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包囲網を突破せよ

雨の中での決断

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―――

 宇佐山城、蝶子の部屋


「大丈夫かな~ちゃんと上手くやってるといいけど……」
「そう心配しなくてもきっと大丈夫ですよ、蘭丸さんなら。」
「え……」

でかい一人言を聞かれて、蝶子は慌てて振り向いた。そこには可成の妻のえいがにこにこ笑いながら立っていた。


「ちょっと何言ってるんですか、えいさん!あいつの事なんてこれぽっちも心配してませんよ!きーちゃんの事です!!」
「あら、そうでしたか。信忠様も大丈夫ですよ。信長様がついておられるのですから。」
「うん……今はあいつだけが頼りですもんね。」

 そう言うと、蝶子はため息をついた。


 織田軍が出立してから一週間が過ぎていた。その間何も音沙汰がなく、蝶子の心中は段々穏やかでなくなっていた。しかし便りがないという事は少なくても最悪の状態ではないのだと、自分を納得させる毎日を送っていた。



「帰蝶様と蘭丸さんは幼い頃からのお付き合いなのですよね?」
「え?どうしてそれを……」
「帰蝶様と蘭丸さんは遠い世界からきたのだと、信長様が教えて下さいました。申し訳ありません。」
「い、いえ……別に私達だって好きで隠してた訳じゃないので。謝らないで下さい。」

 正座をして深く頭を下げるえいに慌てて手を横に振る。えいはそっと顔を上げると儚げに笑った。


「蘭とは家が隣同士で、生まれた時からずっと一緒だった。喧嘩は日常茶飯事だったけど次に会う時はいつも通りに笑えた。当たり前に側にいたんです。そしてずっと変わらないと思ってた……」
「帰蝶様……」
「なぁ~んて、そんなに深刻な話でもないんですけどね。」

 えいの困った顔を見て、蝶子が明るい声を出す。それでもえいは表情を崩さなかった。


「すみません……何でこんな話しちゃったんだろ。」


(こんな話、市さんにもした事なかったのに……やっぱり弱気になってるのかな、私……)

 蝶子が俯きかけた時、えいが突然話し出した。


「わたしは旦那様と一緒にいられた時間が短かったですけれど、その短い中でもお互いを想っていたと感じた瞬間が確かにありました。帰蝶様方にはまだその瞬間が訪れていないだけかも知れません。」
「……どうですかね。私はもう手後れなんじゃないかって思ってしまいます。」
「そんな事は……」
「だって私は織田信長の妻で、しかもその子どもを一人育てた母親。ここに来る前のような純粋な気持ちはもう持ってない。もちろん蘭の事は大好きだけど、想いを伝える気はないし。大体向こうも私の事なんか眼中にないでしょう。」

 精一杯の笑顔でそう言うと、複雑な顔をしたもののえいは素直に頷いた。


「そろそろ夕餉の時間ですね。」
「ホントだ。じゃあ私は長可ちゃんを見てくるから、準備お願いします。」
「はい。」

 えいが静かに部屋を出て行くと、蝶子はほっとため息を吐く。そして寝ている長可の様子を見に隣の部屋に入っていった。



―――

 朝倉軍、本陣


「やはり上杉殿は動かない、か。」

 義景は越後からの文を破り捨てながら呟いた。

 大方の予想通り、謙信はこの戦には出てこないという結論を出し、その旨を書いた文が先程義景の元に届いたのだ。


「如何なさいますか、義景様。雲行きが怪しくなって今夜にも雨が降りそうですぞ。」

 家臣の前波吉継は空を見上げながら言った。しかしいくら待っても返事がない。吉継は訝しげに主君の方を向いた。

 そこには放心状態の義景がいた。謙信からの援軍が来ない事がよっぽどショックだったのだろう。

 そんな憐れな姿を見た吉継は小さくため息を吐くと、足音を忍ばせてその場を後にした。



―――

 織田軍、本陣


 その頃織田軍はパラパラと降ってきた雨を避ける為、全員が砦の中に集まって一息ついていた。

 その時、勝家が慌てた様子で飛び込んできた。


「信長様!麓で見張りをしていた者からの伝言です。どうやら朝倉の兵だと思われる者が一名、こちらに向かっているとの事です!」
「……ほぅ。ついに出たか、裏切り者が。」
「う、裏切り者?」

 妙に冷静な信長を蘭が驚いた顔で見つめる。信長は振り向くとにやりと笑った。


「陣を構えて一週間。何もしない義景を不信に思う者が出たという事だ。それに以前から向こうに潜入させていた俺の息がかかった連中からの報告では、義景は謙信の援軍を熱望していたらしい。今日まで動かなかったのはその援軍を待っていたからだろう。だが恐らく無下にされた。腑抜けになるのも仕方がないさ。」
「という事は、義景に見切りをつけた家臣が降伏しにきたって事ですか?」
「そういう事だ。」

 あっけらかんとした表情の信長に、蘭は拍子抜けしながら続けた。


「そう簡単に主君を裏切れるものですか?ついさっきまで仕えてたのに……」
「負けて死ぬよりはいいだろう。」
「まぁ、そうですけど……」

 やり切れない思いで口を閉じた時、砦の外が騒がしくなった。


「さっき言った朝倉の兵が来ました。中に入れますか?」

 勝家が汗だくで入ってくる。信長は黙って頷いた。


「承知しました。……おい、入れ。」

 勝家の大きな体が脇へ退くと、小柄だが目つきの鋭い人物がゆっくり中に入ってきて信長の前に膝まづく。


「突然のご無礼、失礼致しました。出来るだけ早急にお話がしたかったもので……」
「前置きはいい。要求は降伏か?」
「はい。それと朝倉の情報をお知らせしたいと思います。」
「うむ、申せ。」

「朝倉軍は今現在小谷城の背後の田上山に本陣を置き、大嶽砦などからなる城砦を築いております。ここからはあまり見えない模様ですが、その作りは堅固です。」
「なるほど。何も知らずに攻め入れば、そこで足止めをくうという事だな?」
「左様です。しかし軍勢はニ万ですが、義景様の右腕の景鏡かげあきら様や家老の魚住殿は今回は出陣なさっておらず、最善の布陣とは言えかねます。」

 朝倉景鏡は義景の従弟で、朝倉一門の中でも筆頭に当たる程の立場である。その景鏡が出陣していないという事は、義景と景鏡の関係が良いものではないという事だろう。

 その事に思い至ったのか、信長がまた不敵な笑みを浮かべた。


「お前、名は何という?」
「は、はい!前波吉継と申します。」
「それでは吉継。お前に織田の家臣としての最初の任務を与える。」
「え……?」
「田上山へ案内しろ。今夜だ。」

 信長が立ち上がってそう宣言したちょうどその時、辺りが光って低い轟きが鳴り響く。そして一瞬遅れてザーーー!という雨音が砦の屋根を打った。



―――

 永禄11年(1568年)11月12日の深夜。


 織田軍は豪雨の中、朝倉軍を攻撃した。



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