様からの援軍が来るそうです。これでまずは安心ですね。」
「そうですね。でもいつ追撃されるかわかりませんから油断は出来ないですよ。援軍が来るまで何とか持ち堪えないと。」
そう言うと、昭元は注意深く閉まったままの障子越しに外の方を窺った。
細川昭元。室町幕府管領、及び細川京兆家に生まれ、一時は三好の人質になったりもしたが今は織田信長の配下となっている。信長の妹を娶り、信長の義弟として厚遇されていた。しかし今は池田や遊佐らに狙われている身。信長はすぐに援軍を寄越すであろうが、その間に襲われでもしたら武装もしていない自分はあっという間に殺されてしまうだろう。逃げ出す時に残してきた多くの家来達の事を思い、昭元は静かに目を伏せた。
「とにかく今は待つしかない。早く援軍が来る事を祈りましょう。」
昭元は半ば諦めたようにそう言った。
―――
「昭元様。ただ今着きました。」
「ご苦労様です。お早いお着きで一安心しました。本当にありがとうございます。」
「信長様に言われましたので。着の身着のままで逃げて行っただろうから早く行ってあげろと。今日まで何もなくて良かったです。」
光秀が頭を下げると、昭元は慌てて手を振った。
「頭を上げて下さい。信長様の家来としては貴方よりもずっと日が浅いのですから。」
「いえ。いくら信長様の配下となっても細川京兆家の当主である事には変わりはないのですから。」
頑なに頭を上げない光秀に困りながら、昭元は苦笑した。
「高屋城の方はどうですか?確か本願寺の門徒も一緒に立て籠もっているのでしょう?」
「はい。あちらには柴田殿が行っているのですが、まだ連絡はありません。」
「確か怪我をしたと聞きましたが、大丈夫なのですか?」
「軽い怪我で済んだそうです。越後に戻った途端に呼び戻されて彼も大変でしょうね。」
「そうですね。」
光秀が短く笑う。それにつられて昭元も顔を綻ばせた。
「昭元様!大変でございます!」
丁度その時、昭元の家来が血相を変えて飛び込んできた。それを見た二人は驚いて顔を見合わせた。
「一体何事です?」
「今柴田様からの使者がいらっしゃって……高屋城が突然炎に包まれたそうです!」
「何ですって!?」
光秀が思わずといった感じで立ち上がる。昭元も口を開けて家来の顔を凝視した。
「何処かから爆発音がしたと思ったら火が城を覆いつくして、あっという間に燃え広がったそうです。柴田様の軍はすぐに撤退して巻き込まれる事はなかったようですが高屋城は今も燃え続けてこのままでは全焼するかと……」
「……まただ。」
「え?」
光秀がぼそりと呟く。昭元が聞き返したが光秀は一点を見つめたまま動かなくなった。
「また火事が……」
この砦の前に建っていた槇島城が燃えているところを目の当たりにしていた光秀は、その時の事を思い出して体が震えた。こんな偶然があるだろうか。自分達が戦を始めようとすると決まって火事が起こる。一乗谷城と小谷城もそうだ。それに上京と下京が火の海になった事も未だに原因がわかっていない。一連の事と関係があるのではと疑ってしまうのは当然だった。信長は火を点けたのは自分ではないと言った。それでは一体誰が……?
光秀は頭をフル回転させながら、これからどうするべきかを考えていた。
―――
結局高屋城は全焼し、焼け跡から遊佐家の当主である遊佐信教とその家来、そして当時そこにいた本願寺の門徒全員の死体が発見された。
永禄12年(1569年)8月の事だった。
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