上 下
60 / 124
混乱の尾張

龍と虎の激突 前編

しおりを挟む

―――

 蘭が蝶子相手にドキドキしている頃、越後と甲斐の関係はますます悪化して今にも破裂しそうな勢いだった。


 それというのも、武田が織田信長と同盟を結んだ事を聞いた上杉謙信が、今まで緩めていた北信濃への侵攻を本格的に開始するという情報が信玄の耳に入ったからであった。

 しかもついでと言わんばかりに、武田と甲相同盟で結ばれている後北条氏の小田原城をも攻めるとなっては信玄も黙ってはいられなかった。

 上杉氏とはこれまで三度に渡り合戦を繰り広げてきたが決着はつかず、ここ数年はお互い決戦を避けていた。

 三回とも北信濃の「川中島」と呼ばれる、千曲川と犀川の合流地点から広がる地で合戦が行われており、今回もその川中島で合戦が行われるであろうと、上杉軍の動きを知った近隣の武田方、上杉方の諸将は既に戦の準備をしているほどだった。

 武田方の部将や豪族は信玄の『念力』の力で調略されており、もはや負ける気はしないという勢いの信玄であったが、相手が軍神と名高い上杉謙信という事で出陣まではどこか落ち着かない様子であった。



―――

 甲斐国、要害山城


「義信!義信はいるか!」
「はい!ここにいます、父上。……どうしたのですか!?そう慌てて……」

 信玄が息せき切って部屋に飛び込んできたので信玄の嫡男の武田義信は目を丸くした。

「明日、出陣だ!上杉が動いた。妻女山さいじょさんに布陣したらしい。」
「妻女山に?あそこは狭くて急斜面ですよ?まさか謙信公は我々を恐れる余り、血迷ったのでは……」
「いや、奴には奴の戦略があるのだろう。しかし領国死守の為に行かんとならん。急いで支度をせよとみなに伝えろ。明朝出発する。」
「承知致しました!」

 こうして武田軍は、上杉軍の待つ川中島へ向かったのだった。



―――

 上杉軍本陣、妻女山


「武田軍は塩崎城に入ったか。」
「どう致しますか?塩崎城に入ったのは武田軍の本隊だと思われます。別隊は海津城かいづじょうにいるのでしょう。位置的に挟み撃ちにする気です。このまま海津城を包囲しますか?」

 家臣の甘粕あまかす景持かげもちはそう言って謙信を見た。

 塩崎城は武田の配下である塩崎氏の居城で、海津城は信玄がこの地を軍事的拠点にする為にわざわざ築城した城である。つまりここで戦をする事を密かに念頭に置いていたという事になる。

 今の上杉軍は、その海津城と塩崎城の両城から挟まれた格好になっていて、動くなら今ではないかと景持は言っているのであった。


「いや、もう少し待とう。」
「何故ですか?今動けば海津城だけでも落とす事が出来ます。」
「景持。冷静になれ。もし海津城を落とすのに手間取ったらどうなる?塩崎城に背を向ける格好になってしまうであろう。そうなれば信玄の思う壺。一斉に攻撃を仕掛けてくるに違いない。」
「あ……」
「ここは下手に動かない方がいい。いつも教えているだろう?戦に必要なのは強さではない。冷静な判断力だ。」
「……はい。少し気が急いていました。申し訳ございません。」

 そう言って体を90度に折り畳んで謝罪の意を見せる景持を、謙信は苦笑しながら眺めた。

「気持ちはわかるがな。きっとこの戦があいつとの最後且つ、最大の合戦になるであろう。私もいつになく気持ちが落ち着かない。」

 謙信はそう言うとおもむろに立ち上がった。

「そして更に言えば、長期戦になる予感がする。」

 髪を夜風に靡かせて、謙信はそう呟いた。



―――

 謙信が予想した通り、それから二週間程が経っても双方は動かず、膠着状態が続いた。

 変わった事と言えば、武田軍が塩崎城から海津城へと移ったくらいで、川中島一帯は気持ちが悪い程静まり返っていた。


「まだ動かんか……いい加減疲れてきたぞ……ん?」

 謙信が妻女山の本陣から海津城の辺りを眺めていた時だった。何かに気づいた謙信は数歩歩いて山のギリギリの所まで行くと、もう一度目を凝らした。

「どうしました?」
「いや、今日はやけに海津城の辺りが騒がしいような気がしてな。……待てよ、もしかすると……」

 そう言って謙信は陣の外に出ていこうとする。景持は慌てて引き止めようとした。

「あ!何処に行くのですか!?」
「大丈夫だ。すぐそこの川に用事があるだけだから。着いてこなくてもよい。」

 はっきりそう言われ、景持は思わず立ち止まった。

「で、でもお一人では危険でっ……」
「すぐに戻る。いいからお前は早く休め。明日の朝は早いからな。」
「え……?」

 謙信はそう言って意味深な笑顔を見せると、一人で山を下っていった。


「明日の朝は早い?どういう事だろう……」

 景持は首を傾げつつも、陣の中の寝所に戻っていった。



―――

「どれ。この辺りでよいかな。」

 山を下りて近場にあった川に近づくと、謙信はしゃがんで手を川の中に入れた。そして目を瞑る。

「ほう……なるほど。そうくるか。あいつも頭を使うようになったではないか。」

 謙信は海津城の方向へと顔をやりながら微笑んだ。


「ここにきて能力を使う事になるとは、私も歳をとったという事かな。戦中はなるべく使わんように気をつけていたが、やはり宿命の好敵手を倒す為にはなりふり構っていられぬか。」

 自嘲気味に呟くと、踵を返して元来た道を戻っていった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

何故、わたくしだけが貴方の事を特別視していると思われるのですか?

ラララキヲ
ファンタジー
王家主催の夜会で婚約者以外の令嬢をエスコートした侯爵令息は、突然自分の婚約者である伯爵令嬢に婚約破棄を宣言した。 それを受けて婚約者の伯爵令嬢は自分の婚約者に聞き返す。 「返事……ですか?わたくしは何を言えばいいのでしょうか?」 侯爵令息の胸に抱かれる子爵令嬢も一緒になって婚約破棄を告げられた令嬢を責め立てる。しかし伯爵令嬢は首を傾げて問返す。 「何故わたくしが嫉妬すると思われるのですか?」 ※この世界の貴族は『完全なピラミッド型』だと思って下さい…… ◇テンプレ婚約破棄モノ。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げています。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?

ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。 世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。 ざまぁ必須、微ファンタジーです。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

処理中です...