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日常に潜む不穏な動き

稽古

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―――

「……って!真剣で稽古なんてあり得ないでしょ!!」

 翌日は晴れやかな気持ちになる程天気が良く、俗に言う『良く晴れた昼下がり』的な雰囲気の中、突如蘭の大声が庭に響き渡った。

「我々はいつもこれで稽古していますよ。」
「う、嘘だ!つぅか、信長様はどうしたんですか?あの人が稽古するって言うから来たのに……」
「おや、私では不満ですか。」
「い、いえ……不満なんてそんな……」
 ゴニョゴニョと呟く蘭を見て、光秀は微笑んだ。

「冗談です。殿は急な客人がいらっしゃって、今日は来れないそうです。その代わり、私が稽古をするようにと仰せつかりました。」
 そう言って先程からちらつかせている刀を握り直す。蘭は及び腰になりながら、自分が持っている物を見た。

(稽古って……竹刀とか木刀でやるのかと思ってたけど、マジでこれでやるの……?)
 蘭が持たせられているのは真剣。本物の刀だった。

 いくらこの戦国の世で生きると覚悟したとはいえ、最初からこんなスパルタでなくても良さそうだが、光秀の目は獲物を捕らえた獣のごとく鋭いものに変わった。

「ひっ……!」
「蘭丸君。いざ、始め!」
「うわぁっ!」
 光秀が刀を中段で構えながら突進してきた。情けない悲鳴を上げながら脇へ避ける。ホッとしたのも束の間、ちょうどそこに植え込みがあり、避けきれずそのまま植え込みにダイブした。

「いってぇぇ~……」
 頭から刺さっていったものだから、顔のあちこちを擦りむいてしまった。頬を押さえながら立ち上がると、庭に面した廊下から話し声が聞こえた。

「剣の稽古してるって市さんから聞いて見にきてみたら、何情けない声出してんのよ、もう……」
「初めてなのですから仕方がありませんよ。ねぇ、光秀。手加減してあげて下さいね。」
「わかっていますよ。」

(わかってねぇ!あの目はマジだ。俺、ここで死ぬの……?)
 そんな不穏な事を思っているといつの間に来たのか、意外とすぐ近くに光秀がいた。

「油断大敵!」
「ひぃっ!ちょっ…ま、あっ!タンマ!!」
「タンマって……通じないと思うわよ……」
 今度は上段からの降り下ろしがくる。それを寸でのところで交わしながら思わず出た『タンマ』について、蝶子が冷静に突っ込みを入れた。

「中々やりますね。でも逃げてばかりじゃ稽古になりませんよ。」
「はぁ、はぁ……本物の刀相手じゃ、逃げるしかないでしょ……」
「え?本物?」

『本物』と聞いてビックリした顔で市を振り向いた蝶子だったが、一瞬の隙に光秀と市の視線が交わったのを見て頷いた。

(なるほど……信長も過激な事考えるわね。)
 蝶子は真っ青な顔で逃げ回る蘭を見て密かに笑った。

「蘭丸君。君は逃げ足だけは早いな。」
「ど、どうも……あのポンコツ親父に鍛えられたんで。」
 息を切らしながら自分の父親を思い出して苦笑する。

 実験器具や機械を弄っては壊して、その度に追いかけ回された事が懐かしい。逃げ足が早いのはこれが原因だと思うと可笑しくなった。

「ポンコツ……?それは本当のお父上の事かな?」
「えっ?」
「あぁ、ごめん。君達の素姓については深く詮索するなと殿から言われていたんだった。さぁ、続きをしようか。」
「あ、あの!」
「ん?」
「少しくらいなら、俺の事話してもいいですよ。その代わり、光秀さんの事もっと知りたいな。」
「え……?」
「あ、やっぱり嫌っすよね。こんな何処の馬の骨かもわからないような奴と親しくなるなんて……」
 あ然とした表情の光秀を見た蘭は慌てて取り繕う。

(何言ってんだ、俺は……ただ光秀と親しくなれば、将来本能寺の変の回避に繋がるかもって思ったんだけど、そんなに簡単にはいかないか。しょうがない。もう少し様子を見て……)

「いいですよ。」
「へ?」
「ただし、私に勝ったらです。」
「……へ?」
 言うが早いか、光秀は一度後ろに下がると、野球のバッティングポーズのような構えをした。
 そして目を瞑って大きく息を吐き出すと、次の瞬間カッと目を見開いて素振りするかのように蘭の脇腹を狙ってきた。

(マズい……かわせない!)

『死ぬ!』そう覚悟したが、想像していたような激痛は襲ってこなかった。その代わりに感じたのは、ヒリヒリとした熱と鈍痛。

「一本!!」
 突然響いた声に驚いて顔を向けると、蝶子が右手を高く掲げていた。

「え?えっ!?」
「命拾いしたわね、蘭。それ、本物だったら貴方死んでたよ。」
 呆れたような笑いを堪えてるような声でそう言うと、光秀に向かってため息をついた。

「光秀さんも人が悪いですね。それ偽物でしょう?市さんも知ってましたよね?」
 腰に手を当てて二人の事を交互に見て言う。蝶子に責められて二人は頭を下げた。

「申し訳ございません。殿の命令には逆らえず、騙してしまいました。蘭丸君、恐い思いをさせたね。すまなかった。」
「お兄様は蘭丸に戦の中に身を置くという事がどんな事か、体感してもらいたいという一心でこのような事を……どうか許してあげて下さい。」
「…………」
 蘭は痛む脇腹を押さえながらポカーンとしていた。

(っていう事は何か?あの剣は偽物で本物じゃなかったって事?しかも信長の指示で俺を騙してた?じゃああんなに必死に逃げてた俺って……)

「かっこわるっ!うわー恥ずかしい……」
 そう言って蘭はその場にへたりこんだ。慌てて蝶子が足袋のまま駆け寄ってきた。

「濃姫様!」
「大丈夫、市さん。それより薬箱持ってきて下さい。模造刀とはいえあんなにしっかり当たったんだから、怪我してるはず。あぁ、ほら……痣になってる。」
 蝶子が蘭の着物を捲って脇腹を見ると、案の定打撲のような痕が残っていた。試しに押してみると、蘭の顔が痛さで歪む。市は言われた通りに薬箱を取りに行った。

「……申し訳ございません。まさかあんなに強く当たるとは……」
 光秀が平身低頭謝ってくる。それを見て蝶子は苦笑した。

「今度も蘭が避けると思ったから手加減しなかったんでしょ?こいつが油断したのが敗因。」
「しかし……」
「私、今のを見てこの世界の恐ろしさを知った気がする。途中から偽物だってわかってたけど、蘭が本当に斬られたと思った。死んじゃうって、大切な人がいなくなっちゃうって泣きそうになった。でもみんな、そういう思いを抱えながら生きているんだって実感した。ここはそういう世の中、なのよね?」
 涙を溜めた目で見つめられ、光秀は一瞬顔を伏せる。だがすぐに顔を上げて言った。

「今はそういう世の中ですが、いつか信長様が争いのない平和な世にして下さいます。誰も涙の流す事のない、愛する人と一緒に暮らせる世界に、して下さいます。きっと……いえ、絶対に。」

 力強い口調できっぱり言い切るその姿は、いつか主君を裏切ってしまうなどとは到底思えないものだった……



―――

「いっ!……てぇよ~もうちょい優しく……」
「これでも優しくしてあげてる方よ。はい、終わり!」
「ぎゃあぁっ!」
 傷口をポンッと叩かれ、蘭が絶叫する。蝶子はため息をつきながら薬箱を片付けた。

 光秀に向かって蘭の事を『大切な人』と口走ってしまった蝶子だったが、慌てて蘭の方を見ると気を失っていた。ホッとしたと同時にどこかガッカリした気分で、光秀と二人で自分の部屋へと運んできたのがついさっき。

 ひっぱたいて起こした上、ちょっと乱暴に手当てしてあげたのは、蝶子の照れの表れである。

「たくっ……ザツなんだから。あーあ、市様から手当てしてもらいたかったなぁ~」
「悪かったわね、私で!」
「何だよ、その態度。可愛くねぇな。」
「どうせ私は可愛くないですよーだ!」

 ぎゃあぎゃあ喚いていると、障子に人影ができた。誰か来たようだ。
 二人共言い合いを止めてその人物が入ってくるのを待った。

「誰?市さん?」
「俺だ。」
「信長様!!」
 声を聞いて慌てて戸を開けに行く蘭。そこにはまさしく信長が立っていた。

「わざわざご足労願わなくても。呼んで下さればこちらから出向いたのに。」
 さっきの真剣での稽古の事を思い出してあからさまに皮肉を言う蝶子を蘭が抑える。

「まぁまぁ……さ、信長様。どうかお入り下さい。」
「いや、ここでよい。話はすぐ終わる。」
「え?どういう事ですか?」
 疑問符を頭に浮かべて聞き返す蘭に向かって、信長は無表情のまま言った。

「信勝が動いた。蘭丸、お前も出陣だ。」



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