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天下人への道
聞きたかった事
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大河内城、大広間
「いや~面目ない。俺としたことがすっかり油断しちまって。」
そう言って勝家は頭をかいた。
「それで?大丈夫なんですか、怪我の方は……」
「あぁ、問題ない。ただのかすり傷だ。」
勝家は豪快に笑いながら包帯が巻かれている左腕をポンと叩いた。
蘭は安堵の息を吐く。
大河内城の大広間には、勝家を囲むように信長と信雄、蘭と蝶子と秀吉がいた。
勝家が長島城からの道中に本願寺の門徒と思われる兵らに囲まれて怪我をしたと聞いた時は冷や汗をかいたが、こうしてピンピンしている姿を目の当たりにして全員が安心したところであった。
「だが怪我を負いながらもその奴らを残らず返り討ちにしたのはお手柄だったな。一人でも取り逃がしていたら、自爆覚悟でここに乗り込まれていたかもしれん。良くやった。」
信長の静かな声に勝家が照れたように笑った。でも一瞬でその笑みを消して身を乗り出す。
「それにしてもあの光景はとても異常でした。長島城を燃やしている炎が生き物のようにうねっていて、まるで意志があるようでした。火事など見慣れているはずなのに恐怖を覚えましたよ。ずっと見ていたらこちらの方までその矛先が向かってくるようで……」
勝家はそう言うと、ぶるっと体を震わせた。
「どういう事なのでしょう?父上は誰かが放火したのではと言っていましたが。」
信雄が信長の方を窺う。信長はしばらく黙っていたが帯から扇子を抜くと言った。
「とにかく今回の一揆は向こう側の壊滅で幕を閉じた。今後は当初からの計画通り、伊勢の攻略に取りかかるぞ。信雄、いいな。」
「……はい。」
信長の鋭い目に射抜かれた信雄は一瞬動きを止めたが、次の瞬間には顔を引き締めて頷いた。
蘭はそんな信雄を心配そうな顔で見つめていた。
―――
蝶子にあてがわれた部屋に蘭と蝶子が帰ってくると、道中ずっと黙ったままの蘭が突然意を決したように顔を上げた。
「俺、一回信雄君と話してくるよ。」
「えぇ?今から?」
「うん。何か早い方がいい気がして。」
「そう。わかった。じゃ、行ってらっしゃい。私もう寝るから。」
「あぁ。行ってくる。」
眠そうに目を擦りながら手を振る蝶子を後に残して、蘭は信雄の部屋に向かった。
―――
信雄の部屋
蘭は逸る心臓を落ち着かせながら、目の前の障子越しに中に向かって話しかけた。
「信雄君?俺だけどちょっといい?」
「蘭丸君?いいよ、どうぞ。」
開けると寝巻に着替えて今にも布団に入ろうとしている信雄と目が合った。
「あ、ごめん。寝るとこだったよね。こんな時間にホントごめん。ちょっと話があって……」
「別に構わないよ。どうせ今夜は中々寝付けそうになかったから。それに僕も蘭丸君とは一度ゆっくり話がしたかったし、好都合だ。」
そう言うと布団を畳んで脇に寄せる。空いたスペースに蘭を座らせると、正面に静かに正座した。
「で?話って?」
「あぁ、うん……」
「?」
言い淀む蘭に首を傾げる信雄。少しの間自分の中で葛藤していたが、やがて顔を上げると蘭は言った。
「あのさ、信雄君って信長様の力の事知ってるの?」
「力?……あぁ、『心眼』の事だね。昔、まだここに来る前の子どもの頃に聞かされたよ。」
「あ、そうなんだ……」
あっさり認められて気が抜ける。信雄はそんな蘭に笑いながら続けた。
「厳密に言えば僕が父上の長男という事になるらしくて、織田の家に代々受け継がれてきたその力が僕に出るのではないかと随分心配していたようだった。でも僕は側室である母上の子として生まれてきたし、信忠君というれっきとした後継ぎがいるという事で神様は僕にはその力を授ける事はしなかったらしい。お陰でこの北畠家に養子に入れたのだけどね。」
「そっか……本当なら君が信長様の長男なんだよな。」
「父上は本当に『心眼』の力が憎かった。だから僕が普通の人間だって知って心から安心したようだったよ。自分の代で忌まわしい力から解放されるって言ってた。」
「そう……」
(信雄君に力が受け継がれていない事実を知って、信長は本当の意味で救われたんだな……)
「話ってそれだけ?」
「あ、えっと……あともう一つだけ。」
「何?」
「ここに養子に来てもうすぐ家督を継ぐんだよね?」
「そうだよ。」
「北畠の娘さんと婚約もしたんだよね?」
「あぁ。」
「それでも……いざとなったら裏切るの?」
「……」
恐る恐る出した言葉に、信雄の瞳が少し細くなる。蘭は怯んだが負けずに見つめ返すと言った。
「俺だったら、そんな簡単に割り切れないなって思ってさ。」
「……僕が生まれてきた意味は、最初から分かってた事さ。何処かの家に養子に行って父上の為に己の力を尽くす事。父上が裏切れと言えば何の迷いもなくそうする。それが僕の存在意義だ。」
「そこに君の意志はないの?」
「ない。」
きっぱりそう言い切る信雄に、蘭は顔を歪めた。
「きっと信孝もそう思ってる。僕達兄弟は、そうやってこれまで生きてきたのさ。だから北畠に来てから誰も信じないようにしてきたし、誰にも隙を見せないようにしてきた。気を許せる相手はごくわずか。一緒にここに来た側近の家来。それとこちらに来てから懐柔した北畠の人間。親となったあの人にもあの人の娘にも、何の感情も持っていない。……持ってはいけない。」
最後の一言は小声だったけど、蘭の耳には信雄の本音として聞こえた。
「そう……」
「あ、でも僕の事を可哀想だとか思わないでくれよ。これでも充実した日々を送っている。強くなる為に稽古をしている間は何も考えなくて済むし、体が疲れれば鉛のように眠るだけ。辛いとか悲しいとか余計な感情は一切ないから。」
そう言い切る信雄の顔は本当にそう思って疑っていない表情で、逆に蘭の心が強く痛んだ。
「信雄君の気持ち、よくわかった。こうしてちゃんと話せて良かったよ。」
「僕の方こそ、自分の考えを誰かに話したのって初めてだからすっきりした気持ちになった。ありがとう。」
「いや、俺は別に……聞きたかった事を聞いただけだから。」
「信孝とも話して欲しいな。あいつは僕と違って感情型だからこうして静かに話せるとは思えないけどね。」
「どこか信長様に似てるもんね。」
「あはは。」
愉快気に笑う信雄は、年相応に見えた。
「じゃあ、俺はこれで帰るよ。遅くまで突き合わせて悪かったな。」
立ち上がりながら言うと、信雄は首を横に振って微笑んだ。その表情はたまに見せる信長の優しい顔によく似ていた。
「あ、そうだ。蘭丸君。」
「ん?」
「僕の『のぶかつ』って名前の由来。知ってる?」
「え……」
部屋から出ようとしていた蘭にかけられた思いもよらない問。戸惑いながら振り返ると、にっこり笑った信雄がそこにいた。
「父上の弟という人の名前と同じだって聞いた。蘭丸君、会った事ある?」
「うん……一度だけ。」
その時の事を思い出して目を逸らす。初めてあの山で会った時に見た信勝の姿。まだ自分と同じくらいの年だった。やんちゃそうな瞳が信長に似ていた。兄は自分の事を嫌いだと言ったその淋しそうな背中が瞼の裏に蘇る。
本当は兄に甘えたり兄弟らしい事もしたかっただろうに、こんな時代に生まれたというだけで悲しい最期を遂げた信勝。でも信長は言った。納得して逝ったのだと。
「大切なその名前を僕につけてくれて、僕は本当に誇らしい。だからその人が出来なかった事を父上にしてやりたい。そう思っている。」
そう力強く言い切った信雄の姿が、あの日の背中と被って見えた。
(あぁ、もしかしたらこの人は……)
彼の……生まれ変わりなのかも知れないと、そう思った蘭だった。
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