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包囲網を突破せよ
しばしの別れ
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「お嬢様……」
「……イチ。」
蝶子はそう呟いたきり、畳の上に座り込んだ。
茶々に連れられて市の部屋に辿り着いた蘭と蝶子は、失礼だとは思ったが有無を言わせずに市にモニターを持たせた。すると一瞬のうちにイチの顔が映ったという訳だった。背景は懐かしい実験室で、奥には父親の康三の姿も見える。蝶子は涙を浮かべながらイチに話しかけた。
「……元気だった?」
「えぇ。でもやはりお嬢様がいなくて淋しかったです。旦那様も口には出しませんが心配してらっしゃいました。実験も思うように進まなくて……」
「余計な事を言うな。実験はたまたまうまくいかないだけで別にお前がいないからだとかそういう訳ではないぞ。」
イチの言葉を遮って康三がぶっきらぼうに言う。その言い方に蝶子は思わず微笑んだ。
「まったく素直じゃないんだから。私がいなくて淋しくて淋しくて夜も眠れないんだ、くらい言えないの?」
「うるさい!」
いつもの口調で蝶子がからかうと、康三は椅子から立ち上がって真っ赤な顔で怒鳴った。隣で聞いていた蘭と市が顔を見合わせてくすっと笑う。
「ところでおやっさん。俺達がこっちに来てから何年が経った?明らかに俺らだけ年を取るのが遅い気がするんだ。見た目もそんなに変わってないし。十年以上は経っているはずなんだけど。」
「十年以上だと?まだ六年しか経っていないが。」
「六年!?じゃあ約半分か……」
「ねぇ、父さん。大学の方はどうなってる?一応休学扱いにはなっているんだよね?」
「あぁ。本当は四年経った時点で退学処分にするという事になったんだが、わしが掛け合ってあと二年伸ばしてもらったんだ。しかしそれも今年いっぱい。あとは厳しいな。」
「そう……せっかく入ったのに残念だけど、卒業は諦めるしかないわね。今すぐに帰れる訳じゃないし、帰れたとしても私達には役目があるから。それを放って帰っちゃったら私は絶対に後悔する。だからもっと心配かけるかも知れないけど帰るのはまだまだ先ね。まぁ、そもそも帰る手段が今はまだないんだけどね。」
「タイムマシンはどうなった?急に連絡が取れなくなったからちゃんと組み立てられたか気になっていたんだ。どうせお前の腕では上手くいかなかったんだろう?」
「失礼ね!一応形にはなったわよ。でも市さんが結婚して遠い所に行っちゃったから連絡が取れなくなったの。でも色々事情があって市さんが戻って来てくれたからこうして話せている訳。」
「なるほど。それでタイムマシンは何処だ?」
「清洲城から岐阜城に移った時に一緒に運んだけど、あれ?どこに置いたっけ?」
蝶子が惚けた顔で蘭を振り向いた。蘭は溜め息をつきながら言った。
「離れだよ。勝家さんから手伝ってもらったじゃんか。」
「あぁ、そうだった。でも今は私、宇佐山城ってところにいるの。う~ん……どうしよっか?こうやって未来と繋がる事が出来て父さんからタイムマシンについてアドバイスとかもらえるかも知れないのに、近くにないんじゃね。急ぎはしないけどいつかは帰るつもりなんだから、今から少しずつ完成に向けて動きたいっていうのもぶっちゃけ本音っていうか。」
「それなら心配無用です。お兄様から言われておりました。近々岐阜城の近くにある弟の信包の居城に移れと。それと同時期に帰蝶様も岐阜城にお戻りになればいいのではないでしょうか。未来と連絡を取りたい時はいつでも出向きますので遠慮なく申し付けて下さい。」
「え、でも……」
市の言葉に蝶子が戸惑う。目がキョロキョロと泳ぎ、最後には困った顔で蘭に助けを求めた。
「長可の事なら大丈夫です、帰蝶様。これまで色々と育児について教えて頂いて本当にありがとうございました。これからは私一人でもやっていけます。ですから何も気にせずに岐阜城に戻って下さい。お二人の今後に関わる大事な事なのですよね?」
「えいさん……」
いつの間にいたのか、えいが廊下にいてにこやかに微笑んでいた。静かに入ってくると市の隣に腰を下ろす。
「申し訳ありません。全部聞いてしまいました。お茶を持ってきたのですが何だか込み入ったお話が始まったので、出るに出られず……」
申し話なさそうに頭を下げるえい。蘭がちらっと廊下を見ると、三人分のお茶がまだ湯気を立てていた。
「いえ、いいんですよ。気にしないで下さい。でも……本当にいいんですか?私が岐阜城に行っても。」
「はい。私もいつまでも帰蝶様に甘えてばかりはいられないので、一人立ちさせて下さい。ねねさんもきっと喜んで送り出してくれると思いますよ。」
「……ねねちゃん、許してくれるかな。」
「えぇ、きっと大丈夫です。それにいつでも帰って来て下さい。信忠様もいる事ですし、信長様も帰蝶様が戻りたいと仰れば行ってもいいと言って下さいますよ。」
えいが力強く言うと、ようやく蝶子も笑顔を見せた。
「わかりました。岐阜城に戻ります。でも毎日タイムマシンにかまけている訳にもいかないから頻繁に帰ってきちゃうかもだけどね。市さんには今まで以上にお世話になりますが、なるべく無理をかけないようにしますので宜しくお願いします。」
「はい。任せて下さい。」
市が微笑むとその場にいた一同が揃って溜め息をついた。
「という事は無事にタイムマシンの実験を進める事が出来るって事だな。そうと決まれば話は早い。早速岐阜城とやらへ戻ってそのタイムマシンをわしに見せろ。全貌がどうなっているか気になって仕方がない。」
そこへ康三が空気の読めない発言をする。次の瞬間蝶子の睨みが炸裂した。
「今いいとこなのに邪魔しないでよ!まったく……空気が読めないんだから。」
「ふん!」
子どものようにそっぽを向いてむくれる康三に、市もえいも苦笑する。蘭は何故だか恥ずかしくなって顔が熱くなった。
「そろそろこの辺でお終いに致しましょうか。市さんの顔色が悪いようなので。」
イチが控え目に言うと、蝶子が慌てて市の方を見る。確かに少し顔が青いようだ。
「ごめんなさい!久しぶりなのにこんなに長い間力を使わせて……もう話したい事は話せたから今日はこれで終わりにしよう。イチ、今度連絡する時は岐阜城に戻ってからにするから。父さんもいいよね?」
「……あぁ。」
「ではお嬢様、蘭さま。そして市さん、えいさんも。これで失礼します。」
「またね、イチ。」
蝶子が手を振るとイチも小さく振り返してくれる。そして次の瞬間には画面が真っ暗になって連絡は途絶えた。
「ふぅ~……」
市が深く息を吐く。それに対して蝶子が焦ったように言った。
「本当にごめんなさい。でもお陰でイチと父さんと久しぶりに話す事が出来て良かった。ありがとうございました。」
「わたしに出来る事はこれしかありませんから。」
「いいえ。私達にとって市さんの存在は本当に大きくて頼もしいんです。貴女がいなかったら途方に暮れてた。本当に本当に感謝しています。」
蝶子に頭を下げられて、市はくすぐったそうに肩を竦めた。
「わたしが誰かの役に立つなんて思ってもみなかったです。良い事ばかりではなかったですけど、この力を持って生まれた事を誇りに思います。」
弾けたような市の笑顔を見て、蝶子と蘭も顔を綻ばせた。
「じゃあ私達は部屋に帰りますね。荷造りをしないといけないから。」
蝶子がそう言いながら立ち上がる。それを見た蘭も立ち上がった。えいはすっと立つと、無言で一礼して廊下に置いてあったお茶のセットを持って市の部屋を出て行った。その後を蝶子と蘭が続く。
「じゃあね、茶々ちゃん。今日はありがとう。」
蝶子が出て行きざまに部屋の隅に正座して大人しくしていた茶々の頭を撫でる。茶々は目を瞑るとにこりと口だけで笑った。
「さてと、行くか。」
蘭が先を歩きながら言うと、蝶子が不意に立ち止まる。怪訝に思って蘭が振り向くと蝶子は遠くを見つめていた。
「どうした?」
「……ううん。ただちょっと感慨にふけってただけよ。長可ちゃんのお世話とえいさんとねねちゃんとガールズトークするのが私の日課だったから、タイムマシンの為とはいえ何だか淋しいなって思っちゃう自分がいるだけ。」
蝶子は淋しそうに微笑むと蘭の脇をすり抜けて廊下を歩いて行った。
―――
そしてそれから一週間後、蝶子は迎えに来た蘭と一緒に宇佐山城から岐阜城へ戻った。同じ日、市は同じく迎えに来た勝家と共に信包が住む城へと向かった。
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